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************以下、見本です*************

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.こんにちは!(″ ▽ ゛  ○    
.        =∞=  // 
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   04年2月マガジン見本
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子どもは、人の父

 空に虹を見るとき、私の心ははずむ。
  私が子どものころも、そうだった。
  人となった今も、そうだ。
  願わくは、私は歳をとって、死ぬときもそうでありたい。
  子どもは人の父。
  自然の恵みを受けて、それぞれの日々が、
  そうであることを、私は願う。

(イギリスの詩人・ワーズワース)

 訳は私がつけたが、問題は、「子どもは人の父」という部分の訳である。原文では、「The
 Child is Father of the Man. 」となっている。

この中の「Man」の訳に、私は悩んだ。

ここではほかの訳者と同じように「人」と訳したが、どうもニュアンスが合わない。詩
の流れからすると、「その人の人格」ということか。つまり私は、「その人の人格は、子
ども時代に形成される」と解釈したが、これには二つの意味が含まれる。

一つは、その人の人格は子ども時代に形成されるから注意せよという意味。もう一つは、
人はいくらおとなになっても、その心は結局は、子ども時代に戻るという意味。

誤解があるといけないので、はっきりと言っておくが、子どもは確かに未経験で未熟だ
が、決して、幼稚ではない。子どもの世界は、おとなが考えているより、はるかに広く、
純粋で、豊かである。しかも美しい。

人はおとなになるにつれて、それを忘れ、そして醜くなっていく。知識や経験という雑
音の中で、俗化し、自分を見失っていく。私を幼児教育のとりこにした事件に、こんな
事件がある。

 ある日、園児に絵をかかせていたときのことである。一人の子ども(年中男児)が、と
てもていねいに絵をかいてくれた。そこで私は、その絵に大きな花丸をかき、その横に、「ご
くろうさん」と書き添えた。

が、何を思ったか、その子どもはそれを見て、クックッと泣き始めたのである。私はて
っきりうれし泣きだろうと思ったが、それにしても大げさである。そこで「どうして泣
くのかな?」と聞きなおすと、その子どもは涙をふきながら、こう話してくれた。「ぼく、
ごくろうっていう名前じゃ、ない。たくろう、ってんだ」と。

 もし人が子ども時代の心を忘れたら、それこそ、その人の人生は闇だと、私は思う。も
し人が子ども時代の笑いや涙を忘れたら、それこそ、その人の人生は闇だと、私は思う。
ワーズワースは子どものころ、空にかかる虹を見て感動した。そしてその同じ虹を見て、
子どものころの感動が胸に再びわきおこってくるのを感じた。そこでこう言った。

「子どもは人の父」と。

私はこの一言に、ワーズワースの、そして幼児教育の心のすべてが、凝縮されているよ
うに思う。



(1)子育てポイント**************************

●子どもとの笑い

 いつも深刻な話ばかりなので……。最近経験した楽しい話(?)をいくつか……。

☆ときどきまったく手をあげようとしない子ども(年中女児)がいる。そこで私が「先
生(私)を好きな子は、手をあげなくていい」と言ったら、その子は何を思ったか、腕組
みをして私をにらみつけた。

「セクハラか?」と思わず後悔したが、そのあと私が「どうして手をあげないの?」と
聞くと、「だって、私、先生が好きだもん」と。マレにですが、私も子どもに好かれ
ることがあるのです。

☆私が「三匹の魚がいました。そこへまた二匹魚がきました。全部で何匹ですか?」と聞
くと、皆(年長児)が、「五匹!」と答えた。そこで私が電卓を取り出して、「ええと、
三足す二で……」と電卓を叩いていたら、一人の子どもがこう言った。「あんた、それ
でも本当に先生?」と。

☆指をしゃぶっている子ども(年中児)がいた。そこで私が、「どうせ指をしゃぶるなら、
もっとかっこよくしゃぶりなよ。おとなのしゃぶり方を教えてあげるよ」と言って、少し
ばかりキザなしゃぶり方(指を横から、顔をななめにしてしゃぶる)を教えてやった。す
るとその子は、本当にそういうしゃぶり方をするようになった。私は少しからかってやっ
ただけなのだが……。

☆私のニックネームは……? 「美男子」「好男子」「長足の二枚目」。あるとき私に「ジジ
イー」「アホ」と言う子ども(年長児たち)がいたので、こう話してやった。「もっと悪い
言葉を教えてやろうか。しかし先生や、お父さんに使ってはダメだ。いいな」と。子ども
たちは「使わない、使わない」と約束したので、こう言ってやった。「ビダンシ」と。それ
からというもの、子どもたちは私を見ると、「ビダンシ、ビダンシ」と呼ぶようになった。


☆算数を教えながら、「○と△の関係は何ですか?」と聞いたら、一人の子ども(小四男
児)が、「三角関係!」と。ドキッとして、「何だ、それは?」と聞くと、「男が二人で、女
が一人の関係だよ」と。すると別の子どもが、「違うよオ〜、女が二人で、男が一人だよオ
〜」と。とたん、教室が収拾がつかなくなってしまった。私が、「今どきの子どもは、何を
考えているんだ!」と叱ると、こんな歌を歌い始めた。「♪今どき娘は、一日五食、朝昼三
時、夕食深夜……」と。「何だ、その歌は」と聞くと、「先生、こんな歌も知らないのオ〜、
遅れてるウ〜」と。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●心を開く

 何でも言いたいことを言い、したいことをする。悲しいときは悲しいと言う、うれしい
ときはうれしいと言う。泣きたいときは、思いっきり泣くことができる。自分の心をその
ままぶつけることができる。そういう状態を、「心が開いている状態」という。

 昔、ある文士たちが集まる集会で、一人の男性(七〇歳くらい)がいきなり私にこう聞
いた。「林君、君のワイフは、君の前で『へ(おなら)』を出すかね?」と。驚いて私が、「う
ちの女房はそういうことはしないです……」とあわてて答えると、そばにいた人たちまで
一斉に、「そりゃあ、かわいそうだ。君の奥さんはかわいそうだ」と言った。

 子どもでも、親に向かって、「クソじじい」とか、「お前はバカだ」と言う子どもがいる。
子どもが悪い言葉を使うのを容認せよというわけではないが、しかしそういう言葉が使え
ないほどまでに、子どもを追いつめてはいけない。

一応はたしなめながらも、一方で、「うちの子どもは私に心を開いているのだ」と、それ
を許す余裕が必要である。子どもの側からみて、「自分はどんなことをしても、またどん
なことを言っても許されるのだ」という絶対的な安心感が、子どもの心を豊かにする。
 
そこで大切なことは、心というのは、相手に対して「開く心」と、もう一方で、それを
受け止める「開いた心」がないと、かよいあわないということ。子どもが心を開いたら、
同じように親のほうも心を開く。それはちょうどまさに「開いた心の窓」のようなもの
だ。どちらか一方が、心の窓を閉じていたのでは、心を通いあわせることはできない。
R氏(四五歳)はこう言う。

「私の母(六五歳)は、今でも私にウソを言います。親のメンツにこだわって、あれこ
れ世間体をとりつくろいます。私はいつも本音でぶつかろうとするのですが、いつもそ
の本音が母の心のカベにぶつかって、そこではね返されてしまいます。私もさみしいで
すが、母もかわいそうな人です」と。

 そこで問題なのは、あなたの子どもはあなたに対して、心を開いているかということ。
そして同じように、あなたはあなたの子どものそういう心を、心を開いて受け止めている
かということ。

もしあなたの子どもがあなたの前で、よい子ぶったり、あるいは心を隠したり、ウソを
ついたり、さらには仮面をかぶっているようなら、子どもを責めるのではなく、あなた
自身のことを反省する。相手の心を開こうと考えるなら、まずあなた自身が心を開いて、
相手の心をそのまま受け入れなければならない。またそれでこそ、親子であり、家族と
いうことになる。

 さてその文士の集まりから帰った夜、私は恐る恐る女房にこう言った。「おまえはあまり
ぼくの前でおならを出さないけど、出していいよ」と。が、数日後、女房はそれに答えて
こう言った。「それは心を開いているとかいないとかいう問題ではなく、たしなみの問題だ
と思うわ」と。まあ、世の中にはいろいろな考え方がある。



(2)今日の特集  **************************

【虐待】

●虐待にもいろいろ

 一般論として、子どもに虐待を繰りかえす親は、自分自身も、虐待を受けた経験がある
といわれている。約50%が、そうであるといわれている。

 その虐待は、暴力だけにかぎらない。

 大きく、この(1)暴力的虐待のほか、(2)栄養的虐待、(3)性的虐待、(4)感情的
虐待に、分けられる。暴力的虐待は、肉体的虐待、言葉の虐待、精神的虐待に分けられる。

 順に考えてみよう。

(1)肉体的虐待……私の調査でも、約50%の親が、何らかの形で、子どもに肉体的な
暴力をバツ(体罰)として与えていることがわかっている。そしてそのうち、70%の親
(全体では35%の親)が、虐待に近い暴力を加えているのがわかっている。

 日本人は、昔から、子どもへの体罰に甘い国民と言われている。

 「日本人の親で、『(子どもへの)体罰は必要である』と答えている親は、70%。一方
アメリカ人の親で、『体罰は必要である』と答えている親は、10%にすぎない」(村山貞
夫)という調査結果もある。

 体罰はしかたないとしても、たとえば『体罰は尻』ときめておくとよい。いかなるばあ
いも、頭に対して、体罰を加えてはいけない。
 
(1−2)言葉の虐待……「あなたはダメな子」式の、人格の「核」に触れるような言葉
を、日常的に子どもにあびせかけることをいう。

 「あなたはバカだ」
 「あなたなんか、何をしてもダメだ」
 「あんたなんか、死んでしまえばいい」など。

 子どもの心は、親がつくる。そして子どもは、長い時間をかけて、親の口グセどおりの
子どもになる。親が「うちの子はグズで……」と思っていると、その子どもは、やがてそ
の通りの子どもになる。

 しかし言葉の暴力がこわいのは、その子どもの人格の中枢部まで破壊すること。ある男
性(60歳)は、いまだに「お母さんが怒るから」「お母さんが怒るから」と、母親の影に
おびえている。そうなる。

(1−3)精神的虐待……異常な恐怖体験、過酷な試練などを、子どもに与えることをい
う。

 ふつうは、無意識のうちに、子どもに与えることが多い。たとえば子どもの前で、はげ
しい夫婦喧嘩をして見せるなど。

 子どもの側からみて、恐怖感、心配、焦燥感、絶望感を与えるものが、ここでいう精神
的虐待ということになる。

 子どもの心というのは、絶対的安心感があって、その上で、はじめてはぐくまれる。そ
の基盤そのものが、ゆらぐことをいう。

(2)栄養的虐待……食事を与えないなどの虐待をいう。私自身、このタイプの虐待児に
ついて接した経験がほとんどないので、ここでのコメントは、割愛する。

(3)性的虐待……今まで、具体的な事例を見聞きしたことがないので、ここでは割愛す
る。

(4)感情的虐待……親の不安定な情緒が与える影響が、虐待といえるほどまでに、高じ
た状態をいう。かんしゃくに任せて、子どもを怒鳴りつけるなど。

 『親の情緒不安、百害あって一利なし』と覚えておくとよい。少し前だが、こんな事例
があった。

 その母親は、交通事故をきっかけに、精神状態がきわめて不安定になってしまった。し
かし悪いときには、悪いことが重なる。その直後に、実父の他界、実兄の経営する会社の
倒産と、不幸なできごとが、たてつづけに、つづいてしまった。

 その母親は、「交通事故の後遺症だ」とは言ったが、ありとあらゆる体の不調を訴えるよ
うになった。そしてほとんど毎日のように病院通いをするようになった。

 その母親のばあいは、とくに息子(小2)を虐待したということはなかった。しかしや
がて子どもは、その不安からか、学校でも、オドオドするようになってしまった。先生に
ちょっと注意されただけで、腹痛を訴えたり、ときには、みなの見ているところで、バタ
ンと倒れてみせたりした。

 このように精神に重大な影響を与える行為を、虐待という。暴力的虐待も、暴力を通し
て、子どもの精神に重大な影響を与えるから、虐待という。

 この虐待がつづくと、子どもの精神は、発露する場所を失い、内閉したり、ゆがんだり
する。そしてそれが心のキズ(トラウマ)となって、生涯にわたって、その子どもを苦し
めることもある。
(040220)

++++++++++++++++++++

以前、つぎのような原稿を書きましたので
送ります。(中日新聞投稿済み)

++++++++++++++++++++

●虐待される子ども
                    
 ある日曜日の午後。一人の子ども(小五男児)が、幼稚園に駆け込んできた。富士市で
幼稚園の園長をしているI氏は、そのときの様子を、こう話してくれた。

「見ると、頭はボコボコ、顔中、あざだらけでした。泣くでもなし、体をワナワナと震
わせていました」と。虐待である。逃げるといっても、ほかに適当な場所を思いつかな
かったのだろう。その子どもは、昔、通ったことのある、その幼稚園へ逃げてきた。
 
カナーという学者は、虐待を次のように定義している。(1)過度の敵意と冷淡、(2)完
ぺき主義、(3)代償的過保護。ここでいう代償的過保護というのは、愛情に根ざした本来
の過保護ではなく、子どもを自分の支配下において、思い通りにしたいという、親のエゴ
に基づいた過保護をいう。

その結果子どもは、(1)愛情飢餓(愛情に飢えた状態)、(2)強迫傾向(いつも何かに
強迫されているかのように、おびえる)、(3)情緒的未成熟(感情のコントロールがで
きない)などの症状を示し、さまざまな問題行動を起こすようになる。

 I氏はこう話してくれた。「その子どもは、双子で生まれたうちの一人。もう一人は女の
子でした。母子家庭で、母親はその息子だけを、ことのほか嫌っていたようでした」と。

私が「母と子の間に、大きなわだかまりがあったのでしょうね」と問いかけると、「多分
その男の子が、離婚した夫と、顔や様子がそっくりだったからではないでしょうか」と。

 親が子どもを虐待する理由として、ホルネイという学者は、(1)親自身が障害をもって
いる。(2)子どもが親の重荷になっている。(3)子どもが親にとって、失望の種になっ
ている。(4)親が情緒的に未成熟で、子どもが問題を解決するための手段になっている、
の四つをあげている。

それはともかくも、虐待というときは、その程度が体罰の範囲を超えていることをいう。
I氏のケースでも、母親はバットで、息子の頭を殴りつけていた。わかりやすく言えば、
殺す寸前までのことをする。そして当然のことながら、子どもは、体のみならず、心に
も深いキズを負う。学習中、一人ニヤニヤ笑い続けていた女の子(小二)。夜な夜な、動
物のようなうめき声をあげて、近所を走り回っていた女の子(小三)などがいた。

 問題をどう解決するかということよりも、こういうケースでは、親子を分離させたほう
がよい。教育委員会の指導で保護施設に入れるという方法もあるが、実際にはそうは簡単
ではない。

父親と子どもを半ば強制的に分離したため、父親に、「お前を一生かかっても、殺してや
る」と脅されている学校の先生もいる。あるいはせっかく分離しても、母親が優柔不断
で、暴力を振るう父親と、別れたりよりを戻したりを繰り返しているケースもある。

 結論を言えば、たとえ親子の間のできごととはいえ、一方的な暴力は、犯罪であるとい
う認識を、社会がもつべきである。そしてそういう前提で、教育機関も警察も動く。いつ
か私はこのコラムの中で、「内政不干渉の原則」を書いたが、この問題だけは別。

子どもが虐待されているのを見たら、近くの児童相談所へ通報したらよい。「警察……」
という方法もあるが、「どうしても大げさになってしまうため、児童相談所のほうがよい
でしょう。そのほうが適切に対処してくれます」(S小学校N校長)とのこと。

+++++++++++++++++++
【付録】

●虐待について 

 社会福祉法人「子どもの虐待防止センター」の実態調査によると、母親の五人に一人は、
「子育てに協力してもらえる人がいない」と感じ、家事や育児の面で夫に不満を感じてい
る母親は、不満のない母親に比べ、「虐待あり」が、三倍になっていることがわかった(有
効回答五〇〇人・二〇〇〇年)。

 また東京都精神医学総合研究所の妹尾栄一氏は、虐待の診断基準を作成し、虐待の度合
を数字で示している。妹尾氏は、「食事を与えない」「ふろに入れたり、下着をかえたりし
ない」などの一七項目を作成し、それぞれについて、「まったくない……〇点」「ときどき
ある……一点」「しばしばある……二点」の三段階で親の回答を求め、虐待度を調べた。

その結果、「虐待あり」が、有効回答(四九四人)のうちの九%、「虐待傾向」が、三〇%、
「虐待なし」が、六一%であった。この結果からみると、約四〇%弱の母親が、虐待も
しくは虐待に近い行為をしているのがわかる。

 一方、自分の子どもを「気が合わない」と感じている母親は、七%。そしてその大半が
何らかの形で虐待していることもわかったという(同、総合研究所調査)。「愛情面で自分
の母親とのきずなが弱かった母親ほど、虐待に走る傾向があり、虐待の世代連鎖もうかが
える」とも。

●ふえる虐待

 なお厚生省が全国の児童相談所で調べたところ、母親による児童虐待が、一九九八年ま
での八年間だけでも、約六倍強にふえていることがわかった。(二〇〇〇年度には、一万七
七二五件、前年度の一・五倍。この一〇年間で一六倍。)

 虐待の内訳は、相談、通告を受けた六九三二件のうち、身体的暴行が三六七三件(五
三%)
でもっとも多く、食事を与えないなどの育児拒否が、二一〇九件(三〇・四%)、差別的、
攻撃的言動による心理的虐待が六五〇件など。

虐待を与える親は、実父が一九一〇件、実母が三八二一件で、全体の八二・七%。また
虐待を受けたのは小学生がもっとも多く、二五三七件。三歳から就学前までが、一八六
七件、三歳未満が一二三五件で、全体の八一・三%となっている。

(3)************************************

Touch your Heart byはやし浩司(1)

子どもの巣立ち

 階段でふとよろけたとき、三男がうしろから私を抱き支えてくれた。いつの間にか、私
はそんな年齢になった。腕相撲では、もうとっくの昔に、かなわない。自分の腕より太く
なった息子の腕を見ながら、うれしさとさみしさの入り交じった気持ちになる。

 男親というのは、息子たちがいつ、自分を超えるか、いつもそれを気にしているものだ。
息子が自分より大きな魚を釣ったとき。息子が自分の身長を超えたとき。息子に頼まれて、
ネクタイをしめてやったとき。

そうそう二男のときは、こんなことがあった。二男が高校に入ったときのことだ。二男
が毎晩、ランニングに行くようになった。しばらくしてから女房に話を聞くと、こう教
えてくれた。

「友だちのために伴走しているのよ。同じ山岳部に入る予定の友だちが、体力がないた
め、落とされそうだから」と。その話を聞いたとき、二男が、私を超えたのを知った。
いや、それ以後は二男を、子どもというよりは、対等の人間として見るようになった。

 その時々は、遅々として進まない子育て。イライラすることも多い。しかしその子育て
も終わってみると、あっという間のできごと。「そんなこともあったのか」と思うほど、遠
い昔に追いやられる。「もっと息子たちのそばにいてやればよかった」とか、「もっと息子
たちの話に耳を傾けてやればよかった」と、悔やむこともある。

そう、時の流れは風のようなものだ。どこからともなく吹いてきて、またどこかへと去
っていく。そしていつの間にか子どもたちは去っていき、私の人生も終わりに近づく。

 その二男がアメリカへ旅立ってから数日後。私と女房が二男の部屋を掃除していたとき
のこと。一枚の古ぼけた、赤ん坊の写真が出てきた。私は最初、それが誰の写真かわから
なかった。

が、しばらく見ていると、目がうるんで、その写真が見えなくなった。うしろから女房
が、「Sよ……」と声をかけたとき、同時に、大粒の涙がほおを伝って落ちた。

 何でもない子育て。朝起きると、子どもたちがそこにいて、私がそこにいる。それぞれ
が勝手なことをしている。三男はいつもコタツの中で、ウンチをしていた。私はコタツの
ふとんを、「臭い、臭い」と言っては、部屋の真ん中ではたく。女房は三男のオシリをふく。
長男や二男は、そういう三男を、横からからかう。そんな思い出が、脳裏の中を次々とか
けめぐる。

そのときはわからなかった。その「何でもない」ことの中に、これほどまでの価値があ
ろうとは! 子育てというのは、そういうものかもしれない。街で親子連れとすれ違う
と、思わず、「いいなあ」と思ってしまう。そしてそう思った次の瞬間、「がんばってく
ださいよ」と声をかけたくなる。

レストランや新幹線の中で騒ぐ子どもを見ても、最近は、気にならなくなった。「うちの
息子たちも、ああだったなあ」と。問題のない子どもというのは、いない。だから楽な
子育てというのも、ない。

それぞれが皆、何らかの問題を背負いながら、子育てをしている。しかしそれも終わっ
てみると、その時代が人生の中で、光り輝いているのを知る。もし、今、皆さんが、子
育てで苦労しているなら、やがてくる未来に視点を置いてみたらよい。心がずっと軽く
なるはずだ。 

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

Touch your Heart byはやし浩司(2)

真の自由を子どもに教えられるとき 

●真の自由を手に入れる方法はあるのか? 

 私のような生き方をしているものにとっては、死は、恐怖以外の何ものでもない。「私は
自由だ」といくら叫んでも、そこには限界がある。死は、私からあらゆる自由を奪う。が、
もしその恐怖から逃れることができたら、私は真の自由を手にすることになる。しかしそ
れは可能なのか……? その方法はあるのか……?

 一つのヒントだが、もし私から「私」をなくしてしまえば、ひょっとしたら私は、死の
恐怖から、自分を解放することができるかもしれない。自分の子育ての中で、私はこんな
経験をした。

●無条件の愛

 息子の一人が、アメリカ人の女性と結婚することになったときのこと。息子とこんな会
話をした。

息子「アメリカで就職したい」
私「いいだろ」
息子「結婚式はアメリカでしたい。アメリカのその地方では、花嫁の居住地で式をあげる
習わしになっている。結婚式には来てくれるか」
私「いいだろ」、息子「洗礼を受けてクリスチャンになる」
私「いいだろ」と。

その一つずつの段階で、私は「私の息子」というときの「私の」という意識を、グイグ
イと押し殺さなければならなかった。苦しかった。つらかった。しかし次の会話のとき
は、さすがに私も声が震えた。

息子「アメリカ国籍を取る」
私「……日本人をやめる、ということか……」
息子「そう……」
私「……いいだろ」と。

 私は息子に妥協したのではない。息子をあきらめたのでもない。息子を信じ、愛するが
ゆえに、一人の人間として息子を許し、受け入れた。英語には『無条件の愛』という言葉
がある。私が感じたのは、まさにその愛だった。しかしその愛を実感したとき、同時に私
は、自分の心が抜けるほど軽くなったのを知った。

●息子に教えられたこと

 「私」を取り去るということは、自分を捨てることではない。生きることをやめること
でもない。「私」を取り去るということは、つまり身のまわりのありとあらゆる人やものを、
許し、愛し、受け入れるということ。「私」があるから、死がこわい。が、「私」がなけれ
ば、死をこわがる理由などない。

一文なしの人は、どろぼうを恐れない。それと同じ理屈だ。死がやってきたとき、「ああ、
おいでになりましたか。では一緒に参りましょう」と言うことができる。そしてそれが
できれば、私は死を克服したことになる。真の自由を手に入れたことになる。その境地
に達することができるようになるかどうかは、今のところ自信はない。ないが、しかし
一つの目標にはなる。息子がそれを、私に教えてくれた。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

Touch your Heart byはやし浩司(3)

子どもに生きる意味を教えるとき 

●高校野球に学ぶこと

 懸命に生きるから、人は美しい。輝く。その価値があるかないかの判断は、あとからす
ればよい。生きる意味や目的も、そのあとに考えればよい。

たとえば高校野球。私たちがなぜあの高校野球に感動するかといえば、そこに子どもた
ちの懸命さを感ずるからではないのか。たかがボールのゲームと笑ってはいけない。私
たちがしている「仕事」だって、意味があるようで、それほどない。「私のしていること
は、ボールのゲームとは違う」と自信をもって言える人は、この世の中に一体、どれだ
けいるだろうか。

●人はなぜ生まれ、そして死ぬのか

 私は学生時代、シドニーのキングスクロスで、ミュージカルの『ヘアー』を見た。幻想
的なミュージカルだった。あの中で主人公のクロードが、こんな歌を歌う。

「♪私たちはなぜ生まれ、なぜ死ぬのか、(それを知るために)どこへ行けばいいのか」
と。それから三〇年あまり。私もこの問題について、ずっと考えてきた。そしてその結
果というわけではないが、トルストイの『戦争と平和』の中に、私はその答のヒントを
見いだした。

 生のむなしさを感ずるあまり、現実から逃避し、結局は滅びるアンドレイ公爵。一方、
人生の目的は生きることそのものにあるとして、人生を前向きにとらえ、最終的には幸福
になるピエール。そのピエールはこう言う。

『(人間の最高の幸福を手に入れるためには)、ただひたすら進むこと。生きること。愛
すること。信ずること』(第五編四節)と。

つまり懸命に生きること自体に意味がある、と。もっと言えば、人生の意味などという
ものは、生きてみなければわからない。映画『フォレスト・ガンプ』の中でも、フォレ
ストの母は、こう言っている。

『人生はチョコレートの箱のようなもの。食べてみるまで、(その味は)わからないのよ』
と。

●懸命に生きることに価値がある

 そこでもう一度、高校野球にもどる。一球一球に全神経を集中させる。投げるピッチャ
ーも、それを迎え撃つバッターも真剣だ。応援団は狂ったように、声援を繰り返す。みん
な必死だ。命がけだ。ピッチャーの顔が汗でキラリと光ったその瞬間、ボールが投げられ、
そしてそれが宙を飛ぶ。

その直後、カキーンという澄んだ音が、場内にこだまする。一瞬時間が止まる。が、そ
のあと喜びの歓声と悲しみの絶叫が、同時に場内を埋めつくす……。

 私はそれが人生だと思う。そして無数の人たちの懸命な人生が、これまた複雑にからみ
あって、人間の社会をつくる。つまりそこに人間の生きる意味がある。いや、あえて言う
なら、懸命に生きるからこそ、人生は光を放つ。生きる価値をもつ。

言いかえると、そうでない人に、人生の意味はわからない。夢も希望もない。情熱も闘
志もない。毎日、ただ流されるまま、その日その日を、無難に過ごしている人には、人
生の意味はわからない。さらに言いかえると、「私たちはなぜ生まれ、なぜ死ぬのか」と、
子どもたちに問われたとき、私たちが子どもたちに教えることがあるとするなら、懸命
に生きる、その生きざまでしかない。

あの高校野球で、もし、選手たちが雑談をし、菓子をほおばりながら、適当に試合をし
ていたら、高校野球としての意味はない。感動もない。見るほうも、つまらない。そう
いうものはいくら繰り返しても、ただのヒマつぶし。人生もそれと同じ。そういう人生
からは、結局は何も生まれない。高校野球は、それを私たちに教えてくれる。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

Touch your Heart byはやし浩司(4)

子育てのすばらしさを教えられるとき

●子をもって知る至上の愛    

 子育てをしていて、すばらしいと思うことが、しばしばある。その一つが、至上の愛を
教えられること。ある母親は自分の息子(三歳)が、生死の境をさまよったとき、「私の命
はどうなってもいい。息子の命を救ってほしい」と祈ったという。こうした「自分の命す
ら惜しくない」という至上の愛は、人は、子どもをもってはじめて知る。

●自分の中の命の流れ

 次に子育てをしていると、自分の中に、親の血が流れていることを感ずることがある。
「自分の中に父がいる」という思いである。私は夜行列車の窓にうつる自分の顔を見て、
そう感じたことがある。その顔が父に似ていたからだ。そして一方、息子たちの姿を見て
いると、やはりどこかに父の面影があるのを知って驚くことがある。

先日も息子が疲れてソファの上で横になっていたとき、ふとその肩に手をかけた。そこ
に死んだ父がいるような気がしたからだ。いや、姿、形だけではない。ものの考え方や
感じ方もそうだ。

私は「私は私」「私の人生は私のものであって、誰のものでもない」と思って生きてきた。
しかしその「私」の中に、父がいて、そして祖父がいる。自分の中に大きな、命の流れ
のようなものがあり、それが、息子たちにも流れているのを、私は知る。つまり子育て
をしていると、自分も大きな流れの中にいるのを知る。自分を超えた、いわば生命の流
れのようなものだ。

●神の愛と仏の慈悲

 もう一つ。私のような生き方をしている者にとっては、「死」は恐怖以外の何ものでもな
い。死はすべての自由を奪う。死はどうにもこうにも処理できないものという意味で、「死
は不条理なり」とも言う。

そういう意味で私は孤独だ。いくら楽しそうに生活していても、いつも孤独がそこにい
て、私をあざ笑う。すがれる神や仏がいたら、どんなに気が楽になることか。が、私に
はそれができない。

しかし子育てをしていると、その孤独感がふとやわらぐことがある。自分の子どもので
きの悪さを見せつけられるたびに、「許して忘れる」。これを繰り返していると、「人を愛
することの深さ」を教えられる。いや、高徳な宗教者や信仰者なら、深い愛を、万人に
施すことができるかもしれない。が、私のような凡人にはできない。できないが、子ど
もに対してならできる。いわば神の愛、仏の慈悲を、たとえミニチュア版であるにせよ、
子育ての場で実践できる。それが孤独な心をいやしてくれる。

●神や仏の使者

 たかが子育てと笑うなかれ。親が子どもを育てると、おごるなかれ。子育てとは、子ど
もを大きくすることだと誤解するなかれ。子育ての中には、ひょっとしたら人間の生きる
ことにまつわる、矛盾や疑問を解く鍵が隠されている。

それを知るか知らないかは、その人の問題意識の深さにもよる。が、ほんの少しだけ、
自分の心に問いかけてみれば、それでよい。それでわかる。子どもというのは、ただの
子どもではない。あなたに命の尊さを教え、愛の深さを教え、そして生きる喜びを教え
てくれる。

いや、それだけではない。子どもはあなたの命を、未来永劫にわたって、伝えてくれる。
つまりあなたに「生きる意味」そのものを教えてくれる。子どもはそういう意味で、ま
さに神や仏からの使者と言うべきか。いや、あなたがそれに気づいたとき、あなた自身
も神や仏からの使者だと知る。

そう、何がすばらしいかといって、それを教えられることぐらい、子育てですばらしい
ことはない。


(4)今を考える  **************************

●疑問

 都会に住む子どものばあい、その学年になると、三つや四つの受験は、当たり前。高校
生ではない。中学生でもない。小学生である。

 まだ社会のしくみもよくわからない小学生が、三つも四つも、中学入試を経験する。中
には、五つとか六つとか……そういう子どももいる。

 それでどこかの学校に合格できればよいが、できなかったら、どうする? 親はそれで、
「うちの子は、勉強に向いていない」と、あきらめるだろうか。

 しかし実際には、そうして子どもを受験勉強にかりたてた親ほど、あきらめない。「まだ
何とかなる」「つぎがある」、無理に無理を重ねる。

 しかし少しは、子どもの立場で考えてみたらよい。

 その時点で子どもの心は、ボロボロ。そういった状態になりながらも、なおかつ、親か
ら、「勉強をつづけなさい」と、言われたら、いったい、子どもは、どうすればよいのだ。

 身近でも、中学入試に失敗した子どもがいる。二つの入試で失敗したあと、戦意喪失。
やる気をなくしたのは当然だとしても、このところ、心が荒れ始めた。家の中だけならと
もかくも、そうした「荒れ」が、外の世界でも出てくるようになると、心配。子どもの心
は、一挙に荒廃する。非行に走るようになるのは、もう時間の問題。

 子どもを受験させるのは、親の勝手だが、しかし、失敗したあとのことも、少しは考え
てほしい。

 以前、こんな中学生がいた。ここ一番、というときになると、決まって、それを避けて
しまうのである。自信がないというか、逃げ腰というか。

 そこで私がある日、こう聞いた。「どうしてがんばらないのか?」と。するとその女の子
は、こう言った。「どうせ私、S小学校の入試で落ちたもん」と。

 その女の子は、その六、七年前に小学入試で失敗したことを、そのときもまだ、気にし
ていた。そういう後遺症も残る。

 子どもの勉強をみるとき、親は、子どもの成績しかみないが、もっと大切なことは、子
どものもつ限界を知ることである。あなたがごくふつうの人(失礼!)であるように、子
どもも、またごくふつうの子どもである。

 あなたに限界があるように、子どもにも、限界がある。

 ふつうであることが悪いのではない。ふつうであることは、すばらしいことである。そ
ういう視点で、もう一度、あなたの子どもを、ながめてみる。

 ずいぶん前の話だが、こんなこともあった。

 その子どもは、四歳から五歳にかけて、かなり深刻な心の問題をかかえた。で、それが
何とか収まり、幼稚園へもふつうどおりに通うようになった。ふつうなら(……こういう
いい方は適切ではないのかもしれないが……)、小学入試どころではなかったはずだった。

 しかしその子どもが回復したとたん、(本当は完全に回復したのではなかったが……)、
親は今度は、小学入試に狂奔し始めた。私はそのときほど、「親」が、わからなくなったと
きはない。

 「親って、そういうものかなあ」と思ってみたり、「どうしてそういう心理になれるのか
なあ」と思ってみたりした。あるいは、「子どもが病気になったことで、この親は、いった
い、何を学んだのか」と。日本の受験制度は、それ以上に、親の心を狂わせるということ
か。

 もともとその「力」のない子どもに、はじめから不合格がわかっている試験を受けさせ
ることほど、酷なことはない。

 そういう意味でも、子どもの勉強をみるときは、どう伸ばすかということに合わせて、
子どもの限界を知る。あとは、それを受け入れ、謙虚に、それに従う。それは子どもの受
験戦争をみるときの、鉄則でもある。

【付記】

 私は、だからといって、受験勉強を否定しているのではない。大切なことは、子ども自
らが、前向きに勉強するようにもっていくこと。そしてその結果として、子どもが「がん
ばる」と言ったら、それはそれとして、つまり親として、応援する。それは当然のことで
はないか。

 私も、三男が、今のY大学を中退して、M航空大学を受験すると言いだしたとき、こう
言った。「受験するならするで、きちんと予備校へ通え」と。

 三男は、学費も高いこともあって、最初は、それをこばんだ。「自分で勉強するからいい」
と。学費は、半年で、40万円ほどだった。私にも、決して楽な額ではなかった。

 しかし心のどこかで、それは親の義務のように感じた。子どもが前に進むと言ったら、
その前の雑草は、取り除いてやる。しかし子どもが望みもしないのに、雑草を取り除いて
やり、そちらへ進めと、子どもに命令するのは、まちがっている。

 小学受験はもちろんのこと、中学受験くらいのことで、子どもたちがワイワイと話題に
しているのを見たりすると、私は、「これでいいのかなあ?」と思う。まるでゲームの世界
のよう。異常な世界なのだが、その異常さがわからないほど、今の日本の子育ては狂って
いる。

 いつか、その狂いに、日本人が気がつくときが、やってくればよいのだが……。
(040221)

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【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞upto863

断絶とは

 「形」としての断絶は、たとえば会話をしない、意思の疎通がない、わかりあえないなどがあ
る。「家族」が家族として機能していない状態と考えればよい。家族には助け合い、わかりあ
い、教えあい、守りあい、支えあうという五つの機能があるが、断絶状態になると、家族がその
機能を果たさなくなる。親子といいながら会話もない。廊下ですれ違っても、目と目をそむけあ
う。まさに一触即発。親が何かを話しかけただけで、「ウッセー!」と、子どもはやり返す。そこ
で親は親で、「親に向かって、何だ!」となる。あとはいつもの大げんか! そして一度、こうい
う状態になると、あとは底なしの悪循環。親が修復を試みようとすればするほど、子どもはそれ
に反発し、子どもは親が望む方向とは別の方向に行ってしまう。
 しかし教育的に「断絶」というときは、もっと根源的には、親と子が、人間として認めあわない
状態をいう。たとえば今、「父親を尊敬していない」と考えている中高校生は五五%もいる。「父
親のようになりたくない」と思っている中高校生は七九%もいる(『青少年白書』平成一〇年)。
もっともほんの少し前までは、この日本でも、親の権威は絶対で、子どもが親に反論したり、逆
らうなどということは論外だった。今でも子どもに向かって「出て行け!」と叫ぶ親は少なくない
が、「家から追い出される」ということは、子どもにとっては恐怖以外の何ものでもなかった。江
戸時代には、「家」に属さないものは無宿と呼ばれ、つかまればそのまま佐渡の金山に送り込
まれたという。その名残がごく最近まで生きていた。いや、今でも、親の権威にしがみついてい
る人は少なくない。
 日本人は世間体を重んじるあまり、「中身」よりも「外見」を重んじる傾向がある。たとえば子
どもの学歴や出世(この言葉は本当に不愉快だが)を誇る親は多いが、「いい家族」を誇る親
は少ない。中には、「私は嫌われてもかわまない。息子さえいい大学へ入ってくれれば」と、子
どもの受験競争に狂奔する親すらいる。価値観の違いと言えばそれまでだが、本来なら、外見
よりも中身こそ、大切にすべきではないのか。そしてそういう視点で考えるなら、「断絶」という
状態は、まさに家庭教育の大失敗ととらえてよい。言いかえると、家族が助け合い、わかりあ
い、教えあい、守りあい、支えあうことこそが、家庭教育の大目標であり、それができれば、あ
との問題はすべてマイナーな問題ということになる。そういう意味でも、「親子の断絶」を軽く考
えてはいけない。
(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/) 




子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(340)

親子の断絶の三要素、@リズムの乱れ

 親子を断絶させる三つの要素に、@リズムの乱れ、A価値観の衝突、それにB相互不信が
ある。
 まず@リズムの乱れ。子育てにはリズムがある。そしてそのリズムは、恐らく母親が子どもを
妊娠したときから始まる。中には胎児が望む前から(望むわけがないが)、おなかにカセットレ
コーダーを押しつけて、英語だのクラシック音楽を聞かせる母親がいる。さらに子どもが生まれ
ると、今度は子どもが「ほしい」と求める前に、時計を見ながら、ミルク瓶を無理やり子どもの口
に押し込む親がいる。「もうすぐ三時間五〇分……おかしいわ。どうしてうちの子、泣かないの
かしら……。もう四時間なのに……」と。
 そしてさらに子どもが大きくなると、子どもの気持ちを確かめることなく、「ほら、英語教室」
「ほら、算数の教室」とやりだす。このタイプの母親は、「子どものことは私が一番よく知ってい
る」とばかり、何でもかんでも、母親が決めてしまう。いわゆる『ハズ論』で子どもの心を考え
る。「こうすれば子どもは喜ぶハズ」「こうすれば子どもは感謝するハズ」と。このタイプの母親
は、外から見ると、それがよくわかる。子どものリズムで生活している母親は、子どもの横か、
うしろを歩く。しかしこのタイプの母親は、子どもの前に立ち、子どもの手をぐいぐいと引きなが
ら歩く。あるいはこんな会話をする。
 私、子どもに向かって、「この前の日曜日、どこかへ行ってきたの?」、それを聞いた母親、
会話の中に割り込んできて、「おじいちゃんの家に行ってきたわよね。そうでしょ。だったらそう
言いなさい」、そこで私、再び子どもに向かって、「楽しかった?」と聞くと、母親、また割り込ん
できて、「楽しかったわよね。そうでしょ。だったら、楽しかったと言いなさい」と。
 いつも母親のほうがワンテンポ早い。このリズムの乱れが、親子の間にキレツを入れる。そ
してそのキレツが、やがて断絶へとつながっていく。あんたはだれのおかげでピアノがひけるよ
うになったか、それがわかっているの? お母さんが、毎週高い月謝を払って、ピアノ教室へ連
れていってあげたからでしょ。それがわかっているの!」「いつ、だれがあんたにそんなことをし
てくれと頼んだ!」と。
つまりこのタイプの親は、結局は自分のエゴを子どもに押しつけているだけ。こんな相談があっ
た。ある母親からのものだが、こう言った。「うちの子(小三男児)は毎日、通信講座のプリント
を三枚学習することにしていますが、二枚までなら何とかやります。が、三枚目になると、時間
ばかりかかって、先へ進もうとしません。どうしたらいいでしょうか」と。こうしたケースでは、私
は「プリントは二枚で終わればいい」と答えるようにしている。仮にこれらの子どもが、プリントを
三枚するようになれば、親は、「四枚やらせたい」と言うようになる。子どもは、それを知ってい
る。

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【2】特集∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

【3】心に触れる(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞691


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【4】フォーラム∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞


Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

【読者の皆さんへ】

 今後、マガジンを発行する上において、財政的な問題もあり、
 今度、マグマグ社から、有料マガジンを発行することに
 しました。

 一か月、200円、最初の一か月は無料、お試し購読という
 ことで、皆さんへの負担ができるだけ少なくなるように、考
 えました。

 どうか、有料マガジンの購読をお願いします。
 
マガジンの案内、および、お申し込みは……
 http://bwhayashi.cool.ne.jp/page034.html
です。

今後、有料マガジンのほうで、より充実した内容のエッセー、
子育て論を、展開していくつもりでいます。

どうかよろしくご協力くださいますよう、心からお願いします。

なお申しこみは、今からできます。3月1日より、配信します。

●無料マガジンの購読申し込みは……
http://www.emaga.com/info/hhayashi2.html
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
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【講演会のお知らせ】
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。 
2・21 ……細江町「教育のつどい」
5    ……笹が瀬幼稚園
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●二男のホームページができました。よろしかったら、
のぞいてやってください。
Soichi Hayashi (林 宗市のホームページ) http://dstoday.com
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★☆★☆★☆★☆読者有志のみなさんへ★☆★☆★☆★☆★☆★☆
●4月、10月期に、「賛助会」へご協力をお願いしています。
詳しくは、http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page323.htmlまで。
賛助会に協力してくださった方に、直筆のイラストをお送りします。詳しくは、賛助会コーナー
を、ご覧ください。(額は、ついていません。)
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【掲示板】
【チャットルームへのご案内・毎週月曜日・午後10時JUST】∞∞∞∞∞∞∞∞
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 http://8411.teacup.com/hhayashi/chat をクリックしてください。
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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)+最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ)+
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
    Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
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●イラストは、パナソニックパソコン付録の、フリーソフトを使いました。
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【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞upto851

親子の断絶の三要素、A価値観の衝突

 日本の子育てで最大の問題点は、「依存性」。日本人は子どもに、無意識のうちにも依存性
をもたせ、それが子育ての基本であると考えている。たとえばこの日本では、親にベタベタと甘
える子どもイコール、かわいい子イコール、よい子とする。一方、独立心が旺盛で、親を親とも
思わない子どもを、昔から「鬼っ子」として嫌う。言うまでもなく、依存と自立は、相対立した立場
にある。子どもの依存性が強くなればなるほど、子どもの自立は遅れる。が、この日本では、
「依存すること」そのものが、子育ての一つの価値観になっている。たとえば「親孝行論」。こん
な番組があった。数年前だが、NHKの『母を語る』というのだが、その中で、歌手のI氏が涙な
がらに、母への恩を語っていた。「私は女手ひとつで育てられました。その母の恩に報いたくて
東京へ出て、歌手になりました」と。I氏はさかんに「産んでもらいました」「育てていただきまし
た」と言っていた。私はその話を聞いて、最初は、I氏はすばらしい母親をもったのだな、I氏の
母親はすばらしい人だなと思った。しかし一〇分くらいもすると、大きな疑問が自分の心の中に
沸き起こってくるのを感じた。本当にI氏の母親はすばらしい人なのか、と。ひょっとしたらI氏の
母親は、I氏を育てながら、「産んでやった」「育ててやった」と、I氏を無意識のうちにも追いつめ
たのかもしれない。そういう例は多い。たとえば窪田聡という人が作詞、作曲した『かあさんの
歌』というのがある。あの歌の歌詞ほど、ある意味で恩着せがましく、またお涙ちょうだいの歌
詞はない?
 で、結局はこうした「依存性」の背景にあるのは、子どもを一人の人間としてみるのではなく、
子どもを未熟で未完成な半人前の人間とみる、日本人独特の「子ども観」があると考える。「子
どもは子どもでないか。どうせ一人前に扱うことはできないのだ」と。そしてこういう「甘さ」は、そ
のまま子育てに反映される。子どもをかわいがるということは、子どもによい思いをさせること
だ。子どもを大切にするということは、子どもに苦労させないことだと考えている人は多い。先
日もロープウェイに乗ったとき、うしろの席に座った六〇歳くらいの女性が、五歳くらいの孫に
こう話していた。「楽チイネ、おばあチャンといっチョ、楽チイネ」と。子どもを子ども扱いすること
が、子どもを愛することだと誤解している人は多い。
 そこで価値観の衝突が始まる。たとえば親孝行論にしても、「親孝行は教育の要である。日
本人がもつ美徳である」と信じている人は多い。しかし現実には、総理府の調査でも、今の若
い人たちで、「将来、どうしても親のめんどうをみる」と答えている人は、一九%に過ぎない(総
理府、平成九年調査)。どちらが正しいかという問題ではない。親が一方的に価値観を押しつ
けても、今の若い人たちはそれに納得しないだろうということ。そしてそれが、いわゆる価値観
の衝突へと進む。
子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(342)

親子の断絶の三要素、B信頼関係の喪失

 子どもをあるがままを受け入れろとはよく言われている。しかし子どもをあるがまま受け入れ
るということは、本当にむずかしい。むずかしいことは、親なら、だれでも知っている。さらに子
どもを信じろとも、よく言われている。しかし子どもを信ずるということはさらにむずかしい。
 「うちの子はいい子だ」という思いが、子どもを伸ばす。そうでなければ、そうでない。子どもは
長い時間をかけて、あなたの思いどおりの子どもになる。そういう意味で子どもの心はカガミの
ようなものだ。イギリスの格言にも、「相手は、あなたが相手を思うように、あなたのことを思う」
というのがある。たとえばあなたがAさんのことを、「いい人だ」と思っていると、相手も、あなた
のことを「いい人だ」と思っているということ。子どももそうで、「うちの子はいい子だ」と思ってい
ると、子どもも「うちの親はいい親だ」と思うようになる。そうでなければそうでない。
 昔、幼稚園にどうしようもないワル(年中男児)がいた。友だちを泣かせる、ケガをさせるは日
常茶飯事。先生たちも手を焼いていた。が、ある日私がその子どもを見かけると、その子ども
が床にはいつくばって絵を描いていた。そして隣の子どもにクレヨンを貸していた。私はすかさ
ずその子をほめた。ほめて、「あなたはいい子だなあ。やさしい子だな」と言った。それから数
日後もまた見かけたので、また同じようにほめてやった。「君は、クレヨンを貸していた子だろ。
いい子だなあ」と。それからもその子どもはワルはワルだったが、どういうわけか、私を見かけ
ると、そのワルをパッとやめた。私に向かって、「センセ〜!」と言って手を振ったりした。
 子どもを伸ばす秘訣は、子どもを信ずること。子どもというのは、(おとなもそうだが)、自分を
信じてくれる人の前では、自分のよい面を見せようとする。そういう子どもの性質を利用して、
子どもを前向きに伸ばす。もしあなたが今、「うちの子はどうも心配だ」と思っているなら、今日
からその心をつくりかえる。方法は簡単だ。最初はウソでもよいから、「うちの子はいい子だ」を
繰り返す。子どもに向かっては、「あなたはすばらしい子だ」「どんどんよくなっている」を繰り返
す。これを数か月、あるいは半年とつづける。やがてあなたがその言葉を、自然な形で言える
ようになったとき、あなたの子どもはその「いい子」になっている。

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【4】フォーラム∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞


Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
●マガジンの購読申し込みは……
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Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
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【講演会のお知らせ】
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。 
2・21 ……細江町「教育のつどい」
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
●二男のホームページができました。よろしかったら、
のぞいてやってください。
Soichi Hayashi (林 宗市のホームページ) http://dstoday.com
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☆毎週月曜日、午後10時JUSTにお待ちしています!
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/  〜       〆  へく ^川     このマガジンを、
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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)+最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ)+
はやし浩司の世界(Eマガ)……総読者数(Nr. of Readers)、1260人(04年1月24日現在)
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
    Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
☆===================☆==================
●イラストは、パナソニックパソコン付録の、フリーソフトを使いました。
     >\
     〜〜⌒し〜〜
      /⌒ \く
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  <∵∧〜 |
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では、また次号を、よろしくお願いします。
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04−2−23号(366)
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子育て最前線の育児論by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi 
【読者のみなさんへ……】
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いただきます。詳しくは、このマガジンの末尾を、ごらんください。
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 ○\/│  //│\ \
 ゜\/│ // │ / /
   Γ ̄ ̄│──-\○
   │  │    \
【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞upto851

【BW教室から……】

 今週は、時計の勉強をした。

 まず、お絵かき歌。

 ♪丸かいて、ちょん。
  上、下、横、横、
  チョチョンが、チョンチョン
  チョチョンが、チョンチョン
  1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12

 何の絵になるか、わかりますか?

 実は、この歌で、時計がかけます。「上、下、横、横」は、それぞれ、12時、6時、3時、9時の
位置を表します。「チョチョンが、チョンチョン」というのは、その間に、二つずつの目盛りを入れ
ていくことを意味します。

 しかしこの歌、私が、25年以上も前に作ったのですが、今では、全国の小学校などで歌われ
ています。いろいろな雑誌に発表したこともあるからです。(一度、どこかで作者不詳というふう
に紹介されていました。バカめ。私が作者だ!)

 つぎに(長い針君)と、(短い針君)の登場です。

長い針「やあ、君、何ていう名前?」
短い針「ぼく、ジっていう名前だよ」
長「フ〜ン。ジかア? ぼくは、フンっていう名前だよ」と。

 考えてみれば、「ジ」とか、「フン」とか、へんな名前ですね。子どもたちもそう言いました。そし
てそのうち、私を見て、「ジジィ」とかなど。

 一応怒ったフリをしながら、「ところでさア、みんなジ(痔)っていう病気しっている?」と。

 これは私一流の、(おふざけ)です。

 「あのね、ウンチの出口のところに、こんなスイッチができるんだ。そのスイッチにね、ウンチ
がだんだん近づいてくるんだよ。ジャア〜、ジャン、ジャジャジャジャジャジャン……(映画「ジョ
ーズ」風に……)。

 そのスイッチにウンチがさわるまでは、何ともないんだよ。でもね、ジャジャジャ……そのウン
チが、このスイッチにさわったとたん、お父さんやお母さんは、ギャーッと声をあげるだよ」と。

 そこで思いっきり、私はギャーッと声を出してやりました。子どもたちは、大笑いです。ただ参
観していた母親たちは、みな、神妙な顔をしていました。みなさん、多分、ご経験がおありなん
ですね。

 こういう演技が自然とできるようになったのも、私が、それだけのジジィになったからではない
でしょうか。ハイ。

 しかしこのジ(痔)の話は、今回の学習とは、関係ありません(もちろん)。

 ただね、みなさん、幼児教室ではね、つい油断すると、母親たちが、すぐピリピリしてしまいま
す。そこでこうした(おふざけ)は、教室の雰囲気をやわらげるためにも、必要なんです。これは
私が、この30年間で学んだ、教育技術の一つなんですよ。

 子どもが笑う。つづいて親が笑う。それですべて、めでたし、めでたし、です。
(040215)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

親子のリズムを取り戻すために(1)

 昔、オーストラリアの友人がいつもこう言っていた。

親には三つの役目がある。一つ目は親は子どもの前を歩く。子どものガイドとして。二つ目は
子どものうしろを歩く。子どもの保護者(プロテクター)として。そして三つ目は、子どもの横を歩
く。子どもの友として。

 日本人は、子どもの前やうしろを歩くのは得意だが、横を歩くのが苦手。その理由の一つ
が、日本ではおとなと子どもを分けて考える傾向が強いということ。おとなはおとなだが、子ども
を半人前の、未熟で、未経験な人間と位置づける。もともと対等ではないという前提で、子ども
をみる。

たとえば先日もロープウェイに乗ったときのこと、背中合わせにすわった女性(六〇歳くらい)
が、五歳くらいの孫に向かってこう話していた。

「楽チイネ、楽チイネ、おばあチャンと、イッチョ、楽チイネ」と。五歳といえば、人格の形成期に
入る。その時期に、こうまで子どもを子ども扱いしてよいものか。子どもをかわいがるということ
は、子どもによい思いをさせることではない。

同じように子どもを大切にするということは、子どもを子ども扱いすることではない。子どもを大
切にするということは、子どもを一人の人格者として尊敬することである。子どもの年齢には関
係ない。子どもがたとえ赤ん坊でも、また成人していても、子どもを一人の人間として認める。
子育ての基本はここにあり、すべての子育ては、ここを原点として始まる。

 日本には親意識という言葉がある。この親意識には、二つの意味がある。一つは「親として
の自覚」を意味する親意識。これは重要な親意識である。

もう一つは、「私は親だ」式に、子どもに向かって親の権威を押しつける親意識。この親意識が
強ければ強いほど、親は、子どもの横に立つことができなくなる。というのも、もともと親意識の
根底にあるのは、上下意識。男が上、女が下。夫が上、妻が下。そして親が上、子が下と。

日本人は長い間の、極東の島国という特異な環境で、独特の上下意識を育てた。たとえば英
語には、「先輩、後輩」にあたる単語すらない。あえて言えば、ジュニア、シニアだが、それとて
日本で使う意味とはまったく違う。言うまでもなく、この日本ではたった一年でも先輩は先輩、後
輩は後輩という考え方をし、そこに徹底した支配、従属関係を築く。

 が、今、幸か不幸か、(幸なのだろうが……)、この権威主義が急速に崩れつつある。その一
例が、尾崎豊が歌った「卒業」である。あの歌は、CDのジングル版だけでも二〇〇万枚(CBS
ソニー広報部)も売れたそうだ。「アルバム版、カセット版も含めると、三〇〇万枚以上」という
ことだそうだ。

あの歌の中で尾崎は、「しくまれた自由」からの「卒業」を訴えた。私たち団塊の世代(戦後生ま
れ)にとっては、青春時代は、まさに反権力闘争一色だったが、尾崎の世代(今の父親、母親
の世代)には、反世代闘争へとそれが変化していった。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

親子のリズムを取り戻すために(2)

 尾崎豊は「卒業」をとおして、おとなたちの権威を否定した。「先生、あんたもか弱き羊なの
か」と彼は歌った。

尾崎のこの歌は、まさにその世代の「俺たちの怒り」を代弁したものだった。そこで尾崎は、
「行儀よく、まじめなんてできやしなかった」と歌い、つづけて「夜の校舎、窓ガラス壊して回っ
た」と歌う。

問題はここである。尾崎は権威を破壊した。それはわかる。しかしそれにかわる新しい価値観
をつくることができなかった。そしてそれがそのまま、今の若い父親や母親の混乱の原因とな
っていった。

 最近、よく家庭における教育力の低下を訴える論調をみかける。しかし実際には、いろいろ
な統計結果をみても、家庭における教育力は低下などしていない。私の世代とくらべるのもヤ
ボなことだが、私たちの時代には、親子の触れあいなど、ほとんどなかった。親も自分たちが
食べていくだけで精一杯。家族旅行にしても、私のばあい、小学六年生までにたったの一度し
かない。しかし今は違う。日曜日ごとにドライブをする。各地の行楽地は親子連れでいっぱい
……! 

 教育力が低下したのではなく、親たち自身が、古い価値観を否定し、破壊したものの、それ
にかわる新しい価値観をつくれないでいるのだ。そしてそれが原因で、家庭教育が混乱してい
る。教育力が低下したのは、あくまでもその結果でしかない。

昔は、「親に向かって何だ!」と、親が一喝すれば、子どもはそれで黙った。しかし今は、違う。
親自身がそうであってはいけないと思っている。その迷いがそのまま、混乱となった。

 で、ここで二つの考え方が生まれる。一つは旧来型の「親の権威を取り戻そう」という考え
方。私はこれを復古主義と呼んでいる。もう一つは、「そうであってはいけない。新しい考え方を
つくろう」という考え方。私は当然のことながら、後者の考え方を支持する。またそうでなくては
いけないと考える。

 そこでどうするか? 新しい価値観をつくるためにどうするか? もう答はおわかりかと思う。
基本的には、子どもは生まれながらにして、一人の人間として認める。そして時には、子どもの
前やうしろを歩くことはあっても、しかしそれ以上に、子どもの横を歩く。

子どもに向かって、「〜〜しなさい」と叫んだり、子どもに向かって、「おいチイネ、おいチイネ」と
甘くささやくのではなく、「あなたはどう思うの」「あなたは私に何をしてほしいの」と、子どもの心
を確かめながら行動する。子どもと一緒に歩くときも、務めて子どもの横を歩く。できれば子ど
ものうしろを歩く。こうした謙虚な気持ちが、子どもの心を開く。親子の断絶を防ぐ。

    ミ ( ⌒⌒ ) 彡
      ∞((((( )∞
      │6 6 b
      (" 。 "人
     ヽ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄ヽ
     ○  ヽ ABC ○
   ̄ ̄ ̄ヽ  ヽ    ヽ ̄ ̄ ̄    何か、テーマがあれば、
       ̄ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄        掲示板にお書き込みください。
【2】特集∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●あせる親たち
 
 子どもが受験期にさしかかると、たいていの親は、言いようのない不安に襲われる。ある母
親は、こう言った。「進学塾の電気が、こうこうとついているのを見ただけで、カーッと頭に血が
のぼりました」と。

 学歴信仰とは、よく言ったもので、それは、まさしく「信仰」のなさるわざ。「私は無神論で、だ
いじょうぶ」と思っている人でも、学歴信仰の信者は、いくらでもいる。しかしこの信仰は、日本
に生まれ育ち、日本に住んでいる人には、わからない。それはたとえて言うなら、アメリカ人
が、「アメリカは、キリスト教国ではない」と主張するのに、似ている。

 だれが見てもアメリカは、キリスト教国なのだが、肝心のアメリカ人は、そうは思っていない。

 問題は、なぜあせるかではなく、どうやったら、その「あせり」と戦うことができるか、だ。

 ある母親から、こんなメールが届いた。「友人の家に行ったら、その友人の子どもの、むずか
しそうな問題集や参考書が、ぎっしりと並んでいました。毎日、友人が、自分の子どもに、個人
レッスンしているそうです。それを知ったとき、ものすごい焦燥感を覚えました」と。

 「うちの子はだいじょうぶかしら?」という思いが、やがて「おとなになったら、どうなるのかし
ら?」という思いに変る。そしてそういう不安が、やがて心の中に、エアーポケット(空白)をつく
る。このポケットの中に、学歴信仰が、スーッと忍びこむ。

 その精神構造は、カルト教団に身を寄せる信者のそれと、それほど、ちがわない。あるいは
まったく同じ。「自分はまとも」と思いつつ、どんどんと、(まともでない世界)へと、入っていく。

 そして気がついたときには、愚にもつかないような、とんでもない、つまりは常識ハズレなこと
をし始める。

 これからは勉強だけが、すべての時代ではない。韓国や中国、それに台湾やシンガポール
は別として、世界は、すでにそういう方向に動いている。日本だけが、先進国(?)でありなが
ら、いまだに、旧態依然の学歴社会を、引きずっている。

 ……とまあ、否定的なことばかりを書いても意味がないので、正論を書く。

【大切なのは、勉強グセ】

 小学生のうちならまだしも、五、六年生、さらには中高校生になったら、大切なのは、勉強グ
セである。

 自分で教科書を開き、自分で読み、自分で理解する力である。

 私は生徒が、五、六年になったら、自分でそれができるように指導する。よく進学塾を見る
と、講師が、黒板の前に立って、ガンガンと授業している風景をみかける。しかしあんな授業で
効果があるのは、せいぜい、小学五、六年まで。

 常識で考えてみればよい。みなが、同じレベルの子どもならまだしも、(できる子ども)にとっ
て、できる問題の説明など意味はない。一方(できない子ども)にとっては、そんな説明、一回
や二回程度聞いたぐらいでは、頭に入らない。

 仮に問題を解くにしても、自分で解いてみて、つまずいたところで、解答を見ればよい。その
ままそれでその勉強は終わる。時間にすれば、5分もかからないだろう。

 それを30分とか40分とか講師は、説明する。親たちは、そういった時間のロスを、計算して
みたことがあるのだろうか。

 つまり大切なのは、(勉強グセ)。これをいかにつけるかが、重要。またその勉強グセさえしっ
かりしていれば、仮に中学受験や高校受験で失敗しても、その先で、伸びる。大学受験で失敗
しても、さらにその先で、伸びる。

 反対に、今、目的の中学や高校へは入学はしたものの、そのまま燃え尽きてしまう子どもの
多いこと、多いこと。市内でもナンバーワンと言われている、S進学高校でも、約5%の子ども
(高一)が、そのタイプの子どもだそうだ。

燃え尽きないまでも、入学と同時に、戦意をなくす子どもとなると、何割かがそうであるという。
ある高校の教師が、こっそりと、私に、そう話してくれた。

 が、親には、それがわからない。いや、わからないことを責めているのではない。だれだっ
て、白紙の状態で、子育てを始める。とくにこういう不安な世の中になると、さらに大きな心のエ
アーポケットができる。

 そこで親が考えるべきことは、(勉強グセ)ということになる。そのクセをどう育てるかだけを考
えて、子どもの勉強を組みたてる。一日単位のリズム、一週間単位のリズム、一か月単位のリ
ズム。さらに学期単位のリズム、一年単位のリズムなど。

 そういうリズムを感じたら、それを大切に守り育てていく。子どもに勉強グセをつけるには、そ
の方法しかない。とくに低学年の間は、「勉強させよう」とか、「いい成績を」という考え方は、最
小限におさえる。そのかわり、子どもの中に、「勉強は楽しい」という前向きな印象だけを育て
ていく。この前向きな印象が育てば、あとは子どもは、自分で自分の道を選択していく。伸びて
いく。

 そのための方法については、これから先、追々、説明するとして、子どもの勉強のことで、不
安になったり、心配になったら、自分自身の育児ノイローゼを疑ってみることも忘れてはならな
い。へたをすれば(うつ)になり、さらにへたをすれば、その影響は、モロに子どもに伝わる。


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●Eマガ、メルマガ読者のみなさんへ、

 現在、無料電子マガジンは、Eマガ社と、メルマガ社の二社から、配信さ
せていただいています。その二誌について、つぎのように案内させていただ
きます。

 マガジンは、この2月23日号をもちまして、しばらくお休みすることに
しました。まぐまぐ・プレミア(有料版)の、発行準備と予約のためです。

 次回は、3月1日号を予定していますが、どうか当方の事情をご理解の上、
勝手をお許しください。

 まぐまぐプレミア版は、予定どおり、3月1日(月曜日)から、毎週、月、
水、金と、週3回ずつ発行していきます。

 すでに多くの方に再登録していただき、やる気満々といったところです。
この場を借りて、心からお礼申しあげます。

 ありがとうございました。

 なお、メルマガ(BIGLOBE版)につきましては、たびたびご案内申
しあげましたように、3月以降は、随時(ときどき)発行ということにさせ
てください。

 今後も無料版をご希望の方は、どうかEマガのほうへ、ご移動くださいま
すよう、お願いします。できるかぎり、今後も、今までどおり、発行してい
くつもりでいます。

 またカラー・写真つきのHTML版は、まぐまぐプレミア版のほうでは、
できるだけ毎回、付録として、添付させていただきます。Eマガについては、
今のところ、まったく未定です。時間に余裕があれば、楽天の無料HPを利
用して、またみなさんに、お届けできるようにいたします。

 長い間のみなさんのご愛読と、励ましに感謝しています。

 重ねて、お礼申しあげます。ありがとうございました。これからもよろし
く、お願いします。

                       04年 2月15日
 
                          はやし浩司
●まぐまぐ・プレミア版(一か月200円)の
お申し込みは……
http://bwhayashi.cool.ne.jp/page034.html
です。よろしくお願いします。

HTML版……カラーで、写真つきのマガジンをいいます。
TEXT版……白黒の文字情報だけのマガジンをいいます。

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【3】心に触れる(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞691

●自分らしく生きるために……

 自分らしく生きるためには、@負けを認める。A限界を認める。B自分をさらけ出す。C見
栄、メンツ、世間体を捨てる。D生きていることを原点に、ものを考える。そしてここが一番重
要だが、E自分の生きザマを、確立する。

@負けを認める。

 虚勢を張り、虚栄で身を飾っている間は、自分の姿をとらえることはできない。昔、私が住ん
でいた実家の近くに、いつもサイフに、札束を入れて歩いている女性(70歳くらい)がいた。貧
しい人だったが、心は、さらに貧しかった。虚栄で身を飾る人は、そこまで神経をつかう。

A限界を認める。

 できないことを「できない」と言うのは、恥ずかしいことでも何でもない。「まだ何とかなる」と思
っている間は、決して安穏たる日々はやってこない。

 「まあ、こんなもの」という割りきりが、心に風穴をあける。そしてその人の生きザマを、すがす
がしくする。

B自分をさらけ出す。

 相手にもよるが、自分をすなおに表現する。言いかえると、心を開くということ。自分をすなお
に表現できる人のことを、勇気がある人という。

 自分をごまかしてはいけない。相手にへつらったり、相手の機嫌をとったりしてはいけない。
あなたはどこまでいっても、あなた。あなた以外に、あなたはいない。そしてそのあなたは、あ
なたである前に、一人の人間だ。

 仮にあなたに、何か恥ずかしいことがあるとしてしも、それは人間であるがゆえに感ずるも
の。さあ、あなたも勇気を出して、自分をさらけ出してみよう。手始めに、あなたの夫(妻)に。あ
なたの子どもに。あなたの家族に、すべてをさらけ出してみよう。

C見栄、メンツ、世間体を捨てる。

 自分のない人ほど、他人の目を気にする。しかしそんなものは、クソ食らえ! 他人が、あな
たに何をしてくれる? 他人が、あなたに、何をくれる?

 他人が、どう思おうと、そんなこと、気にすることはない。どうせたった一度しかない人生だか
ら、自分の人生を、思う存分、生きればよい。

 そのために、あなた自身も、他人のことや、他人の生活には、干渉しないこと。気にしないこ
と。人は人。そういうふうに割り切ることによって、あなたも、見栄、メンツ、世間体から決別で
きる。

D生きていることを原点に、ものを考える。

 行きづまったり、袋小路に入ったら、「生きている」という源流に自分を置いて、考えてみる。

 「私は生きている」と思うだけで、ほとんどの問題は解決するから不思議である。キリスト教に
も、「生きていること自体が、奇跡である」というような説話がある。何が奇跡かといって、今、こ
うして一人の人間として生きていること自体が、奇跡である、と。つまり、それ以上、何を望む
のか、と。

E自分の生きザマを、確立する。

 私が私であるための、最終仕上げは、生きザマの確立である。

 そのために、人は、考える。考えて考えて、考え抜く。そこに人が生きる価値がある。生きる
目的や、意味もある。

 ここで誤解してはいけないのは、その人がもっている情報が多いからといって、その人が、考
える人間であるとはかぎらないということ。たいていの人は、自分のもっている情報を、右から
左へと流しているだけ。またそうすることが、考えることだと誤解している。

 「考える」ことには、ある種の苦痛がともなう。それは寒い夜のジョギングのようなもの。だか
らたいていの人は、できるだけ考えないですまそうとする。しかしそれでは、自分の生きザマ
を、確立することはできない。

 最初は、どんなささいなことでもよい。それをテーマに、考えてみる。できればそれを文にして
みる。言うまでもなく、思想は、言葉で成りたつ。その言葉で、自分を表現するのは、まさに生
きザマを確立する、第一歩ということになる。

 ずいぶんと偉そうなこと書いてしまったが、実は、これはそのまま、あなたの子育てについて
も言えることである。

 あなたも、子育てをしていて、何かと不安なことや、心配なこともあるだろう。しかしそのとき、
「私の子どもは、私の子ども」と、子どもの「自分らしさ」を認めれば、多少なりとも、その不安や
心配は、解消されるのではないだろうか。

 つまりは、ここに書いた六つの方法は、自分らしい子育てを確立するための鉄則ということに
もなる。

 今、子育てをしていて、何かと不安だ、心配だと思う人は、ぜひ、一度、参考にしてみてほし
い。
(040215)

     ミ ( ⌒⌒ ) 彡
      ∞((((( )∞
      │6 6 b
      (" 。 "人
     ヽ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄ヽ
     ○  ヽ ABC ○        このマガジンが、お役に立てそうな
   ̄ ̄ ̄ヽ  ヽ    ヽ ̄ ̄ ̄     方が、いらっしゃいませんか?
       ̄ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄         よろしくお伝えください!
【4】フォーラム∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

【マグマグ有料マガジン、創刊のごあいさつ】(創刊号巻頭より)

 創刊号から、マグマグ版「子育て最前線の育児論BYはやし浩司」を、ご購読くださり、
ありがとうございます。みなさんを、私の一生の友として、皆さんのご家庭での子育てを、
側面から支援することを、ここに約束します。(大げさではなく、本気です。)

 このマグマグ版には、私自身の子育て論の集大成として、私の知識とノウハウ、それに
私がしてきた経験の、すべて注ぎます。どうかご期待ください。これから先、長いおつき
あいになると思いますが、どうか、末永く、ご購読くださいますよう、お願いします。

 今まで、無料版をご愛読くださっていた方も多いと思いますが、この有料版のほうは、
「有料である」という点で、それから受ける私の緊張感は、まるでちがいます。

 たとえば発行予定日に、マガジンを発行しなかったりすると、このマガジンは、登録が
取り消されたりします。ほかにも、いろいろ罰則があります。が、それだけではありませ
ん。

「有料」という言葉の重みというか、それからくる責任感を、私はズシリと感じていま
す。今までも、決していいかげんなことを書いてきた覚えはありませんが、しかし今ま
で以上に、いいかげんなことは書けないという思いにかられています。こうした重みを、
何らかの形で、マガジンの中に反映できればと願っています。

なお、有料マガジンは、休祭日をのぞいた、毎週月、水、金曜日に配信します。毎回、
できるだけHTML版をそえるつもりでいます。写真やイラストも、そちらで楽しんで
いただけるようになっています。

 これから先、重ねて、よろしくお願いします。

                            はやし浩司

【追記】

 マグマグ・プレミアム(有料版)は、今までのマガジンとは、発行形式がちがうため、
しばらくの間、何かと、失敗があるかもしれません。

たとえば今まではWORDで文書を作って、それを張りつけるだけでしたが、こちら
はTEXT版で直接、張りつけなければなりません。TEXT版で文章を書くというのは、
私にとっては、はじめての経験です。

 どうかご理解の上、そういう失敗があっても、お許しください。漸次(ぜんじ)、改善し
てまいります。

+++++++++++++++++

★3月1日(創刊号)の主なメニュー★

●子育てポイント
●特集
●世にも不思議な留学記(HTML版のみ)
●心を考える
●今、考えていること

HTML版のほうでは、そのつど、あちこちでとってきた写真や
孫の誠司(現在満1歳と6か月)の写真などを、載せます。どう
か、お楽しみに!

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 マグマグ・プレミア申し込みコーナー……
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++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●文字で絵を描く

 今まで、Eマガ社のほうで、無料マガジンを発行してきた。

 で、そのマガジンのイラストには、パナソニック・パソコン付録の、フリー・イラストを流用させ
てもらってきた。無料マガジンだったから、それで問題はなかった。が、有料マガジンのほうで
は、それをそのまま使うことはできない。「販売」行為にあたるからである。

 そこで新しく、「まぐまぐ・プレミア(有料版)」のために、イラストを考えなくては、ならなくなっ
た。何しろ、しばらく、私のマガジンの看板になるイラストだから、……と意気ごむこともない。

 この作業が、けっこう、楽しかった。まだ試作段階だが、こんなのを、考えてみた。

    
  mQQQm
Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……
QQ ∩ ∩ QQ
 m\ ▽ /m 彡彡ミミ
         ⌒ ⌒        
 みなさん、   o o β      
  こんにちは!(″ ▽ ゛  ○    
         =∞=  // 
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   04年 月 日(No. )
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HTML(カラー・写真)版もどうぞ! (毎週月・水・金発行)

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(1)子育てポイント**************************

(2)今日の特集  **************************

(3)心を考える  **************************

(4)今を考える  **************************
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 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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Planned & edited, and all copyrights are reserved by Hiroshi Hayashi
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    どうか、みなさん、お元気で!
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いわばこれがマガジンの原稿用紙ということになる。この原稿用紙をコピーして、あとはそれに
毎回、原稿を張りつけていけばよい。


●わけがわかなア〜い!

 2月14日、日朝会談が、終わった。日本側は、拉致(らち)家族を、日本へ返せと主張したと
いう。

それに対して、K国は、@「拉致問題を六か国協議で取りあがるなら、日本の参加を断固、拒
否する」、A「日本の植民地時代の朝鮮人強制連行に対する、謝罪と補償を求める」、B「K国
を脱出して日本に戻った日本人妻や、元在日朝鮮人の送還を、日本側に要求する」と、主張し
たという(中日新聞)。

 この中で、とくにわからないのが、三番目である。K国は、「K国を脱出した、日本人妻や元在
日朝鮮人を、K国へ返せ」と言ったという。

 私はこの要求に、「?」マークを、10個くらい、つけたい。

 日本から出たくもない人たちを、K国は、拉致して、K国へ連れていった。それが今、問題にな
っている。が、それに対して、K国は、K国がいやで、K国を脱出した人を、「返せ」と。

 K国が、日本より、すばらしい国なら、まだ話もわかる。しかしこの一月には、140万人、二
月に入ると、300万人に対する、食糧配給が止まったという。さらに3月には、600万人もの人
たちに対して、食糧配給が止まるだろうと言われている(WFP)。

 そういうK国である。

 私は、このニュースを読みながら、こう考えた。

 人間の意識というのは、狂うときには、狂う。しかもその狂ったとき、それに気づく人は、ま
ず、いない、と。

 言いかえると、今、私やあなたがもっている意識ですら、絶対的ではないということ。まちがっ
ているとまでは言わないが、しかし疑ってみる価値は、じゅうぶん、ある。

 こんなことがあった。

 ある夫(45歳)は、ある日、妻に向って、こう言ったという。「母をとるか、お前を(妻)をとるか
と言われれば、オレは、母をとる。文句があるなら、お前なんか、この家から出て行け」と。

 ふつう、マザコン性のある男性が、そのマザコン性に気がつくことは、まず、ない。マザコン的
であることを、自ら、正当化する。正当化しながら、「私は、親思いのいい子ども」と、思いこむ。

 それは確信というより、信仰に近いものである。

 私は、このタイプの男性を、数多く、知っている。しかし意識というのは、そういう意味で、恐ろ
しい。ときとして、自分の姿を見失ってしまう。

 一方、親は、親で、こんな親がいた。

 息子が結婚式をあげた夜、その母親は、「悔しくて、悔しくて、眠れなかった」と言った。

 その母親は、息子を、嫁に取られたと思ったらしい。実際、そういうふうに思う親は、少なくな
い。娘が結婚したことについて、「娘を取られた」と思う父親となると、いくらでもいる。

 そこで少しだけ、あなたの意識を、のぞいてみてほしい。

 あなたの息子(娘)が、いつか結婚して家を出て行くとき、あなたはそれを、@巣立ちと思っ
て、せいせいするだろうか。それともA親を捨てたと感じて、それを嘆き悲しむだろうか。

 この二つは、極端なばあいだが、どちらに近いかということ。もちろん、その中間もある。

 で、ここでは、どちらであるかは、問題ではない。どちらが正しいかも、問題ではない。世の中
には、@のような意識をもつ人もいるということ。その一方で、Aのような意識をもつ人もいると
いうこと。
  
 問題は、そうした意識の対立が起きると、たがいの立場が、まったく理解できなくなるというこ
と。それこそたがいに、「?」マークを、10個くらいつけあう。

 そこで冒頭のK国の話。

 恐らく……というより、まちがいなく、K国の高官たちには、日本人が今もっている意識を、理
解できないだろうということ。日本人が、なぜ拉致被害者の家族を返せと言っているのかも、理
解できないだろう。ちょうど、私たちが、K国の高官の意識が理解できないように、である。

 私は、日朝会談のニュースを読みながら、「子育ての場でも、同じようなことはよくある」と思っ
た。それについては、またの機会に書くことにして、こういう問題で大切なことは、ときどきは、
自分とちがった意識をもっている人の立場で、ものを考え、相手の意識を理解しなければなら
ないということ。

 それができる人を、賢者といい、それができない人を、愚者という。……と書いてみたが、今
の私には、いくら頭を働かせても、K国の高官たちの考えていることが、どうにも、こうにも、理
解できない。わからなア〜イ。
 

●環境論

 なぜ受験生が、受験勉強をするかといえば、それは、自分の周囲の「環境」を変えたいから
である。中学生は、中学生であるという環境を、高校生は、高校生であるという環境を、それぞ
れ変えたいからである。

 どこか突飛もない話に聞こえるかもしれないが、「変えられない」立場で、考えてみると、それ
がよくわかる。

 A君(小学六年生)は、それなりに勉強がよくできた。水泳が得意で、水泳の世界では、よく市
の大会や、そしてときどき、県の大会にも、顔を出した。が、それほど、頭のキレる子どもでは
なかった。

 が、父親と母親は、そんなA君の能力を誤解した。

 受験が近づくと、進学塾へ入れ、さらに家庭教師を二人つけた。が、A君は、とたんにオーバ
ーヒート。家庭教師をしたX氏(30歳くらい)の話によると、その時間の間、何かをするでもな
し、しないでもない、ただダラダラと時間をつぶしていたという。

 で、結果は、無残なものだった。

 S中学の入試に失敗し、つづいて、A中学の入試にも失敗した。この時期の子どもには、過
酷過ぎるほどの経験である。A君は、とたんに、無気力状態になってしまった。つまり「環境」に
対して戦う気力をなくしてしまった。

 こういうのを心理学では、「学習性無気力症状」という。何度か失敗を重ねるうち、「環境」に
のみこまれてしまう。

 こうして多くの人は、環境に対して従順な人間へと、なっていく。昔の言葉を借りるなら、「もの
言わぬ従順な民」へと、育てられていく。

 実は、教育のこわいところは、ここにある。「伸ばす」というよりも、その一方で、子どもに容赦
なく、「あきらめ」を押しつけていく。そして無意識であるにせよ、子ども自身も、自ら、「ダメ人
間」のレッテルを張っていく。

 それはそれとして、私が言う「環境」というのは、そういう意味である。子どもたちには、子ども
たちを包む環境がある。そしてどんな子どもも、その環境を自ら、変えたいと思っている。

 受験勉強は、まさに、その一つの現れでしかない。スポーツでがんばる子どもも、そうだし、
非行グループに入って、暴力行為を繰りかえす子どもだって、そうだ。あなただって、私だっ
て、そうだ。

 たとえば今、私は、こうして懸命にものを考え、ものを書いている。なぜそうするかといえば、
今の私のおかれた環境を変えたいからである。この年齢になると、もう「有名になりたい」とか、
「力がほしい」などとは、思わない。思ったとたん、別の私が、「それがどうした」と、それを打ち
消してしまう。

 こういう状態になると、「環境」のもつ意味が、ズシリとわかる。今の、私の心境は、まさに受
験生の心境とどこも、ちがわない。


●破壊された人間性

 こんな話を聞いた。

 あの男性は、今年60歳になるという。生活力がないため、ずっと、弟夫婦からの仕送りを受
けて、生活している。その弟氏は、現在、58歳。

 その弟氏が、こう話してくれた。

 「私の妻が、兄貴をこわがるのですね。私が近くにいないと、妻に抱きついたりするからです」
と。

 ふつうに抱きつき方ではない。口を先にとがらせて、ほっぺたに唇をつけてくるという。「だか
ら、絶対に、兄貴と妻が、一対一になるような状況は、つくらないようにしています」とも。

 ふつうなら……、という言い方は、慎重にしなければならないが、ふつうなら、兄貴氏は、そう
いうことは、しない。してはならない。自分の生活のめんどうをみてくれている、弟夫婦である。
しかし人間性が破壊されると、そういうことでも、平気でするようになる。

 あるいは最近、こんな話も聞いた。

 ある女性が、郷里の母親を、三日間、自分の家にとめてやったという。たまたまその女性の
夫が、海外出張とかで、家をあけていた。その女性は、53歳。母親は、80歳になったところだ
った。

 が、あるとき気がつくと、床の間の横にあった、鋳物の置き物がなくなっていた。そこでその
女性は、母親に、「お母さん、知らない?」と何度も聞いたという。が、その母親は、知らぬ顔を
して、テレビを見ていたという。

 が、母親が帰るとき、カバンを車にのせようとしたら、カバンの底から、ゴツンという、音が聞
こえたという。「もしや……」と思って中を見ると、その鋳物の置き物が、そこにあったという。

 そこでその女性が、その鋳物の置き物をカバンから取り出し、「これは?」と母親に聞くと、そ
の母親は、表情一つ変えないで、やはり知らぬ顔をしていたという。

ふつうなら……、という言い方は、慎重にしなければならないが、ふつうなら、母親氏は、そうい
うことは、しない。してはならない。三日間も、世話をしてくれた娘である。そういう娘の家から、
ものを盗むということは、してはならない。しかし人間性が破壊されると、そういうことでも、平気
でするようになる。

 人間性というのは、そういうもの。

 これらのケースで、先の兄貴氏にしても、母親氏にしても、当の本人たちはそれでよいかもし
れないが、そのため、まわりの人たちが、苦しむ。「そんな兄でも……」とか、「そんな母でも…
…」とか言って、いくつも高いハードルを、越えなければならない。それは想像を絶する、苦しみ
と言ってもよい。その経験のない人には、絶対に理解できない苦しみである。

 いかにじょうずに、老いていくか。一見、簡単なようだが、実際には、むずかしい。子育てを考
えたら、同時に、自分自身の問題として、それを考えてみるとよい。


●老いを受けいれる

 ある女性は、80歳をすぎた今も、美容院で、定期的に髪の毛を染めている。決して裕福な家
庭ではない。わずかな老齢年金と、夫が遺産として残した、蓄(たくわ)えを切り崩しながら、生
活をしている。

 私はその話を聞いたとき、「どうして?」と思った。思いながら、ワイフに、「どうして女性は、髪
の毛を染めるの?」と聞いてみた。

 ワイフも、いつも風呂の中で、髪の毛を染めている。

 ワイフは、こう言った。「いつまでも若く見られたいからよ」と。

 しかしこの論理は、どう考えてもおかしい。

 仮に40歳のとき、35歳に見えたとしても、45歳になれば、40歳に見られるだけ。50歳にな
れば、45歳に見られるだけ。どうあがいても、年齢をごまかすことは、できない。

 だったら、40歳のときは、すなおに、40歳に見られればよい。ムダな努力というか、抵抗
は、やめたらよい。……とまあ、合理的に考えると、そういうことになる。が、そうはいかないと
ころが、女性の心理らしい。

私「あるときがきたら、老いを認めればいい」
ワ「女性は、そうはいかないのよ」
私「皇后陛下だって、髪の毛は、真っ白だよ」
ワ「あの方は、すばらしい方よ。そういう生き方を、尊敬するわ」
私「だったら、お前も、そうすればいい。お前の白髪は、きっとすてきだよ」
ワ「……?」と。

 「老い」というラベルを、自ら張ることもない。が、そのときがきたら、すなおに、それを受け入
れればよい。顔や体のシワなど、いくらごまかしても、ごまかしきれるものではない。またごまか
したからといって、それがどうだというのか。

 以前、顔を真っ白にしていた女性がいた。マスコミでも騒がれ、日本でも有名人になったが、
私には、その女性は、化け物にしか見えなかった(失礼!)。が、それ以上に、その人がテレビ
に出るたびに、私は、何かしら、人間の愚かさを見せつけられているような気分になった。

 「私」がない人の生きザマは、自然と、そうなる。「私」というものがないから、外見ばかり、とり
つくろうようになる。見栄(みえ)、メンツ、世間体ばかりを気にするようになる。しかし見方によ
っては、それほど見苦しい生き方もない。

 こんな歌詞を作った。

♪(デカンショ節で……)

デカンショ、デカンショで、半年暮らす。ヨイヨイ。
あとの半年や、寝て暮らす。アラヨ〜イヨ〜イ、デッカンショ。

ワイフと、やるときゃ、電気を消すよ。ヨイヨイ。
暗いところじゃ、年、見えぬ。アラヨ〜イヨ〜イ、デッカンショ。

たれた乳を、のばして、吸うよ。ヨイヨイ。
たれたチンチと、ごアイコよ。アラヨ〜イヨ〜イ、デッカンショ。

 何とも、ジジババ臭い歌で、すみません。


●三男のこと

 三男が、今度、オーストラリアへ、語学留学することになった。大学へは、休学届けを出し
た。

 私も三男だった。そしてちょうど、同じ年齢のとき、オーストラリアへ渡った。そんなこともあっ
て、このところ、何だか、私まで、どこかうきうきしている。

 親は子どもの青春を見ながら、自分も、もう一度、その青春時代を、疑似体験できる(?)。も
っともそれができるのは、幸せな親だ。

私「ぼくが朝起きて、恐る恐る、飛行機の窓をあけると、突然、その下に、真っ赤な大地が見え
てきた。ぼくは驚きと感動で、思わず、ウォーッと声をあげてしまった」
ワ「赤いの?」
私「そう、オーストラリアは赤かった。……それでね、目をこらしてみると、その赤い大地に、
点々と、黒いしみのようなものが見えるんだ」

ワ「何だったの?」
私「それをね、ぼくは、最初、湖か何かだと思った。で、オーストラリアは、湖だらけだと思った。
でもね、それは湖ではなかった。雲の影だった。ぼくはその大地を見ながら、『この下では、み
んなが英語を話しているんだ』と、そんなふうに考えた。ぼくにとっては、そのときのことが、生
涯で、最高の思い出だよ」と。

 ワイフと二人で、旅行会社のビルを出たとき、「今ごろ、あいつ(三男)は、ルンルン気分だろ
うね。その気持がよくわかる」と私が言うと、ワイフも、「そうね」と。

私「ぼくらも、オーストラリアへ行こうか?」
ワ「いいわ」と。


【世にも不思議な留学記・番外編】

 メルボルンの空港へ着くと、小雨が降っていた。それに夕方だった。ポツンとひとり、空港の
出口のところにたっていると、一人、スチュワーデスが、走り寄ってきた。そしていきなり、私
に、早口な英語で話しかけてきた。キャセイ航空の制服を着ていた。

 英語は、さっぱりわからなかった。が、ところどころに、「フィフティ、フィフティ(50、50)」とい
う言葉が混ざっている。「どうやら街まで、タクシーを割り勘で行こう」ということらしい。私は、同
意した。

 私が先にタクシーに乗ると、スチュワーデスは、なれた様子で、前の席にすわった。私は、乗
るやいなや、ドライバーに、「241(ツー・フォー・ワン)、ローヤルパレード通り」と告げた。実の
ところ、私は、英語の自信を、すっかりなくし始めていた。

 メルボルンへ来る前、シドニーで半日過ごした。しかし私の英語は、まったく通じなかった。彼
らも、また何を言っているか、まったくわからなかった。日本で学んだ英語など、現地では、まっ
たく通用しなかった。

 高校時代でも、担任の英語教師が、こう教えてくれた。「これはパース。つまりPASS。これも
パース。つまりPURSE。発音がちがう」と。しかし私には、まったく同じ発音に聞こえた。

 私が学んだ英語というのは、そういう英語だった。

 やがてタクシーは、静かな住宅地へと入っていった。緑の芝生がつづき、その間に点々と、し
ゃれた赤い屋根の家が並ぶ。それが私には天国に見えた。「これが同じ地球上の景色か」とさ
え思った。

 スチュワーデスは、私への義理などすっかり忘れて、さも親しげに、ドライバーと話しこんでい
た。ときどき卑猥(ひわい)そうな笑い声を出して、会話を楽しんでいた。

 夕暮れはさらに進み、人の顔もはっきりと見えなくなっていた。雨は、そのときは、やんでい
た。突然、視界が開け、広い公園が、ぱっと目に飛びこんできた。色鮮やかな緑。それに白い
フェンス。と、そのとき、一人の学生風の男が、その公園のまわりの歩道をジョギングしている
のが、見えた。

 とたん、ドライバーは、スチュワーデスとの会話をやめ、うしろを振りむいて、こう叫んだ。

 「ユア・フレンド、ユア・フレンド(あんたの友だち、あんたの友だち)!」と。

 私はそのとき、天にも昇るような気分だった。そしてその気分が最高潮に達したとき、私は自
分に、こう言って聞かせた。「とうとう、来たぞ!」と。

 時は、1970年。3月のことだった。
(040215)


●米韓同盟の崩壊?

朝鮮日報とアメリカン・エンタープライズ研究所(AEI)、および対外経済政策研究院(KIEP)の
共催で、今月12日〜13日(現地時間)の2日間、ワシントンで、シンポジウムが開かれた。

その席で、米韓関係問題も浮上し、米国防部の政策に影響力を持つリチャード・アレン国防政
策委員(元ホワイトハウス国家安保補佐官)は「韓米関係が破綻するかもしれない状況にまで
悪化している」と主張した。歓迎されない場所に米軍を駐屯させないという米国の立場を、説明
したという(「朝鮮日報」要約)。

 わかりやすく言えば、アレン氏は、「韓国人に嫌われてまで、アメリカは、韓国には駐在しな
い。そのため、米韓関係が崩壊してもかまわない」と。

 しかしこれは当然のことではないか。今、韓国では、あのK国より、アメリカのほうを嫌ってい
る人が多いという。世論調査でも、「K国より、アメリカのほうを脅威と感じている」と答えた人の
ほうが、多い★。

 私も、韓国の人たちが、何を考えているか、よくわからない。しかしそのことは、そのままこの
日本についても言えることである。

 ごく最近まで、あのA新聞や、社会党の流れをくむS党などは、「拉致問題は、日本政府のデ
ッチあげ」というような論陣を張っていた。そしてことあるごとにK国をたたえ、アメリカを嫌っ
た。

 しかし米韓同盟が崩壊すれば、それこそK国の、思うツボ。今の韓国の人たちには、そんな
こともわからないのか。

 今、K国は、プルトニウム爆弾どころか、それよりも破壊力が強烈な、ウラニウム爆弾まで製
造しているという。わかりやすく言えば、原爆と水爆のちがいということになる。破壊力は、格段
に、ちがう。パキスタンのカーン博士が、それを暴露した。

 かねてから私が指摘しているように、K国の目的は、アメリカとの間で相互不可侵条約を結
んだあと、戦争でおどして、日本から、金を巻きあげることである。もっとも日本は、それなりの
悪いことをしたのだから、ある程度の補償は、しかたない。しかし今のK国に、日本が金を渡し
たら、どうなる?

 K国には、その金で、さらに大量の武器を、ロシアや中国から買うだろう。で、そうなったら、
日本は、どうなる? 核兵器だけが問題ではないのだ。

 この記事が配信されたあと、六か国協議が、北京で始まる。ロシア、中国は、会議の成功を
ねらうだろう。韓国は、K国寄り。しかしアメリカと日本政府は、会議を成功させる意図は、最初
から、ない。(だからといって、私が、それを望んでいるわけではない。誤解のないように!)

失敗させたあと、つまりそれを中国に思い知らせたあと、国連安保理に事案を提出する。そし
て国際的に、全体としてK国に制裁を加え、金XX政権を崩壊させる。

その協議の成りゆきに、注目したい。

★「韓国の安全保障にとって最も脅威となる国はどこか」という質問に対して、韓国の人たち
は、つぎのように答えている。

   アメリカ……39%
   北朝鮮 ……33%
   中国  ……11・6%
   日本  …… 7・6%

 (韓国の世論調査会社が一月五日、全国の成人を対象に、米国、北朝鮮、日本、中国の中
から「最脅威国」を選ぶ方法で電話調査)

Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
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各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。 
2・21 ……細江町「教育のつどい」
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のぞいてやってください。
Soichi Hayashi (林 宗市のホームページ) http://dstoday.com
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を、ご覧ください。(額は、ついていません。)
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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)+最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ)+
はやし浩司の世界(Eマガ)……総読者数(Nr. of Readers)、1260人(04年1月24日現在)
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
    Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
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●イラストは、パナソニックパソコン付録の、フリーソフトを使いました。
     >\
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では、また次号を、よろしくお願いします。
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●Eマガ、メルマガ読者のみなさんへ、

 現在、無料電子マガジンは、Eマガ社と、メルマガ社の二社から、配信さ
せていただいています。その二誌について、つぎのように案内させていただ
きます。

 マガジンは、この2月23日号をもちまして、しばらくお休みすることに
しました。まぐまぐ・プレミア(有料版)の、発行準備と予約のためです。

 次回は、3月1日号を予定していますが、どうか当方の事情をご理解の上、
勝手をお許しください。

 まぐまぐプレミア版は、予定どおり、3月1日(月曜日)から、毎週、月、
水、金と、週3回ずつ発行していきます。

 すでに多くの方に再登録していただき、やる気満々といったところです。
この場を借りて、心からお礼申しあげます。

 ありがとうございました。

 なお、メルマガ(BIGLOBE版)につきましては、たびたびご案内申
しあげましたように、3月以降は、随時(ときどき)発行ということにさせ
てください。

 今後も無料版をご希望の方は、どうかEマガのほうへ、ご移動くださいま
すよう、お願いします。できるかぎり、今後も、今までどおり、発行してい
くつもりでいます。

 またカラー・写真つきのHTML版は、まぐまぐプレミア版のほうでは、
できるだけ毎回、付録として、添付させていただきます。Eマガについては、
今のところ、まったく未定です。時間に余裕があれば、楽天の無料HPを利
用して、またみなさんに、お届けできるようにいたします。

 長い間のみなさんのご愛読と、励ましに感謝しています。

 重ねて、お礼申しあげます。ありがとうございました。これからもよろし
く、お願いします。

                       04年 2月15日
 
                          はやし浩司
●まぐまぐ・プレミア版(一か月200円)の
お申し込みは……
http://bwhayashi.cool.ne.jp/page034.html
です。よろしくお願いします。

HTML版……カラーで、写真つきのマガジンをいいます。
TEXT版……白黒の文字情報だけのマガジンをいいます。

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彡彡人ミミ     (λハハλ ヽ    ♪♪♪……  
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q 0―0 MMMMM  ∩ ∩ MM m  皆さん、お元気ですか!
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04−2−21号(365)
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子育て最前線の育児論by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi 
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【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞upto851

●ポジティブな指導法

 この浜松市では、黄信号は、「行け、行け信号」と言う。黄信号で、車を止める人は、絶
対にいない。赤信号になっても、隣の車が動き出さなければ、「行け、行け信号」。へたに
黄信号で車を止めようものなら、うしろからブーブーと、クラクションを鳴らされる。あ
るいはうしろの車に追い越される。

 そのため、この静岡県は、交通事故率ナンバーワン。その中でも、この浜松市は、ナン
バーワン。(どういうところを見て、ナンバーワンというかについては、議論もある。これ
については、数か月前のマガジンに書いた。)

 で、その取り締まり風景を、先日、テレビで報道していた。

警察官、赤信号で突っ走ってきたドライバーを止めながら、「何かのことで、急いでいたん
だねえ。時間は、貴重だからねえ。しかしね、あぶないよなあ。信号を無視しちゃあ……。
黄色で止まれなかったのかねえ」と。
と。

 それに答えて、ドライバーが、「すみません。へたに止まると、うしろの車に追突される
もんで……」と。

 なかなかうまい言い方である。いや、警察官の言い方が、である。恐らく、そういうマ
ニュアルか何かが用意してあるのだろう。しかもそのマニュアルは、一級の心理学者によ
って編集されているにちがいない。警察官は、多分、そのマニュアルにそって、そう言っ
た。

 同じようなことだが、子どもを指導するときにも、ネガティブな言い方と、ポジティブ
な言い方がある。

 たとえば子どもが学校のテストで、悪い点を取ってきたとする。子どもの答案用紙を見
ると、ミスだらけ。

 こういうとき、「何よ、この点数は! こんなことでどうするの!」と、子どもを叱るの
は、ネガティブな言い方ということになる。

 一方、「きっと、調子が悪かったんだね。でも、このむずかしい問題ができているから、
点数はよくなくても、あなたはよくがんばったね」と、子どもを諭(さと)すのは、ポジ
ティブな言い方ということになる。

 あるいは点数を見て、「さっさと勉強しなさい。今度の日曜日は、サッカーに行ってはだ
め」というのは、ネガティブな言い方ということになる。

 反対に、「そうね、お母さんといっしょに、この問題を解いてみようか。買い物に行った
ついでに、いっしょに、本でも買ってこようか」というのが、ポジティブな言い方という
ことになる。

 このネガティブな言い方は、子どもを否定し、かえって伸びる芽をつんでしまう。が、
ポジティブな言い方は、相手を前向きに、伸ばす力がある。「親は自分のために、そう言っ
てくれるのだ」と思うからである。

もっとわかりやすく言えば、ポジティブな言い方をすることによって、子どもは心を開
く。開くから、親は、子どもの心の中に、入ることができる。

この「相手の心の中に入る」ということは、とても重要である。説得力が、当然のこと
ながら、まるでちがってくる。

 話はそれるが、私が、南米のある国へ行ったときのこと。向こうの日系人は、私が日本
人と知ると、どの人も、親しげに話しかけてくる。私も、つい心を許して、あれこれ甘え
てしまう。

 これは「同胞である」という意識が、たがいの心を開いたために起こる現象である。

 一方、子どもを病院へつれていくと、たいていの子どもは、その場でかたくなってしま
う。そして一度こういう状態になると、あれこれ説得しても、ムダ。「何かをされるのでは
ないか」と、子どもは、すべてを、疑いの目で見るようになってしまう。

 これは「こわい」という思いが、子どもの心を閉ざしたために起こる現象である。

 そこで相手の心を溶かすためには、一度、相手の心の中に、自分が入るとよい。その一
つの方法が、ここでいうポジティブな言い方ということになる。

 私もその時間がくると、生徒たちに、こう言う。「あれ、もうこんな時間か。もう、そろ
そろ勉強を、始めようか。どうだ、調子は?」と。

 このとき、「さあ、時間だ。サッサと座れ」と言えば、とたんに雰囲気が悪くなる。子ど
もだって、気分を悪くする。

 その点、先の警察官の言い方は、うまい。実にうまい。参考になる。この段階で、警察
官が、「バカヤロー。信号は赤だろ。お前にはそれが見えないのか!」と言えば、相手のド
ライバーは、態度を硬化させてしまう。

 そうなれば、たがいの間は、険悪なものになる。警察官にしても、つぎからつぎへと、
こうしたドラーバーと接しなければならない。いちいちカッカしていては、心がもたない。
仕事そのものが成りたたなくなる。

 そこで警察官は、一度、相手の心の中に入る。「何か、急いでいたんだね」と。

 そう言われたドライバーは、その瞬間に、機先をそがれてしまう。構えていた心が、と
たんに溶かされてしまう。こうなると、あとは、警察官の言うがまま。気持ちよくとまで
はいかないかもしれないが、おとなしく、罰金を払うことになる。(交差点で信号無視をす
ると、6000円の罰金に、原典。念のため。)

 で、これで浜松市の交通事故が減るとは思わない。何しろ、これは浜松市民のいわば、
「質」のようなもの。長い時間をかけてできた「質」。それだけに、簡単にはなおらない。
警察官の努力だけでは、どうにもならないのでは……?

 どうか浜松市の人も、たまに浜松市へ来る人も、交通事故には、くれぐれも、気をつけ
てほしい。ついでに、子どもを指導するときは、ポジティブな言い方にしたらよい。取り
締まりをしている警察官を、テレビで見ていたとき、ふと、そんなことを考えた。
(020412)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●価値観の衝突を防ぐにはどうするか(1)

 価値観の衝突は、えてして宗教戦争のような様相をおびる。互いに「自分が正しい」と信じて
いるから、その返す刀で、「あなたはまちがっている」とぶつける。互いに容赦しない。親子でも
このタイプの衝突は、行きつくところまで行きつく。たとえば「権威主義」を考えてみる。

 日本人は本来、権威主義的なものの考え方を好む。よい例が、あの水戸黄門である。三つ
葉葵の紋章を見せ、「控えおろう!」と一喝すれば、まわりの者が皆頭をさげる。今でもあのド
ラマは視聴率を、二〇%以上稼いでいるというから驚きである。つまり日本人には、あれほど
痛快な番組はない?

 しかしこうした権威主義は、欧米では通用しない。あるときオーストラリアの友人が私にこう聞
いた。「ヒロシ、もし水戸黄門が悪いことをしたら、どうするのか。そのときでも頭をさげるのか」
と。同じような例は、ときとして家庭の中でも起きる。

 親をだます子どもがいる。しかし世の中には、子どもをだます親もいる。Kさん(七〇歳)は、
息子が海外へ出張している間に、息子の貯金通帳からお金を引き出し、自分の借金の返済に
あててしまった。息子がKさんを責めると、Kさんはこう居なおった。

「親が先祖を守るため息子のお金を使って何が悪い」と。問題はこのあとだ。周囲の人の意見
は、まっ二つに分かれた。「たとえ親でも悪いことをしたら、あやまるべきだ」という意見。もう一
つは、「親はどんなことがあっても、子どもに頭をさげるべきではない」という意見。

 あなたがどちらの意見であるにせよ、こういうケースでは、その中間の考え方というのは、ほ
とんどない。そして親も子も同じように考えるときには、衝突は起きない。しかし互いの価値観
が対立したとき、それはそのまま衝突となる。

 もっともこうしたケースは特殊なもので、そう日常的に起こるものではない。しかしこれだけは
言える。親が権威主義的であればあるほど、「上」のものにとっては、居心地のよい世界かもし
れないが、「下」のものにとっては、そうではないということ。

ここにも書いたように、下のものが上のものに同調すれば、それはそれでうまくいくかもしれな
いが、たいていは下のものは、上のものの前で仮面をかぶるようになる。そして仮面をかぶっ
た分だけ、上のものは下のものの心がつかめなくなる。つまりその段階で、互いの間にキレツ
が入る。そしてそのキレツが長い時間をかけて、断絶となる。

 結論から先に言えば、親の権威主義など、百害あって一利なし。少なくともこれからの考え方
ではない。ちなみに、小学生六年生一〇人に私がこう聞いてみた。「君たちのお父さんやお母
さんが、何かまちがったことをしたとき、お父さんやお母さんは、君たちに謝るべきか。それと
も、親なのだから、謝るべきではないのか」と。

すると、全員がすかさず大きな声でこう答えた。「謝るべきだヨ〜」と。これがこの日本の流れで
あり、もう流れを変えることはできない。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●価値観の衝突を防ぐにはどうするか(2)

 依存性には相互作用がある。つまり子どもだけの依存性を問題にしても意味はない。たとえ
ば依存心の強い子どもがいる。何かを食べたいときも、「食べたい」とは言わない。「おなかが
すいたア〜(だから何とかしてくれ)」などという。

多分、家庭ではそう言えば、まわりのものが何とかしてくれるのだろう。同じように園でも、トイ
レへ行きたいときも、トイレへ行きたいとは言わない。「先生、おしっこオ〜」などと言う。

日本語の特徴ということにもなるが、言いかえると、日本人はそこまで依存性の強い民族とい
うことにもなる。で、こうした依存性の強い子どもが生まれる背景には、それを容認する甘い家
庭環境がある。もっと言えば、親自身も、潜在的にだれかに依存したいという願望があり、そ
れが姿を変えて、子どもの依存心に甘くなる。

もっとも親が壮年期にはそれは目立たない。しかし老年になると、再びそれが現れる。ある女
性(六五歳)は、自分の息子や娘に電話をかけるたびに、今にも死にそうな、弱々しい声でこう
言う。「お母さんも歳をとったからネエー(だから何とかしろ)」と。

 子育ての目標は、子どもをよき家庭人として自立させること。「あなたの人生はあなたのもの
だから、この広い世界を自由に羽ばたきなさい。たった一度しかない人生だから、思う存分、
自分の人生を生きなさい。親孝行……? そんなことを考えなくていい。家の心配……? そ
んなこと考えなくていい」と、一度は、子どもの背中を叩いてあげてこそ、親は親としての義務を
果たしたことになる。

親孝行や家の心配を子どもに求めてはいけない。それを期待するのも、強要するのもいけな
い。もちろんそのあと、子どもが自分で考えて、親孝行するとか、家の心配をするというのであ
れば、それは子どもの問題。子どもの勝手。

 ……と書くと、こう言う人がいる。「林、君の考え方は、ヘンに欧米かぶれしている。日本には
日本独特の美徳というものがある。親孝行もその一つだ」と。

 ところがどっこい。こんな調査結果もある。平成六年に総理府がした調査だが、「どんなこと
をしてでも親を養う」と答えた日本の若者はたったの、二三%(三年後の平成九年には一九%
にまで低下)しかいない。自由意識の強いフランスでさえ五九%。イギリスで四六%。あのアメ
リカでは、何と六三%である。

(ほかにフィリッピン八一%(一一か国中、最高)、韓国六七%、タイ五九%、ドイツ三八%、ス
ウェーデン三七%、日本の若者のうち、六六%は、「生活力に応じて(親を)養う」と答えてい
る。これを裏から読むと、「生活力がなければ、養わない」ということになるのだが……。)

欧米の人ほど、親子関係が希薄というのは、誤解である。今、日本は、大きな転換期にきてい
るとみるべきではないのか。

 子どもを自立させたかったら、親自身も自立する。つまり親の自立なくして、子どもの自立は
ないということになる。そしてそのほうが、結局は親子の絆を深める。

    ミ ( ⌒⌒ ) 彡
      ∞((((( )∞
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      (" 。 "人
     ヽ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄ヽ
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【2】特集∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●一人っ子の問題

 よく一人っ子が、話題になる。「一人っ子の問題点は何か?」と。

 もちろん子どもが一人であることによる、問題が、ないわけではない。しかしそれ以上に、大
きな問題は、子どもの問題ではなく、親の問題である。

 よく『子どもも、三人、育てて、親も一人前』という。それはそのとおりで、親も、二人目、三人
目になって、はじめてうまく子育てができるようになる。その一方で、たいてい、長男(長女)の
子育てでは、失敗する。

 手をかける、時間をかける、お金もかける。そして毎日が、不安の連続。「無事、幼稚園へ入
れるだろうか」「無事、小学校へ入れるだろうか」と。

 親を責めているのではない。その親にとっては、何もかも、はじめて。昔なら、そばに祖父母
がいて、あれこれアドバイスしてくれた。しかし、今は、それもない。

 が、二人目、三人目となると、親のほうに、心の余裕ができてくる。何か問題が起きても、「ま
あ、こんなもの」と乗りきることができる。そうした親側の余裕が、一方で、子どもを、伸びやか
にする。

 つまり、一人っ子は、まさに下に弟や妹がいない、長男もしくは、長女ということになる。

 が、ここで誤解してはいけないのは、そのときでも、子どもに問題があるのではなく、親の育
て方に問題があるということ。

 こういう例は、本当に、多い。

 過干渉と溺愛で、ハキのない子どもにしておきながら、「どうしてウチの子は、元気がないの
でしょう」と相談してくる、親がいる。

 無理や強制を、重ねるだけ重ね、子どもを勉強嫌いにしておきながら、「どうしてウチの子
は、勉強しないのでしょう」と相談してくる、親がいる。

 親は、子どもに何か問題が起きると、その子どもを、何とかしようとする。「なおす」という言葉
を使う人も多い。

 しかし問題は、繰りかえすが、子どもにあるのではな。親の育て方にある。どうして、世の親
たちよ、それに気づかない!

 で、一人っ子についても、同じ。一人っ子の問題は、総じて、親の問題と考えてよい。こんなこ
とがあった。

 小五の女の子に、Rさんという子どもがいた。行動的で、頭もよい。利発で、その上、性格も
安定していた。そのRさんについて、Rさんの母親が、ある日、こう言った。

 「毎日、大喧嘩です。生意気で、私の言うことなど、まったく聞きません。その上、家では勉強
しなくて、困っています」と。

 このケースのばあい、Rさんには、まったく問題はなかった。Rさんの母親は、ほかに、「今に
非行少女になるのでは……」「今に構内暴力事件を起こすのでは……」とも、言っていた。

 しかしその心配は、まったくなかった。そんなことは、少し子どもを見る目の人なら、すぐわか
る。

 問題は、Rさんの母親にあった。

 Rさんは、親離れを始め、思春期の反抗期にさしかかっていた。この時期、子どもの精神状
態は、いつも緊張した状態になる。ささいなことで、突発的にピリピリしたりする。むしろ、そうし
た反抗期のない子どものほうが、心配なのである。

 が、Rさんの母親には、それが理解できなかった。何しろ、「すべてが、はじめての経験」であ
る。だからRさんのささいな言動をとらえては、母親は、ことおさら大げさに、それを悩んだ。問
題にした。

 しかも一人っ子ということで、親の関心が、どうしても、その子どもだけに集中してしまう。つま
り日常的に過関心状態になる。

 だから一人っ子のときは、親が過保護傾向にあると、極端な過保護に走りやすくなる。過干
渉、溺愛についても、そうである。

 Rさんのケースでも、Rさんには、何も問題はなかった。問題は、母親にあった。しかし母親
は、それに気づいていなかった。会うたびに、顔を曇らせて、「どうしてでしょう?」「どうしてでし
ょう?」と、相談してきた。

 そこで教訓。

 一人っ子のときは、親は、さらに人一倍、子どもについての知識をもたねばならない。何ごと
も、一回かぎりの、まさに一発勝負。子どもにかかわりあう時間が多いだけに、失敗するとき
は、失敗する。しかも一度失敗すると、その失敗も、大きい。子どもに対する期待が大きいと、
なおさら、そうだ。

 そして子どもに何かの問題を感じたら、子どもの問題と思うのではなく、親自身の問題と思う
こと。そして「子どもをなおそう」と考えたら、「自分をなおそう」と思うこと。つまり一人っ子の問
題は、かぎりなく、親自身の問題と考えてよい。
(040212)

【3】心に触れる(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞691

●なおった? 

 私たちの世界では、それとわかっていても、診断名をつけることは、タブーになっている。たと
えばその子どもが、「〜〜症」とわかっていても、それを口にすることはできない。これは当然
のことである。

 ただ親から相談があったときは、「〜〜症ではないと思います」というような否定的な意見を
言うことは、許される。

 しかしこんな仕事を34年もしていると、その子どもが、「〜〜症」であるかどうかは、その子ど
もに会った瞬間にわかる。

 で、その子ども(年中男児)が、そうだった。F君といった。

 会った瞬間、かん黙児とわかった。柔和な笑みを浮かべてはいたが、決して心を開こうとはし
なかった。みなが笑ったり、はしゃいだりするときも、じっとそれを怪訝(けげん)そうに見ている
だけ。

 こういうケースでは、まず親に、それとなく、子どもの心の(ふつうでなさ)を理解してもらわね
ばならない。しかしこれがむずかしい。

 どんな親も、いわば白紙の状態で、子育てを始める。白紙であることが悪いというのではな
い。そういった指導を受けたことがないのだから、これは当然と言えば、当然である。そのため
に、私のような人間がいる。

 しかし親の理解と協力がなければ、このタイプの子どもの指導は、うまくいかない。たとえば
教室で、子どもがかん黙症状を示したりすると、たいていのばあい、親のほうが先に怒り出して
しまう。「どうして、話せないの!」と。

 あるいはその矛先を、私に向けてくることがある。「あなたは、うちの子ども指導には、向いて
いない」と。少し前だが、「うちの子を、あんな子にしてしまった!」と怒ってきた父親すら、い
た。(ホント!)

 無知ほど、こわい敵はない。

 で、F君も、そうだった。しかしそのF君のばあい、お母さんが、たいへん忍耐強い人だった。
(……と思う。)そういうF君を見ながら、いつも「そのうち……」と考えていた。そして私には、い
つも「ありがとうございます」と、深々と頭をさげていた。

 私は、F君を笑わすことだけに全力を注いだ。みなが腹をかかえて笑わせる。そのウズの中
に、F君を巻きこむようにした。

 しかしかん黙症が、それでなおるということは、まず、ない。なおる時期を早めることはあって
も、それにも一年以上はかかる。

 が、である。そのF君が、(なおった!)、のである。

 私は、「小学校に入るまでに、なおればいい」と思っていた。が、一年を待たずして、F君が、
しゃべりだしたのである。これには、私も驚いた。ある日、ふと気がつくと、そのF君が、みなと
いっしょに、しゃべっていたのである。

 そしてみながドッと笑うようなとき、決して大声ではないが、自分も、いっしょに笑っていた。し
かもどこか意味のわからない笑みではなく、表情をこまかく変えながら、明らかに笑っていた!

 そのとき、私は、うれしかった。本当にうれしかった。

 ……で、こう書くのは、たいへん危険なことは、よく承知している。しかし、私は、「笑うことに
は、不思議な力が隠されている」と、改めて実感した。

 私の教室では、その「笑い」を、何よりも、大切にしている。「教える」のではなく、子どもを「笑
わせる」のである。こうした笑いのもつ不思議な力は、これから先も、大脳生理学の分野で研
究されるのだろうが、ここでは、その事実だけを、書きとめておくことにする。
(040214)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●夢と希望、そして目的

・泣き崩れた母
 
「人はパンのみにて生くるにあらず」と言ったのは、イエスだが、そのとおり。ただ生きているだ
けでは、本当に生きているとは、言えない。

 人が生きるためには、夢や希望と、そして目的が、必要である。反対に、パンがなくても、人
は、夢や希望、それに目的があれば、生きていかれる。仮にそれで命を落すことがあっても、
悔いはない。

 そのため人は、生きながら、同時に、そのつど、夢や希望、そして目的をさがす。どんな絶望
のどん底に落とされても、そのどん底で、夢や希望、そして目的をさがす。それは生きることに
まつわる、最後の砦(とりで)のようなものではないか。この砦を失えば、その人を待っているの
は、もはや「死」でしかない。

 私が母に、「浩ちゃん、あんたは道を誤ったア!」と、言われたとき、私は、まさに絶望のどん
底へと、叩き落とされた。私が「幼稚園で働く」と言ったときのことだ。母は、そう言って、電話口
の向こうで、泣き崩れてしまった。

 その夜のこと。私は、道を歩きながら、「浩司、死んではだめだ」と、自分に自分で言って聞か
せねばならなかった。当時の常識では、(今でも、そうだが……)、総合商社をやめて、幼稚園
の講師になるということは、考えられなかった。
 
 (今でこそ、保育士という資格が認められているが、当時は、保母、つまり女性しか、保育士
にはなれなかった。保父が認められたのは、私が三〇歳くらいのときだった。)

・しかしオーストラリアの友人は……

 その私が、最後の砦を失わなかったのは、オーストラリアの友人たちが、励ましてくれたから
にほかならない。D君(現在、M大教授)は、こう言った。「浩司、すばらしい選択だ」と。つまり
彼のその言葉が、私にとっては、まさに「希望」だった。

 そこで私はいつしかこう心に決めた。「じゅうぶん、お金がたまったら、オーストラリアへ移住し
よう」と。そのころの私には、日本に対する未練は、もうなかった。今から思うと、それが私にと
って、「夢」であり、「目的」だったかもしれない。私は、それにしがみついた。

 ところで今、私は、老後の夢や希望、そして目的をさがし求めている。つまりそれは、「これか
らの老後をどう生きていこうか」という問題でもある。

 仮に今、年金生活者になって、年金だけで生きている人を、私はうらやましいとは思わない。
現に近所にも、そういう人がいる。毎日、何かをするでもなし、しないでもない。一日中、家の内
と外で、ブラブラしている。

 来客も、ほとんど、ない。しかし自分の家の前に、だれかが無断で車を駐車したりすると、写
真をとって、警察へ届ける。あるいはパトカーを呼ぶ。その車に張り紙をする。

 私は、いくら悠々自適な年金生活とは言っても、そういう老後が決して、理想的な老後だと
は、思わない。思わないばかりか、そういう老人をかわいそうにすら思う。

 そういう老人にとっての夢とは何か。希望とは何か。そして生きる目的とは何か。

・私の変化

 私のばあい、このところ何をしても、「今さら……」という思いが強くなったように思う。仮に夢
や希望、そして目的らしきものをもったとしても、「それがどうなんだ」とか、「だからどうしたん
だ」とか、そんなふうに考えてしまう。そして、その先の先まで、自分で見てしまう。

 その点、恩師のT教授は、すばらしい。五〇歳を過ぎたころから、中国語の勉強を始めた。
そしてあの中国で、日本人を代表して、いくつかの国際会議で、中国語で、講演まで、してい
る。私がしている講演などとは、スケールがちがう。

 しかし今となってみると、そのときは、すごいことだと、あれほど強烈に思ったはずなのに、や
はり、「それがどうした……?」と、思ってしまう。夢や希望、そして目的は、生きるためには必
要だとはわかっているが、その夢や希望、そして目的が、年齢とともに、質的に変化してしまっ
た?

 たとえば若いときは、歌手になり、一躍有名になって……と、考える。ある子ども(小5)は、い
つか、こう言った。「ぼくの夢は、スーパーマンになることだ」と。そして「スーパーマンになれた
ら、三〇歳で死んでもいい」と。

 ちょうどそのころ、私はその三〇歳だったから、その言葉を聞いて、驚いた。そしてその子ど
もに、こう言った。

 「あのな、三〇歳なっても、人生は、ここにあるんだよ」と。

 そう、何歳になっても、人生は、ここにある。どこにも、ない。ここにある。が、夢や希望、そし
て目的だけが、どんどんと、勝手に変わっていってしまう。それまで夢や希望、それに目的だっ
たものが、そうでなくなってしまう。

・ひとつの選択

 そこで人は、一つの選択に迫られる。

 夢や希望、そして目的を、さがし求めつづけるか。さもなければ、放棄するか、と。

 夢や希望、そして目的を放棄することは、それほど、むずかしいことではない。要するに、ノ
ーブレインになればよい。もっとわかりやすく言えば、バカになればよい。何も考えずに……。
ただひたすら、毎日、同じことだけを繰りかえせばよい。

 しかし、私には、それができない。つまり選択としては、私は、自分で、夢や希望、そして目的
をさがしつづけるしかない。

 そういう視点で、今の自分をながめてみる。私にとっての、夢や希望、そして目的とは何か、
と。

 ……目を閉じて静かに、暗い空間を思いやると、そこに見えてくるのは、荒涼たる原野だけ。
心の原野。

 私はその手前に立って、その原野を見つめている。方向を示すものは、何もない。地上のよ
うに、原野を照らす太陽もない。

 そういう世界では、夢や希望など、もうないのかもしれない。しかし目的はないわけではない。
ただひたすら毎日歩いて、前に進むこと。一歩でも、先へ進むこと。そう、夢や希望ということに
なれば、その途中で、それまで知らなかったことを、見つけることかもしれない。

 実際、それまで知らなかったことを発見するのは、実に、スリリングで楽しい。おもしろい。そ
れはたとえて言うなら、恐竜学者が、どこかで恐竜の骨を見つけるようなものではないか。ある
いはもっと身近な例では、魚を釣っている人が、それまでに見たこともない、珍しい魚を釣るよ
うなものではないか。

 が、ここにも大きな限界がのしかかってくる。

・もう時間がない!

 私はそれを楽しむというよりは、いつも時間に追われているような気分になる。脳の老化は、
自分でもわかる。ボケることは、今のところなさそうだが、明日あたり、ひょっとしたら脳梗塞(こ
うそく)か何かになるかもしれない。もしそうなれば、私は、その最後の砦すら、失うことになる。

 若い人にとっては、夢や希望、そして目的は、華やかに明るく輝くものだが、しかし、年をとる
と、それらは、急速に輝きを失う。しかしいくら輝きを失っても、私はそれを放棄することはでき
ない。そういう意味では、今は、模索のとき。心の転機のとき。

 それはまさしく、私にとっては、生きるための戦いと言ってもよい。
(040213)

【追記】

 たまたま私の横にいた、中学二年生の女の子に、こう聞いてみた。「君の夢はなにか?」と。

 すると、その女の子は、こう言った。「……とお……、何とは決まっていなんだけど、舞台に立
つのが好きだったから、(おとになったら)、その舞台にかかわって生きたい」と。

 私は「なるほど……」と言って、そのまま黙った。

     ミ ( ⌒⌒ ) 彡
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       ̄ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄         よろしくお伝えください!
【4】フォーラム∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

【近況・あれこれ】

●またまた暴論!

 以前、こんなことを書いた、どこかの教授がいた。

○墓参りしたら、故人の遺骨を見せろ。子どもに生命の尊さを教える、よい機会である。
○夫婦喧嘩は子どもに見せろ。意見の対立を教えるのに、よい機会である。
○親子のきずなを深めるために、遊園地では、わざと子どもを迷子にせよ。
      (以上、100万部を超えるベストセラー書をもつ、T教授)
○子どもには、ナイフを渡せ。子どもを信頼しているという証(あかし)になる。
      (日本でも、著名な、S評論家)

 とんでもない暴論であることは、一読してわかる。

 そしてまたまた最近……。今度は、「絵本は、暗闇で読んでやれ」などということを書いた本を
出版した元教授がいる。

 何も、私が正しくて、彼らがまちがっているというのではない。ただ、こういうことは言える。

 幼児教育をしたこともない連中が、こうしたメチャメチャな本を書くのだけは、やめてほしい。
どこかの研究室の奥にひっこんで、想像だけで幼児教育を考えると、こういう本を書く。

 それともあなたは、どこかの大学の教授が、(助教授でも、講師でもよいが……)、幼稚園や
保育園で、園児を直接指導している姿を見かけたことがあるとでも、言うのだろうか。

 多分、その元教授は、「暗闇という、空想のキャンバスに、子どもが自由に空想の絵がかけ
るように……」という思いから、そう書いたのだろう。しかしその元教授は、本当に、そういう指
導をしたことがあるのだろうか。だいたいにおいて、親は、その暗闇の中で、どうやって本を読
むというのだろうか。

 あるいは、もしそうなら、昼間に本を読んで聞かせることは、まちがっていることになるのだろ
うか?

 こういう否定的なことばかりを書いては、意味がない。そこで私の意見。

 もし子どもに本を読んでやるなら、それをテープレコーダーに録音しておくとよい。子どもは、
それを繰りかえし聞くことで、内容を、暗記してしまう。またこれにまさる国語教育は、ない。

 その方法なら、たとえば子どもが床についたあと、暗闇の中で、子どもに聞かせることができ
る。また親も、楽だ。つまりそういう指導なら、私にもわかる。

 この方法は、すばらしい。私の三男だったが、小学一年生くらいのとき、芥川龍之介の「高瀬
舟」をテープに読んで録音してやったことがある。あの難解な「高瀬舟」である。

 最初は、軽い実験のつもりだった。しかし二、三か月後には、三男は、そのほぼ全文を、ソラ
で言うようになってしまった。これには、私も驚いたが、朗読には、そういう力もある。

 子どもに本を読んでやるときは、子どもを、ひざに抱いて、暖かい息を吹きかけながら読んで
やるのがよい。明るいとか、暗いとか、それは重要な要素ではない。実際には、親も忙しい。

 そういうときは、テープレコーダーを利用すればよい。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●有料マガジンについて

 今度、有料マガジンを発行することになった。

 読者の中には、有料マガジンを考えている人も多いと思う。そこで今の感想を、ここに
記録しておきたい。

 私が加入したのは、M社というマガジン配信会社(これを「マガジンスタンド」という)。
いくつかマガジン配信のための会社があるが、その中でも、一番、信用がおける会社であ
る。

 お金が動く以上、「あやしげな会社」、では困る。これは当然だ。しかしその分、M社の
審査はきびしい。どういう審査基準があるのかは知らないが、いいかげんなマガジンだと、
発行元のM社自身が、迷惑をこうむる。

 たとえば読者がお金を払ったが、マガジンが届かない……ということが起こると、マガ
ジン社に責任はないとはいえ、マガジン社は、大きく、信用をなくす。

 しかし私には、M社での発行実績がない。ふつうは、無料マガジンで実績を積んだあと、
有料マガジンへと移行するものらしい。

 用意するものは、マガジンの見本など。それを自分のホームページに張りつける。

 この審査に一週間ほどかかった。

 で、無事、審査をパス。が、そのあと、結構、作業がたいへんだった。ある程度、HT
ML言語の知識がないと、タグに自分の画像を張りつけることすらできない。その作業を
しながら、「うちのワイフでは、無理だろうな」と思った。

 で、私のホームページにその宣伝文を書いたり、あちこちを訂正したりして、その作業
に、その日の、午前5時から11時までかかった。何と6時間!

 私のばあい、マガジンの購読料を、200円(月額)に設定した。週1回の発行で、3
00〜500円が相場だから、もちろん、最低の価格。その200円から、まずM社が、
40%を、差し引く。残りの代金から、さらに税金なども引かれる。手取り、100円と
いうことか。

 しかし今回、有料マガジンを申し込んでみて、私の心が、大きく変化したのがわかる。「無
料」と、「有料」とでは、緊張感がまるでちがう。当然といえば、当然だが、まるで、ちが
う。

 無料のときは、何となく、書けばいい、出せばいい、という感じだった。しかし有料と
なると、そうはいかない。今もこうして原稿を書いているが、心のどこかで、ツンとした
緊張感を覚える。もっとも、この緊張感があるから、書くのも、楽しい。今は、どこかの
講演会場で、講演に先立って、主催者に、紹介されているような気分だ。演壇に座って、
自分の時間を待っているような気分だ。

 マガジンの世界は、まさに戦国時代。雨後の竹の子のように新しいマガジンが生まれ、
それと同じ数だけのマガジンが、また消えていく。読者が、100人を超えるまでが、一
苦労。1000人を超えるまでが、これまた一苦労。

 もっとも私のばあい、1000人を超えるまで、読者の数のことは、あまり考えなかっ
た。その実感も、あまりなかった。「500人」と言われても、ピンとこなかった。「10
00人」と言われても、ピンとこなかった。

それ以上に、私は、「1000号まで出す」という目標を、大きくかかげた。……今も、
かかげている。それが、よかったのでは? いつもマイペースで、原稿を書くことがで
きた。

 反対に読者の数を気にしたら、とてもマイペースでは、原稿は書けなかっただろうと思
う。私は、読者が、20〜30人のときから、毎回、A4サイズで20枚分程度の原稿を
書いてきた。

 さて今、Eマガ社での読者数が、1050人くらいになった。ランキングでみると、上
位84番(2・12現在)。こういう私が出しているような、硬派のマガジンで、これだけ
の読者がいるのは、きわめてマレなことだそうだ。

 しかし一言。ここまでこうして原稿を書いてこられたのは、読者のみなさんの、暖かい
理解と励ましがあったからにほかならない。何度もくじけそうになったことがある。しか
しそういうとき、私の文章の微妙な変化をとらえて、励ましてくれた読者が、たくさんい
た。

 もしそういう人の励ましがなかったら、とても今日まで、マガジンの発行を、つづける
ことはできなかったと思う。

 そういう人たちの恩に報いるためにも、これからも、力のつづくかぎり、Eマガと、マ
グマグ(有料版)を、発行していく。

 そうそう、こんな感じもある。

 私は「自由」を口にするようになってから、「ボス」の存在を否定してきた。「私を雇う
ものは、だれもいない」と、偉そうなことを言ってきた。しかし今度、有料版を出すにつ
いて、はじめて、「雇われた」という気分を感じている。

 200円といっても、こういうご時勢。みなさんの負担になるかもしれない。もし「協
力してもよい」ということであれば、どうか、有料版のご購読を、お願いしたい。

 もちろん今までどおり、Eマガ(無料版)を、ご購読くださってもよい。どちらのマガ
ジンでも、はやし浩司は、絶対に、手を抜かない。

(本来なら、「〜です」「〜ます」調で書かねば、ならない文章ですが、どうか、お許しく
ださい。どこか高飛車な感じがするのは、文体によるもので、私の本意ではありません。

たとえば最後のところも、こう書くべきかもしれません。

 「……200円といっても、こういうご時勢ですから、みなさんの負担になることでし
ょう。「協力してもよい」ということでしたら、どうか、有料版のご購読を、お願いします。

 もちろん、今までどおり、Eマガ(無料版)を、ご購読くださっても、結構です。どち
らのマガジンでも、はやし浩司は、絶対に手をぬきません」と。

 文体によって、ずいぶんと感じがちがうものですね。あとに書いたほうが、今の、私の
気持ちです。これからもよろしくお願いします。)
(040212)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【Eマガ、メルマガ、「子育て最前線の育児論」を、ご愛読くださっている、読者のみなさんへ…
…】

 いつも、小生発行のマガジンをご購読くださり、感謝しています。早いもので、このマガジン
も、360号を超えました。ほとんど、一日おきに配信してきましたので、この間、約二年というこ
とになります。

 これも、みなさんの暖かい声援と、励ましがあったからだと、心から感謝しています。

 ありがとうございました。

 で、このたび、マグマグ社から、「子育て最前線の育児論」の、プレミア(有料)版を、発刊する
ことになりました。マグマグ社というのは、日本でも、もっとも信用のおけるマガジンスタンドで
す。

 つきまして、もしよろしかったら、プレミア版をご購入していただけないものかと思い、このよう
なご案内を、させていただくことにしました。

 定価は、月額、200円です。

 プレミア版のほうでは、できるだけ、つまり時間が許すかぎり、HTML版(写真やイラスト)を
添えて、みなさんに、マガジンをお届けしたいと考えています。またHTML版も、本格的なしあ
がりになるよう、目下、創刊号発刊に向けて、準備をつづけています。読者のみなさんに、きっ
と、ご満足いただけるものになると、確信しています。

 なお、最初の一か月は、「試し購読期間」ということで、購読料は、無料になっています。お気
に召さなければ、同じ登録コーナーで、簡単に解約できるようになっています。

 そんなわけで、一度、ご購入ご登録をしていただけないものかと思っています。時節柄、何か
と心苦しいですが、よろしくお願い申しあげます。

 今後とも、なおいっそう、内容を充実させ、みなさんのご期待にそえるよう、努力いたします。
よろしくご理解の上、ご協力くださいますよう、お願いします。

 マグマグ・プレミア版の詳しい内容などにつきましては、下の各ページをごらんくだされば、う
れしく思います。何か、おわかりにならないようなことがあれば、はやし浩司まで、メールをくだ
さい。喜んでお答えいたします。

  マグマグ・プレミア申し込みコーナー……
      http://bwhayashi.cool.ne.jp/page034.html

  マグマグ・プレミアQ&Aコーナー……
      http://bwhayashi.cool.ne.jp/page034.html

  マグマグ・プレミアHTML版(サンプル)……
http://bwhayashi.cool.ne.jp/page039.html


  (注、マグマグ・プレミア版では、TEXT版が基本です。)

 では、みなさんの、ご登録を、心よりお待ちしています。どうk、どうか、よろしくお願いします。

                                はやし浩司
Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
●マガジンの購読申し込みは……
http://www.emaga.com/info/hhayashi2.html
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

【講演会のお知らせ】
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。 
2・21 ……細江町「教育のつどい」
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
●二男のホームページができました。よろしかったら、
のぞいてやってください。
Soichi Hayashi (林 宗市のホームページ) http://dstoday.com
++++++++++++++++++++++++++++
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★☆★☆★☆★☆読者有志のみなさんへ★☆★☆★☆★☆★☆★☆
●4月、10月期に、「賛助会」へご協力をお願いしています。
詳しくは、http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page323.htmlまで。
賛助会に協力してくださった方に、直筆のイラストをお送りします。詳しくは、賛助会コーナー
を、ご覧ください。(額は、ついていません。)
+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩

【掲示板】
【チャットルームへのご案内・毎週月曜日・午後10時JUST】∞∞∞∞∞∞∞∞
☆このマガジン読者の方どうしの方+はやし浩司の、チャットはいかがですか。
 http://8411.teacup.com/hhayashi/chat をクリックしてください。
☆ニックネーム、(BW)が、私こと、はやし浩司です。
☆毎週月曜日、午後10時JUSTにお待ちしています!
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/  〜       〆  へく ^川     このマガジンを、
〜―ノ∵しへ〜へ〜〜〜〜――//―人〇      ご購読ください。
   w         ⊂ノ           ありがとうございました!
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)+最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ)+
はやし浩司の世界(Eマガ)……総読者数(Nr. of Readers)、1260人(04年1月24日現在)
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
    Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
☆===================☆==================
●イラストは、パナソニックパソコン付録の、フリーソフトを使いました。
     >\
     〜〜⌒し〜〜
      /⌒ \く
     / |
    /  |
  <∵∧〜 |
 ‥※※∴≫※|
∴※※¨※※:)
  <≪ ※≫※
  ∵※∨>∴
では、また次号を、よろしくお願いします。
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04−2−19号(364)
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子育て最前線の育児論by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi 
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2月21日・細江町「教育のつどい」にどうか、おいでください!
全力を尽くします!
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★★マグマグから、有料マガジンを発行します。どうか、お申し込みください★★
★★一か月、200円です。最初の一か月は、無料購読できます!     ★★
マガジンの案内、および、お申し込みは……
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■HTML版■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■写真付■ 
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http://plaza.rakuten.co.jp/hhayashi/003101
安全は確認してあります。安心して、おいでください。
■カラー■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■HTML版■
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

TEXT版で、横に広がって読みにくいときは、一度、コピーして、ワードに貼り付けてから読んで
いただくと、読みやすくなります。
   ●  ⌒⌒ ●τ
 √ ●((( ((  ● ι
  ∫∫  ⌒  ⌒ ν ι HTML版をどうぞ!
  §   ・。・ β§  安全は確認してあります!
    (  ▽  )
    √~~~∞~~//\
 ○\/│  //│\ \
 ゜\/│ // │ / /
   Γ ̄ ̄│──-\○
   │  │    \
【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞upto851

【BW教室から……】

 教室では、一回注意すると、子どもに、一枚のイエローカードを、渡すことにしている。古い教
室では、ランプで、それを表示していた。今は、黄色い磁石で、それを表示している。(一回注
意したら、黄色い磁石を、黒板に一個張りつける。)

 「FF君、注意! イエローカード!」というような言い方で、子どもを注意する。

 このイエローカードが、三枚で、その場で教室から、退場。プラス、次回のレッスンは、出場停
止。(ほかにレッドカードというのもある。教室内で、喧嘩をしたり、ほかの子をキズつけるよう
な暴言を吐いたようなときに、渡す。)

 しかしその途中で、まじめに勉強したり、何かよい成果を出したときは、そのイエローカード
を、取りさげることにしている。「今の君の意見は、すばらしい。イエローカードを一枚、減らしま
す!」と。

 だからめったに、私は、子どもを退場させたことは、ない。子どもも、イエローカードを一枚渡
すと、とたんに神妙になる。が、先日、こんな失敗をした。

 そのとき私はFF君(小2)のイエローカードは、一枚だと思っていた。だから、「FF君、注意。
これで君は、イエローカードは二枚になった」と言った。が、とたん、クラスの子どもたちが、大
騒ぎ。

 「先生、FF君は、三枚だ! 三枚だ!」と。

 振りかえって黒板を見ると、黄色い磁石がたしかに計三個になっていた。

 ……こういうとき、どうするか。教える側も決断を迫られる。いいかげんな判断をすれば、そ
のつぎから、このイエローカードは、権威(効力)を失う。しかし子どもを、本当に罰するのは、
私の本意ではない。

 しかし私は、その前後にFF君が、いつもより騒いだこともあり、こう言った。

 「FF君、今すぐ、勉強道具を片づけて、廊下に出なさい。それと、来週は、この教室には来な
いように!」と。

 FF君は、しょんぼりした様子で、教室を出ていった。

 で、それからちょうど一週間後。(私の教室は、週1回が基本になっている。)教室が始まる少
し前、FF君のお母さんから、電話があった。いわく、「うちの子が、BW(私の教室)に行きたい
と、泣いていますが、どうしましょうか」と。

 私はFF君が、私の言葉を本気にするとは、思っていなかった。そこで笑いながら、「イエロー
カードは、ほとんど冗談のようなものです。だから、気にしないでおいでください」と。

 FF君は、そんなわけで、いつもより、一〇分ほど、遅刻して教室にやってきた。どこかうれし
そうに、どこか照れくさそうに……。そして私にこう言った。

 「うちのママが、先生も、ジジ臭くなったねって、言ってたよ」と。

 それがFF君の、精一杯の抵抗のようだった。お母さんにも、それなりに叱られたようだ。

私「本当に、そう言ってたのか?」
F「そうだよ。ジジ臭いって」
私「ショックだなあ」
F「どうして?」
私「君のお母さん、すてきな人だから、前から好きだった」
F「やめときな、あんな鬼ババ!」と。

 とたん、教室の子どもたちが、パッと笑った。私も笑った。で、それでこの話はおしまい。FF君
も、いつものように楽しそうに、勉強を始めた。
(040212)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


●子どもを信ずるということ@
 
 私のような生き方をしているものにとっては、死は、恐怖以外の何ものでもない。「私は自由
だ」といくら叫んでも、そこには限界がある。死は、私からあらゆる自由を奪う。が、もしその恐
怖から逃れることができたら、私は真の自由を手にすることになる。しかしそれは可能なのか
……? その方法はあるのか……?

一つのヒントだが、もし私から「私」をなくしてしまえば、ひょっとしたら私は、死の恐怖から、自
分を解放することができるかもしれない。自分の子育ての中で、私はこんな経験をした。

 息子の一人が、アメリカ人の女性と結婚することになったときのこと。息子とこんな会話をし
た。

息子「アメリカで就職したい」
私「いいだろ」
息子「結婚式はアメリカでしたい。アメリカのこの地方では、花嫁の居住地で式をあげる習わし
になっている。結婚式には来てくれるか」
私「いいだろ」、息子「洗礼を受けてクリスチャンになる」
私「いいだろ」と。

その一つずつの段階で、私は「私の息子」というときの「私の」という意識を、グイグイと押し殺
さなければならなかった。苦しかった。つらかった。しかし次の会話のときは、さすがに私も声
が震えた。

息子「アメリカ国籍を取る」
私「……日本人をやめる、ということか……」
息子「そう……」
私「……いいだろ」と。

 私は息子に妥協したのではない。息子をあきらめたのでもない。息子を信じ、愛するがゆえ
に、一人の人間として息子を許し、受け入れた。英語には『無条件の愛』という言葉がある。私
が感じたのは、まさにその愛だった。しかしその愛を実感したとき、同時に私は、自分の心が
抜けるほど軽くなったのを知った。

 「私」を取り去るということは、自分を捨てることではない。生きることをやめることでもない。
「私」を取り去るということは、つまり身のまわりのありとあらゆる人やものを、許し、愛し、受け
入れるということ。

「私」があるから、死がこわい。が、「私」がなければ、死をこわがる理由などない。一文なしの
人は、どろぼうを恐れない。それと同じ理屈だ。死がやってきたとき、「ああ、おいでになりまし
たか。では一緒に参りましょう」と言うことができる。そしてそれができれば、私は死を克服した
ことになる。真の自由を手に入れたことになる。

その境地に達することができるようになるかどうかは、今のところ自信はない。ないが、しかし
一つの目標にはなる。息子がそれを、私に教えてくれた。
(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●子どもを信ずるということA

 人とのトラブルで私が何かを悩んでいると、オーストラリアの友人は、いつも私にこう言った。

「ヒロシ、許して忘れろ。OK?」と。

英語では「Forgive and Forget」と言う。聖書の中の言葉らしいが、それはともかく、私は長い
間、この言葉のもつ意味を、心のどこかで考え続けていたように思う。

「フォ・ギブ(許す)」は、「与える・ため」とも訳せる。同じように「フォ・ゲッツ(忘れる)」は、「得
る・ため」とも訳せる。「では何を与えるために許し、何を得るために忘れるのか」と。

 ある日のこと。自分の息子のことで思い悩んでいるときのこと。ふとこの言葉が、私の頭の中
を横切った。「許して忘れる」と。「どうしようもないではないか。どう転んだところで、お前の子ど
もはお前の子どもではないか。誰の責任でもない、お前自身の責任ではないか」と。とたん、私
はその「何」が、何であるかがわかった。

 あなたのまわりには、あなたに許してもらいたい人が、たくさんいる。あなたが許してやれば、
喜ぶ人たちだ。一方、あなたには、許してもらいたい人が、たくさんいる。その人に許してもらえ
れば、あなたの心が軽くなる人たちだ。

つまり人間関係というのは、総じてみれば、(許す人)と(許される人)の関係で成り立ってい
る。そこでもし、互いが互いを許し、そしてそれぞれのいやなことを忘れることができたら、この
世の中は何とすばらしい世の中になることか。

……と言っても、私のような凡人には、そこまでできない。できないが、自分の子どもに対して
なら、できる。私はいつしか、できの悪い息子たちのことで何か思い悩むたびに、この言葉を
心の中で念ずるようになった。「許して忘れる」と。

つまりその「何」についてだが、私はこう解釈した。「人に愛を与えるために許し、人から愛を得
るために忘れる」と。子どもについて言えば、「子どもに愛を与えるために許し、子どもから愛を
得るために忘れる」と。

これは私の勝手な解釈によるものだが、しかし子どもを愛するということは、そういうことではな
いだろうか。そしてその度量、言いかえると、どこまで子どもを許し、そしてどこまで忘れること
ができるかによって、親の愛の深さが決まる……。

 もちろん「許して忘れる」といっても、子どもを甘やかせということではない。子どもに好き勝手
なことをさせろということでもない。

ここでいう「許して忘れる」は、いかにあなたの子どもができが悪く、またあなたの子どもに問題
があるとしても、それをあなた自身のこととして、受け入れてしまえということ。「たとえ我が子で
も許せない」とか、「まだ何とかなるはずだ」と、あなたが考えている間は、あなたに安穏たる
日々はやってこない。

一方、あなたの子どももまた、心を開かない。しかしあなたが子どもを許し、そして忘れてしまえ
ば、あなたの子どもも救われるが、あなたも救われる。

何だかこみいった話をしてしまったようだが、子育てがどこかギクシャクしたら、この言葉を思
い出してみてほしい。「許して忘れる」と。それだけで、あなたはその先に、出口の光を見いだ
すはずだ。

    ミ ( ⌒⌒ ) 彡
      ∞((((( )∞
      │6 6 b
      (" 。 "人
     ヽ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄ヽ
     ○  ヽ ABC ○
   ̄ ̄ ̄ヽ  ヽ    ヽ ̄ ̄ ̄    何か、テーマがあれば、
       ̄ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄        掲示板にお書き込みください。

【2】特集∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●「ウチ意識」

 どこからどこまでが、「ウチ」で、どこから先が、「ウチ」でないのか。よく学校の先生が、この
言葉を使う。「ウチの生徒が、不祥事を起こしました」「ウチの生徒が、○○賞を受賞しました」
と。

 こういう意識を、「ウチ意識」という。内側の「内」という意味である。

 このウチ意識は、さまざまな形で、さまざまな方向から、一人の子ども(人間)をしばる。数年
前も、こういうことがあった。

 一人の中学生が、何かの英語のスピーチコンテストで、優勝した。全国大会での優勝であ
る。そのときのこと。

 その子どもが通っていた英会話教室の前を見たら、その子どもの写真と、新聞記事を大きく
引き伸ばした写真が、誇らしげに飾ってあった。「ウチの子ども」とは書いてなかったが、「GG
君が、見事、優勝!」と。

 同じころ、その子どもが通う中学校の先生も、こう言った。「ウチの生徒が……」と。

 もちろん親にしてみれば、「ウチの子ども」ということになる。しかし問題は、このことではな
い。

 こうした「ウチ意識」には、両面性がある。(しばる側)と、(しばられる側)である。つまりウチ
意識によって、親や教師を子どもをしばる。しかしその一方で、しばられる側は、ウチ意識によ
って、親や教師に、しばられる。しばられながら、自ら、親や教師に帰順しようとする。そしてそ
れが高じた状態が、「忠誠」ということになる。

 その中身と言えば、保護と依存の関係ということになる。もちろん保護と依存の関係が悪いと
いうのではない。親子の間には、ある程度、保護と依存の関係があって、当たり前である。教
師と生徒の間でも、そうだ。しかし問題は、その程度。

 言うまでもなく、保護と依存の関係が強ければ強いほど、子どもの自立は、遅れる。そこで親
は、子育てをしながら、その保護意識を弱めていかねばならない。同時に、子どもの依存性
を、はねのけていかねばならない。

 そこで最初のウチ意識の話にもどる。

●ウチ意識の正体
 
このウチ意識の正体は何かというと、保護を超えた、支配意識であることがわかる。「ウチ」と
いう言葉を使って、親や教師は、子どもを私物化する。私物化した上で、子どもを支配する。

 一方、子どもの側は、私物化された上で、親や教師に帰属する。ばあいによっては、隷属す
る。

 ここで誤解してはいけないのは、帰属する側にとっては、帰属することは、決して不快なこと
ではないということ。人間関係をうまく結べない人(子ども)は、よく、相手に隷属することによっ
て、自分にとって居心地のよい世界を作ろうとする。たとえば集団非行が、それにあたる。

 隷属することは、それ自体、甘美なことでもある。ほかによく見られるのは、どこかのカルト教
団の信者が、その教団に隷属するケースである。

 こうした信者は、教団に、徹底的に隷属することで、まず「考える」という習慣を放棄する。そ
して一方的に、まさに上意下達(かたつ)方式で、思想を注入してもらう。それはたいへん楽な
世界でもある。

 子どもは、隷属することで、自分にとって居心地のよい世界をつくる。そしてそれが(しばられ
る側)の、「ウチ意識」をつくる。子ども自身までが、「ウチの学校は……」と言い出す。

●日本人独特の意識 

 今、気づいたが、これは言葉の問題か。

 よく日本では、自分の母校を指さして、「あれは、ぼくの学校」というような言い方をする。しか
し英語では、そういう言い方をしない。「あれは、ぼくが通った学校」というような言い方をする。

 学校の先生にしても、日本では、「ウチの生徒が……」というような言い方をする。しかし英語
では、「この学校に通う生徒が……」というような言い方をする。

 私も一度、失敗したことがある。

 オーストラリアの友人に、私の母校(高校)の写真を送り、「This is my school.(これはぼくの
学校だ)」と書いてしまった。その友人は、その学校を、私が所有する学校と勘ちがいしてしま
った。

 しかしこれはどうやら言葉だけの問題でもなさそうだ。

 日本人は、いまだに江戸時代の身分制度の亡霊を引きずっている。少し前までは、職業で、
その人の価値が判断された。「少し前」というのは、私が学生時代のことだ。

 ウソだと思うなら、現在、60代、70代の人と、ていねいに話しあってみるとよい。ほとんどの
人が、そういう意識を、もっているのがわかる。

 私もあるとき、ある男(現在70歳)に、こう言われたことがある。「君は、学生時代、学生運動
か何かをしていて、どうせロクな仕事にありつけなかったのだろう」と。つまり「幼稚園での講師
は、ロクな(=たいした)仕事ではない」と。

 そこで日本人独特の、学歴意識が生まれ、つづいて大企業意識が生まれた。わかりやすく言
えば、どこのどういう団体に属しているかで、その人の身分や、価値が決まった。それはまさし
く、江戸時代の亡霊以外の、何ものでもない。

 そしてそういう意識から、「ウチ意識」が生まれた。

 少し飛躍した考え方のように思う人がいるかもしれない。しかしこうした意識は、日本に生ま
れ育ち、日本だけしか知らない人には、理解できないかもしれない。脳のCPU(中央演算装
置)の問題だからである。

 一つの例としてよくあげられるのは、こんな話である。

 ブラジルで、現地の人に、私自身が、聞いた話である。

 ドイツ人は、ブラジルへ移住してくると、彼らは、好んで、人里離れた場所に、ひとりで住みた
がる。しかし日本人は、ブラジルへ移住してくると、すぐ日本人どうしが集まり、そこでグループ
をつくる、と。

 ドイツ人の移民は、移住したそのつぎの日から、「ぼくはブラジル人だ」というが、日本人は、
二世になっても、三世になっても、「ぼくは日本人だ」「日系人だ」と、言いつづける、と。

 当然のことながら、「ウチ意識」が強ければ強いほど、そうでない世界の人を排斥する。そし
て自分でも、新しい社会に、同化できなくなる。

●ウチ意識がもつ問題 

 「ウチ」、つまり「内」の反対が、「外」。「ウチ意識」の反対側にいる人間を、日本では、「ガイ
ジン(外人)」という。

 今では、そういう意識もないまま使うことが多いが、「ガイジン」という言葉は、少し前までは、
差別用語として使われていた。

たとえば日本に住む外国の人たちは、どういうわけか、自分たちが、「ガイジン」と呼ばれるの
を、嫌う。心のどこかで、その差別を感ずるからではないのか。

 先にも書いたように、この「ウチ意識」には、(守りあう)という意味のほか、その外の世界の
人を、排斥するという意味も含まれる。と、同時に、その意識が強ければ強いほど、その人自
身も、外の世界に同化できなくなる。

 たとえばカルトと呼ばれる宗教団体では、ほかの宗教団体との接触を、きびしてく禁じている
ところが多い。もう30年ほど前のことだが、こんな事件があった。

 中学校の修学旅行で、京都のどこかの神社へ行ったときのこと。一人の子ども(男子)が、神
社の鳥居の前で、かがんで、動かなくなってしまったという。引率の教師が見ると、その子ども
は、青い顔をして、体をワナワナと震わせていたという。

 あとで聞くと、その中学生一家は、ある仏教系宗教団体に属していた。そしてその宗教団体
では、「神社へ行くだけでも、バチが当たる」と、信者に教えていた。つまりその中学生は、その
「バチ」におびえた。

 これは極端な例だが、「ウチ」という言葉には、そういう意味も含まれる。

●ウチ意識との戦い

 自分の中にひそむ「ウチ意識」と、どう戦っていくか。それはとりもなおさず、自由への戦いと
いうことになる。

 あなた自身も、そのウチ意識という無数の糸に、しばられている。あるいは反対の形で、あな
たの家族や、職場の人を、無数の糸でしばっているかもしれない。

 こうした問題は、私の教室でも、ないことはない。

 冒頭にあげた、GG君というのは、実は、私がそのときまでに、11年間教えてきた子どもであ
る。幼稚園の年中児のときから、中学三年までだから、そういう計算になる。

 本当のことを言えば、私は堂々と、「ウチの生徒」と言いたかった。しかし学校の先生が、先
に「ウチの生徒」と言い出してしまった。つづいて、英会話教室の先生が、先に、「ウチの生徒」
と言い出してしまった。

 しかし実際には、私は、そうした成果(?)を、誇ったことは、過去に一度もない。子どもたち
(生徒たち)だって、そうは思っていない。

 私は親から委託された仕事を、忠実にこなすだけ。お金をもらっているのだから、それは当
然のことではないか。だからその成果があっても、それはある意味で当たり前のことで、誇る
べきことではない。

 最近でこそ、少し元気がなくなったが、私の教室の進学率は、どこの進学塾にも、負けなかっ
た。はじめて教えた四人の女子高校生たちは、全員、東京女子、お茶の水女子大、慶応大、
フェリス女子大などの大学へと進学していった。こうした実績(?)は、それから10年あまりもつ
づいた。今から、33年前のことである。

 しかし私は、「ウチの生徒」という言い方をしたことがない。それは私自身が、「ウチ」という言
葉で、がんじがらめに、しばられているからにほかなからない。そしてその不快感を、いやとい
うほど、感じているからにほかならない。

 で、この問題は、やがて、親子の問題へと、もどってくる。

●泣き明かした母親 

 K氏(52歳・男性)が、私に、こんな話をしてくれた。

 「私の母は、私が結婚した夜、『悔しくて、悔しくて、泣き明かした』というのですね。最近にな
って、叔母から、その話を聞きました。私の前では、変った様子は見せなかったのですが、私
の知らないところで、母が、叔母にそんな話をしていたと知り、ショックを受けました」と。

 K氏の母親が、なぜ泣き明かしたか。理由など言うまでもない。K氏の母親は、息子を、嫁に
取られた悔しさから、泣いた。

 こうした例は、少なくない。日本人なら、心情的に共感を覚える人も、多いはず。しかしこの母
親の意識の中に、日本人がもつ、独特の「ウチ意識」の原型をみる。その母親にしてみれば、
K氏は、「私の息子」をはるかに超えた、「ウチの息子」なのだ。

 しかし同時にここで理解しなければならないのは、K氏自身が感じたであろう、不快感であ
る。K氏は、「ぞっとした」とか、「もういいかげんにしてほしいと思った」などと、どこか笑いなが
ら言った。が、そんな生(なま)やさしいものではなかったというのが、正しい。

 K氏は、こうも言った。「私はね、ストーカーにねらわれる女性の気持ちが、はじめてわかりま
した」とも。

 つまりそれに似た不快感を、K氏は、味わったという。「ウチ意識」も、高ずると、そこまで相
手をしばる。そしてその意識に、相手も、しばられる。

●私は私論

 この「ウチ意識」と戦うためには、どうするか。自分がしばられるのは、しかたないとしても、自
分自身の中にある「ウチ意識」と、どう戦うか。

 その一つの方法が、「私は私論」がある。

 どこまでいっても、「私は私。あなたはあなた」をつらぬく。こうして私を確立することによって、
その結果として、相手をからめる糸を切る。しかしこれには、大きな条件がある。

 糸を切るためには、自分を、それなりに、高めなければならない。「ウチ意識」そのものは、
低次元な意識である。それはまちがいないが、その低次元さがわかるまで、自分を高めなけ
ればならない。

 よい例が、進学塾の、自己宣伝である。「04年度、SS高校XXX名、合格!」と。

 恐らく進学塾の経営者は、そういう低次元な宣伝をしながらも、それを低次元とは思っていな
いだろう。あるいは、誇らしくすら思っているかもしれない。

言うまでもなく、そう思うのは、自分自身が低次元だからである。知的能力はともかくも、人間
的には、どうしようもないほど、低次元である。そうした低次元性に、まず、気がつかねばなら
ない。

 相手が低次元であるということは、自分がより高い山に登ってみてはじめてわかること。つま
り私が私であるためには、その私を高めなければならない。でないと、どこかのカルト教団の
本部へ、どこかアホじみた笑顔(失礼!)をつくって参拝する、あのオジチャンやオバチャンと、
同じようなことをすることになる。

 「私は私」という意識は、その結果として、その人にもたらされる。そしてそれを土台として、自
分の中にひそむ「ウチ意識」と戦うことができる。

●自由への道

 ウチ意識があるかぎり、その人の魂の自由はない。「ウチの息子」「ウチの娘」「ウチの財産」
「ウチの名誉」「ウチの地位」などなど。

 それはちょうど、金持ちが、泥棒を恐れるのに似ている。へたにお金があるから、泥棒をこわ
がる。心配する。どこかへ旅行にでかけても、気が休まらない。

 しかしもしその財産がなければ、どうなるか。昔からこう言う。『無一文の人は、泥棒を心配し
ない』と。盗まれるものが、ないからだ。

 同じように、へたに「ウチ意識」があるから、その人は、その人自身の「ウチ意識」にしばられ
てしまう。そして身動きがとれなくなってしまう。が、もしその人から、「ウチ意識」を取ったら、ど
うなるか。

 そうなれば、もうこわいものはない。と、同時に、その人の魂は、解放される。その人は、真
の自由を手に入れることができる。

 「ウチ意識」……だれでももっている、ごく何でもない意識だが、この意識には、さまざまな問
題が隠されている。そしてこの問題を考えていく過程で、私は、「真の自由」への道のヒントを得
た。

 まだこの問題については、考えなければならない点もいくつかある。思想的にも、不備な点も
ある。それはまた別の機会に考えるとして、ひとまず、ここで筆をおく。みなさんの生きザマの
何かの、参考になれば、うれしい。

 ついでに一言。

真の自由を手に入れるために、一つの方法としては、「ウチの……」というような言い方をした
ら、どんなときそう言うのか、そのときの心の中身を、さぐってみるとよい。

もしそのとき、ふと、その言葉に戸まどいを覚えたら、あなたはすでに、自由への一歩を踏み
出したことになるのでは……。ここから先のことは、まだ私にも、よくわからないので、ここまで
にしておく。
(040211)

【3】心に触れる(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞691

●見えない意識

 子どもの行動を支配する意識に、二つ、ある。見える意識と、見えない意識である。

 私はそのことを、母子分離不安の子どもを見ていて、気がついた。ずいぶんと前のことであ
る。

 母親の姿が見えなくなっただけで、ワーッと興奮状態になったり、反対に極度にオドオドしたり
する子どもがいる。「捨てられるのでは」という被害妄想が、かぎりなく頭の中で広がってしま
い、思考そのものが、パニック状態になる。

 子どもは、一度、そうなると、理性の声を、受けつけない。なだめても、理由を説明しても、子
どもは、それを理解しようとしない。そういうとき、私は、子どもの中に、あたかも二人の子ども
がいるように感じる。

 一人は、その子ども自身がコントロールしている子ども。もう一人は、その子ども自身でもコ
ントロールできない子ども。

 この子ども自身でもコントロールできない子どもを操っている意識を、私は、いつしか「見えな
い意識」と呼ぶようになった。

 実は、この見えない意識というのは、だれにでもある。潜在意識ともいうが、その潜在意識と
もちがう。明らかに意識的行動なのだが、教える側からすると、その意識がつかめない。分離
不安の子どもにしても、「ママがいない!」「ママがいない!」と叫ぶ。どうしてパニック状態なの
か、その理由が、ちゃんとあるのである。

 これ対して、潜在意識というのは、人の心をウラから操るため、外からは見えないばかりか、
その理由さえ姿を現さない。よく知られた例として、「転移」という現象がある。

 嫌いな人が乗っている車と、同じ車に乗っている人を見たりすると、不愉快に感ずることがあ
る。これは心が、(嫌いな人が乗っている車)→(同じ車)→(不快感が起こる)→(その車に乗っ
ている人に、悪印象をもつ)というふうに作用することによる。

 こういうのは、まさに潜在意識がなさるわざだが、ここでいう(見えない意識)というのは、少
し、ちがう。そこに症状が出ているのだが、子ども自身も、そして指導する私自身も、つかみど
ころのない意識をいう。

 もっとも心理学の研究家でもない私が、こんなことを言っても、意味はない。しかしこうして書く
のは自由だ。それに現場では、役にたつ。みなさんも、子どもをみるとき、どこかでこの(見えな
い意識)の話を思い出してみてほしい。「なるほど」と思うときが。必ずあるはずである。


●人間の心理

 人間の心理は、基本的には、もっと単純ではないかと思う。たとえば太古の昔に、自分を置
いてみればわかる。人間が下等な哺乳動物であった時代にまで、さかのぼってみよう。

 人間は、ほかの動物たちと同じように、食うか、食われるかの立場にあった。もちろん天敵も
いて、人間を容赦なく襲った。一方、人間は、スキさえあれば、他の弱い動物を襲った。

 この(食うか・食われるか)の関係から、人間の二つの基本的な心理状態が、形成された。

 @防衛機能と、A攻撃機能である。
 
 この防衛機能を、マイナス型と、私は呼んでいる。また攻撃機能を、プラス型と、私は呼んで
いる。

 人間の心理は、すべて、大きく分けて、この二つの集約され、そして分類される。たとえばよく
知られた防衛機制に、かん黙症がある。子どもは、かん黙することによって、他人との接触を
遮断し、自分の心の状態を守ろうとする。他人と接することによって、緊張状態が一挙に、自
分の心理状態を不安定にすることを、知っているからである。

 このかん黙症は、まさにここでいうマイナス型ということになる。そしてこのマイナス型の反対
側にあるのが、プラス型である。かん黙児に対して、そう状態の子どもを、想像すればよい。

 ほかにたとえば引きこもりを、マイナス型とするなら、集団を作って暴走行為をするような非
行は、プラス型ということになる。

 こうして分類していくと、一見、複雑に見える子どもの心理も、簡単に理解できるようになる。
もう一つの例だが、たとえばつい先日、私は、ピーターパン・シンドロームについて書いた(マガ
ジン投稿済み)。

 もっともらしい症状と、もっともらしい原因が、あちこちで議論されているが、あれなども、大人
拒否症、もしくは、親拒否症の一つとして理解すると、何でもなくなってしまう。

 このタイプの子どもは、おとなになること自体を拒否している。あるいは親に対して、何らかの
おおきなわだかまり(固着)をもっている。それが原因で、親を拒否している。つまりピーターパ
ン・シンドロームは、恐怖恐怖症や高所恐怖症、さらに対人恐怖症や集団恐怖症の一つと考
えられる。

 それをマイナス型というか、プラス型というかの判断は別として、こうした恐怖症もまた、人間
がまだ原始動物の時代に見につけた感覚ということになる。言うまでもなく、襲いくる危険から
身を守るためである。(もちろん防衛という意味では、マイナス型になるが……。)

 そこで私は、サルやイヌよりも原始的な動物を、念頭において、人間の心理を考えてみた。
恐らく、こうした試みしたのは、世界でも、私がはじめてではないかと思う。私は、ほかに例を知
らない。それが冒頭に書いた、(食うか・食われるか)の関係から生まれた、人間の二つの基
本的な心理状態である。

 この先は、もう少し煮つめてから、文章にしてみる。たいへんおもしろい考え方ではないかと、
どこか自画自賛ぽいが、自分ではそう思っている。


●攻撃と防衛

 人間の行動は、(攻撃)と(防衛)の二つに、大別できる。そして同時に、それを支える心理
も、(攻撃的心理)と、(防衛的心理)の二つに大別できる。

 ほどよい心理状態の人は、常にこの二つの心理を、同時に働かせて、バランスをとる。その
作用のし方は、交感神経、副交感神経の働きに、どこか似ている。

 (攻撃的心理)が亢進しても、また(防衛的心理)が減退しても、見た目には、子ども(人)は、
プラス型の心理状態になる。

 一方(攻撃手心理)が減退しても、また(防衛的心理)が亢進しても、見た目には、子ども(人)
は、マイナス型の心理状態になる。

これらを表にすると、こうなる。

(1)(++型)(攻撃的心理と防衛的心理が亢進した状態)

 たとえば、かんしゃく発作

(2)(+―型)(攻撃的心理が亢進し、防衛的心理が減退した状態)

 たとえば、非行、活発型自閉症

(3)(―+型)(攻撃的心理が減退し、防衛的心理が亢進した状態)

 たとえば、引きこもり、かん黙症

(4)(−−型)(攻撃的心理と防衛的心理が減退した状態)

 たとえば、うつ

 ここにあげた(例)は、あくまでも、おおざっぱに考えてみただけで、正確ではない。しかし子ど
も(人)の心理の分類のし方のひとつとして、参考にしてみてほしい。

 今は、まだ、よくわからない点もあるが、私は、人間の心理は、それほど、複雑ではないので
はないかと思い始めている。宇宙の方程式が、アインスタインによって、簡単な方程式で表さ
れたように、人間の心理も、意外と簡単な方程式で表されるのかもしれない。

 それについては、これからも考えていくとして、子ども(人)の心理の一つの見方としては、先
にも書いたように、役にたつ。「あの子は、+−型だね」とか、そんなふうに、である。
(040212)

     ミ ( ⌒⌒ ) 彡
      ∞((((( )∞
      │6 6 b
      (" 。 "人
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     ○  ヽ ABC ○        このマガジンが、お役に立てそうな
   ̄ ̄ ̄ヽ  ヽ    ヽ ̄ ̄ ̄     方が、いらっしゃいませんか?
       ̄ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄         よろしくお伝えください!
【4】フォーラム∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

【近況・あれこれ】

●権威主義

 息子は、今、ホームステイ先のことで、オーストラリアのF総合大学と連絡をとっている。しか
し昨夜、その息子から、「まだ決まらない……」と不安そうな電話がかかってきた。

 そこで昨夜、その学長あてに、メールを打った。そしてその返事が、今朝早く来た。学長自身
からのメールである。いわく、「飛行機便が決まれば、教えてほしい。私のほうで手配する」と。

 日本では、いくらインターネット時代とはいえ、こういうことは、考えられない。大学の学長が、
一個人のために、ここまで、(気楽に)返事を書くだろうか。つまりここに、日本とオーストラリア
の大きなちがいがある。

 「日本は権威主義社会」とよく言われる。それはそのとおりで、それは、外国へ行ってみると、
よくわかる。いまだにあの『水戸黄門』が、日本人の国民的番組になっていることでもわかる。

 どうして葵の紋章を見せつけられたくらいで、頭をさげなければならないのか。その前に、どう
して水戸黄門が、偉いのか。だいたいにおいて、「偉い」というのは、どういう意味なのか。

 ワイフにそのメールのことを話すと、ワイフも、こう言った。「日本では、考えられないわね」
と。

 権威を認める、日本人。権威を求める、日本人。権威の中に、腰をおろす日本人。権威をか
さに威張る日本人。

 しかし今、こうした権威が、音をたてて崩れ始めている。よいことだ。そう、権威主義なんて、
クソ食らえ!

 どうして男が上で、女が下なのか。どうして親が上で、子が下なのか。どうして先生が上で、
生徒が下なのか。どうして夫が上で、妻が下なのか。こうしたバカげた権威主義は、私たちの
時代で、終わらせねばならない。


●幼稚園児の不登校

 愛知県のAさんという、マガジン読者の方より、相談が届いた。あまり詳しいメールではなか
ったので、事情はよくわからない。いわく、「幼稚園へ行くのをいやがります。どうしたらいいでし
ょうか」と。

 今、不登校児だけではなく、不登園児がふえている。当然のことながら、園児についても、不
登校児に準じて考える。集団恐怖症や、対人恐怖症なども、考えられる。ほかに、かん黙症
や、自閉傾向など。

 赤ちゃんがえりがこじれて、不登園になるケースもあるし、家庭教育の失敗が原因で、そうな
ることもある。それはちょうど、病気のときの発熱と似ている。不登園という症状だけをみて、一
つの原因に結びつけることは、できない。

 しかし不登校にせよ、不登園にせよ、本当の問題は、学校や園へ行かないことではない。た
いてい、その前後で、親自身が、子どもの症状をこじらせてしまうこと。しかもよかれと思って、
そうしてしまう。もちろん、こじらせているという意識は、親にはない。

 「このまま不登校児になってしまったら、どうしよう」「小学校へ行けるかしら」と。そういう不安
ばかりが先にたち、子どもには、無理をする。それこそ泣き叫んで抵抗する子どもを、無理や
り車に押しこんで、園へつれていったりする。

 しかしこの「一撃」が、症状を、かぎりなく悪化させる。本来なら、一過性ですんだはずの不登
校が、一年、二年とつづく。

(Aさんへ、詳しくは、私のHPの「不登校」「学校恐怖症」、もしくはインターネットディスク(HPの
「ビデオでごあいさつ」)に収録の、学校恐怖症を参考にしてください。トップページから、進んで
いただけます。トップページ→「タイプ別子育て論」もしくは、「ビデオでごあいさつ」へ。http://
www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)

 そして親をして親を不安にする原因は、言うまでもなく、学歴信仰である。「学校へ行けないこ
と」イコール、(落ちこぼれ)と、とらえる。日本人は、「学校」という言葉に、神話というにふさわ
しいほどの、独特のヒビキを感ずる。その呪縛(じゅばく)から逃れるのは、容易ではない。そ
の容易ではない分だけ、子どもが幼稚園へ行かなくなったりすると、親は、大あわてする。

 幼稚園など、行きたくなかったら、行かなくてもよい。……というのは、少し暴論に聞こえるか
もしれないが、それくらいの意識を、心のどこかで用意しておくことは、大切なことである。

 私がこの浜松市へ来たころには、一年保育と二年保育が主流だった。この浜松市でさえ、約
5%の子どもは、幼稚園にすら通っていなかった。それが3年保育となり、4年保育となった。さ
らに幼保一元化の流れを受けて、まさに幼稚園は、保育園の仕事までするようになった。

 それとも、たったこの30年で、日本人は、またまた進化したとでもいうのだろうか。

 その相談してきた親には、理解できないかもしれないが、私が親なら、息子にせよ、娘にせ
よ、こう言う。

 「ああ、そう。行きたくないなら、行かなくてもいいよ。自分で好くなことをしなさい。そうだ、これ
から二人で、動物園でも行ってこようか」と。

 実際、私とワイフは、自分の息子たちに、よくそうした。多いときは、毎月のように、そうした。
今でも、あの解放感を、忘れることができない。

で、そしてつぎに、子どもには、こう言う。

 「そのうち、行きたくなったら、行けばいいよ」と。

 どうして日本人には、こういう余裕がないのか。自分の子どもの心を守る前に、自分の子ども
を、社会のワクの中に、押しこめようとする。そしてそのワクの中に入らないからといって、わめ
いたり、泣き叫んだりする(失礼!)。

 学校以外に道はなく、学校を離れて道はない。そういう道だけが、本当に、あるべき道なの
か。幸福になる道は決して、一つではない。同じように、おとなになる道は、決して一つではな
い。

 アメリカでは、ホームスクーラーが、200万人を超えた。そしてホームスクーラーどうしが、グ
ループをつくって、交遊したり、活動したりしている。望めば、家庭まで、州政府が先生を派遣し
てくれる。

 一方、この日本はどうかというと、これまた驚いた。先日、不登校児を指導するNPO(Non-P
rofit Organization・特定非営利活動法人)のホームページを見たが、そこには、こう書いてあっ
た。

 「私たちの目的は、子どもを再び、学校へ行けるようにすることです。だから現在、生徒数が
少ないことを、喜んでいます」と。

 NPO自体が、学校神話にとりつかれている? 学校へ行けない子どもを、落ちこぼれと、無
意識の世界で、そう思っている? であるとするなら、何がNPOだ! 

 短い相談だったが、私はそのメールを読みながら、そんなことを考えた。


●異常な負けず嫌い

 何かのゲームや試合で負けたり、算数の問題なのでまちいを指摘されたり、あるいは人前で
失敗したりすると、異常な、つまりふつうの子どもなら見せないような反応を示す子どもがい
る。

 ワーッと興奮的に泣き出したり、かたまってしまったり、かたまったまま、涙をポロポロとこぼ
したりする。

 他人との接触が、うまくできない子どもに見られる症状であることから、自閉症、もしくは自閉
傾向とも考えられるが、自閉症の子どもが、集団生活が困難なのとちがい、このタイプの子ど
もは、集団生活が、できなくない。(自閉症には、言語の発達障害が見られるが、このタイプの
子どもには、見られない。)

 自閉症の三大症状は、@対人相互交渉ができない、Aものごとに異常にこだわる(固執行
動)、B言語の発達障害である。

 これに対して、どこか自閉症的ではあるが、Bの言語の発達障害の見られない子どもを、ア
スペルガー障害児という。オーストラリアの小児科医のアスペルガーがつけた、名前である。

 で、子どものばあい、「障害」というレベルではなくても、それを薄めた症状を示すことはよくあ
る。たとえばADHD児についても、出現率は、約5%と言われているが、その傾向のある子ど
もも含めると、ずっと、多くなる。10人に1人は、いる。

 で、このアスペルガー障害についても、その傾向の見られる子どもは、少なくない。圧倒的に
男子に多いとされるが、兄弟で、似たような症状を示すことも多いので、遺伝的な要素がから
んでいるとみてよい。

 で、このタイプの子どもは、ある特定のことがらに、ふつうでない興味と関心を示す。たとえば
図鑑を、すべて読破して、暗記してしまうなど。科目でいえば、算数なら算数に、特異な才能を
示すこともある。

 一般論から言えば、「かたまる」という行為は、子どもの世界では、決して好ましいことではな
い。「がんこ」というのが、それ。

 子どもは自らをカラの中に押しこみ、外との世界を遮断することがある。遮断することによっ
て、自分の心を防衛しようとする。これを心理学の世界では、防衛機制という。よく知られた例
としては、かん黙症がある。

 この(がんこ)は、(意地)、もしくは(わがまま)と区別して考える。意地には、理由がある。わ
がままにも、それなりの理由がある。しかしがんこには、理由が、ない。

 で、自閉症はもちろん、アスペルガー障害にせよ、またそれを薄めた形の症状を示す子ども
にせよ、治療法は、まだ確立されていない。(効果的な指導法というのは、熱心な教育者たち
によって、提唱され、実践されてはいるが……。)

 だから指導法としては、そういう子どもであることを認めた上で、無理をしないで、その上で、
指導法を組み立てるしかない。無理をすれば、かえって症状をこじらせる。

 そのため、まず自分の子どもの心が、どういう状態であるかを、正確に知る。一番こわいの
は、無知なまま、我流の指導法なり、治療法を子どもに押しつけること。たとえばADHD児に対
して、半暴力的な指導を繰りかえすなど。

 かん黙児にしても、家の中ではふつうに会話をしたりするため、親が、それに気づくことは、
まずない。外の世界では、いつもどこか意味のわからない柔和な笑みをたたえていることが多
い。そのため、子どもを叱ったり、ばあいによっては、「園が悪い」「先生が悪い」と言い出したり
する。

 がんこな子どもも、そうである。

 このタイプの子どもは、叱れば叱るほど、ますますかたまってしまう。そしてつぎに同じような
状況になったとき、症状は、さらにこじれる。

 ある男の子は、2年間、お迎えの先生にあいさつをしなかった。また別の男の子は、自分の
席でないと、ぜったいに座ろうとしなかった。またさらに別の男の子は、毎日決まったズボンで
ないと、幼稚園へは行かなかった。

 大切なことは、あきらめて、子どもの見えない意識に従うしかない。あとは時間が解決してく
れるのを、待つ。たとえば満10歳くらいから、自己意識が急速に発達してくる。自分で自分を
コントロールしようとする意識と考えてよい。

 この意識が育ってくると、子どもは、自己コントロールするようになり、症状的には、つまり、
見た目には、わかりにくくなる。

 で、冒頭の話だが、もしそそのような症状が見られたら、そういうものとあきらめて、その場を
それとなくやりすごすのがよい。「うちの子は、負けず嫌い」と思えば、それでよい。「プライドが
強い」と思うのも、よい。ここにも書いたように、満10歳前後を過ぎると、こうした症状は、急速
に姿を消す。

Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

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どうかよろしくご協力くださいますよう、心からお願いします。

なお申しこみは、今からできます。配信は、3月1日からです。

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http://www.emaga.com/info/hhayashi2.html
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【講演会のお知らせ】
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。 
2・21 ……細江町「教育のつどい」
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
●二男のホームページができました。よろしかったら、
のぞいてやってください。
Soichi Hayashi (林 宗市のホームページ) http://dstoday.com
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●4月、10月期に、「賛助会」へご協力をお願いしています。
詳しくは、http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page323.html
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賛助会に協力してくださった方に、直筆のイラストをお送りします。詳しくは、賛助会コーナー
を、ご覧ください。(額は、ついていません。)
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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)+最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ)+
はやし浩司の世界(Eマガ)……総読者数(Nr. of Readers)、1260人(04年1月24日現在)
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
    Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
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●イラストは、パナソニックパソコン付録の、フリーソフトを使いました。
     >\
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子育て最前線の育児論by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi 
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【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞upto851

●子育ての目標

 親子とは名ばかり。会話もなければ、交流もない。廊下ですれ違っても、互いに顔をそむけ
る。怒りたくても、相手は我が子。できが悪ければ悪いほど、親は深い挫折感を覚える。「私は
ダメな親だ」と思っているうちに、「私はダメな人間だ」と思ってしまうようになる。

が、近所の人には、「おかげでよい大学へ入りました」と喜んでみせる。今、そんな親子がふえ
ている。いや、そういう親はまだ幸せなほうだ。夢も希望もことごとくつぶされると、親は、「生き
ていてくれるだけでいい」とか、あるいは「人様に迷惑さえかけなければいい」とか願うようにな
る。

 「子どものころ、手をつないでピアノ教室へ通ったのが夢みたいです」と言った父親がいた。
「あのころはディズニーランドへ行くと言っただけで、私の体に抱きついてきたものです」と言っ
た父親もいた。

が、どこかでその歯車が狂う。狂って、最初は小さな亀裂だが、やがてそれが大きくなり、そし
て互いの間を断絶する。そうなったとき、大半の親は、「どうして?」と言ったまま、口をつぐんで
しまう。

 法句経にこんな話がのっている。ある日釈迦のところへ一人の男がやってきて、こうたずね
る。「釈迦よ、私はもうすぐ死ぬ。死ぬのがこわい。どうすればこの死の恐怖から逃れることが
できるか」と。それに答えて釈迦は、こう言う。

「明日のないことを嘆くな。今日まで生きてきたことを喜べ、感謝せよ」と。

私も一度、脳腫瘍を疑われて死を覚悟したことがある。そのとき私は、この釈迦の言葉で救わ
れた。そういう言葉を子育てにあてはめるのもどうかと思うが、そういうふうに苦しんでいる親を
みると、私はこう言うことにしている。「今まで子育てをしながら、じゅうぶん人生を楽しんだでは
ないですか。それ以上、何を望むのですか」と。

 子育てもいつか、子どもの巣立ちで終わる。しかしその巣立ちは必ずしも、美しいものばかり
ではない。憎しみあい、ののしりあいながら別れていく親子は、いくらでもいる。しかしそれでも
巣立ちは巣立ち。親は子どもの踏み台になりながらも、じっとそれに耐えるしかない。

親がせいぜいできることといえば、いつか帰ってくるかもしれない子どものために、いつもドア
をあけ、部屋を掃除しておくことでしかない。私の恩師の故松下哲子先生*は手記の中にこう
書いている。

「子どもはいつか古里に帰ってくる。そのときは、親はもうこの世にいないかもしれない。が、そ
れでも子どもは古里に帰ってくる。決して帰り道を閉ざしてはいけない」と。

 今、本当に子育てそのものが混迷している。イギリスの哲学者でもあり、ノーベル文学賞受
賞者でもあるバートランド・ラッセル(一八七二〜一九七〇)は、こう書き残している。

「子どもたちに尊敬されると同時に、子どもたちを尊敬し、必要なだけの訓練は施すけれど、決
して程度をこえないことを知っている、そんな両親たちのみが、家族の真の喜びを与えられる」
と。

こういう家庭づくりに成功している親子は、この日本に、今、いったいどれほどいるだろうか。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●内政不干渉の原則

 それぞれの家庭には、外から図り知ることができない複雑な事情がある。一方、私たちはそ
れぞれが家庭をもち、子どもをもち、一つの生活をもっている。

しかしそれはあくまでも「一つ」。その一つを基準にして、他人の家庭をのぞいてはいけない。
いわんや批判したり、節介をしてはいけない。それぞれの人は、ぞれぞれに懸命に生きてい
る。あなたがそれらの人を、経済的に援助しているとか、社会的にめんどうをみているというの
なら話は別だが、そうでなければ、内政干渉はやめたほうがよい。

 私にも一人の知人(五五歳男性)がいる。実にノー天気な男で、いつも他人の不幸に顔をつ
っこんでは、あれこれ説教しては楽しんでいる。自分では、いっぱしの人生経験者だと思ってい
るらしい。

昔、私が家を新築するときやってきて、コンクリートの基礎を見ながらこう言った。「ここは六畳
間ですかア。六畳間はせまいから、使いものになりませんね。それに廊下が暗いですよ。日当
たりが悪いから……」と。やがて家が建つとまたやってきて、こう言った。「ここは風当たりが強
いですね。これではいけない。西側に塀をつくるといい。ははは、やっぱり六畳間は使い勝手
が悪いでしょう。それに南側には大きな木を植えるといい」と。

 それからも私の家にトラブルが起きるたびに、どこから聞きつけてくるのか、そのつどやって
きてあれこれ説教した。

「林君も、郷里にお母さんを残してたいへんですね。子どもが親のめんどうをみるのは当たり前
ですから、そろそろ実家へ帰ることも考えなくてはいけませんね」と。こちらの生活の根幹にか
かわるような問題を、ズケズケと平気で言う。

で、ある日とうとう私のほうがキレた。キレて、「二度と電話をしてこないでほしい」と言い切っ
た。が、そういうノー天気な人には、こちらの気持ちなどまるでわからない。半年もするとまた電
話がかかってきて、「今度、いっしょに台湾へ行きませんか。安いコースがありますから……」
と。

 こういう人は例外だとしても、他人の心に無神経な人はいくらでもいる。先日も私にこう言った
元幼稚園教師がいた。「林先生の息子さんは、今どちらの大学に? 先生の息子さんのことで
すから、さぞかしいい大学に行っておられることでしょうね」と。

思わず「高校は中退で、今は家でゴロゴロしています」とウソを言いそうになったがやめた。こう
いうウソは相手を喜ばすだけだ。もともとこのタイプの人は、こちらの心配など、何もしていな
い。

いわゆる「アラ(欠点)」をさがしては、そのアラをまた別の人に伝えては楽しんでいるだけ。先
の知人も、口が軽いことこの上なし。何かを相談したら最後。その話は一夜のうちに皆に伝わ
ってしまう……。

 内政不可侵の原則。それを守るか守らないかは、あなたの勝手だが、これだけは言える。そ
れを守らないと、あなたは確実に嫌われる。

    ミ ( ⌒⌒ ) 彡
      ∞((((( )∞
      │6 6 b
      (" 。 "人
     ヽ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄ヽ
     ○  ヽ ABC ○
   ̄ ̄ ̄ヽ  ヽ    ヽ ̄ ̄ ̄    何か、テーマがあれば、
       ̄ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄        掲示板にお書き込みください。

【2】特集∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●青春・再来

 できのよい息子や娘をもつと、もう一度、人生を楽しむことができる。しかしできの悪い息子
や娘をもつと、老後は憂うつで、死んでも死にきれない。

 その「ちがい」は、どこから生まれるのか。

 結局は、子どもの「自立」の問題ということになる。子育ての最終目標は、子どもを、よき家庭
人として、自立させること。子育ては、「自立」に始まって、「自立」に終わる。
 
 我が家も、私が50歳をすぎたころから、家計が急速にきびしくなった。若いころは、無理がで
きた。その無理をしながら、がんばることができた。しかし50歳をすぎてからは、その無理がで
きなくなった。その上に、不況が重なった。

 こういう仕事は、一品ずつ、手作りの料理を売るような仕事である。大量生産はできないし。
一品ずつ、その場で、でき・ふできが判断される。できが悪ければ、そのまま見捨てられる。権
力や権威とは、まったく無縁。

 いくら私が、心の中で、「私がしていることは、ほかとはちがう」と叫んでも、親たちが、それを
評価してくれなければ、それでおしまい。

 そんなわけで、私は、おそらくどんな人もそうだろうが、50歳をすぎるころから、「老後」をどん
と感ずるようになった。

 が、そんなとき、ちょうど、息子や娘が、青春時代にさしかかる。

 こんなことがあった。

 ある朝、息子の部屋の前を通りすぎると、ドアが半分、開いていた。私はそのドアを閉めるつ
もりで、ふとベッドのほうを見ると、枕元に二つの顔が並んでいるではないか。瞬間私は、乱視
かと思った。目をこすった。

 が、よく見ると、一つは息子の顔。もう一つは、見たこともない女の子の顔だった。その二つ
の顔が、頬を寄せあって、眠っている。それ以上は、よく見なかったが、二人ともうっとりするほ
ど、満足そうな顔をしていた。

 居間へおりていき、ワイフに、「なあ、お前、あのな、女の子がいるぞ」と話すと、ワイフは、
「あの子がねえ……」と笑った。

 実のところ、私も学生時代、よくガールフレンドの家に忍びこんで、一夜をすごしたものだ。今
のワイフの部屋にも、何度か、窓から忍びこんだこともある。そんな私たちだから、どうして息
子を叱ることができるだろうか。

私「あいつのやることは、何でも、ぼくより2年、早い」
ワ「そういうものよ。時代が時代だから……」と。

 しかし私は何というか、自分自身がそのとき、息子といっしょに、その青春時代に生きている
ような錯覚にとらわれた。心の中が、ポッと暖かくなったのを感じた。

 少し話はそれるが、青春とは、何か?

ウィリアム・シェークスピアの「ロメオとジュリエット」の中で、ロメオとジュリエットがはじめてベッ
ドで朝を迎えるとき、どちらかだったかは忘れたが、こう言う。

 「A jocund day stands tip-toe on a misty mountain-top」と。「喜びの日が、モヤのかかった
山の頂上で、つま先で立っている」と。

本来なら喜びの朝となるはずだが、その朝、見ると山の頂上にモヤにかかっている。モヤがそ
のあとの二人の運命を象徴しているわけだが、私はそのシーンになると、たまらないほどの切
なさを覚える。

そう、オリビア・ハッセーとレナード・ホワイティングが演ずる「ロメオとジュリエット」はすばらし
い。本当にすばらしい。私はあの映画を何度も見た。ビデオももっている。サウンドトラック版の
CDももっている。その映画の中で、一人の若い男が、こう歌う。ロメオとジュリエットが、はじめ
て顔をあわせたパーティで歌われる歌だ。

 「♪若さって何?
   衝動的な炎。
乙女とは何? 
氷と欲望。
世界がその上でゆり動く……」
 
 この「ロメオとシュリエット」については、以前、「息子が恋をするとき」というエッセーを書いた
ので、このあとに添付しておく。

 子育てをしていて、「すばらしい」と思うことがよくある。自分の命よりも大切なものが、教えら
れるとき。たとえミニチュアな世界であるにせよ、神の愛や仏の慈悲を、実感できるとき。

 そして、こうしてもう一度、自分の青春を確認できるとき。

よく誤解されるが、青春は、決して人生の出発点ではない。青春は、人生の目標であり、ゴー
ルなのだ。人は年をとる。年をとることで、知識や経験を身につける。しかしそういた知識や経
験に、どれほどの意味があるというのか。人は、青春から遠ざかれば遠ざかるほど、結局は、
その青春にもどっていく。

 理由は簡単だ。

 知識や経験が多くなればなるほど、それが雑音となって、人は、あのころの純粋で、美しい心
を忘れる。あるいはそれがわからなくなる。見失う。しかし息子や娘の青春時代を通して、改め
て、自分の青春時代を思い知ることができる。

 子どもの「自立」を書いているうちに、いつの間にか、こんな話になってしまった。しかしこれ
も、親だけが知りえる、親の気持かもしれない。どこか切なく、どこかほろ苦く、どこか甘美。

 そう、息子や娘が、その青春時代を終えるころ、私やあなたも、その人生を終える。つまりは
二度目の青春時代とともに、この世から消えるということ。願わくは、そういう人生であってほし
い。「死んでも死にきれない」のではなく、豊かな思い出とともに、この世から消えたい。それ以
上、私は、人として、親として、何を望むことができるのか。

 何ともまとまりのないエッセーになってしまったが、結論は、同じ。

 できのよい息子や娘をもつと、もう一度、人生を楽しむことができる。しかしできの悪い息子
や娘をもつと、老後は憂うつで、死んでも死にきれない。

++++++++++++++++

●息子が恋をするとき

 栗の木の葉が、黄色く色づくころ、息子にガールフレンドができた。メールで、「今までの人生
の中で、一番楽しい」と書いてきた。それを女房に見せると、女房は「へええ、あの子がねえ」と
笑った。その顔を見て、私もつられて笑った。

 私もちょうど同じころ、恋をした。しかし長くは続かなかった。しばらく交際していると、相手の
女性の母親から私の母に電話があった。そしてこう言った。

「うちの娘は、お宅のような家の息子とつきあうような娘ではない。娘の結婚にキズがつくから、
交際をやめさせほしい」と。

相手の女性の家は、従業員三〇名ほどの製紙工場を経営していた。一方私の家は、自転車
屋。「格が違う」というのだ。この電話に母は激怒したが、私も相手の女性も気にしなかった。
が、二人には、立ちふさがる障害を乗り越える力はなかった。ちょっとしたつまづきが、そのま
ま別れになってしまった。

 「♪若さって何? 衝動的な炎。乙女とは何? 氷と欲望。世界がその上でゆり動く……」と。

オリビア・ハッセーとレナード・ホワイティングが演ずる「ロメオとジュリエット」の中で、若い男が
そう歌う。たわいもない恋の物語と言えばそれまでだが、なぜその戯曲が私たちの心を打つか
と言えば、そこに二人の若者の「純粋さ」を感ずるからではないのか。

私たちおとなの世界は、あまりにも偽善と虚偽にあふれている。年俸が一億円も二億円もある
ようなニュースキャスターが、「不況で生活がたいへんです」と顔をしかめてみせる。一着数百
万円もするような着物で身を飾ったタレントが、どこかの国の難民の募金を涙ながらに訴える。
暴力映画に出演し、暴言ばかり吐いているタレントが、東京都やF国政府から、日本を代表す
る文化人として表彰される。

もし人がもっとも人間らしくなるときがあるとすれば、電撃に打たれるような衝撃を受け、身も心
も焼き尽くすような恋をするときでしかない。それは人が人生の中で唯一つかむことができる、
「真実」なのかもしれない。そのときはじめて人は、もっとも人間らしくなれる。

もしそれがまちがっているというのなら、生きていることがまちがっていることになる。しかしそ
んなことはありえない。ロメオとジュリエットは、自らの生命力に、ただただ打ちのめされる。そ
してそれを見る観客は、その二人に自分自身を注入し、身を焦がす。涙をこぼす。

しかしそれは決して、他人の恋をいとおしむ涙ではない。過ぎ去りし私たちの、その若さへの涙
だ。あの無限に広く見えた青春時代も、過ぎ去ってみると、まるでうたかたの瞬間でしかない。
歌はこう続く。「♪バラは咲き、そして色あせる。若さも同じ。美しき乙女も、また同じ……」と。

 相手の女性が結婚する日。私は一日中、自分の部屋で天井を見つめ、体をこわばらせて寝
ていた。六月のむし暑い日だった。ほんの少しでも動けば、そのまま体が爆発して、こなごなに
なってしまいそうだった。

ジリジリと時間が過ぎていくのを感じながら、無力感と切なさで、何度も何度も私は歯をくいしば
った。しかし今から思うと、あのときほど自分が純粋で、美しかったことはない。そしてそれが
今、たまらなくなつかしい。

私は女房にこう言った。「相手がどんな女性でも温かく迎えてやろうね」と。それに答えて女房
は、「当然でしょ」というような顔をして笑った。私も、また笑った。(中日新聞投稿済み)
(040208)

【3】心に触れる(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞691

●小さな心構え

 公園の前に、小さな車が止まった。「?」と思って見ていると、一人の女性(35歳くらい)が、
ゴミのつまったポリ袋をもって出てきた。さらに「?」と思って見ていると、その女性は、そのポリ
袋を、公園の中に設置してある、ゴミ箱の中に入れた。

 かなり手なれた様子だった。いつもそうしているのだろう。

 こういう人は少なくない。小ズルイというか、コスイというか……。「コスイ」というのは、郷里の
G県の言葉で、人の目を盗んで、要領よく立ちまわることをいう。

 しかしそういう人たちは、わずかな「便利」と引きかえに、もっと大切なものをなくす。そしてそ
の大切なものは、一度なくすと、それを取りもどすのは、容易ではない。つまり、誠実な心をなく
す。

私「お前は、ああいうことを、しない女性だね」
ワ「私は、ああいうことはできないわ」
私「どうして?」
ワ「父さんが、いつも、そう言っていた。そういうズルイことをするな、ってね。子どものときから
……」

 私は、ワイフに、私が子どものころ見た、一人の女性(当時、40歳くらい)の話をした。いつだ
ったか、町内で、遠足か何かに行ったときのことだった。

 その女性は、ゴミを、クルクルと手でまるめると、そのゴミをもったまま、その手を、木の植え
こみの中に突っこんだ。食事のあとか何かにできたゴミだったと思う。そのときも私は、「?」と
思いながら、それを見ていた。が、その女性が、つぎに、手を植えこみから抜いたときには、そ
のゴミは、その女性の手から、きれいに消えていた。

 それはまさに手品みたいだった。早業(はやわざ)というか、ほんの瞬間のできごとだった。

私「あの女性のことは、よく知っているよ」
ワ「その女性は、どうなったの?」
私「つい先日、なくなったということだそうだが、実に見苦しい人だったよ」
ワ「そうなっても、おかしくないわね」

 私も、小ズルイという点では、ほかのだれにもひけをとらなかった。当時は、そういう時代だっ
た。戦後の混乱期で、親たちにしても、食べていくだけでも、精一杯だった。

 しかし私は、そういうことはしなかった。私の小ズルさというのは、もっと商人的なものだった
ように思う。10円で買ったおもちゃを、友だちに15円で売りつけるなど。父親が商人だったか
らではないか。そういう知恵だけは、よく働いた。

 しかしゴミを、そうでないところに捨てたことはない。当時は、ゴミについては、それほどうるさ
く言わなかったが、それでも、しなかった……と思う。そういうことをするという、思考回路そのも
のが、頭の中には、なかった。

 だから私が誠実な人間というわけではないが、今、冒頭に書いたような女性を見ると、心底、
ゾッとする。そのときも、車からおりて、その女性を叱りたい衝動にかられた。しかしよくよく考
えてみれば、その女性などは、まだよいほうだ。

 私の家の横にある、竹やぶなどは、まさにかっこうのゴミ捨て場。一歩、竹やぶの中に入る
と、そこはポリ袋のゴミだらけ。いくら立て札を立てても、意味はない。立て札そのものが、抜か
れて捨てられる。ずいぶんと前だが、「偉そうなことを言うな」という落書きがしてあったこともあ
る。

 で、私は考えた。考えて、行動に出た。

 私は家に帰ると、竹やぶの清掃を始めた。ほぼ一年ぶりである。以前は、毎月のようにして
いたが、去年の冬、地主といざこざがあってから、するのをやめた。だから、そのときから、竹
やぶは、ゴミの山! 

竹やぶの清掃は、決して楽ではない。細い竹、太い竹が、無数に生えていて、それを行く手を
はばむ。少し油断をすると、枯れた細い枝が、顔や目をつつく。痛い。

が、その清掃が終わったころ、あの女性に対する怒りは消えていた。心地よい、さわやかな汗
を感じた。それをぬぐいながら家に入ると、ワイフがこう言った。「日本ソバでも食べる?」と。
私は、「ウン」と言って、小さなノコギリを棚にしまった。

 食べているとき、またあの女性の話になった。

私「一事が、万事だね」
ワ「きっとあの女性は、いつも見苦しいことをしていると思うわ」
私「でもね、ぼくたちだって、あの女性と、それほど違わないと思うよ」
ワ「……」
私「それをするかしないかは、ほんの小さな心構えで決まるから」と。

 そう、ほんの小さな心構えで決まる。それが積もり積もって、一つの行動パターンができる。
そしてその行動パターンが、いつか、その人の人格をつくる。そしてその人格が集合して、国民
性となり、さらに大きく集まって、人間性となる。

 ソバを食べ終わるころ、私は、こう言った。「いつか、人間がみな、その小さな心構えを、自然
に守れるようなれば、この地球は、本当に住みやすくなるのにね。むずかしいことではないん
だよね。ほんの小さな心構えだよ」と。

 ワイフも、それに同意した。
(040208)

【教訓】
 あなたはあなたの子どもの目の前で、決して、見苦しい姿を見せてはいけない。しかし油断を
すると、無意識のうちに、見苦しい姿を見せてしまうことがある。では、どうするか?

 子どもがいるとかいないとか、あるいはだれかが見ているとか見ていないとか、そういうこと
は、関係ない。あなた自身の問題として、他人の目を意識することなく、常日ごろから、自分の
行動を律する。

 約束は守る。ルールは守る。人に迷惑をかけない。ウソをつかない。自分に正直に生きる。

 何でもない、こうした行為の積み重ねがあって、やがてあなたは、(あなた)をつくる。そういう
(あなた)があってはじめて、あなたは、子どもに、自分の見苦しい姿を、見せないですむ。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●あなたは善人か?

 善人ぶることぐらい、簡単なことはない。それらしい顔をして、それらしくふるまえばよい。

 そんな演技なら、そこらの三文役者にだって、できる。

 しかし演技は、演技。長つづきしない。息が切れたとき。気力が薄れたとき。ボロが出る。

 実は、あなたも同じ。一生というスパン(時間的幅)で、あなたや私を見ると、同じようなことが
起きる。

 若いときは、集中力もあり、注意力もある。日ごろはそうでなくても、人前では、それなりによ
い人ぶることはできる。自分の悪い面は、できるだけ人に見せないようにすることができる。

 が、人も、50歳をすぎるころから、その集中力や注意力が、急速に衰えてくる。と、同時に、
その人の中身が、外にモロに出てくるようになる。自分を隠そうとか、飾ろうとか、あるいはごま
かそうとか、そういう意識そのものが、弱くなる。

 そうなったとき、あなたは、それに耐える自信があるか。つまりモロに出してもよいだけの、自
分が、できているか。

 実は、これは私にとっては、切実な問題である。

 私は生まれも育ちも、それほど、よくない。子どものころは、人の目を盗んで、コソコソと悪い
ことばかりしていた。相手の機嫌をとるために、愛想もよかった。ウソもよくついた。口もうまか
った。

 そういう自分に気がついたのは、学生時代だったが、それと本気で戦うようになったのは、4
0歳を過ぎてからではなかったか。つまり、気がつくのが、あまりにも遅すぎた。

 今は、何とか、まだ自分を隠している。飾っている。ごまかしている。外の世界では、結構、善
人ぶっている。しかしそんな自分が、いつまでつづくことやら……?

 たとえば自転車に乗っていて、信号が黄色から赤になったとする。そのとき私は、道の両側
を見て、車がないときには、思わず、信号を無視して、道路を渡りたくなる。

 私はそういうとき、自分にこう言って聞かせねばならない。「浩司、ルールを守れ」と。

 つまりそういうふうに、自分に言って聞かせねばならないところに、私自身の問題がある。誠
実な人なら、そんなことを、自分に言って聞かせるということもないだろう。ごく自然な形で、す
なおにルールに従うにちがいない。

 しかし私には、それができない。

 たとえば昨日も、公園のゴミ箱の中に、家庭でできたゴミを捨てていく女性を見た。そのとき
何とも言えない不快感に襲われた。しかしそう感じたのは、自分自身の中にある、(いやな部
分)を、見せつけられたためではないのか。

 こういうのを心理学では、反動形成という。教会の牧師が、セックスの話を、ことさら嫌ってみ
せたり、女遊びばかりしている父親が、自分の娘の交際には、ことさらきびしくしたりするのが、
それにあたる。

 私とて、ふと油断をすると、その女性と同じことをするかもしれない。だから口では、その女性
を非難し、善人ぶっているが、中身は、ほとんど、ちがわない。

 だから今、私は、努めて、自分を作りなおそうとしている。約束は守る。ルールは守る。人に
迷惑をかけない。ウソをつかない。自分に正直に生きる、と。

 しかし自分の中にしみこんだ体質を変えるのは、容易なことではない。体質というのは、そう
いうもので、もともと意識でコントロールできるようなものではない。いや、コントロールはできる
かもしれないが、その「しみ」までは、消すことができない。

 やがて私は、見苦しい老人になるだろう。自分でも、それがわかっている。道路にペッとつば
をはいたり、ゴミを道路に、ポイと捨てたりするようになるだろう。ウソもつくようになるだろうし、
ヘラヘラと相手の機嫌をとったりするようにもなるかもしれない。私は、もともとは、そういう人
間なのだ。

 だから今でも、かんでいたガムなどを、ふと道路に吐き捨てたくなるときがある。「だれも見て
いないからいいではないか」と。しかしそういうときでも、私は、「それをしたらおしまい」と、自分
に言って聞かせなければならない。ぐいとがまんしなければならない。

 そうでない人が聞いたら、バカな話に聞こえるかもしれないが、あえて、ぐいと構えなければ
ならないところが、私自身の人間性の限界ということにもなる。

 そこで教育論ということになるが、もしあなたがあなたの子どもに、私が今しているような苦労
をさせたくなかったら、あなた自身が、今、この時点で、自分を律することだ。あなたが今、そう
であるのは、しかたないとしても、その悪癖(へき)を、決して、あなたの子どもに伝えてはいけ
ない。

 こう書くとバレてしまうが、今の「私」をつくったのは、私のまわりに、そういう家庭環境があっ
たからにほかならない。だれとはここには書けないが、ともかくも、そういうことになる。

 さてさて、あなたは、本当に善人か。一度、自分の心の中をのぞいてみるとよい。そしてもし
あなたの中に邪悪なものがあれば、今からでも、それと戦ったほうがよい。そうすることは結局
は、あなた自身のため、ということになる。
(040209)

【追記】
 今のところ、私は、この30年以上、人からモノやお金を借りたことがない。またこの30年以
上、ゴミや空き缶を、捨ててはいけないところに捨てたことがない。ツバについては、1968年
の夏以来、道路やそういうところに吐いたことがない。ツバについてのエピソードは、また別の
ところで書きたい。

     ミ ( ⌒⌒ ) 彡
      ∞((((( )∞
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   ̄ ̄ ̄ヽ  ヽ    ヽ ̄ ̄ ̄     方が、いらっしゃいませんか?
       ̄ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄         よろしくお伝えください!
【4】フォーラム∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●痰とツバ

 人には、それぞれ、思い出すだけでも不愉快な、おぞましいできごとがある。その話になる
と、思わず、顔をそむけたくなるような、できごとである。

 この話も、そうだ。

 あれは、もう夏も終わりに近づいたころのことだった。私は、そのとき、ひとりで、会議室の中
にいた。みなが、やがてその部屋にやってくるのを、窓のところに立って、待っていた。

 どうしてそのとき、ひとりでいたのかは知らないが、ともかくも、私はひとりでいた。

 私はUNESCOの交換学生として、そのとき、韓国のどこかの工業団地に招かれていた。日
本の経済援助で作られた工業団地である。その会議室は、その団地の一角の、三階建てビル
の二階にあった。

 今でこそ、日本と韓国の間には、国交もあり、ほぼ自由に行き来できる。が、当時はまだ、そ
の国交そのものがなかった。私たちは、一度、UNESCO、つまり国連に籍を置き、その代表
という形で、韓国に渡った。

 韓国は、そのとき、あとになって、「漢江の奇跡」と呼ばれる、大発展をつづけていた。一九六
八年の八月のことだった。

 が、それは決して楽しいものではなかった。プサン港へ着いたときこそ、ブラスバンドで迎えら
れたが、歓迎されたのは、その日一日だけ。あとはどこへ行っても、日本攻撃の矢面(おもて)
に立たされた。

 当時の、(今も基本的には同じだが)、韓国の人たちの日本人への憎悪感には、想像を絶す
るものがあった。

 そんなある日、私たちは、その工業団地に招かれた。当時、毎日のように、あちこちの団体
や経済団体からの招待を受けていたので、それがどういう団体だったかは、覚えていない。し
かし、私はそのとき、その会議室の中にいた。

 窓の外は、林になっていた。そしてその向こうには、別の工業団地が、並んでいた。私は窓
のふちに両手を置き、外の景色を見ていた。が、そのとき、ふと、何気なしに、本当に何気なし
に、からんだのどを、一度、カッとうならせて、痰を口の中まで吐き出した。と、同時に、痰とツ
バを、ペッと窓の外に吐いた。が、そのとき、私の呼吸に合わせるかのように、強い風がヒュー
と吹いた。

 痰とツバは、風に半ば押し戻されて、半開きになった大きなガラス窓に、ペタリと張りついた。

 「まずい」と思ったが、私にはどうすることもできなかった。廊下をゾロゾロと人が歩いてくる気
配がした。私は窓から離れると、別の方向にあった机の前に立った。とっさの判断だった。

 四、五人の仲間と、その会社の社長以下、十人前後が、何やら笑いながら、部屋に入ってき
た。が、そのあとのことは、よく覚えていない。

 私はその会議の間中、ずっと、小さくなっていた。ただ、うしろのほうでだれかが、その窓に張
りついた痰とツバに気づいたのは、覚えている。韓国語だったから、意味はわからなかった
が、上司が、部下を叱っているような言い方だった。私は、ますます小さくなった。

 生きた心地がしないというのは、ああいうときの心境を言うのだろう。私は、一応、日本の学
生を代表して、その場にいた。それはよくわかっていた。わかっていたから、ますます小さくなっ
た。

 そのときから、私は、痰はもちろん、ツバを道路に吐くのをやめた。やめたというより、できな
くなってしまった。それ以前の私はというと、痰とツバについては、平気で、道路に吐いていたと
思う。「思う」というのは、そういう意識もないほど、平気に、吐いていたということ。

 今でもあの日のことを思い出すと、ゾッとする。何というか、その日の記憶を、自分の中から
消し去りたい衝動にかられる。

 で、そのおかげというか、それで学んだというか、以来、36年になるが、私はただの一度も、
痰やツバを、道路や、そういうところへ吐いたことはない。当然といえば、当然だが、私は、そう
いうときは必ず、ハンカチかティシュ・ペーパーで受けている。

 これが私のツバに関する、いやな思い出。本当にいやな思い出。先にも書いたが、思い出す
だけでも、ゾッとする。

 以上、この話は、これでおしまい。二度と話すことはないと思う。
(040209)

【追記】この話は、この36年間、ワイフ以外のだれにも話したことがない。以前、一度、マガジ
ンの原稿に書こうと思ったことがあるが、そのときは、できなかった。どうしてか?

 今、こうして告白してみたが、反対に、ではなぜ、今まで人に話せなかったのかと、不思議な
感じもする。こうしてはじめて告白してみたが、どこか胸の中のつっかえが取れたような感じが
する。

 一つには、このところ自分のことを書きながらも、「私」というよりは、その「私」を超えた、「人
間」という立場で、ものを書いているからではないか。私という人間を、より客観的に見ることが
できるようになったためかもしれない。

 そのためもう、私には、自分を飾ろうという意識は、ほとんど、ない。あるがままの「私」を語る
ということは、同時に、あるがままの「人間」を語ることにもなる。そういう意識が、強くなった。

 もう一つには、こういう形で、自己開示をすることによって、私は「私」を取り戻そうとしている。
ありのままの自分を、ありのままに語る。それはまさに(さらけ出し)にほかならない。

 私は他人を信じなかった。同時に、他人に信じられることを恐れた。だれかが私を信じている
ようなことを言っても、私は、その言葉すら、信じなかった。そういう意味では、私は孤独な人間
だったと思う。

 しかしこうして(さらけ出し)をすることで、私は、読者のみなさんと、心のつながりを求めるよう
になった。言うまでもなく、人間の信頼関係を結ぶ、第一歩は、この(さらけ出し)である。私は、
若いころ、その(さらけ出し)をすることができなかった。

 いつも他人を疑う反面、自分を隠した。しかしこれでは、たがいの信頼関係は、結べない。私
は、いつまでたっても、孤独なままで終わってしまう。

 少しおおげさな感じがしないでもない。「たかが痰とツバの話ではないか」と思う人もいるかも
しれない。しかしごく最近まで、私は、こんな話すら、他人にすることができなかった。これは大
きな変化であると同時に、私にとっては、大きな収穫でもある。

 心のどこかには、この原稿は、ボツにしようかという思いもないわけではない。ワイフに見つ
かると、「ここまで書かなくてもいい」と言うかもしれない。が、思い切って発表してみることにす
る。みなさんは、このエッセーを読んで、どのように思うだろうか。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【近況あれこれ】

●みんなで変えていこう、日本の子育て

 4月からの講演会の問い合わせが、少しずつ、入るようになりました。が、今は、閑散期。こう
してのんびりと原稿を書けることを、喜んでいいのか、悲しんでいいのか……。

 今度、静岡県教育委員会・静岡県出版文化会の、派遣講師の一人に選任されました。もしお
近くの小学校や中学校、あるいは幼稚園で、講演会を予定なさるようなことがあれば、どうか、
一度、学校、幼稚園、もしくは、出版文化会のほうへ、問い合わせてみていただけませんか。

 みなさんのお近くへ、講師として、おうかがいできることを、楽しみにしています。

 問合せ先……054−255−4451(静岡県出版文化会・代表)

 「出版文化会派遣、講師の件で」と、おっしゃってくだされば、話がつながるようになっていま
す。

 みんなで力を合わせて、日本の子育てを少しずつ、変えていきましょう!


●がんの3・2%が、診断時における放射線被爆による!

 日本国内で、がんにかかる人の、何と3・2%は、X線レントゲンや、CT(コンピュータ断層撮
影法)による、放射線被爆によるものだという。このたびそんな調査結果が、公表された(2月
10日)。この割合は、世界各国とくらべても、ダントツに大きい。

 (調査したのが、日本の研究機関ではなく、イギリスのオックスフォード大学というのも、ショッ
キングなことだ。)

    日本  ……約3・2%
    ドイツ ……約1・5%
    カナダ ……約1・1%
    アメリカ ……0・9%
    イギリス ……0・5%ほか

 私が子どものころには、どこでどんな診察を受けても、ことあるごとに、X線レントゲンの検査
を受けた。

 最近でも、歯科医院へ行くたびに、その検査を受ける。私のばあい、幸いなことに、CTは受
けたことがないので、被爆量は、平均的かもしれない。(CTのばあい、X線レントゲンの放射線
量より、多い。)

 しかし診断時における検査で、がんになるとは! しかも3・2%と言えば、約25人に一人で
はないか! こんな数字をつきつけられると、何のための検査か、わからなくなってしまう。

 で、言うまでもなく、子どもには、X線レントゲン検査や、CTは、受けさせないほうがよい。今
では、園で、頭を少し打っただけでも、すぐCTを受けさせる親がいる。「きのう、CTを受けてき
ましたが、何ともありませんでした」と。しかしことは慎重に。

 Y新聞によると、「撮影するほど、医療機関の収入になる。設備投資を回収しようと、過剰な
検査をする場合もある」とのこと。どこか控え目な言い方だが、しかし医療機関の経営的な事
情で、私たちや、子どもたちが、がんにさせられたら、たまらない。


●どうして学長が……!

 福井県と石川県の県境にある、大長山(おおちょうざん)で、遭難事故があった。

 遭難事故を起こしたのは、関西にある、K大学のワンダーフォーゲル部の男子部員14人。こ
れらの学生たちは、昨日(2・9)、ヘリコプターによって、無事救出された。理由はともかくも、
私は、今朝(2・10)の朝刊を見て、驚いた。

 そこには、K大学のH学長が、5、6本も並ぶマイクの前で、深々と、頭をさげて謝罪する写真
が掲載されていた。

 コメントには、こうあった。「全員救出後の記者会見で、頭をさげるH学長(兵庫県N市のK大
学で)」と。

 しかしどうして学長が、頭をさげて、謝罪しなければならないのか?

 アメリカでもヨーロッパでも、大学の単位は、ほぼ共通化された。どこの大学で講義を受けて
も、どこの大学でも、通用するようになった。だから学生たちは、季節の衣服を脱ぎかえるよう
に、自由に、大学間を、渡り歩いている。

 去年まで、A私立大学だった学生が、今年からB州立大学で勉強しているということは、ザ
ラ。そういう国々では、どこの大学の属しているかということは、ほとんど、意味がない。

 大学にしても、大学の外で起きた事件には、いっさい、責任を取らない。取る必要もない。こ
れは高校についても、同じ。

 もう少しわかりやすい例で説明しよう。

 あなたが今、S総合病院へ、何かの病気で通院していたとしよう。そのあなたが、その病院か
ら帰る途中で、交通事故を起こしたとしよう。そのとき、S病院の院長が、「私の責任です」など
と、マスコミに向って、頭をさげるだろうか。……というのは、少し極端すぎるかもしれないが、
国際的に見れば、それほど、中身は、違わない。

 私はこの写真を見て、「日本の学歴社会は、こんなところにも生きている」と思った。つまり学
校という一つのワクが、「身分制度のよりどころになっている」と。

 たしかに遭難事故は起きた。しかしその事故を起こしたのは、大学生たちである。たまたまK
大学のワンダーフォーゲル部の部員たちであったというだけで、それ以上にも、それ以下に
も、大学とは関係ない。少なくとも、大学教育とは、関係ない。

 百歩話を譲って、もし、この日本でも、大学での単位が共通化されたら、こういう謝罪光景
は、ありえるかという問題がある。だいたいにおいて、大学名など、ことさら誇らしげにかかげ
て、登山する学生など、いなくなる。

 もともと大学名など、どうでもよい。(もっとも、アメリカなどにも、自分が在籍する大学名を大
きく印刷したTシャツを着て、得意になっているバカは、いくらでもいるが……。)いちいち大学
の看板を背負って、登山に行く必要など、どこにもない。

 日本人は、自分の身分や、よりどころ、心のルーツを、在籍大学や、出身大学に寄せること
で、自分のアイデンテティを、明確にしようとする。それはまさに、江戸時代の身分制度の名残
と考えてよい。

 そこの大学に在籍する学生もそうなら、またそれを受け入れる大学側もそうだ。だから、学長
自らがマスコミの前に現れて、深々と、頭をさげる……。

 何とも、日本的な光景である。もし学長がしていることが正しいとするなら、つづいて、親が頭
をさげればよい。さらにS市の市長も出てきて、頭をさげればよい。ついでに県知事も出てき
て、頭をさげればよい。みんな、頭をさげればよい。

 ……というのは、言いすぎだが、大学側にも、「ウチの学生」という、(ウチ意識)があることだ
けは、事実。私はこの(ウチ意識)が、日本的だと言っている。そしてこの(ウチ意識)が、その
まま日本の学歴社会の温床になっている。私は、それが問題だと言っている。


●Zセンターの破綻

 少し前、市内にある、Zセンター(通称「Zシティ」、ショッピングセンターの中央館)の経営破綻
について書いた。負債額が40億円弱。

 そこでこのH市は、急きょ、10億円を拠出して、経営を援助することになった。「市の活性化
を守る」というのが、大義名分らしい。

 しかしもともと今回の破綻は、目に見えていた。Sデパートという、それこそ生き馬の目を抜く
ような経営で知られた、あのSデパートが退去した、そのあと地にできた、Zセンターである。役
人とか、町の商店主とか、そういう素人たちが、少しくらいの知恵をしぼたくらいで、成功するは
ずはなかった。

 私は、このZシティの中にある、子ども館にも、問題があると思う。広報などによれば、H市
は、約5億円をかけて、この子ども館をつくったという。(5億円だぞ!)

 で、今は、ご多分にもれず、閑古鳥が鳴いている。今は知らないが、会館当時は、17人の専
属職員と、同じ数のボランティア職員がいた。(私が実際、数えてみた。)

 私も外国へ行くたびに、その地域にある、子ども館をのぞくようにしている。しかし日本の子ど
も館は、そういう子ども館とくらべてみると、まったく「心」が入っていないのが、わかる。

 ただ作りました……というだけの子ども館。設備だけは、やたらと豪華。(HTML版のほうで
は、外国の子ども館の写真を載せておく。)しかし豪華なだけ。子どもの心が、どこにも感じら
れない。

 まさに税金の使い道に困って作ったというのが、実は、このZセンターであり、子ども館という
ことになる。(内情はどうか知らないが、客観的に見れば、そうなる。)

 しかもその上、今後、経営がおかしくなるたびに、H市民の血税が、そこに注ぎ込まれること
になる。しかしどうして、私たちが、そういう一部地域の、一部商店主らを守るために、税金を
払わねばならないのか。

 それともあなたは、今、そうした商店主らがあなたの家にやってきて、「あなたの家は5人家
族ですから、1700x5イコールの、8500円払ってください」と言ってきたら、それをすぐに払う
とでもいうのだろうか。しかも、恐らく……というより、まちがいなく、これから先、市の財政がパ
ンクするまで、毎年!、それがつづく。

 しにせのMデパートは、2年前に経営破綻した。そして倒産した。今は、そのデパートは、「幽
霊ビル」と呼ばれている。重厚な化粧をしたが、今ではそれがかえって、アダとなった。不気味
な黒い影を、そのあたりにまき散らしている。

 そのことを思えば、Zセンターの破綻など、何でもない。思い切って破綻させて、その責任を、
追及すべき人や団体に、しっかりと追及すべきではないのか。今のまま、ズルズルと、先延ば
しにすればするほど、結局は、そのしわ寄せは、私たち市民にのしかかってくる。現に今、この
H市でも、国民保険料がつりあげられようとしている。

 道路や、建物や、そんなものばかり作っている。この原稿を読んでいるあなたの地域でも、同
じことが起きているはず。ボロボロの民家が並ぶところにさえ、場違いなほど立派な、公的な建
物が立っている。それはまさに、土建国家、日本の象徴ということにもなる。

 そんな予算があったら、そういうお金は、もっと、教育に使え。文化に使え。20年、30年後の
日本のために……。
(040210)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【無料マガジンは、今までどおり発行します!】

 仙台のSTさん、浜松のKYさん、東京都練馬区のKMさん、そして結城市のMTさん、励まし
のメール、ありがとうございました。それに多くの読者の皆さん、ありがとうございました。

 皆さんに、いらぬ心配をかけてしまったようですが、これからもがんばって、マガジンを発行し
ていきます。

 で、あれこれ迷ったことに対して、そのあと、STさん、KYさん、MTさんから、励ましのメール
をいただきました。お叱りのメールもいただきました。「こらっ、林、元気出せ!」(STさん)とい
うのも、ありました。

おかしなことに、乾いた、まっ白な砂漠で、小さな花を見つけたような気分でした。思わず涙ぐ
んでしまったと言えば、少し、おおげさでしょうか。

 本当に、ありがとうございました。

 マガジンも皆さんのおかげで、回数も360回を超え、また、読者の方も、毎回少しずつです
が、ふえています。

 読者の方の数は気にしないでおこうとは、いつも思っていますが、実際には、読者の数がふ
えるということは、大きな励みになります。

たとえばその朝起きてみて、2人とか3人とか、読者の方がふえていたりすると、その2人とか
3人の方に、がっかりさせたくなくて、原稿を書き始めます。「何だ、こんなマガジンだったのか」
と思われるのが、いやなんですね。

 ですから読者の皆さんにお願いすることがあるとするなら、このマガジンのことを、一人でも
多くの方に、話してほしいということです。「試し購読」という方法もあります。また購読の解約
は、簡単にできるようになっています。(マガジンの末尾にURLを添付しています。そこをクリッ
クすれば、解約できます。)

お知りあいの方で、興味をもってくださいそうな方がいらっしゃれば、くれぐれも、よろしくお伝え
ください。

 なお、これからも、元気がつづくかぎり、できるだけ、こうしてマガジンを発行していきます。こ
れからも、よろしくお願いします。

仙台のSTさん、浜松のKYさん、東京都練馬区のKMさん、そして結城市のMTさん、本当に、
ありがとうございました。今度ばかりは、本当に励まされました。これからもよろしくお願いしま
す。

 ここまでがんばれたのも、皆さんという読者の方がいらっしゃったおかげです。心からお礼申
しあげます。ありがとうございました。
(040208)

Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
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http://www.emaga.com/info/hhayashi2.html
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
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【講演会のお知らせ】
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。 
2・21 ……細江町「教育のつどい」
詳しい講演日時は、
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のぞいてやってください。
Soichi Hayashi (林 宗市のホームページ) http://dstoday.com
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を、ご覧ください。(額は、ついていません。)
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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)+最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ)+
はやし浩司の世界(Eマガ)……総読者数(Nr. of Readers)、1260人(04年1月24日現在)
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
    Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
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●イラストは、パナソニックパソコン付録の、フリーソフトを使いました。
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 ○\/│  //│\ \
 ゜\/│ // │ / /
   Γ ̄ ̄│──-\○
   │  │    \
【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞upto851

●子どもを使うということ

 忍耐力を養うためには、子どもは使う。ただ、「子どもを使う」といっても、何をどの程度させ
ればよいということではない。子どもを使うということは、家庭の緊張感の中に、子どもを巻き
込むことをいう。たとえばこんなテスト。

 あなたの子どもの前で、重い荷物をもって運んでみてほしい。そのときあなたの子どもがそれ
を見て、「ママ手伝ってあげる!」と言って飛んでくればよし。そうでなく、見て見ぬフリをしたり、
テレビゲームに夢中になっているようであれば、あなたの子どもはかなりのドラ息子、ドラ娘と
みてよい。

今は体も小さく、あなたの前でおとなしくしているかもしれないが、やがてあなたの手に負えなく
なる。

 昔、幼稚園で、母親たちの何かの集会があったときのこと。やってくる母親たちにスリッパを
出してあげていた子ども(年長男児)がいた。だれかに頼まれたわけではない。で、その子ども
は集会が始まると、今度は、炊事室へ行き、炊事室のおばさんに、お茶を出すからお茶をつく
ってほしいとまで言ったという。

たまたま彼の母親がその場にいたが、その母親は笑いながら、こう言った。「うちの子はよく気
がつくのですよ。先日は何かのセールスの人にまで、お茶を出していました」と。

 このタイプの子どもは、学習面でも伸びる。もともと「勉強」には、ある種の苦痛がともなう。そ
の苦痛を乗り越える力が、ここでいう「忍耐力」ということになる。

その忍耐力があるかないかも、簡単なテストでわかる。試しに子どもにこう言ってみてほしい。
「台所の生ゴミを始末して!」と。あるいは風呂場の排水口にたまった毛玉でもよい。あそのと
き「ハーイ」と言って、手で始末できれば、あなたの子どもはかなり忍耐力のある子どもとみる。

そうでない子どもは、「いやだ」「やりたくない」とか言って逃げる。年齢が大きくなると、「自分で
しな」「どうしてぼくがしなければいかんのか!」と言うようになる。そうなると、このしつけをする
のは、もう手遅れ。

 皮肉なことに子どもというのは、使えば使うほど、すばらしい子どもになる。一方、楽をさせれ
ばさせるほど、ドラ息子、ドラ娘になる。そういう意味でも、日本人は、「子どもを大切にする」と
いうことが、まだよくわかっていない? さらに「子どもをかわいがる」ということが、まだよくわか
っていない? 

子どもにベタベタの依存心をもたせながら、それがかわいがることだというふうに誤解している
人はいくらでもいる。しかしそうなればなったで、苦労するのは結局は子ども自身であることを
忘れてはいけない。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●三つの失敗

 子育てには失敗はつきものとは言うが、その中でもこんな失敗。

ある母親が娘(高校一年)にこう言ったときのこと。その娘はこのところ、何かにつけて母親を
無視するようになった。「あんたはだれのおかげでピアノがひけるようになったか、それがわか
っているの? お母さんが、毎週高い月謝を払って、ピアノ教室へ連れていってあげたからでし
ょ。それがわかっているの!」と。

それに答えてその娘はこう叫んだ。「いつ、だれがあんたにそんなことをしてくれと頼んだ!」
と。これが失敗、その一。

 父親がリストラで仕事をなくし、ついで始めた事業も失敗。そこで高校三年生になった娘に、
父親が大学への進学をあきらめてほしいと言ったときのこと。その娘はこう言った。

「こうなったのは、あんたの責任だから、借金でも何でもして、私の学費を用意してよ! 私を
大学へやるのは、あんたの役目でしょ」と。そこで私に相談があったので、その娘を私の家に
呼んだ。呼んで、「お父さんのことをわかってあげようよ」と言うと、その娘はこう言った。

「私は小さいときから、さんざん勉強しろ、勉強しろと言われつづけてきた。中学生になったとき
も、行きたくもないのに、進学塾へ入れさせられた。そして点数は何点だった、偏差値はどうだ
った、順位はどうだったとそんなことばかり。この状態は高校へ入ってからも変わらなかった。
その私に、『もう勉強しなくていい』って、どういうこと。そんなことを言うの許されるの!」と。こ
れが失敗、その二。

 Yさん(女性四〇歳)には夢があった。長い間看護婦をしていたこともあり、息子を医者にする
のが、夢であり、子育ての目標だった。そこで息子が小さいときから、しっかりとした設計図を
もち、子どもの勉強を考えてきた。が、決して楽な道ではなかった。

Yさんにしてみれば、明けても暮れても息子の勉強のことばかり。ときには、「勉強しろ」「うるさ
い」の取っ組みあいもしたという。が、やがて親子の間には会話がなくなった。しかしそういう状
態になりながらも、Yさんは息子に勉強を強いた。

あとになってYさんはこう言う。「息子に嫌われているという思いはどこかにありましたが、無
事、目標の高校へ入ってくれれば、それで息子も私を許してくれると思っていました」と。

で、何とか息子は目的の進学高校に入った。しかしそこでバーントアウト。燃え尽きてしまっ
た。何とか学校へは行くものの、毎日ただぼんやりとした様子で過ごすだけ。私に「家庭教師で
も何でもしてほしい。このままでは大学へ行けなくなってしまう」と母親は泣いて頼んだが、程度
ですめばまだよいほうだ。これが失敗、その三.

 こうした失敗は、失敗してみて、それが失敗だったと気づく。その前の段階で、その失敗、あ
るいは自分が失敗しつつあると気づく親は、まずいない。

    ミ ( ⌒⌒ ) 彡
      ∞((((( )∞
      │6 6 b
      (" 。 "人
     ヽ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄ヽ
     ○  ヽ ABC ○
   ̄ ̄ ̄ヽ  ヽ    ヽ ̄ ̄ ̄    何か、テーマがあれば、
       ̄ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄        掲示板にお書き込みください。

【2】特集∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

子どもの学習

●子どもの判断基準
 
 A先生と、B先生が、何かちがったことを言ったとする。そのとき子どもは、A先生と、B先生
のどちらの意見に従うだろうか。子どもは、選択を迫られるわけだが、しかし、問題は、どちら
を選択するかではなく、何を基準にして、どちらを選ぶか、である。以前、こんなことがあった。

 中学一年生の女の子に、英語を教えているとき、その女の子が、「I walk in the par
k.」という英文を、「公園の中を散歩しているわ」と訳した。

 そこで私が、「『私は公園の中を歩く』と訳しておきなさい」と言うと、その女の子は、猛然とそ
れに反発した。「先生の日本語は、おかしい」「この絵(テキストの挿絵)では、この人は、散歩
してる」と。

 その女の子は、長い間、英会話教室に通っていた。先生は、日本人と外人の、半々くらいの
教室だった。市内でも、有数の大規模校であった。

 こういうケースでは、子どもは、まず、その大規模校の先生の意見に従う。つまり私の言うこ
となど、聞かない。

私「『〜〜している』という言い方は、また別のところで勉強するから、今は、『歩く』と訳しておき
なさい。いつか、その理由を話してあげるから」
女「でも、おかしい。その日本語」
私「もともと英語がおかしいのだよ。君たちのレベルにあわせて、テキストを作ってあるのだか
ら」

女「ふつう、公園の中を歩いているとき、『私は公園の中を歩く』なんて、わざわざ言うかしら?」
私「しかたないよ。そう書いてあるのだから」
女「そんな日本語、おかしいわよ。今度、X先生(大規模校の先生)に聞いてみる」
私「ああ、聞いてみてごらん」と。

 実際には、子どもがこのような形で、反発するようになると、指導は、もうできない。教育に必
要な信頼関係そのものが消える。

 それはともかくも、子どもは、@規模の大きな方の先生の意見により従う。わかりやすく言え
ば、中身よりも、外見で、先生を判断する。

 ……と書いても、それは当然のことである。子どもには、まだ中身を見る力も、能力もない。
しかしこの問題には、もう一つ深刻な問題が、隠されている。

●謙虚さをなくす子どもたち

 この時期の子どもは、いろいろな意味で、生意気になる。生意気になるのが、悪いのではな
い。子どもは、生意気になることで、背伸びをする。背伸びをすることによって、自己主張を繰
りかえす。

 しかし学ぶことに対して、謙虚さまで、なくしてしまったら、おしまい。日本語には、「ナメル」と
いう言い方がある。この言葉にかわる正しい言葉を知らないので、その言葉をそのまま使う。
先生をナメルようになってしまったら、おしまい。

 子どもは自ら、自己中心的な世界へと入っていく。そして自分のまわりに、厚いカベを作って
しまう。同時にものの考え方が自閉的になる。つっぱり症状が現れることもある。

私「だから今は、『私は公園の中を歩く』としておいてよ」
女「ウッセエナー。しとけばいいんでしょ、しとけば……」
私「まあ、君がそれでいいというなら、それでもかまわないけど……」
女「だったら、最初から、そう言ってくれればいいじゃん。すなおに……」と。

●原因は、無理な学習+過剰期待

 抑圧された緊張状態が長くつづくと、子どもの心は、確実にゆがむ。(子どもでなくても、当然
だが……。)

 その抑圧された緊張状態の第一は、言うまでもなく、無理な学習と親の過剰期待。あるいは
親の過剰期待と無理な学習。どちらが先でもよいが、こういう環境で、子どもは、心をゆがめ
る。そしてそれが慢性的につづくと、独特の症状を示すようになる。

 なげやりな態度。
 無視的な反応。
 独特の歩き方(肩をいからせる。鋭い目つき。腕を下へブラブラさせる)。

 少しぐらい成績があがっても、決して親は満足しない。「もっと」「もっと」と子どもを追いたて
る。「うちの子はやればできるはず」という、信仰に似た考え方をもっている。子どもの能力を信
ずることは大切だが、親の過剰期待ほど、子どもを苦しめるものはない。

 子どもはやがて、その欲求不満の矛先(ほこさき)を、学校の教師や、塾の教師に向ける。本
来なら親に矛先を向けるのがよいが、このタイプの子どもは、親の前では、むしろおとなしい。
仮面をかぶる。

 「やればできるはず」と親に思わせることで、自分の立場を守ろうとする子どももいる。以前、
ある子ども(小五男児)に、「君の力は、君が一番よく知っているはずではないか。だったら、お
母さんに正直にそう言いなさい」と言ったことがある。しかしその子どもは、自分の力のことは、
決して母親に話さなかった。

 話せば話したで、自分のわがままが通らなくなる。つまりその子どもは、親に、「ぼくはやれば
できるはず」と期待させることで、自分の立場を守っていた。

 こうしたケースは、教室でもよく経験する。たとえば、私は以前、『悲しきピエロ』という原稿を
書いた。その中で、勉強のできない子どもが、わざとちょろけて見せて、皆を笑わせる子どもの
ことを書いた。皆を笑わせることによって、自分を隠すから、『悲しきピエロ』と呼んだ。

 「勉強ができない(バカ)」と思われるより、「おもしろい男」と思われるほうが、まだ気が楽だ
からである。

 親に「やればできるはず」と思わせる子どもの心理も、これに似ている。

●子どもの能力を知る

 子どもの能力を正確に知るということは、家庭学習の基本中の基本。そこでいくつかの鉄則
がある。

(1)「やればできるはず」と思ったら、「やってここまで」と思いなおす。
(2)「まだがんばれる」と思ったら、その一歩手前でやめる。
(3)ほどほどのところであきらめ、子どもをほめる。「よくやった」と。

 しかし実際には、これがむずかしい。親にしても、自分が見る子どもは、せいぜい自分の子
どもを含めて、一人か二人。子どもの能力というのは、多くの子どもと比較してみて、はじめて
わかる。

 はっきり言おう。子どもの知的能力は、決して平等ではない。たとえば小学五、六年生でも、
中学生でもなかなか解けないような、連立方程式の問題でも、独自の解き方で解いてしまう子
どもがいる。しかも瞬時に、スラスラと解いてしまう。

 その一方で、学習障害の子どもは別として、分数の意味すら理解できない子どももいる。こう
した「差」は、一生の間に、開くことはあっても、縮まることは、絶対にない。いわんや、その時
期の一、二年の間に、縮まることは、絶対にない。

 にもかかわらず、つまり分数の意味も、まだよくわかっていないような子どもに、東京の私立
中学の入試問題集を与えて、「やりなさい!」は、ない。

 多かれ少なかれ、どの親も、こうした無理を重ねる。そして結果として、子どものやる気を奪
い、成績をさげ、あげくのはてには、子どもの心まで破壊する。

●子どものリズムを見る

 どんな子どもにも、その子どもの学習リズムというものがある。このリズムを見守り、それを
育てていく。

 もし家庭での子どもの学習指導に王道があるとするなら、これが王道である。

 しかしこのリズムを作るのがたいへん。たとえば読書指導にしても、子どもが自然な形で、読
書を楽しむようになるまでに、数年はかかる。毎週、図書館通いをしても、それくらいの時間は
かかる。

 もっと簡単な例では、毎日の家庭学習がある。毎日学校から帰ってきて机に向かうという習
慣をつくるのにも、やはり数年はかかる。30分、毎日、書き取りや計算練習をさせるのも、そう
だ。

 それを親がある日、子ども叱って、「本を読みなさい」「勉強しなさい」と。私から見れば、もうメ
チャメチャな指導なのだが、その(メチャメチャさ)が、親にはわからない。

 しかもこのリズムは、たいへんもろい。作るのには、数年かかっても、こわすのは、たった一
週間でよい。数日でよい。一日でよい。

 「明日から進学塾で、週3回、勉強!」と。

 たったこれだけのことで、こなごなに破壊される。

 しかし親にはそれがわからない。わからないばかりか、破壊したという意識すら、ない。それ
がわからなければ、反対の立場で、考えてみることだ。

●自分のこととして……

 あなたにはあなたの生活のリズムがある。仕事をもっているなら、なおさらだ。そういうところ
へ、ある日だれかが入りこんできて、「明日から、毎日、30分、内職をしなさい」「来週から、時
間をつくって、週3回、清掃奉仕活動をしなさい」と言ったら、あなたはどうなるだろうか。どうす
るかではなく、どうなるか、だ。

 あなたの生活のリズムは、それでまったく狂ってしまう。ばあいによっては、何も家事が手に
つかなくなってしまう。

 さらに子どもは、学校という場で、毎日、八時間労働をしている。その労働の上に、さらに夜
の労働である。親は、子どもを、スーパーマンか何かのように思うかもしれないが、あなたと同
じ、人間である。ある意味で、あなたより、ずっとか弱い。

 夜の学習でがんばれば、その分だけ、昼間の学習(学校)が、おろそかになるだけ。どうし
て、世の親たちよ、こんな簡単なことがわからないのか!

 子どものリズムを感じたら、そのリズムを大切にする。守る。そしてそのリズムの上に、つぎ
のリズムを重ねていく。これが王道である。

 中には、その時期になると、(やらせればやらせるほどいい)と考えて、塾のかけもち、プラス
家庭教師……と、もうメチャメチャの上に、さらにメチャメチャな勉強を、子どもに強いるケース
もある。

 しかしこうなれば、失敗は、時間の問題。やがて子どもは、行き着くところまで行き、そこでプ
ッツン。大きな精神的なダメージを受けることも少なくない。

 そういう意味で、親というのは、因果な存在だ。自分で、行き着くところまで、行かないと、気
がつかない。そして気がついたときには、すべてが終わっている。

 子育てには失敗はつきものだが、その失敗を、事前に食い止めるのは、賢い親。行き着くと
ころまで行って、はじめて気がつくのは、愚かな親ということになる。今、その愚かな親が、あま
りにも多すぎる。
(040207)

【追記】

 今朝も、新聞の折込広告に、どこかの進学塾のものが入っていた。

 「新学習指導要領導入による学力低下を防止し、真の学力を身につけます」と、それにはあ
った。

 広告には、若い講師が、熱心に黒板に向って教えている写真が載っていた。しかしその姿
は、30年前の、私の姿でもある。

 ただ成績を伸ばせばよいというだけに指導が、いかに危険なものであるか。私はそれをいや
というほど、思い知らされている。その若い講師が、それに気づくのは、いつのことか。あるい
は、一生、それに気がつくことはないかもしれない。たいていの講師は、二〇年を待たないで、
そのまま転職していく。この世界では、ジジ臭い、中年講師は、お呼びではない。若さが勝負。

 友人のF氏。進学塾元講師、講師歴一六年。現在、コンピュータソフト会社経営は、こう言っ
た。「もう、あんな仕事は、コリゴリ。二度としたくない」と。まじめに考える人なら、皆、そう思うよ
うになる。
 
++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●非行の下地

 やがて非行に走る子どもになるかどうかは、小学四、五年生のころの子どもをていねいに観
察すればわかる。

 すさんだ態度、投げやりな行動、乱暴で短絡的なものの考え方、独特のしぐさなど。

 こうした兆候が見られたら、できるだけ早く親は、家庭環境のあり方を、猛省しなければなら
ない。しかし、親には、それがわからない。

 この時期は、ちょうど子どもの受験期にも重なる。親にしてみれば、「それどころではない」と
いうことになる。またそういう兆候を見たとしても、たいていの親は、「まだ、何とかなる」「そんな
はずはない」と、自ら否定してしまう。

 どの親も、こと子育てについては、まったくの無知の状態で始める。そして無知のまま、子育
てをつづける。それはしかたないとしても、なぜ、私のようなものが言う発言に、少しは耳を傾
けないのか?

 親は、私が「有知」であることすら、気づいていない。「うちの子のことは、私が一番よく知って
いる」と、思いこむ。思いこんで、私の意見を、無視する。

 つい先日も、子どものことであれこれ相談してきた母親がいた。「学校の先生がきびしすぎ
る」「友だちから仲間はずれにされる」「あちこちから乱暴したと、苦情を言われる。うちの子
は、何もしていないのに……」と。

 しかしその子ども(小五)は、一見しただけで、ADHD児とわかった。意味もなく手首を、パシ
ッパシッと、振って、落ちつかない様子を見せていた。しかし私が、そんな子どもも区別できな
いで、こんな仕事をしているとでも、思っているのか! ただ立場上、そうした診断名を口にす
ることができないだけだ!

 その親は、子どもに大きな期待を寄せているようだった。具体的には、今度新しくできたS中
学への入学を考えているようだった。で、そのために、どうしたらよいか、と。

 私はその話を聞きながら、内心では、「問題は、別のところにあるのに……」「もっとほかの部
分を、冷静に見たらいいのに……」と思った。そしてその親子が帰ったあと、「どうして親は、こ
うまで無知なのか」とさえ、思った。

 非行の問題も、まったく同じ。私には、その子どもの将来が、手にとるように、よくわかる。わ
かりすぎるほど、わかる。しかしそれを私のほうから言うのは、タブー。言う必要もないし、また
言ってはならない。ただひたすら、親のほうから相談があるまで、待つしかない。

 親がその兆候に気づき、「どうしたらいいか?」という相談があれば、そのときこそ、私の出番
である。しかしそういう親ほど、子どもに盲目。そしてその兆候を、みすみすと、見逃してしまう。
そしてあとはお決まりの……。

 ……とまあ、不毛なエッセーを書いても意味はない。

 こうした非行には、下地がある。その下地があるところに、何かの誘惑があると、子どもは、
何の抵抗もなく、非行への道へと入っていく。

 よく誤解されるが、子どもが非行の道に入るのは、非行の誘惑があるからではない。子ども
が非行に走るようになるのは、@その下地があり、Aそれに対する抵抗力がないからである。

 非行への誘惑など、そこらにあるばい菌のように、子どものまわりにウヨウヨとある。そのば
い菌に毒されるか毒されないかのちがいは、この抵抗力による。言いかえると、この抵抗力さ
え、しっかりとつけておけば、子どもは、非行に走ることはない。

 そういう観点で書いたのが、つぎの原稿である(中日新聞投稿済み)。

+++++++++++++++++++++

抵抗力のある子ども

 怪しげな男だった。最初は印鑑を売りたいと言っていたが、話をきいていると、「疲れがとれ
る、いい薬がありますよ」と。私はピンときたので、その男には、そのまま帰ってもらった。

 西洋医学では、「結核菌により、結核になった」と考える。だから「結核菌を攻撃する」という
治療原則を打ち立てる。

これに対して東洋医学では、「結核になったのは、体が結核菌に敗れたからだ」と考える。だか
ら「体質を強化する」という治療原則を打ち立てる。人体に足りないものを補ったり、体質改善
を試みたりする。これは病気の話だが、「悪」についても、同じように考えることができる。

私がたまたまその男の話に乗らなかったのは、私にはそれをはねのけるだけの抵抗力があっ
たからにほかならない。

 子どもの非行についても、また同じ。非行そのものと戦う方法もあるが、子どもの中に抵抗力
を養うという方法もある。

たとえばその年齢になると、子どもたちはどこからとなく、タバコを覚えてくる。最初はささいな
好奇心から始まるが、問題はこのときだ。たいていの親はしかったりする。で、さらにそのあ
と、誘惑に負けて、そのまま喫煙を続ける子どももいれば、その誘惑をはねのける子どももい
る。

東洋医学的な発想からすれば、「喫煙という非行に走るか走らないかは、抵抗力の問題」とい
うことになる。そういう意味では予防的ということになるが、実は東洋医学の本質はここにあ
る。東洋医学はもともとは「病気になってから頼る医学」というよりは、「病気になる前に頼る医
学」という色彩が強い。あるいは「より病気を悪くしない医学」と考えてもよい。ではどうするか。

 子育ての基本は、自由。自由とは、もともと「自らに由(よ)る」という意味。つまり子どもには、
自分で考えさせ、自分で行動させ、そして自分で責任を取らせる。しかもその時期は早ければ
早いほどよい。

乳幼児期からでも、早すぎるということはない。自分で考えさせる時間を大切にし、頭からガミ
ガミと押しつける過干渉、子どもの側からみて、息が抜けない過関心、「私は親だ」式の権威主
義は避ける。暴力や威圧がよくないことは言うまでもない。

「あなたはどう思う?」「どうしたらいいの?」と。いつも問いかけながら、要は子どものリズムに
合わせて「待つ」。こういう姿勢が、子どもを常識豊かな子どもにする。抵抗力のある子どもに
する。

++++++++++++++++++++

 最後に「非行の下地」は、かなり早い時期に、できる。小四、五年生前後までは、子どもらし
い、明るい子どもだったのが、五、六年ごろから急に変化し始め、中学校へ入るころには、や
がて手がつけられなくなる。

 たいていの親は、そのころ、やっと気がつくわけだが、しかしそのころ、非行の下地ができる
わけではない。

 「勉強さえできればよい」という短絡的な、子育て感。「少しぐらい心が犠牲になってもかまわ
ない」という、無責任な育児姿勢。子どもの心を無視して、子どもをあちこちの塾や進学塾を連
れまわす。「もっと……」「まだ何とかなる……」「少しでもいい学校へ……」と。

 子どもの心が親から遊離し始めても、それに気づかない。無視する。わざと見て見ぬふりを
する。そして「そんなはずはない……」という誤解と錯覚で、子どもの心を、ますます見失ってし
まう。

 これが非行に走る「下地」である。やがて子どもの心は、臨界状態に達する。そして爆発す
る。「このヤロー、このクソババア!」「てめエー、オレをこんなオレにしやがってエ!」と。

 今、こうして失敗していく親は、本当に多い。何割の親がそうであると言ってもよいほど、多
い。ひょっとしたら、あなたもそうかもしれない。あなたの子どもにも、すでにそういう下地と、兆
候が見られるかもしれない。だとするなら、今一度、家庭教育のあり方を、猛省してみたらよ
い。
(040207)

+++++++++++++++++++++

友だちの問題

Q このところ、うちの子が、よくない友だちと交際を始めています。交際をやめさせたいのです
が、どう接したら、いいでしょうか?(小六男)

A イギリスの教育格言に、『友を責めるな、行為を責めよ』というのがある。これは子どもが、
よくない友だちとつきあい始めても、相手の子どもを責めてはいけない。責めるとしても、行為
のどこがどう悪いかにとどめるという意味。

コツは、「○○君は、悪い子。遊んではダメ」などと、相手の名前を出さないこと。言うとしても、
「乱暴な言葉を使うのは悪いこと」「夜、騒ぐと近所の人が迷惑をする」と、行為だけにとどめ
る。そして子ども自身が、自分で考えて判断し、その子どもから遠ざかるようにしむける。

 こういうケースで、友を責めると、子どもに「親を取るか、友を取るか」の二者択一を迫ること
になる。そのとき子どもがあなたを取れば、それでよし。そうでなければ、あなたとの間に、深
刻なキレツを入れることになる。さらに友というのは、子どもの人格そのもの。友を否定すると
いうことは、子どもの人格を否定することになる。

 またこういうケースでは、親は、そのときのその状態が最悪と思うかもしれないが、あつかい
方をまちがえると、子どもは、「まだ以前のほうが、症状が軽かった…」ということを繰り返しな
がら、さらに二番底、三番底へと落ちていく。よくあるケースは、(門限を破る)→(親に叱られ
る)→(外泊するようになる)→(また親に叱られる)→(家出する)→(さらに親に叱られる)→
(集団非行)と。

が、それでもうまくいかなかったら…。そういうときは、思いきって引いてみる。相手の子ども
を、ほめてみる。「あの○○君、おもしろい子ね。好きよ。今度、このお菓子、もっていってあげ
てね」と。

 あなたの言ったことは、あなたの子どもを介して、必ず相手の子どもに伝わる。それを耳にし
たとき、相手の子どもは、あなたの期待に答えようと、よい子を演ずるようになる。相手の子ど
もを、いわば遠隔操作するわけだが、これは子育ての中でも、高等技術に属する。あとはそれ
をうまく利用しながら、あなたの子どもを導く。

 なおこれはあくまでも一般論だが、少年少女期に、サブカルチャ(非行などの下位文化)を経
験した子どもほど、おとなになってから常識豊かな人間になることがわかっている。むしろこの
時期、無菌状態のまま、よい子(?)で育った子どもほど、あとあと、おとなになってから問題を
起こすことが多い。

だから、親としてはつらいところかもしれないが、言うべきことは言いながらも、今の状態をそ
れ以上悪くしないことだけを考えて、様子をみる。あせりは禁物。短気を起こして、子どもを叱
ったり、おどしたりすればするほど、子どもは、二番底、三番底へと落ちていく。
(雑誌「ファミリス」04年3月号投稿済み)

【3】心に触れる(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞691

私論

●自分さがし

 自分がひねくれているか、いじけているか、それを知っている人は少ない。しかしそれを知
る、方法がないわけではない。

 すなおでない子どもは、そのつど、さまざまに心が変化するのがわかる。また変化するから、
「すなおでない」ということになる。

 たとえば少し前、こんなことがあった。

 ある母親に「私のマガジンを読んでくれていますか?」と聞いたときのこと、その母親は、こう
言った。「めったにパソコンは、開きませんから……」と。つまり「読んでない」と。

 そのとき私の心の中では、さまざまな変化が起きた。

 最初に、がっかりした。それは当然だが、そのあと、すぐに、「もう、マガジンなんか、出すの
をやめよう」と思った。

 ここである。

 私は子どものころから、何かのことでつまずくと、すぐ自暴自棄になるところがある。たとえば
こんなことがあった。

 小学五年生のとき、好きな女の子がいた。しかし、いくらモーションをかけても、私には、見向
きもしてくれなかった。そのころのこと。私は、ある日、その女の子がいないとき、その女の子
の机から、勝手にノートを取り出し、落書きをしてしまった。

 そういう事実から、私は、かなりいじけた子どもであったことがわかる。(もし、今、私の目の
前で、私がしたことと同じことをする子どもがいたら、私は、そう思うだろう。)

 そのとき、私の中には、二人の自分がいた。

 ひとりの自分は、「アハハハ、ザマーミロ!」と笑っている自分。もう一人は、「どうしてそんな
ことをするのだ」と、自分を責める自分。私はその二人の自分を、今でも、はっきりと覚えてい
る。

 このとき、「アハハハ」と笑っている自分が、ここでいう自暴自棄になりやすい自分ということ
になる。

●変化する「私」

 しかし時間がたつと、少しずつ、気持が変化してきた。最初は、「マガジンなんか、出すのを
やめよう」と思っていたが、そのうち、「中には、読んでくれる人もいるかもしれないし……」と考
えるようになり、さらには、「マガジンを出すのは、自分のためではないか」と考えるようになっ
た。

 こうした変化は、つまりは、(いじけた自分)から、(私という自分)に戻る過程と考えてよい。

 つまり「私」という私が、私の中にいる。その「私」を取り巻く形で、いろいろな「私」がいる。そ
の取り巻いている私が、ひねくれた私であり、いじけた私ということになる。

 言いかえると、こうした変化を自分の中にとらえることによって、自分が、どういう人間である
かを知ることができる。

 もし私が、すなおな私であれば、こうした変化は、起きないはず。最初から、「マガジンは自分
のため」と考えて、そうした母親の意見を、笑って聞くことができたはず。もちろん心の動揺も、
なかったはず。

●そこであなた自身は、どうか……

 その人が、すなおかどうかは、心の状態(=情意)と、外に現れている状態(=表情)が、一
致しているかどうかをみればよい。

 うれしいときには、うれしそうな顔をする。悲しいときには、悲しそうな顔をする。いやだった
ら、「いや」と、はっきりと言うことができる、など。

 もう一つは、心のゆがみのないことを、「すなお」という。

 そしてここでいう「ゆがみ」というのは、実は、(私であって、私でない部分)をいう。私の例で
言うなら、自暴自棄になってしまう自分をいう。もう二年近くつづけてきたマガジンである。そう
いうマガジンでも、「やめてしまう!」と。

 言いかえると、この時点で、本来の「私」が、別の、つまりすなおでない「私」に左右されたとに
なる。

 もっとも、こうした現象は、すなおな人には理解できないだろうと思う。私のワイフなどは、結
構いじけたところがある割には、ものの考え方がストレート。すなお。そのワイフが、こう言う。

 「どうして、そんなふうに考えるの? 中には、熱心に読んでくれている人も、きっといるわよ」
と。私のそうした、いじけた部分が、ワイフには理解できないらしい。

●乳幼児期までさかのぼる

 こうした「私」であって、私でない「私」は、恐らく、乳幼児期というきわめて初期の、そのころ
に、その人の中にできるものとみてよい。

 私のばあいも、そのいじけた部分は、かなり早い時期にできた。もの心つくころには、私はそ
うなっていたから、五歳とか、六歳ではない。もっと前である。ただそのころになると、記憶がな
いので、(実際には、想起できないだけだが)、よくわからない。しかしいじけていたのは、事実
だ。

 だれかが何かをくれても、わざと「そんなものいらない」とか、「そんなもの、たくさんもってい
る」というようなことを言った記憶が、どこかに残っている。

 そういう自分が、今でも心のどこかに残っていて、顔を出す。それが、冒頭に書いた、マガジ
ンの話である。私はそのとき、本当に、「マガジンを出すのを、もうやめよう」と思った。心底、自
分のしていることが、バカバカしく思えた。「毎日、何のために書いているのか」とさえ思った。

 私は自分の中の「私」の声を、静かに、すなおに聞くことができなかった。

 つまり、あなた自身も、もし同じような立場に置かれたとき、私でない「私」に左右されることが
あるというのであれば、あなた自身の心の中を旅をしてみるとよい。なぜあなたはすなおでは
ないのか。またその原因は、何か、と。

●診断

 何かのことで心が動揺することは、よくある。そのとき、自分が、どのように動揺するかを、冷
静に観察してみるとよい。

 いじけた性格の人……ちょっとしたことでも、それを悪いほうへ、悪いほうへと考えてしまい、
自分自身をも悪いほうに向けてしまう。

 すねた性格の人……「どうしたの?」と声をかけてもらったりすると、相手に心配をかけては
いけないと思いつつ、反対に、かえって相手をさらに心配させてしまうようなことを口にしてしま
う。

 つっぱった性格の人……だれかがやさしくしてくれても、それを拒絶してしまう。あるいはその
裏を見ようとする。「こんなことをしてくれるのは、何か、魂胆があるからだ」と。

 ひねくれた性格の人……他人が、何かをほめたり、たたえたりすると、すぐそれを否定するよ
うな言葉を投げかけてしまう。

 こうした自分というのは、自分では、なかなか気がつかないもの。あるいは自分で気がつくと
いうことは、まず、ない。脳のCPU(中央演算装置)の問題だからである。仮にそうであっても、
このタイプの人は、どの人も、自分と同じだとか、あるいは、自分のように思わないほうがおか
しいと考えてしまう。

 つまりいつも、基準を、自分に置いてしまう。だから、よけいに、気づかない。

●さて私のこと

 私は、「もう、マガジンなんか、出すのをやめよう」と、確かに思った。思っただけではなく、本
気で、そうしようと思った。

 しかしそのあと、いくつかの「思い」が、あれこれ思い浮かんでは消えた。そしてやがて、自暴
自棄になった私のほうが、おかしいとわかった。

 そのときのこと。

 私は女の子のノートに落書きをした「私」を思い出した。一人は、笑っている私。もう一人は、
私を責める私。

 私は今まで、あのときのことを思い出すたびに、「私の中には二人いた」と思っていた。しかし
実際には、そうではなく、落書きをしたときは、「ザマーミロ!」という私がいた。しかし時間がた
つにつれて、「どうしてそんなことをしたのか」と、自分を責める私に変化した。それが思い出の
中では、混ぜんとして、あたかも二人の自分がいるかのように思ってしまった……?

 記憶というのは、そういう点では、実にあいまいなもの。つまりそのときから、(あるいはそれ
以前から)、私の中には、私でない私もいたということになる。

 それはさておき、今回はからずも、小さな事件だが、改めて「私」を知るきっかけとなった。

 そこで私は、断言する。

 私はたしかに、いじけている。ひねくれている。

それが今、改めてわかった。
(040206)

     ミ ( ⌒⌒ ) 彡
      ∞((((( )∞
      │6 6 b
      (" 。 "人
     ヽ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄ヽ
     ○  ヽ ABC ○        このマガジンが、お役に立てそうな
   ̄ ̄ ̄ヽ  ヽ    ヽ ̄ ̄ ̄     方が、いらっしゃいませんか?
       ̄ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄         よろしくお伝えください!
【4】フォーラム∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●夫婦の問題

読者の方から、こんな書き込みがあった。

「はやし先生こんにちは。メルマガ読者のNGです。
今回は相談したいことがあるので、こちらにお邪魔します。
下に2・7配信分のメルマガの一部を抜粋させていただきます。


『読者の方からの相談より……

身近に離婚寸前の人がいるが、どうしたらいいか

だから身近で、こういう問題が起きたら、ただひたすら、
暖かく無視してやるのがよい。へたに首をつっこむと、ヤケドする』

……という部分ですが、実はこの部分が今の私に
あまりにもピッタリで驚きました。
そして同時に先生のお考えも聞かせていただきたいと思いました。

私の場合、(離婚問題をかかえているのは)私の夫の姉夫婦です。
夫の姉が7月に4歳になる息子を連れて実家に戻っています。
書類は未提出,息子に何も話していない、こんな状態ですが
時期が時期だけに実家の近くの幼稚園への入園準備を
少し進めているところです。はっきり言って、私は心穏やかでいられません」


 NGさんは、「他人なら暖かく無視もできるが、身内だと、それはむずかしい」と言っている。し
かしやはり、夫婦の問題は、夫婦に任せる。「暖かい無視」が、一番、よい。

相手の女性(=夫の姉)には、いろいろ言いたいこともあるだろう。聞きたいこともあるだろう。
おまけに説教してやりたいこともあるだろう。しかしそれでも、「暖かい無視」が、一番、よい。理
由が、ある。

 夫婦の問題は、超の上に超がつく、プライベートな問題。言葉で語りつくせない問題もある。
外に現れていない問題もある。またそういう問題のほうが、多い。だから他人が、(たとえ身内
でも)、干渉しても、意味はない。また解決しない。

 「愛」の問題、一つとりあげても、愛の消えた二人をくっつけるのは、愛しあう二人を別れさせ
るより、もっとむずかしい。

 さらに、夫に蹴られても、殴られても、その夫がよいと、その夫についていく妻もいる。五年
間、セックスレスで、家庭内別居状態でも、それなりにうまくやっている夫婦もいる。幸福な夫
婦は、みな、よく似ているが、不幸な家庭は、まさに千差万別。定型がない。その定型がない
分だけ、外の人が、「定型」を求めても意味は、ない。

 で、仮にそういう問題にクビをつっこんだとしよう。

 相手は、極度の緊張状態にある。あなたがどんな言い方をしても、相手は、それを (いらぬ
節介)ととる。何も問題は解決しない。「口を出すことくらいなら、だれにでもできる。本当に助け
る気があるなら、金を出せ」と。

 こういう状態では、結果がどうなっても、あなたは生涯にわたって、うらまれるだけ。どうころん
でも、あなたとの人間関係は、こなごなに破壊される。あなたの実姉ならともかくも、義姉なら、
なおさらだ。これを俗世間では、「ヤケド」という。

 言うべきことがあるとするなら、「いろいろたいへんだったのね」という、ねぎらいと、慰めの言
葉だ。まちがっても、「あんた、どういうつもり」式に、相手を責めてはいけない。相手から具体
的に相談があるまで、そっと、暖かく見守ってあげる。このケースでは、「子どもを預かってあげ
ようか」と言ってあげる。そういうやさしさが、義姉の心を溶かす。説教するのは、つぎのつぎ。

 いくら喧嘩しても、一晩、裸で抱きあえば、また仲なおりする。そういう夫婦もいる。年がら年
中、離婚騒動を繰りかえしながら、それでもうまくやっている夫婦もいる。夫の浮気を、容認し
ながら、自分は自分で、好き勝手なことをしている妻もいる。実のところ、夫婦の仲ほど、外か
らわからないものはない。

 似たような離婚騒動で、すったもんだのあげくの果て、夫が迎えにきただけで、スーッとつい
ていってしまった妻もいる。あっけにとられたのは、まわりの人たち。

 だから、ここは慎重に。やはり暖かく無視してあげるのがよい。が、それでも……というので
あれば、あとは、自分で考えて行動したらよい。知〜ラナイ。
(040207)


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●「子育て最前線の育児論」(有料版)のお願い

 読者のみなさんへ、

 新しく有料版の発行を考えています。みなさんには、毎月200円(予定)
 のご負担をお願いすることになると思います。

 また改めて、ご連絡申しあげます。そのときは、よろしくお願いします。
 無料版のほうも、今しばらくは、このまま発行するつもりでいます。
 これからも末永く、ご愛読ください。心から、よろしくお願いします。

                             はやし浩司

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【近況・あれこれ】

●ビデオ「TAKEN」を、6巻まで見る

 ビデオ「TAKEN」の、4〜6巻が出たので、さっそくみる。S・スピルバーグ製作総指揮のビデ
オである。

 で、4、5巻目あたりから、やっと物語の大きな流れがわかるようになった。5巻目の終わり
に、UFOが姿を人々の前に現す。そして6巻目の終わりに、主人公の女の子が登場する。

 最初は、「?」と思って見始めたビデオだが、6巻までくると、もう、ド・ウ・ニ・モ、止まらなア〜
い。

 しかしいろいろ言いたいことはある。5巻の最後に、キンキラキンに光る、UFOが登場する
が、本物のUFOは、ああではない。色は、黒もしくは、それに近い、ジミな色。それに飛び去る
ときは、空に溶け込むように消えていく。

 これは別の日に、私たち夫婦が見たのと同じUFOを見た人の証言だが、「ブヨブヨと、形が
ゆがんだかと思うと、そのまま空に溶け込むように消えていった」とのこと。

 私たちが見たUFOは、突然、加速度的に速度をあげ、(信じられないほどの高速で)、そして
空に溶け込むように……、つまり透明になった感じで、消えていった。UFOを目で追っていたと
き、そのUFOの黒いシルエットのところに、その向こうにある星々が、スーッと浮かんできた。
と、同時に、そのUFOは消えた。

 たとえば自動車や飛行機が、遠ざかって、そのまま小さくなって消えるというような消え方で
はなかったということ。最後は物体というよりは、透明のフィルムのようになって、消えていっ
た。

 こういう話をウソと思う人は、勝手にそう思えばよい。ウソを書いても、私には一文の得にもな
らない。かえって、私の正気が疑われるだけ。しかし見たものは、見た。大きさは、よくわからな
いが、ハバ1〜2キロはあった。巨大な「く」の字型のUFOだった。

 で、その女の子は、宇宙人の血のまざった子どもということになる。最後にイルカがあいさつ
するところは、結構、感動的。UFOに興味のある人には、おもしろいビデオ。今回は、★★★
★。(★五つが、満点)


●UFOの目的は何か?

 これは「TAKEN」の中でも、大きなテーマになっている。つまりUFOが、地球へやってくる目
的は何か?

 もし宇宙人が、地球人に敵意をもつ生物であるなら、人類は、とっくの昔に滅ぼされていたは
ず。

ビデオの中でも、そういうセリフが出てくるが、人間のこまやかな感情は、脳の中の辺縁系と呼
ばれる組織の中で生まれる。その辺縁系という組織がないとするなら、宇宙人には、人間がも
つような感情は、ないということになる。そのため、もし人間が、自分たちにとって危険な生物だ
とわかれば、宇宙人は、情け容赦なく、人間を滅ぼしていたはず。

 S・スピルバーグは、つづく7〜10巻の中で、それをしだいに明らかにしていくのだろう。(TA
KENの原作者は、トマス・H・クック。)で、それを見る前に、私なりの推論を書いておこう。

 UFOが地球を頻繁に訪れる理由と目的は、ズバリ、人類の飼育、である。

 これには三つの目的がある。まず体格的、肉体的な進化。知的能力の進化。そして精神文
化の進化である。そしてその結果として、人類を、自分たちのパートナー、もしくは、奴隷とす
る。

 しかしパートナーであるにせよ、奴隷であるにせよ、人類は、たいへん危険な生物であること
には、ちがいない。

 奴隷にすれば、人類は、それに徹底的に反抗するであろう。またパートナーにすれば、人類
は、いつなんどき、宇宙人のイスを奪おうとするかもしれない。そういう意味では、人類は、きわ
めて凶暴な性質をもった生物である。

 だからその前の段階として、宇宙人は、人類を、地球という「檻(おり)」の中に閉じこめておこ
うとするだろう。仮に外に出すとしても、決して彼らがもつ最終的な科学技術までは、公開しな
い。公開したら、それこそ、この宇宙は、たいへんなことになる。

 ……と、まあ、こうして空想を楽しむのは、悪くない。宇宙に視点をおいてものを考えると、こ
の地球上のあらゆるできごとが、小さく思えてくる。

 実は、私の近くにも、一匹、エイリアンがいる。誠司という名前の孫である。生まれたときか
ら、目だけがやたらと大きく、エイリアンみたいである。今日もワイフとドライブしながら、話題
が、その誠司になった。

 「誠司のヤツ、あいつはエイリアンかもしれないな」と私。
 「ホント。どこをどう見ても、私にも、あなたにも、まったく似てないわ」とワイフ。

 しかしこれは、もちろん、冗談。


●一事が万事

 今日、スーパーで、こんな光景を見た。

 一人の男(45歳くらい)が、車をとめた。土曜日ということで、少しは混雑していたが、スーパ
ーの入り口の、まん前。もちろんそこは駐車場には、なっていなかった。

 つぎにその同じ男を見たのは、レジの外だった。買い物かごから、ポリ袋に、買ったものをつ
めなおすところだった。が、私はその光景を見て、またまた唖然(あぜん)とした。

 その男は、ロールになった小さな袋を、つぎつぎとちぎっては、ポリ袋につめていた。その小
さな袋は、たとえば魚とか、そういったものを、小分けにして入れる袋である。

 私が見ていただけでも、3〜40枚の袋をちぎっては、つめていただろうか。あとでまた振りか
えってみると、さらにちぎっていたので、計5〜60枚は、ちぎったかもしれない。いくらタダとは
いえ、しかしそれにしても、何ともあさましい光景!

 普段着の男だったが、ごくふつうのサラリーマンといった感じの男だった。私はワイフにこう言
った。

私「一事が万事というだろ。車の止め方、袋の盗み方、すべてが一貫している」
ワ「どうしてああいうことができるのかしら?」
私「そこなんだ。人間性というのは、そういうもの。つまりあの男の人間性は、すでに崩壊してい
る」

ワ「そうね。ああいう人を見ると、こちらまで、さみしくなるわ」
私「でね、ああいう人が自分の愚かさに気がつけばいいが、気がつかないでいると、いつかや
がて、だれにも相手にされなくなるよ」

 私の実家の近所に、昔、そういう女性がいた。そのとき年齢は七〇歳くらいだったが、よその
ものを、平気で盗んでもっていってしまうのである。近所の人は、「あの人は、ボケた」と話して
いたが、そうではなかった。その女性は、昔から、そういう女性だった。ただ若いときは、こっそ
りとそれをしていた。また盗んだものを、人目につくようなところには、置かなかった。

 ただ年齢とともに、自分をごまかすというか、そういういやな面を隠すだけの気力が弱くなって
きた。それでその女性は、その本性を、外にさらけ出すようになってしまった。

私「今から、ああだと、やがてそういう本性が、だれの目にもわかるように、外に出てくるように
なる。そのとき、あの男の人が気がついても、もう遅いということ」
ワ「隠しとおせないわね」
私「そうだ。もう自分を変えることはできない……」と。

 心と健康は、似ている。健康は、日々の節制と、運動によって維持される。同じように、きれ
いな心は、毎日の、ほんのささいな行動の積み重ねで、つくられる。

 人が見ているとか、見ていないとか、そういうことではない。見ていないところから、それを始
める。そういう(自分)の積み重ねが、やがてその人の人格となる。

 本当に今、あの男の姿を思い出しても、ぞっとする。何というか、自分の中のいやな部分を、
えぐり出されたような不快感である。私の中にも、そういういやな面が、たしかにある。ないとは
思わない。

そういういやな面と、私は、私なりの方法で戦っている。しかしあの男は、それを私に見せつけ
た! 見せつけながら、こう言った。「お前ごときががんばっても、自分のいやな面は消せない
よ」と。つまりそんな感じがした。

 本当に、ぞっとするような、はっきり言えば、何ともおぞましい光景だった。


●ヒラリー夫人の自伝

 アメリカの前大統領の奥さんのヒラリー夫人が、自伝を出した。さっそくワイフが、どこかで読
んできたらしい。

 しかし私は、ヒラリー夫人の名前を聞くと、いつもこのジョークを思いだす。

+++++++++++++++

 ある冬の寒い日のことだった。ビル・クリントン大統領が、いつものように、ホワイトハウスの
寝室から出て、バルコニーの前に立ってみると、外は、一面の雪景色だった。

 クリントン大統領は、その美しい純白の世界を、しばし見回していたが、ふと気がつくと、足元
の庭の一角に、黄色の文字で、なにやら書いてあるのがわかった。

 まわりには、いくつかの足跡もあった。

 だれも入り込めない、中庭の、その中でもとくに警戒が厳重な、寝室の前の庭である。クリン
トン大統領は驚いて、その文字のところまでおりていってみた。そしてそれを読んで、驚いた。
そこには、こう書いてあった。

 「YOU BLOODY MOTHER FUCKER,BILL」(クソッたれ、ビル!)と。

 すぐさまクリントン大統領は、FBIの長官を呼びつけ、だれがそれを書いたか、調査させた。

 ……で、それから二日後のこと。FBI長官が、神妙な様子で、クリントン大統領のところへや
ってきた。そしてこう言った。

 「大統領、よいニュースと、悪いニュースがあります。どちらから報告しましょうか?」と。

 するとクリントン大統領は、こう言った。「いいニュースから、先に言いたまえ」と。

 FBI長官は、さらに神妙な顔つきになって、こう言った。

 「大統領、あの小便を分析しましたところ、小便は、ゴア副大統領のものと、わかりました」
と。
 
 クリントンは、「あいつめ……」と言ったあと、「で、悪いほうのニュースは、何か」と、FBIの長
官に聞いた。

 するとFBI長官は、ますます神妙な顔つきになって、こう言った。

 「大統領、小便は、ゴア副大統領のものでしたが、筆跡は、奥様のヒラリー夫人のものとわか
りました」と。
(040207)


●パソコンのピィー子

 現在、計6〜7台のパソコンを使っている。それぞれに仕事を分担させている。インターネット
は、インターネット用に。ホームページは、ホームページ用に、と。安全のためもあるが、その
ほうが能率がよい。

 が、その中でも、私は、とくにP社製の、「レッツ・ノート」という機種が気に入っている。2000
年の9月に購入した機種だが、キーボードがよい。

 ただし、少し古い機種なので、性能は、イマイチ。OSは、「98」だし、メモリーも最大で、192
MB。(その192MBを実装。)

 が、このパソコンだと、頭の中で考えたままが、そのまま活字となって、画面に現れてくる。何
というか、脳細胞と、キーボードがそのままつながっている感じ。だから当然のことながら、この
パソコンで文章を書くと、ほかの機種より、ずっと速い。デスクトップの、あのカチャカチャと音を
出すキーボードより、二倍程度は、速いのでは……?

 そのためこのP社製のパソコンで、文章を書いていると、気持よい。本当に気持よい。指先か
ら、陶酔感さえ伝わってくる。

 そう、人間の指先には、そういう感覚がある。

 たとえば目の前に、すばらしい女性がいたとする。裸でいたとする。そのとき、男というのは、
思わず手で触れたくなるもの。(そうでない男もいるかもしれないが……。)それはその肌の感
触を、指先で楽しみたいからではないか。

 私は、それと同じではないないかと思う。指先から伝わった感触が、脳のどこかを刺激する。
そしてその脳内で、モルヒネ様の物質が放出される。エンドロフィン系、エンケファリン系の物
質である。それが脳の中に、陶酔感を引き起こす。このメカニズムは、セックスをしたとき、あ
の陶酔感を引き起こすメカニズムと、それほどちがわない。

 だから文章を書かないときも、指先は、キーボードの上を、さまよう。さまよいながら、あちこ
ちを、なで回す。

 そういうパソコンだから、手放せない。古くなったから、買いかえるという人もいるようだが、私
のばあいは、できない。キーが、やや擦(す)りへって、ピカピカになった分だけ、指になじんで
いる。

 つまりこうして私のまわりには、パソコンが、6〜7台にもなってしまった。(うち一台は、ほとん
ど使っていない。それで、6台とも書けないし、7台とも書けない。6〜7台ということになる。)

 そこで秘密の暴露。

 実は、私は、これら6台のパソコンには、すべて名前をつけている。

 このP社製のパソコンは、そのまま「ピィー子」。ほかに、「藤子」(富士通社製のパソコン)、
「ラビ子」(NEC社製のパソコン)、「メル子」(シャープ製のパソコン)など。すべて女性の名前を
つけている。(パソコンショップにも、女性の名前をつけている。ワイフには、「これからギガ子
に会いにいってくる」などといって、でかける。ギガ子というのは、近くの「G」とい名前のパソコン
ショップのこと。その名前をもじった。)

 しかしやはり、このピィー子が。一番よい。さわっているだけで気持よい。女性にたとえていう
なら、……?

 またまた少しピンクぽい話になってきたので、この話はここまで。少し油断をすると、私の話
は、すぐピンクぽくなる。先日、ある読者に叱られたばかり。「はやし先生のマガジンは、教育マ
ガジンらしからぬ」と。

 ああ、これから仕事。仕事に行かねばならない。このピィー子と離れるのがつらい。いつまで
も、こうしてさわっていたい。ついでに文章も書いていたい。(これはビョーキか?)

 私にとって、パソコンというのは、そういう存在なのだ。
(040206)


Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
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●親は絶対か?

 あなたが「親は絶対」と思うのは、あなたの勝手だが、それをあなたの子どもに押しつけては
いけない。

えてして人間は、自分の潜在的な願望を、ちょうどカガミのように、その反対側に自分の姿を
焼きつけることがある。「親は絶対」と思いながら、その一方で、「子どもにも自分のことをそう
思ってほしい」という願望を焼きつける。

このタイプの人は、もともと権威主義的なものの考え方をする。「親が絶対」という考え方そのも
のが、権威主義的であると考えてよい。親を必要以上に美化する一方、その親を批判する人
を許さない。自分の子どもでも、それを許さない。子どもが何かを反発しようものなら、「親に向
って、何だ!」となる。

 しかし本当に、親は絶対か? 実のところ、私もその「親」になってみて気づいたが、親といっ
ても、中身はボロボロ。他人どころか、自分の子どもにさえ、尊敬されるべき人間とは思ってい
ない。

(決して、かっこうつけて言っているのではない。本心でそう思っている。)だからいつか(今で
も)、自分の息子たちが私を美化しようものなら、私はこう言うだろう。「バカなことを考えるな。
私は私だ。もっと中身を見てくれ」と。いわんや私を権威化し、息子たちに「父の言うことは絶対
正しい」などと言われたら、私が困る。

私はいつもこうしてものを書きながらも、どこか流動的な自分を知る。明日、自分の思想が変
わることはないが、一〇年後にはわからない。変わるかもしれない。事実、一〇年前に書いた
自分の文を読んでみたとき、「どうしてこんなことを考えたのだろう」と思うときがよくある。私は
そういう自分をよく知っているから、今の私が絶対だとは思っていない。

 繰り返すが、あなたが「親は絶対」と思うのは、あなたの勝手だが、それをあなたの子どもに
押しつけてはいけない。

えてして人間は、自分の考えに溺れるあまり、自分が親であることをよいことに、子どもを苦し
めることがある。「私は親だ」という論理をふりかざし、つまりそれを逆手にとって子どもを苦し
めている親はいくらでもいる。

さらにタチの悪いことに、親が権威主義的であればあるほど、親自身は自分の子どもの心を
見失う。この私ですら権威主義的なものの考え方をする人と出会うと、「説得してやろう」などと
いう考えは吹っ飛んでしまう。絶望感すら覚える。互いの間に、あまりにも大きなミゾを感ずる。
親子の関係なら、なおさらである。

親が権威主義的であればあるほど、子どもは親の前では仮面をかぶる。そしてその仮面をか
ぶった分だけ、心が離れる。つまり親が「私の子は、親思いのいい子だ」と思っているほど、子
どもはそうは思っていない。現に今、「父親を尊敬していない」と考えている中高校生は五五%
もいる。「父親のようになりたくない」と思っている中高校生は七九%もいる(『青少年白書』平
成一〇年)。あなたはこの事実をどう考えるか。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
●ついでに、親孝行論

 先日も、「林先生は、親孝行を否定するのか。先祖を大切にするのは、日本人が伝統的にも
つ美徳。評論家として許せない!」と言ってきた女性(三六歳)がいた。

しかし私は何も、親孝行を否定しているのではない。私は「子どもは親のめんどうをみるべき
だ」式の安易な親子論、さらには「先祖を祭らない子孫は滅びる」式の安易な先祖論は、人に
よっては、その人を苦しめることにもなるから注意しなさいと言っているのである。

たとえば私は二三歳のときから、収入の三〇〜五〇%を、実家へ納めてきた。

幼稚園での給料は二万円だった。(大卒の初任給が六万円弱の時代)。そういうときでも、実
家に、毎月X〜Y万円。盆暮れにはX〇〜X〇万円のお金を置いてきた。長男が生まれたとき
も、見舞いにきた母に、XX万円を渡した(もらったのではない!) 四五歳のときまでそうしてき
た。(四五歳のときは、仕送り額を毎月XX万円にしてもらったが……。)法事や葬式、香典、税
金もすべて私が払ってきた。(すべて!) 実家の家も新築の費用もすべて私が出した。

私の時代には、こういうことは当たり前(?)だった。が、その重圧感というのは相当なものだっ
た。だからというわけではないが、私は自分の息子たちには、そんな思いはさせたくない。どん
なに貧乏をしても、息子たちには負担をかけさせたくない。私はひとりの親として、そう考える。

 で、今、日本に出稼ぎにきているフィッリピンの人やタイの人が、日本で稼いで、母国へ仕送
りをしているという話を聞くと、その孝行ぶりをたたえるというよりは、思わず「たいへんだろう
な」と思ってしまう。心から同情する。……と、同時に、こうした後進国性は、早く日本から消し
たほうがよいと思う。

が、こうした後進国性は、それを支える周囲の文化を改善しないかぎり、なおらない。私とて、
自分で仕送りをしたくてしたというよりは、「子どもが親や先祖のめんどうをみるのは当然」とい
う、当時の世論(=常識?)を心のどこかで感じながら、それに従っただけだ。しかしそんな世
論や常識のほうがまちがっている。おかしい。それとも日本の社会は、まだアフリカの何とか部
族の社会と同じレベルとでもいうのだろうか。

 ここまでくると、もう宗教戦争のようにすらなる。家や先祖を中心に家族を考えるか、個人を
中心に家族を考えるかの違いといってもよい。

この段階ではどちらが正しいとか、まちがっているとかいうことにはならない。要はそれぞれの
人が、それぞれの家庭で、平和で仲よく、楽しく過ごせればよい。だから私がここで書いている
ようなことに納得できないからといって、私を責めないでほしい。私もあなたの意見は尊重する
し、そのためあなたを責めることはしない。だから私があなたの意見を尊重するように、あなた
も私の意見を尊重してほしい。

 私はただ、自分が味わった苦しみを、自分の息子たちにだけは、味わってほしくないだけだ。

    ミ ( ⌒⌒ ) 彡
      ∞((((( )∞
      │6 6 b
      (" 。 "人
     ヽ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄ヽ
     ○  ヽ ABC ○
   ̄ ̄ ̄ヽ  ヽ    ヽ ̄ ̄ ̄    何か、テーマがあれば、
       ̄ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄        掲示板にお書き込みください。

【2】特集∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●母親の世界

 五〇歳を超えるころから、一〇歳の小学生も、三〇歳の母親も、同じように見えるようになっ
た。「子ども」という言い方は、たいへん失礼な言い方になるかもしれない。しかし本当に、そう
見える。

 「おとな」というと、それなりに完成された人間を想像しがちだが、実際には、そうではない。反
対にときどき、一〇歳の小学生をみると、「この子は、この先、あまり伸びないだろうな」と思う
ことがある。

 だからといって、三〇歳の母親が、子どもというわけではない。また、それが悪いと言ってい
るのでもない。人間の進歩というのは、そういうもの。何か特別なことがないかぎり、ある時点
を境に、人格もまた、ループ(繰りかえし)状態に入る。

 よく誤解されるが、(情報量が多いこと)イコール、(すぐれた人)ではない。つまり人は、おと
なになればなるほど、自分のもつ情報量を、飛躍的に増大させる。で、一見、賢くなったように
錯覚する。自分もそう錯覚するし、他人もそう錯覚する。しかし情報量と、人格の完成度は、ま
ったく関係ない。

 たわいもない友人関係で、ドタバタする一〇歳の小学生。一方、これまたたわいもない人間
関係で、ドタバタする三〇歳の母親。さらにこうした状態は、油断すると、四〇歳になっても、五
〇歳になってからもつづく。

 そんなわけでいつしか私は、母親たちの世界も、子どもの世界と、どこもちがわないと思うよ
うになった。少なくとも、私には、ほとんど区別がつかない。だからよく、一人の母親が、自分の
娘を、「勉強しなさい」と叱っているのを見ると、ついこう言いたくなる。「自分も勉強したらいい
のに……」と。

 さて私自身のこと。

 私自身の二〇代のころと、今の自分をくらべて、私は、人格的には、どれだけ進歩したのだ
ろうかとときどき思う。しかしいつも結論は、同じ。「何も変っていない」。むしろ退化した部分の
ほうが、大きいのでは……。

 しかしこういうことは言える。ときどき二〇代のころの自分を思い出すが、「あのころの私はバ
カだったなあ」と。そう思うことは多い。いつもバカなことばかりしていた。自分が無知であること
にさえ、気づいていなかった。

 それに二〇代のころの私は、本当に時間を粗末にした。貧乏になってはじめてお金のありが
たさがわかるように。そしてお金を浪費した自分を、後悔するように、今、私は、あのころの自
分を、後悔している。「どうしてもっと早く、スタートしなかったのか」と。

 今からでは、何をするにも遅すぎる。こうして今書いていることについても、私は、せめて三〇
代、四〇代のころ、書くべきだった。

 もし若い母親たちに、今、アドバイスできることがあるとすれば、ここに私が書いたことを参考
に、「では、私はどうなのか?」と、一度考えなおしてみてほしいということ。その人がもっている
時間には、限りがある。死の恐怖が近づいてから、時間の価値に気づいても、遅すぎるという
こと。

 もしあなたが今、健康なら。そして今、幸福なら、今からでも、決して早くない。これからの時
間を有効に使ったらよい。つまりそうすることが、今のあなたの人格のカベを破る、一つの方法
ということになる。

 あなたは今、「私は一〇歳のころの私よりは、進歩した」と、本当に、自信をもって言えるだろ
うか。

 たいへん生意気なエッセーになってしまったが、許してほしい。
(040204)

【追記】
 「時間」は、重要さでは比較にならないが、「貯金」と似ている。

 稼ぎが、支出より多いときは、貯金も、それほど意味をもたない。しかし支出が、稼ぎより多く
なると、改めて貯金のありがたさがわかる。

 これと同じように、「時間」に限りを感ずるようになると、時間がもつ有限性というか、それがよ
くわかるようになる。

 時間は、決して無限にあるものではない。人もある時期を過ぎると、その時間を、あたかもわ
ずかな貯金を少しずつ切り崩して生きるように、切り崩しながら、生きるようになる。

 つまらないことで時間をムダにしたりすると、「しまった!」と思うこともある。反対に「今日こそ
は!」と考えることも多い。

 その「時間」を、どう使うか。これは。まさにきわめて限られた予算をどう使うかという問題と似
ている。

● 砂時計

若いときの砂時計の砂は、ただの砂。
年をとると、それが銀の粉になり、
さらに年をとると、それが金の粉になる。

サラサラと、上から下へ落ちる砂時計。
その砂がすべてなくなったとき、
私の人生は、消える。

いくら叫んでも、砂時計の砂は、
落ちるのをやめない。
起きているときも、
眠っているときも、
そしてどんなに幸せなときも……。


【3】心に触れる(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞691

●のぞく

 他人の不幸を、のぞいては、いけない。
 他人の不幸を、話題にしてはいけない。
 他人の不幸を、笑ってはいけない。

 あなたがそれをすればするほど、
 あなたはいつか、自分の不幸をのぞかれる。
 あなたはいつか、自分の不幸を話題にされる。
 あなたはいつか、自分の不幸を笑われる。

 あなたはのぞいた分だけ、
 あなたは話題にした分だけ、
 あなたは笑った分だけ、
 
 いや、その何十倍も、今度は、
 自分が苦しむことになる。

+++++++++++++++++++++

 他人の不幸が、ことさら、好きな人がいる。そしてどこからそういう話題を集めてくるのか、そ
れを人に話す。

 「あのXXさんの、ご主人ね、何でも、重い病気なんですって……」
 「あのYYさんの息子さんね、C高校に落ちたんですってね……」
 「あのZZさん、あるところで万引きをして、つかまったそうよ」とか。

 こういうのを『のぞき見主義』という。

 私が、この不快感に気づいたのは、反対に、あれこれ他人に話題にされたときだ。世の中に
は、いろいろなことを言う人がいる。私の家の中をのぞいては、他人に話す人もいた。

 「林先生の息子さん、B高校ですってね。林先生の息子さんだから、S高校かって、思いまし
たのよ」と。

 しかしそうした『のぞき見主義』は、私自身にもあった。

 それを自覚したのは、ごく最近のことではないか。いや、のぞき見主義を自覚したのではな
く、いつごろから、そういう自分ができたかを自覚したのは、だ。

 私は、子どものころは、他人のことには、ほとんど関心をもたなかった。いわんや、他人の家
をのぞくというようなことはしなかった。

 しかしそういう私に、(いやな自分)が生まれたのは、あのはげしい受験競争のころではなか
ったか。ライバルの友人たちの動向が、気になった。そしてそれがいつの間にか、私の中に、
(ものの見方)の一つとして、定着してしまった。

 『のぞき見主義』は、実に不愉快なものだ。される立場で考えてみると、それがよくわかる。

 今の今でも、私のマガジンを必要もないのに購読して、その中から、自分や知人に関係ある
記事を見つけては、あれこれ話題にしている人がいる。しかもコピーまで、して!

 「あの林が、こんなことを書いていますよ!」と。

 こうしたマガジンは、そういう読者もいるという前提で、書かねばならない。しかしいやな連中
であることには、ちがいない。(G県のSさん、もう購読をやめていただけませんか。よろしくお
願いします。あなたの子育ては、とっくの昔に、終わっているはずですが……。)

 しかし、これは私自身の問題でもある。

 私もふと、油断すると、他人の私生活をのぞいてしまう。もちろん興味本位である。しかし同
時に、それをすると、心の中がザワザワするのがわかる。何とも言えない、不快感である。自
分の心がけがされるかのような、不快感である。

 「私は私」と思って生きるのは、その一方で、「他人のことは干渉しない」という生きザマを意
味する。他人の生活をのぞき見るというのは、その「私は私」という生き方に、ケチをつけること
を意味する。

 先日も電車に乗ったら、前に座った五〇歳前後の女性たちが、こんな会話を始めた。

A「あのXXさん、あわれなもんですな。昔は、あのあたりでも、一の財産家だったのに、今は、
落ちぶれてしまって……」
B「何でも、今は、3DKのアパート住まいだそうですよ」
A「ああ、あわれなもんですな。本当にあわれなもんですな」と。

 この二人は、そのXXさんのことを、心配しているのではない。同情しているのでもない。落ち
ぶれたことを、一見、同情しているフリをしながら、喜んでいる。見ると、二人とも、実に醜悪な
顔つきをしていた。

 今は、受験シーズンも終わり、この種の話題が、ちまたをにぎわせている。

 「AAさんの息子さん、どうして落ちたのオ! 信じられない!」
 「BBさんの娘さんが、S高校を受験したなんてエ! 本当!」
 「CCさんの家ね、家庭教師を二人もつけているそうよオ。ウッソー!」と。

 しかしこういう話題を口にすればするほど、今度は、その人自身が、他人の口に苦しむことに
なる。だから、冒頭に書いたように、『他人の不幸を、のぞいてはいけない』。これは自分の人
生を、美しく生きるための大原則である。
(040204)

● あなたのまわりにも、愚劣な話題で、あなたの興味を誘うという人がいるはず。そういう人に
は、近づかない。あなたがだれかの悪口やうわさを聞いたとすると、今度は、あなたの悪口や
うわさが、その人から、ほかの人に伝えられる。そういう人には、警戒したほうがよい。こういう
のを、「バトン人間」という。運動会のリレーで使うバトンのように、人の悪口やうわさを、人から
人へと、たがいに伝える。

● またそういう話には、決して、相槌(あいづち)を打ってはいけない。へたに相槌を打つと、
今度は、「あなたが言った話」として、他人に伝わってしまう。くれぐれも、ご注意。

● 「バトン人間」たちは、ゴシップ好き。あなたにゴシップを話すことで、今度は、あなたのゴシ
ップをさがす。だからそういうバトン人間には、心を許してはいけない。「あんただけにね……」
とか、「ここだけの内緒の話よ……」というような話し方をする人ほど、警戒したらよい。相手に
しないこと。ついでに自分のことを、話さないこと。

● 要するにバトン人間は、「これだけの秘密を話すのだから、あなたも何か秘密を話しなさい
よ」と、迫ってくる。一方、他人の秘密を聞いた人(=あなた)は、「自分は、それだけ信頼され
ているから、そういう話をしてもらえる」と錯覚する。しかしこれは錯覚。うかつにだれかの秘密
や、あなたのことを話すと、今度は、それが広まってしまう。

● 男の世界でいうなら、平気で愛人をつくたり、浮気する男の話など、信用してはいけない。
妻でさえ平気で裏切るような人間である。あなたを裏切ることなど、朝飯前。だれしも「自分だ
けは特別」「自分だけは特別あつかいされている」と考えがちだが、それはまったくの幻想。

● 同じように、友人の秘密を平気でバラすような人間は、信用してはいけない。それを聞いた
ほうは、「自分がより信頼されているから」と思いがちだが、それも幻想。あなたが話した話や、
あなたの秘密は、同じように、その人を介して、他人にバラされる。

● はっきり言おう。この世界には、こうしたバトン人間が、何割かという割合でいる。そしてあな
たのスキを、虎視眈々(こしたんたん)と、ねらっている。要は、そういう人間には、近づかない
こと。ほかの世界でならともかくも、子どもがからんだ世界では、この種の問題は、一度こじれ
ると、とことんこじれる。

● バトン人間と感じたら、水のように、淡く交際するのがよい。話としても事務的なことがらだ
けにとどめる。

● なお、ついでに一言。こういう人間と、こういう会話をしても、あなたにとって得になることは
何もない。はっきり言えば、時間のムダ。まったくのムダ。やがてあなたも、時間の大切さに気
づくときがくる。そしてそのとき、そういう人たちとつきあった自分を、必ず、後悔するときがく
る。そういうことも、心のどこかで考えるとよい。


     ミ ( ⌒⌒ ) 彡
      ∞((((( )∞
      │6 6 b
      (" 。 "人
     ヽ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄ヽ
     ○  ヽ ABC ○        このマガジンが、お役に立てそうな
   ̄ ̄ ̄ヽ  ヽ    ヽ ̄ ̄ ̄     方が、いらっしゃいませんか?
       ̄ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄         よろしくお伝えください!
【4】フォーラム∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

【近況・あれこれ】

●Yさんからの相談

 A県に住んでいるYさんから、こんな相談があった。

 「他人の言ったささいなことが気になります。そういうときどうすればいいですか。コツを話して
ほしい」(掲示板)と。

 私も、もともと神経質で、感覚も繊細なところがあり、人の言ったことを、よく気にします。で、
まず、私のばあいは、攻撃か、無視か、そのどちらかを選択します。こちらが逃げることができ
ないときは、攻撃しかありません。「何で、そんなことを言うのか!」と、相手にぶつかっていき
ます。

 しかし一定の距離をおける相手なら、無視します。

 そのほか、相手をのむという方法もあります。だいたにおいて、その人の言ったことを気にす
るというのは、自分がその人と、同レベルであることを意味します。相手が自分よりはるかに
「下」か、あるいは「上」のときは、気にしないもの。

 そこで悶々とし始めたら、私のばあいは、文章を書くことで、相手を乗り越えるようにします。
(ときどき、腹いせのようなエッセーを書くのは、そのためです。)

 それでも気になったら、自分のうつ病(症)を、疑ってみます。実は、私は、そのうつ症で、よく
あれこれ悩みます。

 そこでこうしています。

 まず、身辺をきれいにします。そういう人たちとのかかわりを、できるだけ少なくします。スキ
を与えないということでしょうか。『君子、あやうきに、近寄らず』です。

 そのために、自分の中から、邪悪な性質を消すようにしています。たとえば他人の生活に干
渉しない、他人の生活をのぞかない、他人の不幸を笑ったり、話題にしたりしないなど。

 人間関係は、わずらわしいですね。本当にわずらわしい。だからその危険のある人とは、交
際しないようにしています。イギリスの格言には、『二人の人には、いい顔はできない』というの
があります。

 だから交際する人と、しない人を分けます。はっきり言えば、人も、ある年齢に達したら、交際
する人を決めるということです。「だれとでも仲よく」という、八方美人的な交際をしていると、疲
れるだけです。それに時間のムダになります。

 あとは、自分の正直に生きます。かっこうづけたり、よい人ぶってはいけない。しかしこれは
たいへんむずかしいことです。あなたの乳幼児期にまで、その「根」をほりさげてみなければ、
ならないからです。

 私もいつしか、仮面をかぶるようになってしまいました。人前では、よい人ぶるわけです。そ
の仮面に気づいたのが、三〇歳のころ。そしてその仮面と戦って、やっと自分らしくなれたと感
じたのは、四〇歳を過ぎてからです。

 それくらいたいへんなことです。がんばってください。

 また最近の私の傾向としては、口で言われたときは、それほど気になりませんが、文に書い
て言われると、気になります。グーグルで「はやし浩司」を検索してみてください。中には、私の
ことを、口汚くののしっている連中がいます。

 たいていは、どこかの宗教団体に属する人たちです。最初は、そういう批判が気になりました
が、しかし今は、完全に無視するという方法で、対処しています。相手にしてもしかたないでしょ
う。

 で、そういう批判する人と戦うためには、その百倍、理論武装するしかありません。つまりか
えって、私にとっては、よいバネになっているわけです。つまりこれも、そういう弱い自分と戦う
ための、一つの方法かもしれませんね。何かの参考になれば、うれしいです。


●風邪のひきなおし?

 咳がとまってヤレヤレと思っていたら、その咳が、また再発。子どもと接する仕事で、一番つ
らいのは、こうした流行病を、いち早く、うつされること。

 ウィルスにせよ、ばい菌にせよ、その毒性には、おとなも、子どももない。子どもはむとんちゃ
くだから、「先生!」と近寄ってきて、ゴホンゴホンと、咳いたりする。そのとたん、私は、感染!

 そんなわけで、どこか病気ぽい子どもには、警戒する。しかしほとんど、打つ手なし。防御方
法なし。もうあきらめている。

 で、おもしろいことに、それぞれの症状には、特徴がある。自分で咳き込みながら、「この咳
は、XX君からうつされたもの」「この咳は、YYさんからうつされたもの」と、それがわかる。

 今のこの咳は、あのZZさんだ。私の横にやってきて、まともに、ゴホンと咳いた。どこか、の
どの奥にひかかったような、乾(かわ)いた咳だった。今、私は、その咳をしている。カタカナ
で、表示すると……

 クホンクホン、クックッ、クホンクホン……。


●生徒の出入り

 二月、三月は、忙しい。教室をやめる人、入る人。その動きが、あわただしくなる。今日も、三
人やめた。同時に、三人、入った。

 私の教室は、受験塾ではないから、その年齢になると、子どもたちは、受験塾へと移動して
いく。それを私は「卒業」と呼んでいる。

 別に悪口を言うつもりはないが、受験塾へ入ったからといって、成績が伸びるというのは、ま
ったくのウソ。伸びる子どもも、いるにはいる。上位20〜30%の子どもについては、そうだろ
う。

しかしむしろその途中で、キズつき、もがき、そしてかえって成績をさげる子どものほうが、はる
かに多い。こういう事実を、いったい、どれだけの親が知っているだろうか。その季節になる
と、こうした進学塾は、「SS高校、XXX名合格」などと、新聞などで発表しているが、その一方
で、どれほど多くの子どもが、涙を流していることやら?

 進学塾にとっては、できる子どもは大切。看板になる。しかし中間以下の子どもは、まさに金
儲けの道具。

たとえば、「月謝2万5000円」というのは、まっかなウソ。入塾費、教材費、テスト代、模擬テス
ト代、特別補習、夏期講座、光熱費などなど、そのつど、数万円単位で、「ガクヒ」がのしかかっ
てくる。銀行通帳をみても、「学校のガクヒ」なのか、「塾のガクヒ」なのか、わからないしくみに
なっている。

 が、この時期に、子どもが受験競争を経験するのは、悲劇的ですら、ある。子どもは、あっと
いう間に、暖かい、人間的な心をなくす。本当に、あっという間だ。数か月で、別人のようになる
こともある。

(勉強ができる)ことで、(自分は優秀)と、錯覚し、その一方で、(勉強ができない)ことイコー
ル、(あいつはダメ人間)というレッテルを張る子どもとなると、いくらでもいる。

 私はそういう子どもの心の変化を、今まで、いやというほど、見せつけられてきた。しかしそれ
が日本の現状なのだ。また、こういう話を受験生をもつ親にしても、意味はない。親自身が、そ
ういう学生時代を経験している。冷たい心をもちながら、その「冷たさ」に、気がついていない。

 ある母親は、こう言った。「こまかいことは、どうでもいいのです。あの子が、SS高校へ入って
くれさえすれば」と。こういう親の心のスキをねらって、今夜も、進学塾の明かりだけは、こうこう
とついている。

【追記】

 私も若いころ、進学塾で、講師をしたことがある。中学生を相手にした塾だったが、悪どさと
いう点では、今の進学塾にひけをとらなかった。私も含めて、教育理念の「リ」の字もないような
講師たちが、親や子どもたちを、ただひたすら焚(た)きつけ、それを金儲けにつなげていた。

 今、思い出しても、それは、ぞっとするような経験だった。

 点数だけを見て子どもを指導することぐらい、簡単なことはない。そんなことは、そこらの「サ
ル」でもできる。いや、サルでも、そんなバ馬鹿なことはしない。

 子どもは子どもで、点数だけで、判断される。人格まで判断される。いや、その点数で、人格
まで否定される。ある進学塾では、点数に応じて、席順が決まる。こういうアホな教育を受け
て、それを教育と思い込み、そして有名高校や大学へ入ることだけが、「善」と信じ込まされる
子どもたち。

 いつか自分の愚かさに気づけばよいが、大半の人は、その愚かさに気づくこともないまま、
生涯を終える。定年退職してからも、半世紀前の学歴をぶらさげて生きている人は、いくらでも
いる。

 馬鹿メ!

 ……追記のつもりで書き始めたが、少し頭が熱くなりすぎたので、この話は、ここまで。つづ
きは、また別の機会に。


●イレズミ

 友人の息子(オーストラリア人)が、イレズミをしたという。夏にニュージーランドへ遊びに行
き、そこでイレズミをしてきたという。

 友人は、叱ったが、息子はかえって居なおってしまい、最近では、これ見よがしに、ノースリー
ブズのシャツを着て歩いているという。

 息子は、二三歳。「うちにもいろいろな問題がある」と、友人は、悩んでいる。「大工の仕事
を、一応しているが、生活費は、ワイフのほうからこっそりともらっている」と。

 こういう話を聞いて、いつも信じられないのは、あれほどすばらしい自然環境の中に住んでい
て、どうして、人は、そうなるかということ。友人の家も、何エーカーもある広い土地の中にあ
る。一角には、周囲が、数百メートルもあるような池まである。

 まさに「天国(ヘブン)」というにふさわしい。しかし親子の問題は、起きる。天国とは、関係な
しに起きる。友人からのメールを読んで、いろいろ考えさせられる。
 
 We say in Japan, there's a upper floor above the upper floor, and at the same time there's 
a lower floor under the lower floor. This means that sometimes we have got depressed to 
see we are at the bottom of the floor, but there are more people who are under the 
bottom. See your son from the point of view of the bottom. This does not mean that "see 
the bad point of your son", but just remember that there are more people who have more 
serious problems than your son. Yep, you have a good saying, one is that "every cloud has 
its own silver lining" or "forgive & forget". So why don't you forgive him and forget him, in 
order to GIVE him love and to GET love from him? Your son has been seeking his way to go 
now. I am sure he will do it very soon. I know you hate tattoo but it means nothing if you 
see it from the bottom of the floor, since no one could erase it. He will know how stupid he 
was whenever he sees it !
 and it will guide him away from the stupidity to be a wise man.

(友人Xへ

 日本には、「上の床にはさらに上の床があり、下の床には、さらに下の床がある(上見てきり
なし、下見てきりなし)」という言い方があるよ。つまり落ちこんでいるときは、ぼくたちは、底の
床にいると思いがちだけど、しかしその下には、さらに下の床があるということ。さらにその下
の床にいる人は、いくらでいる。君の息子を、その下の底から見たらいい。これは「君の息子
の悪い点を見ろ」ということではない。ただもっと深刻な問題をかかえた人がいるということを、
頭の中で描いたらいいということ。そういえば、君の国には、こんな言い方があるよ。「どんな雲
にも、銀のふちどり」※というのが、ね。それに「許して忘れろ」というのもあるじゃないか。君の
息子に愛を与えるために許し、君の息子から愛を得るために忘れろということ。君の息子は、
自分の道を見つけるために、今、模索しているんだよ。そのうち、自分の道を見つけるよ。もし
君が、底から見れば、イレズミなんて、何でもないことがわかると思うよ。君の息子は、イレズミ
を見るたびに、いかに自分が愚かだったかを知り、その愚かさからのがれるために、今度は
自ら賢い人になるよ。

※「どんな雲にも、銀のふちどり」……どんなに悪く見えるもの(=雲)でも、希望(=銀のふちど
り)があるという意味。決して希望を捨ててはいけないということ。


●地獄の果てまでも……

 アメリカのブッシュ大統領が、あぶなくなってきた。今度の中間選挙では、民主党の大統領に
政権の座を奪われそうな雰囲気になってきた。しかし、日本にとっては、これは深刻な問題で
ある。

 民主党は、かねてから、K国との間に、相互不可侵条約を結んでもよいという立場をとってい
る。ジミー・カーター元大統領もそうだったし、ビル・クリントン前大統領もそうだった。

 となると、日本は、たいへん危機的な立場に置かれることになる。

 かねてからK国は、「核兵器は、日本に向けたもの」と言明している。そのK国が、何よりも恐
れるのは、日本を攻撃したばあいの、アメリカからの報復攻撃である。日本とアメリカとの間に
は、日米軍事条約(通称「安保条約」)がある。この条約のおかげで、K国は、日本に対して、
手も足も出せないでいる。

 つまりK国が、アメリカとの間に、相互不可侵条約を結びたがっている真意は、ここにある。
だいたいにおいて、常識で考えてみればよい。今のK国に、アメリカ本土を攻撃する能力など、
どこにもない。金XXも、そんなことは百も承知である。K国にとっての敵は、あくまでも、日本な
のである。

 (金XXにすれば、ただ一つ、戦争する大義名分がたつ国が日本である。また利益のある国
が、日本であることを、忘れてはならない。今の状態では、アメリカや韓国と戦争しても、一文
の得にもならない。)

 そういうアメリカが、イラクで苦戦を強いられている。そういうアメリカを横で見ながら、「何もし
ません」では、スジが通らない。自衛隊のイラク派遣に反対する人も多い。しかしそうならそう
で、いざとなったとき、アメリカに対して、「助けてください」などと、日本が、どうして言うことがで
きるだろか。

 日本政府が、自衛隊をイラクに派遣した真意というか、底意は、そこにある。中には、「イラク
の国内問題など、日本には関係ない」「アメリカのために、どうして日本が戦争をしなければな
らないのか」と言う人もいる。しかしこれはとんでもない暴論。戦後日本が、かろうじてであるに
しても、安定的に原油を、中東から買うことができたのは、ひとえにアメリカと、イギリスのおか
げである。

 この地域で、アメリカの軍事的プレゼンス(威光)がなかったら、日本は、原油を、安定的した
価格で、買うことはできなかっただろう。たしかにアメリカのやっていることには、無理がある。
それにアメリカは、ズルイ。しかしそのアメリカの上にのって、戦後の安定を築いてきたのは、
ほかならぬ、この日本なのである。

 今、日本は、たいへんな危機の中にある。「友人は、アメリカだけ」という状態である。そういう
中、どこのどの国が、日本の味方となって、働いてくれるというのか。少なくとも、日本のため
に、あの金XXの野心を、どこのどの国が、おさえてくれるというのか。中国か、ロシアか。答
は、「ノー」。韓国にいたっては、もはやK国の仲間とみてよい。

 政治、なかんずく国際政治は、現実的に考えなければならない。「現実的に」だ。この視点を
踏みはずすと、本当にこの日本は、たいへんなことになる。

 今の日本は、悲しいかな、ブッシュ大統領ともに、地獄の果てまで、ついていくしかないので
ある。


●ショック!

 少し前のこと。正月気分も抜けたころのこと。マガジン購読のメンバーになっているはずの、
Aさん、Bさんと、立ち話をする。で、「マガジンを読んでくれていますか?」と声をかけると、二
人とも、「忙しくて……」「あまり……」と。

 ついでに生徒の母親のCさんにも聞くと、「めったにパソコンは、開きませんので……」と。

 心底、がっかり。本当に、がっかり。

 で、今日は、まったく、原稿を書く気がしない。久しぶりに、テレビを見たり、ビデオを見たりし
て、時間をつぶす。

 これから先、マガジンをどうしようかと、あれこれ考える。

(グチになるので中略!)

 がんばるしかない。がんばるしかないのだ!

++++++++++++++++++++++

 こういう状態に置かれると、人間は、さまざまな考え方を、同時にする……ものらしい。

(1)「じゃあ、マガジンなんか、やめてしまおう。どうせムダなこと」と考える考え方。
(2)「がんばって、今までどおり、つづけよう。マガジンを出すというのは、あくまでも私自身のた
めではないか」と考える考え方。
(3)「たとえ少数でも、読んでくれる人がいるかもしれない。そういう人たちのためになればい
い」と考える考え方。

 私は子どものころから、少しいじけたところがあるので、(1)のように考えることが多い。何か
のことでつまずいたりすると、自暴自棄になって、ほうり出してしまう。これには貧弱な幼児期、
少年期の家庭環境が、影響している。

 そういう自分がいやで、ときどき、「これではいけない」と思うことがある。そういう意味では、
私は、もともとは、短気でわがままなのかもしれない。

 で、Aさん、Bさん、Cさんに会った直後には、(1)のような考え方をしたが、しばらくすると、
(2)になり、さらに時間がたつと(3)のようになってきた。

 で、今は、今までどおりにがんばってつづけようと考えている。今まで、多くの皆さんに、はげ
ましてもらった。つい先日も、「恋人からのラブレターのように、(マガジンを)楽しみにしている」
と、書いてくれた人もいる。(ホントだぞ!)

●みなさん、いろいろ迷ったり、悩んだりすることもありますが、これからも、どうかよろしくお願
いします。

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●「子育て最前線の育児論」(有料版)のお願い

 読者のみなさんへ、

 新しく有料版の発行を考えています。みなさんには、毎月200円(予定)
 のご負担をお願いすることになると思います。

 また改めて、ご連絡申しあげます。そのときは、よろしくお願いします。

 無料版のほうも、今しばらく、このまま発行する予定でします。どうか
 よろしくお願いします。

                          はやし浩司

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Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
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【講演会のお知らせ】
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。 
2・21 ……細江町「教育のつどい」
詳しい講演日時は、
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●二男のホームページができました。よろしかったら、
のぞいてやってください。
Soichi Hayashi (林 宗市のホームページ) http://dstoday.com
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● 4月、10月期に、「賛助会」へご協力をお願いしています。
詳しくは、http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page322.htmlまで。
賛助会に協力してくださった方に、直筆のイラストをお送りします。詳しくは、賛助会コーナー
を、ご覧ください。(額は、ついていません。)
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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)+最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ)+
はやし浩司の世界(Eマガ)……総読者数(Nr. of Readers)、1260人(04年1月24日現在)
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
    Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
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●イラストは、パナソニックパソコン付録の、フリーソフトを使いました。
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04−2−11号(360)
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子育て最前線の育児論by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi 
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【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞upto829

●親が子育てでいきづまるときA

 前回の話のつづき……。

「私の子育ては、一体何だったの?」という言葉に、この私も一瞬ドキッとした。しかし考えてみ
れば、この母親が子どもにしたことは、すべて親のエゴ。もっとはっきり言えば、ひとりよがりな
子育てを押しつけただけ。そのつど子どもの意思や希望を確かめた形跡がどこにもない。親
の独善と独断だけが目立つ。

「生き物を愛し、大切にするということを体験を通して教えようと、犬、モルモット、カメ、ザリガニ
を飼育してきました」「旅行好きの私が国内外をまめに連れ歩いても、当の子どもたちは地理
が苦手。息子は出不精」と。

この母親のしたことは、何とかプリントを三枚させようとしたあの母親と、どこも違いはしない。
あるいはどこが違うというのか。

 一般論として、子育てで失敗する親には、共通のパターンがある。その中でも最大のパター
ンは、@「子どもの心に耳を傾けない」。

「子どものことは私が一番よく知っている」というのを大前提に、子どもの世界を親が勝手に決
めてしまう。そして「……のハズ」というハズ論で、子どもの心を決めてしまう。「こうすれば子ど
もは喜ぶハズ」「ああすれば子どもは親に感謝するハズ」と。

そのつど子どもの心を確かめるということをしない。ときどき子どもの側から、「NO!」のサイ
ンを出しても、そのサインを無視する。あるいは「あんたはまちがっている」と、それをはねのけ
てしまう。

このタイプの親は、子どもの心のみならず、ふだんから他人の意見にはほとんど耳を傾けない
から、それがわかる。

私「明日の休みはどう過ごしますか?」
母「夫の仕事が休みだから、近くの緑花木センターへ、息子と娘を連れて行こうと思います」
私「緑花木センター……ですか?」
母「息子はああいう子だからあまり喜ばないかもしれませんが、娘は花が好きですから……」
と。

あとでその母親の夫に話を聞くと、「私は家で昼寝をしていたかった……」と言う。息子は、「お
もしろくなかった」と言う。娘でさえ、「疲れただけ」と言う。

 親には三つの役目がある。@よきガイドとしての親、Aよき保護者としての親、そしてBよき
友としての親の三つの役目である。

この母親はすばらしいガイドであり、保護者だったかもしれないが、Bの「よき友」としての視点
がどこにもない。とくに気になるのは、「しつけにはきびしい我が家の子育て」というところ。

この母親が見せた「我が家」と、子どもたちが感じたであろう「我が家」の間には、大きなギャッ
プを感ずる。はたしてその「我が家」は、子どもたちにとって、居心地のよい「我が家」であった
のかどうか。あるいは子どもたちはそういう「我が家」を望んでいたのかどうか。結局はこの一
点に、問題のすべてが集約される。

が、もう一つ問題が残る。それはこの段階になっても、その母親自身が、まだ自分のエゴに気
づいていないということ。いまだに「私は正しいことをした」という幻想にしがみついている! 
「私の子育ては、一体何だったの?」という言葉が、それを表している。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●マザコン人間

 マザコンタイプの男性や女性は、少なくない。

昔、冬彦さん(「テレビドラマ『ずっとあなたが好きだった』の主人公」)という男性のような例は、
極端な例だが、しかしそれに似た話はいくらでもある。

総じてみれば、日本人は、マザコン型民族。よい例が、森進一が歌う、『おふくろさん』。世界広
しといえども、大のおとなが夜空を見あげながら、「ママー、ママー」と涙をこぼす民族は、そう
はいない。

 そのマザコンタイプの人を調べていくと、おもしろいことに気づく。その母親自身は、マザコン
タイプの息子や娘を、「親思いの、いい息子、いい娘」と思い込んでいる。一方、マザコンタイプ
の息子や娘は、自分を、「親思いの、いい息子、いい娘」と思い込んでいる。

その双方が互いにそう思い込んでいるから、自分たちのおかしさに気づくことは、まずない。意
識のズレというのはそういうものだが、もっとも互いにそれでよいというのなら、私やあなたのよ
うな他人がとやかく言う必要はない。しかし問題は、そういう男性や女性の周囲にいる人たちで
ある。

男性の妻とか、女性の夫とかなど。ある女性は、結婚直後から自分の夫がマザコンであること
に気づいた。ほとんど数日おきに、夫が実家の母親と連絡を取りあっているというのだ。

何かあると、ときには妻であるその女性に話す前に、実家の母親に報告することもあるという。
しかし彼女の夫自身は、自分がマザコンだとは思っていない。それとなくその女性が夫に抗議
すると、「親を大切にするのは子の努め」とか、「親子の縁は切れるものではない」と言って、ま
ったく取りあおうとしないという。

 いわゆる依存型社会では、「依存性」が、さまざまな形にその姿をかえる。ここにあげた「マザ
コン」もその一つ。で、最近気がついたが、マザコンというと、母親と息子の関係だけを想像し
がちだが、母親と娘、あるいは父親と娘でも、同じような関係になることがある。そして息子と
同じように、マザコン的であることが、「いい娘」の証(あかし)であると思い込む女性は少なくな
い。

このタイプの女性の特徴は、「あばたもエクボ」というか、何があっても、「母はすばらしい」と決
めつけてしまう。ほかの兄弟たちが親を批判しようものなら、「親の悪口は聞きたくない!」と、
それをはげしくはねのけてしまう。

ものの考え方が権威主義的で、親を必要以上に美化する一方、その返す刀で、自分の息子や
娘に、それを求める。つぎの問題は、このとき起きる。息子や娘がそれを受け入れればそれで
よいが、そうでないときには、互いがはげしく衝突する。実際には、息子や娘がそれを受け入
れる例は少なくない。こうした基本的な価値観の衝突は、「キレツ」程度ではすまない。たいて
いはその段階で、「断絶」する。

 マザコン的であることは、決して親孝行ではない。このタイプの男性や女性は、自らのマザコ
ン性を、孝行論でごまかすことが多い。じゅうぶん注意されたい。

    ミ ( ⌒⌒ ) 彡
      ∞((((( )∞
      │6 6 b
      (" 。 "人
     ヽ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄ヽ
     ○  ヽ ABC ○
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       ̄ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄        掲示板にお書き込みください。

【2】特集∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

【愚かさの自覚】

●動物園で

 動物園で、サルの集団を見ていたときのこと。ふと私はこう思った。「この世界が、すべてサ
ルになってしまったら、私はどうすればいいのか」と。

 多分、私には、孤独な世界になることだろう。言葉が通じない。ある程度のコミュニケーション
はとれるとしても、それ以上の会話ができない。音楽や絵画の美しさを、どう表現し、どう伝え
たらよいのか。人生や宇宙について、どう語ったらよいのか。

 そのとき、また、こうも思った。

 私から見れば、サルは愚かに見える。本当に愚かかどうかは別にして、そう見える。しかし肝
心のサルたちは、そうは思っていないだろう、と。

 その人が愚かかどうかは、その人より高い視点をもってはじめて、それがわかる。自分のこ
とについても、そうだ。

 自分が愚かかどうかは、そのときはわからない。しかし自分が、より高い視点をもったとき、
はじめて、それまでの自分が、愚かだったとわかる。

●たとえば……

 たとえば幼稚園児の前で、「3+4」の問題を、わざとまちがえて見せる。「ええと、答は、6だ
ったかな?」と。すると、子どもたちは、ムキになって、それに反発する。「先生、7だよ」「7だ
よ」と。

 もちろん私は演技でまちがえているのだが、子どもたちには、それがわからない。私が本当
にまちがえたと思っている。

 子どもたちにしてみれば、「3+4」の問題は、最高度に高度な問題ということになる。その先
に、無限に広がる数学の世界があることなど、知る由もない。だから子どもたちは子どもたち
のレベルで、私を判断する。

 ある子どもは、こう言った。「あんた、それでも、本当に先生?」と。女の子だったが、彼女の
私を見る目は、冷たかった。

 こうした例は、本当に多い。つまり自分が愚かだったということは、自分がより賢くなってはじ
めてわかる。そのときの自分には、わからない。そのときどきにおいて、どんな人も、自分が最
高だと思っている。だからよけいに、わからない。

●再びサルの話

 そこでサルの話にもどる。

 サルは、自分が愚かだとは思っていない。恐らく人間が、賢い動物だとも思っていない。そも
そも、自分の愚かさをはかるための尺度をもっていない。またそれ以上に、人間の賢さを知る
ための尺度を、もっていない。

 しかし、問題は、このことではない。

 問題は、私たち自身のことである。つまり今の私は、自分では、愚かだとは思っていない。そ
の愚かさを知るための尺度をもっていないからだ。

 しかしその一方で、私のばあい、こうして毎日、ものを書き、いつも何かを発見していると、過
去の自分が愚かに見えることがある。たとえば今、十年前に書いた文章を読み返してみたりす
ると、それがよくわかる。

 「どうして、こんなバカなことを書いたのだろう」「まちがいだらけではないか」と。

●愚かな人には、賢い人がわからない

 いつか私は、こう書いた。賢い人からは、愚かな人が、愚かとよくわかる。しかし愚かな人
は、賢い人を見ても、その賢さが理解できない。そればかりか、自分と同等の人間だと思って
しまう、と。

 このことは、愚かな人と会話をしていると、よくわかる。愚かな人は、明らかに自分を基準にし
て、ものを話す。最近でも、こんなことがあった。

 ある女性(六〇歳くらい)が、こう言った。「Aさんって、知ってるかね。あの人も、出世したもん
だよ。さぞかし死んだ、ご両親も、墓の中で喜んでいることだろうね」と。

 こういう話はよく聞く。しかしその女性は、そのあと、私にこう言った。「トラは死んだあと、革
(かわ)を残すというじゃないですか。あんたも、そうなるよう、努力しなさいよ」と。

 いろいろ言いたいことはあったが、あまりにも大きな距離を感じて、私はだまって聞くしかなか
った。その女性の思考能力は、恐らく二〇歳とか、三〇歳とか、そのあたりで停止したとみてよ
い。あるいは一〇歳前後かもしれない。

●そこで私自身の問題

 そこで私自身の問題。つまり私は、どうすれば、自分の愚かさを知ることができるかというこ
と。方法としては、より高い視点に自分を置くしかないが、しかし今のこの時点においては、不
可能ということになる。

 それはちょうど、たとえて言うなら、この空間を飛びかうテレビの電波を見ろというよなもの。
まだ存在しない「脳みそ」で、今の愚かさなど、わかるはずもない。繰りかえすが、自分の愚か
さというのは、自分がより高い視点に立ったとき、はじめてわかる。それまでは、どんなに逆立
ちしても、わからない。

●謙虚になる

 だから、こういうことは言える。

 私たちは愚かだという前提で、自分を見るということ。つまり自分自身に謙虚になるというこ
と。「私はバカなんだ」「私には、まだ知らないことが山のようにあるのだ」と。

 決して慢心をもってはいけない。決して自分が最高だと思ってはいけない。決して自分が正し
いと思ってはいけない。

 そこで私は、一つの教訓を、手に入れた。

 賢い人は、自分が愚かだと知っている。しかし愚かな人は、自分が愚かだとは、思っていな
い、と。

 サルはいつになったら、自分の愚かさに気づくだろうか。しかしサルがそれに気づくことはな
い。だからサルは、やはり、愚かということになる。

 ついでに誤解がないように言っておきたいことがある。知識があるからといって、賢いというこ
とにはならない。このことについては、もう何度も書いてきたので、ここでは省略する。
(040201)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


●愚かさの自覚

 毎年、新しい母親に、会う。新しい母親に会うたびに、私は、こう思う。「どうして、人は、こうま
で毎年、同じことを繰りかえすのか」と。

 そして私は、同じ、指導を繰りかえす。10年前と同じ、指導を繰りかえす。20年前と同じ、指
導を繰りかえす。そして30年前と同じ、指導を繰りかえす。

 そんなわけで、私は、新しい母親の相談を受けながらも、その先の先まで、よくわかる。それ
ぞれの母親は、「私の子どもは特別」「この問題は私だけの問題」と考える。が、人間がかかえ
る問題というのは、細かい部分はさておき、それほど、ちがうものではない。

 かなり特殊なケースでも、私には、そうではない。過去にいくつか、似たような事例を経験して
いる。だから私はそういう過去の事例に当てはめながら、母親を指導する。が、それすらも、新
しい母親には、理解できない。

 たとえばかん黙症の子どもがいたとする。このタイプの子どもは、簡単にはなおらない。また
なおそうと思ってはいけない。その子どもに合わせながら、自然体で接するのがよい。だから
私は新しい母親に、こう言う。

 「そういう子どもだと思って、のんびりやりなさい。どんな子どもでも、一つや二つ、親の意に
添わないことがあるものですよ」と。

 しかし新しい母親には、それがわからない。あちこちの病院を巡ったり、無理な指導を繰りか
えす。あげくのはてには、「幼稚園の先生の指導が悪い」などと言い出したりする。そして子ど
もの症状を、かえって悪化させてしまう。

 そして再び、私のところへ……。

 実はこうした一連の行為についても、その新しい母親を見た瞬間、私には、わかる。「この母
親は、私の言うことなど、聞かないだろうな」「つぎにこういう行動に出るだろうな」と。私が失望
するときというのは、そういうときをいう。「どうせ、私など、相手にされていないのだ」と。

 ……と書きながら、実は、私が書きたいのは、このことではない。

 これは新しい母親についての話だが、「人生」という場において、私たちは、みな、ここでいう
新しい母親と同じことをしている。

 だれか遠くに、人生を、何度も経験した人がいたとする。そういう人から見れば、今の私の行
動など、あたかも手に取るようにわかるにちがいない。

 しかしどんな人も、自分の人生を、一度しか経験しない。子育てでたとえて言うなら、私たち
は、みな、新しい母親なのだ。だから私たちはみな、「私の人生は特別」「私の問題は、私だけ
のもの」と思う。

 そこで私はこう考えた。

 もし新しい母親が、何らかの方法で、自分の愚かさを知ることができたとする。「無知の自覚」
ということになるのかもしれない。それができたとする。そのとき、その方法がわかれば、それ
を、自分の人生に、応用することができる、と。

 少しわかりにくい話になったので、もう少し、かみくだいて考えてみよう。

 若い母親は、はじめて母親になったような人たちである。だからすべての経験が、はじめての
経験で、自分のかかえる問題を、客観的に見ることができない。

 しかし私には、わかる。毎年、同じような母親に接し、同じような問題をいっしょに考えてき
た。

 同じように、私は、今、一つの人生を生きている。すべての経験が、はじめての経験で、自分
のかかえる問題を、客観的に見ることができない。

 そこでもし若い母親が、自分の愚かさ、つまり無知であることを自分で知る方法が見つかれ
ば、その方法を、今度は、私が自分の人生を知る方法として、応用できる。自分のかかえる問
題を、客観的に見ることができる、と。

 そこで新しい母親たちを観察すると、謙虚な母親と、そうでない母親がいることがわかる。

 謙虚ということは、つまりは、心のどこかで、無意識であるにせよ、自分の愚かさを自覚して
いることを意味する。しかしそうでない母親は、そうでない。何か私が説明しようとしても、「あん
たごときに何がわかるの」というような態度をして見せる。

 つまり、ここに一つのヒントがある。

 自分の愚かさを知るためには、まず謙虚になること、と。「私はバカだ」と思うのもよい。「この
世界には、私の知っていることよりも、知らないことのほうが、はるかに多い」と思うのもよい。
ともかくも、そういう形で、謙虚になる。

 たとえば新しい母親でも、少し謙虚になれば、私のような指導者の助けを借りなくても、自分
で問題を発見して、それを解決できるはず。同じように、私自身も、この人生を生きる上で、少
し謙虚になれば、だれかの助けを借りなくても、自分で問題を発見して、それを解決できるは
ず。

 しかし「謙虚になる」ということは、同時に、それまでの人生に対して、敗北を認めることにもな
る。「私は正しい」と思って生きるのは、それ自体が、生きる自信につながる。しかし「私はまち
がっているかもしれない」と思って生きるのは、不安だ。心配だ。

 また謙虚になるといっても、具体的には、どうしたらよういのか、などなど。問題はつづく。

 ……これらの問題は、どうクリアしたらよいのか。それについては、また別のところで考えるこ
とにして、ともかくも今は、「謙虚になる」。謙虚になることによって、自分の愚かさを知ることが
できる。そしてそれがわかったとき、人は、つぎのステップへと進むことができる。
(040202)

【今日の発見】

●自分が愚人であると知っている人を、賢人という。自分が愚人であると気づいていない人
を、愚人という。賢人は、どこまで謙虚で、自分を知ろうとする。しかし愚人は、傲慢で、自分を
知ろうとしない。


【3】心に触れる(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞691

●今日一日だけでも……

今日一日だけでも、
何も考えず、楽しく、明るく、
仕事をしてみたい。

収入や、お金の計算をすることもなく、
損や、得を考えることもなく、
精一杯、誠実に仕事をしてみたい。

今日一日だけでも、
だれとも、仲よく、ほがらかに
話をしてみたい。

うらみや、怒りを感ずることもなく、
わだかまりや、こだわりを捨てて、
さわやかに、つきあってみたい。

今日一日だけでも、
懸命に、ただひたすら懸命に
生きてみたい。

一瞬一秒を無駄にすることなく、
「がんばって生きた」という実感を、
心の底から感じてみたい。
(040203)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●人格の完成度

 子どもの人格の完成度は、つぎの五つをみて、判断する。

(1)協調性……ほかの子どもたちと協調して、いっしょに行動できる。
(2)同調性……ほかの子どもの苦しみや悲しみが理解できる。
(3)和合性……集団の中で、なごんだ雰囲気をつくることができる。
(4)独自性……誘惑に強く、「私は私」という信念を感ずることができる。
(5)自尊性……自分を大切にしている。将来に対して展望をもっている。
(6)自立性……単独で行動ができる。
(7)自律性……道徳規範や倫理規範がしっかりとしている。

 人格の完成度の高い子どもは、年齢に比して、どこかどっしりとした落ちつきがある。おとな
びて見える。そうでない子どもは、そうでない。どこかセカセカとしていて、幼い感じがする。(た
だし子どもによっては、仮面をかぶるケースもあるので、必ずしも外見だけでは、判断できな
い。)

 しかし、つまり人格の完成度は、子どもだけの問題ではない。「では、私はどうだったのか?」
「今の私はどうなのか?」という問題と、からんでくる。

(1)協調性……私は若いころから、あまり協調性がない。人から、「君はイノシシみたいだ」と、
よく言われた。たまたま私がイノシシ年(昭和22年生まれ)だったから、そう言われたのかもし
れない。何でもやりだしたら、とことんする。また私は、昔から、団体旅行が、あまり好きではな
かった。数人もしくは、一、二人の友人とブラブラと旅をするのは、好きだった。

(2)同調性……他人の苦しみや悲しみが、理解できるようになったのは、最近のことではない
か。たとえば友人の父親や母親が死んだときも、わりとクールだった。「ああ、そう」という感じ
だった。その友人の気持ちになって、いっしょに泣くというようなことは、しなかった。できなかっ
た。

(3)和合性……笑わせ名人で、ひょうきんなところはあったが、みんなと仲よくやろうという気
持ちは、あまりなかった。正義感だけは、やたらと強く、そのためよく敵をつくった。殴り合いの
喧嘩をしたことも、ときどきある。


(4)独自性……私はもともと、誘惑に弱い。その場で、すぐ相手に迎合してしまうようなところ
がある。そのため、あとで、後悔することも多い。たとえば私は、政治家にはなれないと思う。
目の前にワイロを積まれたら、それを断る勇気はない。……と思う。

(5)自尊性……自分を大切にするという意味では、たしかに大切にしている。とくに「はやし浩
司」の名前は、大切にしている。当たり前のことだが、一度だって、他人の文章や、内容を盗用
したことはない。だれかがどこかで同じようなことを言っているときには、私のほうから、自分の
意見を取りさげる。そういうことはよくある。


(6)自立性……今、私は見た目には、単独行動を繰りかえしている。しかしだからといって、自
立性があるわけではない。もし今、ワイフがいなくなったら、私はガタガタになると思う。病気に
なったりしても、同じ。

(7)自律性……自分を律する力は、弱い。いつもそういう弱い自分と戦っている。ふと油断す
ると、悪いことばかりを考えている。だから自分で、いくつかの教条をつくり、それに従って行動
している。あとで、あれこれ悩んだり、後悔したくないからである。

 以上のようなことを並べて考えてみると、私の人格は、きわめて軟弱なことがわかる。とても
人に誇れるようなものではない。原因と理由は、いろいろあるが、それについては、またの機
会に考えるとして、こうした人格は、かなりはやい時期に、その方向性が決まると考えてよい。

 私の経験では、小学校に入学するまでには、ほとんどその形が決まるのではないかと思って
いる。つまりそのころまでの家庭教育が、人格の形成には、きわめて重要な意味をもつという
こと。決して、安易に考えてはいけない。
(040202)

     ミ ( ⌒⌒ ) 彡
      ∞((((( )∞
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       ̄ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄         よろしくお伝えください!
【4】フォーラム∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

最後の審判(SF小説)

●宇宙の支配者たち

 有機体生物が活躍した時代は、もう、遠い昔に終わった。「昔」という言い方は、正しくないか
もしれない。この世界には、時間という概念は、ない。ここでは地球時間で、100年も、一瞬の
うちに過ぎてしまう。その一方で、地球時間で、数秒のうちに、何十世代もの世代が交代する。

 ここは、無機質の世界。光と電子の交錯する世界。遠い、宇宙の片隅にある惑星の、その地
下、数千メートルにある。かたい岩盤にかこまれ、永遠の闇に閉ざされた世界。

 宇宙の支配者たち。それが、何の変哲もない、ガラスのようなかたまりであるとしたら、だれ
しも驚くにちがいない。私たち人間が想像する支配者は、映画「ET」に登場するような宇宙人
だった。「インディペンデス・デイ」に出てくるような宇宙人でもよい。あるいはグレイと呼ばれる
ような、やたらと目の大きな宇宙人かもしれない。

 しかし宇宙の支配者たちは、たしかにガラスのような、かたまりでしかなかった。

●コピー脳

 かつて遠い昔。本当に遠い昔。この宇宙を支配した知的生物たちがいた。彼らは、地球に住
む人間に似た有機体生物だった。主体となる組成物質は違ったが、しかしそのちがいに、どれ
ほどの意味があるというのか。

 その有機体生物たちは、自分たちの脳をコピーする技術を手に入れた。そして自分たちの
脳を、そのまま、しかもつぎからつぎへとコピーした。一人の有機体生物のもつ、あらゆる情報
と知識を、小さなチップにつめこんだ。これを「コピー脳」と、彼らは、呼んだ。

 そしてつぎに、その有機体生物は、これらの無数のコピー脳を、ユニットとして、一体化した。
とたん、そのコピー脳は、知的生物として、活動し始めた。たがいに無限の情報を共有し、瞬
時に数億ケタの計算をするようになった。

 やがて、……というより、すぐにコピー脳のユニットは、別のユニットと結合を繰りかえし始め
た。と、同時に、特殊な周波数の電磁波を放出することによって、自分たちの創り主である有
機体生物自体を、コントロールできることを知った。そして有機体生物を、逆に、自分たちの支
配下においた。

●支配者たちの構造

 コピー脳の世界では、時間も、空間もない。もう少しわかりやすく説明しよう。

 今、あなたの脳を、小さなマッチ箱くらいのマイクロチップに、すべてそのまま、そっくりとコピ
ーできたとしよう。すると、そのマイクロチップは、チップというより、あなた自身ということにな
る。

 事実、そのマイクロチップに、スピーカーと、マイクと、カメラをつければ、そのマイクロチップ
は、あなたとして考え、話し始める。

 ただしそのマイクロチップと、あなたが会話をできるかというと、それはない。マイクロチップ
の世界では、瞬時が、あなたにとっては、永遠の世界なのだ。あなたが数十年かけて計算する
ような問題でも、マイクロチップの脳は、瞬時に、それをやり終えてしまう。

 あなたが一年もかかって読む本でも、マイクロチップは、やはり瞬時に読んでしまう。あなた
が会話をしたくても、それはできない。あなたが一年かけて話すことでも、マイクロチップは、や
はり瞬時に話してしまう。早口? とんでもない。マイクロチップが、ピッとしゃべっただけで、人
間が読む新聞の一年分に相当する。

 そのマイクロチップ同士が、結合したとする。そしてたがいに情報を交換したとする。それは
たとえて言うなら、あなたと隣人が、脳にたくわえられた情報を、共有するようなものだ。とた
ん、「私」という概念は、消える。

 またそのチップ同士が、結合すれば、空間という概念も、消える。正確には、意味がなくな
る。たとえばアメリカにあるチップと、中国にあるチップが、光通信で結ばれた状態を想像すれ
ばよい。

 それが宇宙の支配者たちの、基本的な構造である。

●その奴隷たち

 仮にこの宇宙に、有機体生物がいるとしたら、それはすべてこの支配者たちの奴隷にすぎな
い。

 もちろんこの地球の、ありとあらゆる生物も、それに含まれる。

あるときこの宇宙の支配者たちによって、生物の種が、地球に植えつけられた。意図的なもの
というよりは、気まぐれに近いものだった。ちょうど人間が、庭先に、花の苗を植えるようなもの
だった。

 ただし地球を選んで、そうしたわけではない。彼らは無数の種を、いつも、宇宙のあらゆる方
向に向って放出している。その一つが、たまたま地球という惑星に到達した。

 その目的は、わかりきっている。この殺風景な宇宙をにぎやかにすること。彼らとて、遠い
昔、有機体生物に創られた。そういう思い出も、ないわけではない。宇宙に種をまくことで、そ
れぞれの惑星を、生物で、飾ることができる。

 が、問題がないわけではない。

 コピー脳がもっとも、恐れるのは、あるときそれ相当の知能をもった生物が、自分たちの惑
星にやってきて、自分たちを破壊すること。コピー脳たちは、そのための警戒網と、攻撃力をも
つことも、忘れてはいなかった。

●最後の審判

 地球人の情報は、すでにコピー脳には、届いていた。そして人間がもつあらゆる情報は、す
べて吟味(ぎんみ)されつくしていた。方法は、簡単だ。

 かつて彼らが創られたように、人間の脳を、つぎからつぎへとコピーした。老いも若きも。あら
ゆる人種について。人間の脳みそなど、かつてかれらを創った創造主の有機体生物にくらべ
れば、おもちゃのようなもの。脳の容量にしても、数万分の一にも満たない。

 しかし凶暴さでは、人間は、ほかのあらゆる知的生物体を、しのいでいる。コピー脳たちが人
間を恐れる理由は、そこにあった。人間は、彼らが創造した有機体生物の中でも、ひときわ、
貪欲で、攻撃的だった。

 深い、岩盤の底。無数の光と電子が交錯する世界。そこで今、最後の審判がくだされようとし
ている。

 「地球の人間を、生かすべきか、抹殺すべきか」と。

 すでにあなたの脳も、コピーされている。私の脳も、コピーされている。コピー脳たちは、すで
に数億の人間の脳をコピーした。しかもこの一〇〇年にわたって。一〇〇〇年にわたって。

 審判は、瞬時になされる。無数のコピー脳たちが、蓋然性(がいぜんせい)を計算する。そし
て、その結果……。

 「地球の人間を……」

 その結果は、やがて現れる。地球時間で一〇年後か。それとも一〇〇年後か。審判は瞬時
でも、その結果は、数百年後かもしれない。もともと時間と空間のない世界。暗い、闇に包まれ
た世界。人間の運命は、その宇宙の支配者たちの審判に握られている。

 さあ、人間たちよ、あなたは生き残る資格ありやと判断するか。その価値ありやと判断する
か。

 それとも生き残る資格なしやと判断するか。

 宇宙の支配者たちは、今、静かに、その最後の審判をくだそうとしている。あのガラスのよう
なかたまりの中で……。
(040202)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【近況・あれこれ】

●日本の一流研究者いわく……

 「一流の研究者を生むのは、スパルタ教育ではなく、親や教師にはぐくまれた、知的な好奇
心」だ、そうだ(Y新聞2・3)。

 ノーベル賞や、アメリカ医学界の最高賞「ラスカー賞」といった、国際的な科学賞の受賞者に
対して、このほど、文部科学省科学技術政策研究会が、アンケート調査をした。その調査結果
である。

 「小中高校時代に注目し、研究者をめざした動機をたずねたところ、53人が、『両親や親
戚、教師ら周囲のおとなの話などから、知的刺激を受け、好奇心が芽生えた』との趣旨の回答
を得た」(同新聞)と。

 「一方、周囲から勉強を強制された人は、ほとんどいなかった。ただ、自由であれさればよい
わけではなく、『家族でテレビのバカ番組をみているようではだめ』との痛烈な意見も寄せられ
た」とも。

 「テレビのバカ番組」とは、何か。もう言うまでもない。

 もっとも、こうした研究者になった人たちは、もとから恵まれた環境にあるのも事実。そういう
環境が基盤にあって、その上で、研究者として、花を咲かせることができる。もちろんすぐれた
知的能力も、必要である。

 ただそうした研究者が、人格者であるかどうかということは、別問題。子どもにせよ、おとなに
せよ、「人格」は、別の角度から論じられるべき問題である。総じてみれば、一流の研究者と呼
ばれる人ほど、これは私の個人的な印象だが、人格的には、どこかおかしな人が多い?

 一方、ほとんどの研究者は、異口同音に、こう言う。「研究ほど、すばらしい職業はない」と。
こうし感想は、研究者になってみてはじめてわかることで、そのため研究者の親たちは、自分
の息子や娘を、同じ研究者にすることが多い。

 こうしたアンケート調査の裏には、こうした事情があることを忘れてはならない。だれしも研究
者になれるわけではない。子育てには目標をもつことは大切だが、しかしそれを子どもに強要
してはいけない。子どもの進路は、あくまでも、子ども自身が決めることである。

 で、ついでに一言。「テレビのバカ番組」について。

 こういった番組は、それから得るものよりも、それを見る時間の分だけ、時間をなくすことの
ほうが、問題である。時間は、決して永遠のものではない。生きる時間がかぎられている分だ
け、有限である。

 多くの人は、死の危機がせまってから、時間のもつありがたさに気づく。しかしそれからでは
遅い。

懸命な人は、その価値を、なくす前に気づく。愚かな人は、その価値を、失ってから気づく。健
康しかり、子どものよさしかり。そして時間しかり。要は、ああした興味本位の、意味のない番
組は、見ないこと。


●アメリカの財政赤字

アメリカの財政赤字が、2004年度には、最悪5210億ドルになるとみられている。日本円に
なおすと、約55兆円である。

 日本も約30〜35兆円あまりの赤字国債を毎年発行して、財政赤字を補填(ほてん)してい
るから、偉そうなことはいえない。しかしこれとは別に、アメリカは、膨大な貿易収支の赤字を
かかえている。

 わかりやすく言えば、アメリカ一家は、借金に借金を重ねてやっとのことで家計を補ってい
る。しかもダンナは、お金を使うだけで、稼ごうとしない。

 そのアメリカがなぜコケないかといえば、軍事力があるからである。日本の例を出すまでもな
く、世界は、その軍事力の威光にすがって、せっこらせっこらとお金を稼いでは、そのお金で、
アメリカのドルを買い支えている。

 本来なら、アメリカドルは、1ドル、50〜60円程度が相場ではないのか。あるいは、もっと低
い?

 しかしこういう無理は、やがて、本当にコケる。その時期は、いろいろ言われているが、あと
になればなるほど、被害は大きくなる。で、そのとき、実は、日本も、同時にコケると言われて
いる。もしそうなれば、日米同時発の、世界大恐慌! ギョッ!

 アメリカの財政赤字の問題には、そういう深刻な問題も、含まれる。


●あやしげな勧誘

 この原稿を書いているとき、またまた電話。この電話番号は公表していない。しかしどこでど
う調べてくるのか?

 昨日は、S市にあるという、XX投資会社から。そして今は、N市にあるという、YY美容品会社
から。

 最近のこうした電話の特徴としては、すぐに要件を切り出さないこと。長々と自己紹介をした
あと、「実はですね……」と。それまで何となく、重要な電話かもしれないと思わせるところが、
ニクイ。

 昨日のXX投資会社の電話は、こうだった。

 「私はですね、S市に住んでいます、AAという者です。今度、S市にですね、わが社の支店を
つくりましてですね、こちらへやってきたというわけです」
「それで浜松におられる、あなた様に、一言、あいさつを思いまして」
「で、S市にはよく来られますか」「浜松にもわが社の支店があればよいのですが、こういう時勢
ですから、支店をつくるというのも、たいへんでして……」
「で、今回、そちらへ行くことがありましてね、一度、お会いしていただけないものかと思いまし
て」「いえ、この話は、あなた様にも、きっと、有利な話でして、喜んでいただけるものと思いま
す」と。

 長々と話がつづくので、「で、要件は何ですか?」と聞くと、「はあ、投資の件です。林様は、投
資には興味ありますか?」と。

 今の電話は、ワイフが出たので、内容はわからないが、ここに書いた内容に近いものだった
らしい。「途中で、じれったくなってしまった」と、ワイフも言っていた。

 で、こうした電話は、きっぱりと断るにかぎる。ヘタに話を聞いたり、あいまいな返事をしたり
すると、あとがたいへん。

 ワイフは、さかんに「結構です」「結構です」と答えていたが、この「結構です」という言葉も、使
わないほうがよい。英語では、「OK」という意味にもなる。事実、「結構です」と言ったため、セ
ールスマンが押しかけてきた例もある。「あなたが結構ですと言ったから、来たのです」と。

 みなさんも、くれぐれも、注意してほしい。


●有料版・電子マガジン

 先ほど、M社に、有料マガジンの登録を申請した。しかしすぐ受理されるわけではない。「審
査に1〜2週間ほど、かかる」とのこと。

 今度、M社から、有料マガジンを出すことにした。購読料は、一か月200円。

 あくまでも予定なので、おづなるかわからない。がんばって書いてみる。

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●「子育て最前線の育児論」(有料版)のお願い

 読者のみなさんへ、

 新しく有料版の発行を考えています。みなさんには、毎月200円(予定)
 のご負担をお願いすることになると思います。

 また改めて、ご連絡申しあげます。そのときは、よろしくお願いします。
 無料版のほうも、今しばらく、このまま発行する予定でします。どうか
 ご安心ください。

                        はやし浩司

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●カラス

 山鳩のためにエサをまいておいたら、このところカラスがくるようになった。しかしカラスは、お
呼びではない。

 こういうのを「差別」というのか。

 しかしあのカラスだけはどうしても、好きになれない。頭がよすぎる分だけ、いたずらをする。
ゴミをあさったり、そのゴミを散らかしたりする。それだけではない。

 カラスが出没するようになると、小鳥が消える。山鳩もいなくなる。巣を荒らすからだ。それに
うるさい。まだ夜が明けきらないうちから、ガーガー、カッカッと鳴く。

 そんなわけで、庭先で、カラスを見つけたときは、すぐ花火で追い払うようにしている。ロケッ
ト花火というのだ。それで、シューッ・パンとやる。

 たった今、それをしてきたところ。
 それで気がついたが、外は曇天。肌寒い風が、ヒューヒューと吹いている。今日も自転車で
がんばるぞ!


●携帯電話店へ行ったら……

 携帯電話のカバーをなくした。着脱式になっていた。それで近くの「Dショップ」へ。「カバーは
ありますか?」と聞くと、「ある」と。値段は、1000円。

 すると前に座った女性が、「電話番号は?」と。
 「?」と思いながら、それに答えると、「お名前は?」と。

 私は遠慮がちに、こう言った。「林 浩司です。……あのう、カバーを買いにきただけですが
……」と。

 すると、「あなたのお名前では、お届けありませんが……」と。

 私「ワイフの名前かもしれません。林晃子です」
 女「奥さんの生年月日は?」
 私「??……昭和XX年X月XX日……」

 女「あなたのお名前は……?」
 私「あのう、私は、カバーを買いにきただけですが……」
 女「確認だけです」

 私「私は、林浩司です」
 女「どんな字を書きますか」
 私「あのね、私はカバーを買いにきただけですよ」

 女「わかっています。確認です」
 私「サンズイヘンに、『告』です。それに『司』です」
 女「免許証か何か、お持ちですか?」

 私「あのね、私、カバーを買いにきただけですが……」
 女「だから、確認のためです」
 私「何のために……ですか???」

 実に不愉快な会話だった。カバーを買いにきただけだが、最後は、免許証の提示まで求めら
れた。いくら確認のためとはいえ、ここまでは、やりすぎではないのか……と思いつつ、店を出
た。

 それにしても、小さなカバー一枚が、1000円とは。「さすが、もとNTT」と、へんなところで、
へんな感心をした。


●考える力

 考える力は、能力というより、習慣。その習慣がある子どもは、深く考える。そうでない子ども
は、考えない。

 たとえば今日、積み木(立方体)を、900個くらい積んだ図を見せて、小四の子どもたちに数
えさせてみた。

 正解率は10%前後とみるが、答があっているかどうかは、重要ではない。子どもたちが、ど
のような様子を見せるかが、重要である。

 そのとき、一生懸命に考えようとする子どもと、そうでない子どもがいるのがわかる。考える
習慣のある子どもは、こうした問題を与えると、そのとたん、ツンとした緊張感をただよわせ
る。そうでない子どもは、調子がよいだけ。どこかフワフワした感じになる。

 もちろん考える習慣があるからといって、この種の問題が解けるわけではない。今度は、能
力の問題がからんでくる。

 よく誤解されるが、知的な能力は、決して平等ではない。とくにこの種の問題、つまり空間図
形弁別では、差が大きく現れる。そんなわけで考える習慣もあり、かつ能力に恵まれた子ども
は、こうした問題をスイスイと解いていく。それがここでいう10%の子どもということになる。

 こうした考える習慣を伸ばすのは、容易ではない。習慣というのは、そういうもので、それこそ
乳幼児期からの習慣が、大きく影響する。しかし方法が、ないわけではない。たとえば私のとこ
ろでは、パズル的な問題を、ときどきさせる。それを通して、考えることのおもしろさを教えるよ
うにしている。

 長い目でみたとき、たとえば10年とか、20年とか長い目でみたとき、この習慣のある子ども
と、そうでない子どもは、大きくちがってくる。能力ではない。習慣である。考える習慣のある子
どもは、伸びる。そうでない子どもは、伸び悩む。

 それは健康論に似ている。運動する習慣のある子どもは、健康を維持できる。しかし運動す
る習慣のない子どもは、せっかくよい素質をもっていても、やがて健康を維持できなくなる。

 だからこの時期は、考えるという習慣づくりを大切にする。その習慣があれば、それでよし。
問題が解ける、解けないは、つぎのつぎの問題。(「つぎのつぎ」というのは、一が習慣、二が
能力。三が、解ける、解けないの問題ということ。)


●敗北と挫折

 敗北が、その人の処理能力の範囲内であれば、挫折感を味わうことはない。しかしその敗北
が、その人の処理能力を超えたとき、敗北感は、そのまま挫折感へとつながる。

 「ああ、もうだめだ」というのが、挫折感。しかし挫折感のこわいのは、それで終わらないとい
うこと。

 深い
 (040203)

Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
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●ピーターパン・シンドローム

ピーターパン症候群という言葉がある。日本では、「ピーターパン・シンドローム」ともいう。いわ
ゆる(おとなになりきれない、おとな子ども)のことをいう。

この言葉は、シカゴの心理学・精神科学者であるダン・カイリーが書いた「ピーターパン・シンド
ローム」から生まれた。もともとこの本は、おとなになりきれない恋人や息子、それに夫のこと
で悩む女性たちのための、指導書として書かれた。

 症状としては、無責任、自信喪失、感情を外に出さない、無関心、自己中心的、無頓着など
があげられる。体はおとなになっているが、社会的責任感が欠落し、自分勝手で、わがまま。
就職して働いていても、給料のほとんどは、自分のために使ってしまう。

 これに似た症状をもつ若者に、「モラトリアム人間」と呼ばれるタイプの若者がいる。さらに親
への依存性がとくに強い若者を、「パラサイト人間」と呼ぶこともある。「パラサイト」というのは、
「寄生」という意味。

 さらに最近の傾向としては、おもしろいことに、どのタイプであれ、居なおり型人間がふえてい
るということ。ピーターパンてきであろうが、モラトリアム型であろうが、はたまたパラサイト型で
あろうが、「それでいい」と、居なおって生きる若者たちである。

 つまりそれだけこのタイプの若者がふえたということ。そしてむしろ、そういう若者が、(ふつう
のおとな?)になりつつあることが、その背景にある。

 概して言えば、日本の社会そのものが、ピーターパン・シンドロームの中にあるのかもしれな
い。

 国際的に見れば、日本(=日本人)は、世界に対して、無責任、自信喪失、意見を言わない
(=感情を外に出さない)、無関心、自己中心的、無頓着。

 それはともかく、ピーターパン人間は、親のスネをかじって生きる。親に対して、無意識である
にせよ、おおきなわだかまり(固着)をもっていることが多い。このわだかまりが、親への経済
的復讐となって表現される。

 親の財産を食いつぶす。親の家計を圧迫する。親の生活をかき乱す。そしてそれが結果とし
て、たとえば(給料をもらっても、一円も、家計には入れない)という症状になって現れる。

 このタイプの子どもは、乳幼児期における基本的信頼関係の構築に失敗した子どもとみる。
親子、とくに母子の関係において、たがいに(さらけ出し)と(受け入れ)が、うまくできなかった
ことが原因で、そうなったと考えてよい。そのため子どもは、親の前では、いつも仮面をかぶる
ようになる。ある父親は、こう言った。「あいつは、子どものときから、何を考えているか、よくわ
かりませんでした」と。

 そのため親は、子どもに対して、過干渉、過関心になりやすい。こうした一方的な育児姿勢
が、子どもの症状をさらに悪化させる。

 子どもの側にすれば、「オレを、こんな人間にしたのは、テメエだろう!」ということになる。も
っとも、それを声に出して言うようであれば、まだ症状も軽い。このタイプの子どもは、そうした
感情表現が、うまくできない。そのため内へ内へと、こもってしまう。親から見れば、いわゆる
(何を考えているかわからない子ども)といった、感じになる。ダン・カイリーも、「感情を外に表
に出さない」ことを、大きな特徴の一つとして、あげている。

 こうした傾向は、中学生、高校生くらいのときから、少しずつ現れてくる。生活態度がだらしな
くなったり、未来への展望をもたなくなったりする。一見、親に対して従順なのだが、その多くは
仮面。自分勝手で、わがまま。それに自己中心的。友人との関係も希薄で、友情も長つづきし
ない。

 しかしこの段階では、すでに手遅れとなっているケースが、多い。親自身にその自覚がない
ばかりか、かりにあっても、それほど深刻に考えない。が、それ以上に、この問題は、家庭とい
う子どもを包む環境に起因している。親子関係もそれに含まれるが、その家庭のあり方を変え
るのは、さらにむずかしい。

 現在、このタイプの若者が、本当に多い。全体としてみても、うち何割かがそうではないかと
思えるほど、多い。そしてこのタイプの若者が、それなりにおとなになり、そして結婚し、親にな
っている。

 問題は、そういう若者(圧倒的に男性が多い)と結婚した、女性たちである。ダン・カイリーも、
そういう女性たちのために、その本を書いた。

 そこでクエスチョン。

 もしあなたの息子や、恋人や、あるいは夫が、そのピーターパン型人間だったら、どうする
か?

 親のスネをかじるだけ。かじっても、かじっているという意識さえない。それを当然のように考
えている。そしてここにも書いたように、無責任、自信喪失、感情を外に出さない、無関心、自
己中心的、無頓着。

 答は一つ。あきらめるしかない。

 この問題は、本当に「根」が深い。あなたが少しくらいがんばったところで、どうにもならない。
そこであなたがとるべき方法は、一つ。

 相手に合わせて、つまり、そういう(性質)とあきらめて、対処するしかない。その上で、あなた
なりの生活を、つくりあげるしかない。しかしかろうじてだが、一つだけ、方法がないわけではな
い。

 その若者自身が、自分が、そういう人間であることに気づくことである。しかしこのばあいで
も、たいていの若者は、それを指摘しても、「自分はちがう」と否定してしまう。脳のCPU(中央
演算装置)の問題だから、それに気づかせるのは、容易ではない。

 が、もしそれに気づけば、あとは時間が解決してくれる。静かに時間を待てばよい。
(040201)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●プラス型とマイナス型

 情緒が不安定な子どもというのは、心がいつも緊張状態にあるのが知られている。その緊張
状態のところに、不安が入り込むと、その不安を解消しようと一挙に緊張状態が高まり、情緒
が不安定になる。

で、そのとき、激怒したり、暴れたりするタイプの子どもと、内閉したりぐずったりするタイプの子
どもがいることがわかる。一見、正反対な症状に見えるが、ともに「不安を解消しようとする動
き」ということで共通点がみられる。それはともかく、私は前者をプラス型、後者をマイナス型と
して考えるようにしている。

 ……というわけで、「プラス型」「マイナス型」という言葉は、私が考えた。

この言葉を最初に使うようになったのは、分離不安の子どもを見ていたときのことである。

子どもの世界には、「分離不安」というよく知られた現象がある。親の姿が見えなくなると興奮
状態(あるいは反対に混乱状態)になったりする。年長児についていうなら、一五〜二〇人に
一人くらいの割で経験する。

その子どもを調べていたときのことだが、症状が、@興奮状態になり、ワーワー叫ぶタイプと、
Aオドオドし混乱状態になるタイプの子どもがいることがわかった。そのときワーワーと外に向
かって叫ぶ子どもを、私は「プラス型」、内にこもって、混乱状態になる子どもを、「マイナス型」
とした。

 この分類方法は、使ってみるとたいへん便利なことがわかった。たとえば過干渉児と呼ばれ
るタイプの子どもがいる。親の日常的な過干渉がつづくと、子どもは独特の症状を示すように
なるが、このタイプの子どもも、粗放化するプラス型と、内閉するマイナス型に分けて考えるこ
とができる。子ども自身の生命力の違いによるものだが、もちろん共通点もある。ともに常識
ハズレになりやすいなど。
 
ほかにたとえば赤ちゃんがえりをする子どもも、下の子に暴力行為を繰りかえすタイプをプラス
型、ネチネチといわゆる赤ちゃんぽくなるタイプをマイナス型と分けることができる。

いじめについても、攻撃的にいじめるタイプをプラス型、もの隠しをするなど陰湿化するタイプ
をマイナス型に分けるなど。また原因はともあれ、家庭内暴力を起こす子どもをプラス型、引き
こもってしまう子どもをマイナス型と考えることもできる。表面的な症状はともかくも、その症状
を別とすると、共通点が多い。またそういう視点で指導を始めると、たいへん指導しやすい。

 こうした考え方は、もちろん確立された考え方ではないが、子どもをみるときには、たいへん
役に立つ。あなたも一度、そういう目であなたの子どもを観察してみてはどうだろうか。
 
++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
 

●親が子育てで行きづまるとき

 ある月刊雑誌に、こんな投書が載っていた。

 「思春期の二人の子どもをかかえ、毎日悪戦苦闘しています。幼児期から生き物を愛し、大
切にするということを体験を通して教えようと、犬、モルモット、カメ、ザリガニを飼育してきまし
た。庭に果樹や野菜、花もたくさん植え、収穫の喜びも伝えてきました。毎日必ず机に向かい、
読み書きする姿も見せてきました。リサイクルして、手作り品や料理もまめにつくって、食卓も
部屋も飾ってきました。

なのにどうして子どもたちは自己中心的で、頭や体を使うことをめんどうがり、努力もせず、マ
イペースなのでしょう。旅行好きの私が国内外をまめに連れ歩いても、当の子どもたちは地理
が苦手。息子は出不精。娘は繁華街通いの上、流行を追っかけ、浪費ばかり。二人とも『自
然』になんて、まるで興味なし。しつけにはきびしい我が家の子育てに反して、マナーは悪くなる
ばかり。私の子育ては一体、何だったの? 私はどうしたらいいの? 最近は互いのコミュニ
ケーションもとれない状態。子どもたちとどう接したらいいの?」(K県・五〇歳の女性)と。

 多くの親は子育てをしながら、結局は自分のエゴを子どもに押しつけているだけ。こんな相談
があった。ある母親からのものだが、こう言った。

「うちの子(小三男児)は毎日、通信講座のプリントを三枚学習することにしていますが、二枚ま
でなら何とかやります。が、三枚目になると、時間ばかりかかって、先へ進もうとしません。どう
したらいいでしょうか」と。

もう少し深刻な例だと、こんなのがある。これは不登校児をもつ、ある母親からのものだが、こ
う言った。「昨日は何とか、二時間だけ授業を受けました。が、そのまま保健室へ。何とか給食
の時間まで皆と一緒に授業を受けさせたいのですが、どうしたらいいでしょうか」と。

こうしたケースでは、私は「プリントは二枚で終わればいい」「二時間だけ授業を受けて、今日
はがんばったねと子どもをほめて、家へ帰ればいい」と答えるようにしている。仮にこれらの子
どもが、プリントを三枚したり、給食まで食べるようになれば、親は、「四枚やらせたい」「午後
の授業も受けさせたい」と言うようになる。こういう相談も多い。

「何とか、うちの子をC中学へ。それが無理なら、D中学へ」と。そしてその子どもがC中学に合
格できそうとわかってくると、今度は、「何とかB中学へ……」と。要するに親のエゴには際限が
ないということ。そしてそのつど、子どもはそのエゴに、限りなく振り回される……。

    ミ ( ⌒⌒ ) 彡
      ∞((((( )∞
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【2】特集∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●今を生きる

 今を生きることの大切さは、言うまでもない。こんな議論がある。

 ある仏教系の宗教団体の信者が、こう言った。「キリストは、最期は、はりつけになった。無
残な最期である。つまりそれこそが、キリスト教がまちがっているという証拠だ」と。

 その教団では、「結果」を重要視する。「結果を出せ」が、信仰の柱になっている。しかし、本
当に、そうか?

 遠い昔、戦前のことだが、北海道で、こんな事件があった。

 あるとき、あるところで、ブレーキが故障して、列車が坂を暴走し始めた。そのまま放ってお
けば、大事故につながる。そこで車掌は、とっさの判断で、自分の体を、線路と車輪の間に投
げ出し、自分の体を犠牲にして、その列車を止めたという。

 もしその宗教団体の教えが正しいとするなら、その車掌は、まちがっていたことになる。その
車掌は、無残な死に方をした。しかし私が仏なら、(神でもよいが)、そういう車掌を、イの一番
に、天国に迎え入れる。

 生きることに、「結果」はない。もしあるとするなら、日々の生活の、一瞬、一瞬が、その結果
である。

 もし(財産ができた)、(地位を得た)、(大学に合格した)ということが、「結果」というのなら、
その結果のあとに、何がくるというのか。まさか、それで終わりというわけでも、ないだろう。

 その教団では、「その人の結果は、臨終の姿(死に際の様子)を見ればわかる」とも教える。
そして葬式が終わると、「いい死に顔だった」「すばらしい死に顔だった」と、たがいに言いあう。

 しかし長い間、たとえばがんなどで苦しんだ人の死に顔は、決して美しいものではない。はげ
しい痛みと、苦痛が、その人の死に顔を、そういう様相にする。

しかしがんで死ぬかどうかは、確率の問題。その信仰をしたから、がんにならないとか、しなか
ったから、がんになるとか、そういうことは、ありえない。あるいは、その教団の信者には、がん
になった人はいないとでもいうのだろうか。

 私たちが将来、どんな死に方をしたとしても、それまでの人生が、それで総括されるわけでは
ない。大切なのは、「今」だ。今というときを、どう生きるか、だ。それでその人の人生は決ま
る。

 以前、こんな原稿を書いた(中日新聞掲載済み)。

+++++++++++++++++++++

●今を生きる子育て論

 英語に、『休息を求めて疲れる』という格言がある。愚かな生き方の代名詞のようにもなって
いる格言である。「いつか楽になろう、なろうと思ってがんばっているうちに、疲れてしまって、結
局は何もできなくなる」という意味だが、この格言は、言外で、「そういう生き方をしてはいけま
せん」と教えている。

 たとえば子どもの教育。幼稚園教育は、小学校へ入るための準備教育と考えている人がい
る。同じように、小学校は、中学校へ入るため。中学校は、高校へ入るため。高校は大学へ入
るため。そして大学は、よき社会人になるため、と。

こうした子育て観、つまり常に「現在」を「未来」のために犠牲にするという生き方は、ここでいう
愚かな生き方そのものと言ってもよい。いつまでたっても子どもたちは、自分の人生を、自分
のものにすることができない。あるいは社会へ出てからも、そういう生き方が基本になっている
から、結局は自分の人生を無駄にしてしまう。「やっと楽になったと思ったら、人生も終わってい
た……」と。

 ロビン・ウィリアムズが主演する、『今を生きる』という映画があった。「今という時を、偽らずに
生きよう」と教える教師。一方、進学指導中心の学校教育。この二つのはざまで、一人の高校
生が自殺に追いこまれるという映画である。

この「今を生きる」という生き方が、『休息を求めて疲れる』という生き方の、正反対の位置にあ
る。これは私の勝手な解釈によるもので、異論のある人もいるかもしれない。しかし今、あなた
の周囲を見回してみてほしい。

あなたの目に映るのは、「今」という現実であって、過去や未来などというものは、どこにもな
い。あると思うのは、心の中だけ。だったら精一杯、この「今」の中で、自分を輝かせて生きるこ
とこそ、大切ではないのか。子どもたちとて同じ。子どもたちにはすばらしい感性がある。しか
も純粋で健康だ。そういう子ども時代は子ども時代として、精一杯その時代を、心豊かに生き
ることこそ、大切ではないのか。

 もちろん私は、未来に向かって努力することまで否定しているのではない。「今を生きる」とい
うことは、享楽的に生きるということではない。しかし同じように努力すると言っても、そのつど
なすべきことをするという姿勢に変えれば、ものの考え方が一変する。

たとえば私は生徒たちには、いつもこう言っている。「今、やるべきことをやろうではないか。そ
れでいい。結果はあとからついてくるもの。学歴や名誉や地位などといったものを、真っ先に追
い求めたら、君たちの人生は、見苦しくなる」と。

 同じく英語には、こんな言い方がある。子どもが受験勉強などで苦しんでいると、親たちは子
どもに、こう言う。「ティク・イッツ・イージィ(気楽にしなさい)」と。

日本では「がんばれ!」と拍車をかけるのがふつうだが、反対に、「そんなにがんばらなくても
いいのよ」と。ごくふつうの日常会話だが、私はこういう会話の中に、欧米と日本の、子育て観
の基本的な違いを感ずる。その違いまで理解しないと、『休息を求めて疲れる』の本当の意味
がわからないのではないか……と、私は心配する。

++++++++++++++++++++

 ある母親は、息子(中三)が高校受験に失敗した日のこと、私にこう言った。

 「先生、すべてがムダでした。あの子を小さいときから、英語教室や、算数教室に通わせまし
たが、結局はムダでした……」と。

 結果だけをみて、人生を判断する人は、そういう考え方をする。日本の仏教そのものが、結
果を重視する。だから、日本人は、多かれ少なかれ、何かにつけて結果をみて、ものごとを判
断する。そういう傾向が強い。

 しかし結果などというものは、放っておいても、あとから必ずついてくる。その結果がどうであ
れ、大切なことは、今を懸命に生きること。あとのことは、あとに任せばよい。あのアインスタイ
ンも、こう言っている。

「私は未来のことについては、決して何も考えない。未来はやがてきっとやってくるから」(「語
録」)と。

旧約聖書の中にも、こうある。『汝、明日のことを語るなかれ。それは一日の生ずるところの如
何なるを、知らざればなり』(箴言27−1)と。

 最初の話に、もどる。

 私やあなただって、明日、交通事故か何かで、無残な死に方をするかもしれない。しかしだか
らといって、今、懸命に生きている私やあなたが、否定されるわけではない。

 もっと身近な例では、事業に失敗したとか、あるいは会社をクビになったからといって、その
人の人生すべてが、否定されるわけではない。その人が、懸命に生きてきたという事実まで
は、だれにも消すことはできない。

 大切なのは、「今」なのだ。どこまでいっても、「今」なのだ。繰りかえすが、今、どう生きている
か、なのだ。結果は、放っておいても、必ず、あとからついてくる。
(030131)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●カルトに気をつけよう

 大不況、温暖化、国際情勢の不安定化、鳥インフルエンザ、SARSなどなど。私たちを取り
巻く環境は、ますます悪化しています。

 当然のことながら、人々の心は、それに並行して、不安定になります。私もそうですが、あな
たも、そうではないでしょうか。

 こういうとき、あやしげなカルト教団が、一挙に勢力を伸ばします。戦後直後の日本、旧東ド
イツ崩壊後のドイツ、旧ソ連崩壊後のロシアに例を見るまでもありません。

 現に今、私のまわりにも、実にあやしげなカルト教団が、近づきつつあります。たいていは終
末論や末法論を唱え、「この信仰をしたものだけが救われる」などと、説きます。

 みなさん、常識を信じましょう!

 私たちが数十万年という長い年月を経て、身につけた常識です。その常識に従って、判断
し、行動しましょう。いえ、決して、むずかしいことではありません。おかしいものは、おかしいと
思えばよいのです。たったそれだけのことです。

 もし私たちがすることがあるとすれば、その常識をみがくことです。本を読み、映画を見て、
音楽を聞く。自然の中を歩き、人と会い、ごく日常的な生活をする。奇をてらった修行をしたか
ら、その境地に達せれるとか、しなかったから、達せられないとか、そういうことではありませ
ん。

 野に遊ぶ動物や、同じく野に咲く花を見れば、それがわかるはずです。動物や、花が、そん
なことを、しているでしょうか。私たち人間も、まさに自然の一部です。だったら、自然に生きて
いきましょう。自然とともに、生きていきましょう。

 たしかにいろいろな問題が、起きてきています。そしてそのつど、私たちは、不安になります。
私たちだけのことならともかくも、子どもの未来を考えると、暗澹(あんたん)たる気持ちになり
ます。

 しかしそのときでも、常識に従って生きていきましょう。人間として、人間の道を生きていけ
ば、それでよいのです。

 その結果、人間は、どうなるか? それは私にもわかりませんが、同時に、私は、人間がもつ
知恵や勇気、英知や努力を信じます。みんながそういう力を結集すれば、そういう問題を、ひと
つひとつ克服できるはずです。逃げるのではなく、絶望するのではなく、最後の最後まで、戦う
のです。

 みなさん、常識を信じましょう!

 つぎの詩は、五年ほど前に書いた詩です(中日ショッパー掲載済み)。今でも、私のこの心
は、まったく変わっていません。

++++++++++++++++++++++

●子どもたちへ

 魚は陸にあがらないよね。
 鳥は水の中に入らないよね。
 そんなことをすれば死んでしまうこと、
 みんな、知っているからね。
 そういうのを常識って言うんだよね。

 みんなもね、自分の心に
 静かに耳を傾けてみてごらん。
 きっとその常識の声が聞こえてくるよ。
 してはいけないこと、
 しなければならないこと、
 それを教えてくれるよ。

 ほかの人へのやさしさや思いやりは、
 ここちよい響きがするだろ。
 ほかの人を裏切ったり、
 いじめたりすることは、
 いやな響きがするだろ。
 みんなの心は、もうそれを知っているんだよ。
 
 あとはその常識に従えばいい。
 だってね、人間はね、
 その常識のおかげで、
 何十万年もの間、生きてきたんだもの。
 これからもその常識に従えばね、
 みんな仲よく、生きられるよ。
 わかったかな。
 
そういう自分自身の常識を、
 もっともっとみがいて、
 そしてそれを、大切にしようね。
(詩集「子どもたちへ」より)
 
+++++++++++++++++++++++

 あの釈迦も、法句経の中で、こう言っています。『己(おのれ)こそ、己のよるべ。己をおきて、
誰によるべぞ』と。

 生きていくのは、私であり、あなたです。そういう人たちが、常識という輪の中で、力を合わせ
て生きていく。そこに人間の尊さがあるのではないでしょうか。

 その釈迦の言葉で思い出したのが、つぎの原稿です。少し趣旨が脱線しますが、ぜひ、読ん
でいただきたい原稿(中日新聞掲載済み)です。

++++++++++++++++++++++++
 
●己こそ、己のよるべ

 法句経の一節に、『己こそ、己のよるべ。己をおきて、誰によるべぞ』というのがある。

法句経というのは、釈迦の生誕地に残る、原始経典の一つだと思えばよい。釈迦は、「自分こ
そが、自分が頼るところ。その自分をさておいて、誰に頼るべきか」と。つまり「自分のことは自
分でせよ」と教えている。

 この釈迦の言葉を一語で言いかえると、「自由」ということになる。自由というのは、もともと
「自らに由る」という意味である。つまり自由というのは、「自分で考え、自分で行動し、自分で
責任をとる」ことをいう。好き勝手なことを気ままにすることを、自由とは言わない。子育ての基
本は、この「自由」にある。

 子どもを自立させるためには、子どもを自由にする。が、いわゆる過干渉ママと呼ばれるタイ
プの母親は、それを許さない。先生が子どもに話しかけても、すぐ横から割り込んでくる。

 私、子どもに向かって、「きのうは、どこへ行ったのかな」
母、横から、「おばあちゃんの家でしょ。おばあちゃんの家。そうでしょ。だったら、そう言いなさ
い」
私、再び、子どもに向かって、「楽しかったかな」母、再び割り込んできて、「楽しかったわよね。
そうでしょ。だったら、そう言いなさい」と。

 このタイプの母親は、子どもに対して、根強い不信感をもっている。その不信感が姿を変え
て、過干渉となる。大きなわだかまりが、過干渉の原因となることもある。ある母親は今の夫と
いやいや結婚した。だから子どもが何か失敗するたびに、「いつになったら、あなたは、ちゃん
とできるようになるの!」と、はげしく叱っていた。

 次に過保護ママと呼ばれるタイプの母親は、子どもに自分で結論を出させない。あるいは自
分で行動させない。いろいろな過保護があるが、子どもに大きな影響を与えるのが、精神面で
の過保護。「乱暴な子とは遊ばせたくない」ということで、親の庇護のもとだけで子育てをするな
ど。子どもは精神的に未熟になり、ひ弱になる。俗にいう「温室育ち」というタイプの子どもにな
る。外へ出すと、すぐ風邪をひく。

 さらに溺愛タイプの母親は、子どもに責任をとらせない。自分と子どもの間に垣根がない。自
分イコール、子どもというような考え方をする。ある母親はこう言った。「子ども同士が喧嘩をし
ているのを見ると、自分もその中に飛び込んでいって、相手の子どもを殴り飛ばしたい衝動に
かられます」と。

また別の母親は、自分の息子(中二)が傷害事件をひき起こし補導されたときのこと。警察で
最後の最後まで、相手の子どものほうが悪いと言って、一歩も譲らなかった。たまたまその場
に居あわせた人が、「母親は錯乱状態になり、ワーワーと泣き叫んだり、机を叩いたりして、手
がつけられなかった」と話してくれた。

 己のことは己によらせる。一見冷たい子育てに見えるかもしれないが、子育ての基本は、子
どもを自立させること。その原点をふみはずして、子育てはありえない。

+++++++++++++++++++++++

 私たちは、人間として、相手がたとえ神であろうが、仏であろうが、過干渉されてはいけない
のです。過保護にされてもいけないし、溺愛されてもいけない。

 これから先、あなたのところにも、あやしげなカルトが忍び寄ってくるはずです。どうか、みな
さんも、どうか、くれぐれも、ご注意ください。
(040201)

●われ思う、ゆえに、われあり。(デカルト「方法序説」)

【3】心に触れる(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞691

人間は、知的生物?

●火星

 【ワシントン31日共同】米航空宇宙局(NASA)は、米東部時間1月31日朝(日本時間同日
夜)、火星に着陸した無人探査車の2号機オポチュニティーを、着陸用の台から火星の表面に
降ろす作業に成功した。

 何でも、オポチュニティーの近くには、(水があったことを示す)痕跡が確認されたという。これ
からその分析を始めるそうだが、もし水があったことが確認されたら、宇宙の歴史は、ひっくり
返るかもしれない。

 その一。水があったということは、火星の気温は、0度から100度までの範囲であったという
ことになる。もちろん大気もあったということになる。そうであれば、そこには、何らかの生物が
住んでいた可能性が、きわめて高くなる。

 その二。水も大気もあった火星が、なぜ今のような火星になってしまったかということ。火星で
も、たとえば今の地球が経験しているような温暖化現象が、あったとでもいうのだろうか。その
可能性もきわめて、高くなる。

 もっとも私のような素人がこんなことを論じても、意味はない。しかし空想することは、私でも、
できる。こうした空想は、何も、専門家の特権ではない。

 一説によれば、火星にも、昔、知的生物がいたという。そしてその生物が進化して、地球の
人間のような知的生物になったという。その知的生物が、化石燃料(石油や石炭)などを燃や
し、温暖化を引き起こした?

 こういう話は、おもしろいと同時に、ぞっとする。火星の過去と現在は、まさに地球の未来でも
あるからである。あるいは本当に、いつか、地球も、今の火星のようになってしまうのだろうか。
現に今、地球の温暖化は、不気味なほど、確実に、かつ急速に進行しつつある。日本は、海に
囲まれた島国だから、それほど温暖化を感じないが、オーストラリアでは、そうではない。

 去年の夏も暑かったそうだが、今年も、あのメルボルン市でさえ、連日40度を超える猛暑が
つづいたという。35年前には、世界でも、一年をとおして、気候がもっとも温暖なところとして知
られていた都市である。

メルボルン市のことを、別名、「ガーデン・シティ(田園都市)」という。市の三分の一が、公園。
町の中に公園があるというよりは、公園の中に町があるといった感じの都市である。そのメル
ボルン市ですら、ここ五、六年、たいへん住みにくくなってきているという。

ほかの国々における異常気象については、いまさら言うまでもない。

 どこかの科学者が、こう言っていた。「火星を知るということは、地球の未来を知ることだ」と。

なぜ火星が今のような火星になってしまったかがわかれば、そのこと自体が、人類に対する大
きな警鐘になることだけは、まちがいないようだ。


●中途半端な知的生物
 
 「知的生物」について、一言。

 人間は、一応、知的生物ということになっている。しかし本当に知的生物かというと、それは
疑わしい。火星に探査ロケットを打ち上げる能力をもっている一方で、サルでもしないような愚
劣なこともしている。

 そういう意味では、人間は、中途半端な知的生物ということになる。

 しかし何ごとも、中途半端であることが、一番、悪い。危険。たとえばこんなことがある。

 山荘へ行く途中に、小さな山がつづくところがある。国道からそれて、山のわき道に入ったと
ころだが、その山の一角からは、いつも、モクモクと黒煙があがっている。晴れの日も、雨の日
も、一年中である。

周囲には、工事現場から出たと思われる廃材が、山のようになっている。

一度私たちは車を止めて中へ入ってみたが、人影はなかった。一角だけが、高い塀で囲ま
れ、その中で、廃材を燃やしていた。黒煙は、いつもそこから出ている。

 ここに人間の愚劣さが、ある。(サルでもしないような愚劣なこと)というのは、そういう行為を
いう。恐らくというより、まちがいなく、その業者は、モグリである。モグリで廃材を処理してい
る。いくら生きるためとはいえ、そんな形で、公害をまき散らしたら、この地球は、いったい、ど
うなる? 

 しかしそういう人たちを、責めても、意味はない。この私とて、そしてあなたとて、同じ立場に
置かれたら、同じことをするかもしれない。あるいは日常的に、同じようなことをしているかもし
れない。つまり私がいう、(中途半端)という意味は、そこにある。

 つまりこの中途半端さがなくならないかぎり、人間は、決して知的生物には、なりえない。言う
なれば人間は、今、動物園に住む動物たちと、いわゆる知的生物の中間あたりを、フラフラし
ているような状態ではないか。冒頭に書いたように、火星に探査ロケットをあげながら、その一
方で、サルでもしないようなことをしている。

 言うまでもなく、人間が知的生物になるためには、考えること。ただひたすら考えること。考え
て、考え抜くこと。まず考える。行動は、必ず、あとからついてくる。そしてもし、広く、人間教育
というものがあるとするなら、それは考える習慣を、どうやって身につけるかということに行き着
く。

 以前、子どもの教育に関して、こんな原稿を書いた(中日新聞掲載済み)。

++++++++++++++++

知識と思考を区別せよ!

思考と情報を混同するとき 

●人間は考えるアシである

パスカルは、『人間は考えるアシである』(パンセ)と言った。『思考が人間の偉大さをなす』と
も。よく誤解されるが、「考える」ということと、頭の中の情報を加工して、外に出すというのは、
別のことである。たとえばこんな会話。

A「昼に何を食べる?」、B「スパゲティはどう?」、A「いいね。どこの店にする?」、B「今度でき
た、角の店はどう?」、A「ああ、あそこか。そう言えば、誰かもあの店のスパゲティはおいしい
と話していたな」と。

 この中でAとBは、一見考えてものをしゃべっているようにみえるが、その実、この二人は何も
考えていない。脳の表層部分に蓄えられた情報を、条件に合わせて、会話として外に取り出し
ているにすぎない。もう少しわかりやすい例で考えてみよう。

たとえば一人の園児が掛け算の九九を、ペラペラと言ったとする。しかしだからといって、その
園児は頭がよいということにはならない。算数ができるということにはならない。

●考えることには苦痛がともなう

 考えるということには、ある種の苦痛がともなう。そのためたいていの人は、無意識のうちに
も、考えることを避けようとする。できるなら考えないですまそうとする。

中には考えることを他人に任せてしまう人がいる。あるカルト教団に属する信者と、こんな会話
をしたことがある。私が「あなたは指導者の話を、少しは疑ってみてはどうですか」と言ったとき
のこと。その人はこう言った。「C先生は、何万冊もの本を読んでおられる。まちがいは、ない」
と。

●人間は思考するから人間

 人間は、考えるから人間である。懸命に考えること自体に意味がある。デカルトも、『われ思
う、ゆえにわれあり』(方法序説)という有名な言葉を残している。正しいとか、まちがっていると
かいう判断は、それをすること自体、まちがっている。こんなことがあった。

ある朝幼稚園へ行くと、一人の園児が、わき目もふらずに穴を掘っていた。「何をしている
の?」と声をかけると、「石の赤ちゃんをさがしている」と。その子どもは、石は土の中から生ま
れるものだと思っていた。おとなから見れば、幼稚な行為かもしれないが、その子どもは子ども
なりに、懸命に考えて、そうしていた。つまりそれこそが、パスカルのいう「人間の偉大さ」なの
である。

●知識と思考は別のもの

 多くの親たちは、知識と思考を混同している。混同したまま、子どもに知識を身につけさせる
ことが教育だと誤解している。「ほら算数教室」「ほら英語教室」と。

それがムダだとは思わないが、しかしこういう教育観は、一方でもっと大切なものを犠牲にして
しまう。かえって子どもから考えるという習慣を奪ってしまう。もっと言えば、賢い子どもというの
は、自分で考える力のある子どもをいう。

いくら知識があっても、自分で考える力のない子どもは、賢い子どもとは言わない。頭のよい悪
いも関係ない。映画『フォレスト・ガンプ』の中でも、フォレストの母はこう言っている。「バカなこ
とをする人のことを、バカというのよ。(頭じゃないのよ)」と。ここをまちがえると、教育の柱その
ものがゆがんでくる。私はそれを心配する。

(付記)

●日本の教育の最大の欠陥は、子どもたちに考えさせないこと。明治の昔から、「詰め込み教
育」が基本になっている。

さらにそのルーツと言えば、寺子屋教育であり、各宗派の本山教育である。つまり日本の教育
は、徹底した上意下達方式のもと、知識を一方的に詰め込み、画一的な子どもをつくるのが基
本になっている。もっと言えば「従順でもの言わぬ民」づくりが基本になっている。

戦後、日本の教育は大きく変わったとされるが、その流れは今もそれほど変わっていない。日
本人の多くは、そういうのが教育であると思い込まされているが、それこそ世界の非常識。

ロンドン大学の森嶋通夫名誉教授も、「日本の教育は世界で一番教え過ぎの教育である。自
分で考え、自分で判断する訓練がもっとも欠如している。自分で考え、横並びでない自己判断
のできる人間を育てなければ、二〇五〇年の日本は本当にダメになる」(「コウとうけん」・九八
年)と警告している。

●低俗化する夜の番組

 夜のバラエティ番組を見ていると、司会者たちがペラペラと調子のよいことをしゃべっている
のがわかる。しかし彼らもまた、脳の表層部分に蓄えられた情報を、条件に合わせて、会話と
して外に取り出しているにすぎない。

一見考えているように見えるが、やはりその実、何も考えていない。思考というのは、本文にも
書いたように、それ自体、ある種の苦痛がともなう。人によっては本当に頭が痛くなることもあ
る。また考えたからといって、結論や答が出るとは限らない。そのため考えるだけでイライラし
たり、不快になったりする人もいる。だから大半の人は、考えること自体を避けようとする。

 ただ考えるといっても、浅い深いはある。さらに同じことを繰り返して考えるということもある。
私のばあいは、文を書くという方法で、できるだけ深く考えるようにしている。また文にして残す
という方法で、できるだけ同じことを繰り返し考えないようにしている。

私にとって生きるということは、考えること。考えるということは、書くこと。モンテーニュ(フラン
スの哲学者、一五三三〜九二)も、「『考える』という言葉を聞くが、私は何か書いているときの
ほか、考えたことはない」(随想録)と書いている。ものを書くということには、そういう意味も含
まれる。

+++++++++++++++++++

 今、人間は、たいへんな危機的な状況にあると考えてよい。まさに地球そのものが、亡びる
かもしれないという状況である。言うなれば、人間の知的能力が、まさにためされているときと
いうことになる。

 そこでどうだろう、こう考えてみたら。

 つまり人間は、知的生物ではないという前提で、人間を自らながめてみる、と。もっとはっきり
言えば、私たち人間は、自分たちを知的生物と思いこんでいるだけ、と。そういう前提で、もう
一度、私たち自身を、見なおしてみる。

 火星はともかくも、この宇宙には、無数の知的生物がいるとされる。この地球上で、人間だけ
が決してゆいいつの生物でないのと同じように、宇宙では、この人間だけが決して、ゆいいつ
の知的生物ではない。

 しかも人間というのは、ひょっとしたら、宇宙に住む知的生物たちから見たら、きわめて原始
的な生物かもしれない。そういう視点をもって、もう一度、人間自身をみてみる。わかりやすく言
えば、私たちのもつ知的レベルに対して、謙虚になるということ。すべては、そこから始まる。

 はからずも、私は昨日、市の動物園へ行ってみた。そしていつも、あのサルの集団を見る
と、考えさせられる。実は、昨日も、そうだった。

 あのサルたちは、絶対に、自分たちは、バカだと思っていない。自分がバカだとわかるのは、
自分自身がそのつど、はるかに高い視点をもったときである。しかしその高い視点をもつこと
ができないサルには、それがわからない。

 同じように、ほとんどの人間は、自分がバカだとは思っていない。それがわかるだけの高い
視点すらもっていない。

 では、どうするか? ……結局は、先のエッセーの中に書いたように、「考える」こと。すべて
は、ここへ行き着く。考えて、考え抜く。そうすることで、人間は、ほんの数センチかもしれない。
数ミリかもしれない。しかしそれでも、ほんの少しだけ、高い視点から自分を見ることができる。
それまでの自分が、バカだったと気づくことができる。

 何ともこみいったエッセーになってしまったが、要するに、私たち人間は、実に中途半端な知
的生物であるということ。私は、それが言いたかった。
(040201)

     ミ ( ⌒⌒ ) 彡
      ∞((((( )∞
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【4】フォーラム∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●自己紹介

【はやし浩司のわけ】

 改めて、自己紹介します。

 本名は、「林 浩司」といいます。「はやし・ヒロシ」と読みます。

 大学時代、みなは、私のことを、「はやし・コージ」と、呼びました。いつの間にか、そうなりまし
た。しかし正しくは、「はやし・ヒロシ」です。

 で、ペンネームは、「はやし浩司」です。

 「林」を、「はやし」にしたのには、二つの理由があります。

 幼稚園で働いているころ、いつも私は、自分の名前を、「はやし」とひらがなで書いていまし
た。それで、「林」より、「はやし」のほうに、なじみができてしまったこと。

 もう一つは、同じ町内に、同姓同名、同じ読み方をする人が、住んでいたこと。この方は一〇
年ほど前になくなりましたが、私の名前ほど、ありふれた名前もありません。

 現在でも浜松市内には、電話帳で調べただけでも、「林・ヒロシ」「林・コージ」という人は、七、
八人もいます。約200倍すれば日本の人口になりますから、この日本には、「林・ヒロシ」「林・
コージ」という人は、1500人くらいはいるという計算になります。

 それで「はやし浩司」にしました。

 私は、このペンネームが、とても気にいっています。「林」という文字は、どこかトゲトゲしいの
で、あまり好きではありません。

【住んでいるところ】

 住所は、浜松市のI町というところです。(インターネットでは、あまり個人情報を漏らさないと
いうのが、原則になっていますから、この程度でごめんなさい。私自身は、住所を明かしても構
わないと思っていますが、中には、悪い人もいますので……。)

 I町だけでも、一万世帯近くも住んでします。昔からの、大きな町です。私は、このI町に住ん
で、今年(04)でちょうど二七年目になります。浜松へ来てからは、三三年目になります。

 私の家は、浜松市の中心部と、浜名湖のちょうど中間あたりのところにあります。やや丘の
上、新興住宅地の一角です。新幹線で、そのあたりを通ったら、北の方を見てください。線路
からは、二キロくらい離れたところです。

 いつもさんさんと、太陽の陽光がさしているところが私の家……というのは、ウソですが、私
の家は、日当たりのよいところにあります。

【私のこと】

 ときどき私は、どんな人間なのだろうと考えます。

 しかし本当のところ、自分のことは、よくわからないでいます。まじめな人間なのか、そうでな
いのかさえわかりません。だいたいにおいて、まじめな人間というのは、どういう人間をいうの
か、その基準は何なのか、と。そんなことまで考えていくと、ますますわからなくなってしまいま
す。

 まあ、あえていうなら、ふつうの人間ではないのかなと思いますが、「ふつう」という意味も、こ
れまたよくわかりません。

 それにいろいろな面が、あります。混在しているというか、めちゃめちゃ。気が小さいくせに、
意外と、大きなこともしてしまう……。趣味にしても、そのつど、コロコロ変る。正義感は結構強
いくせに、どこか小ずるいところがある、などなど。

 だから自分のことを、どう書いたらよいのでしょうか。別のところで、自己紹介の記事を書い
ておきましたので、興味のある方は、またそちらを読んでください。(私のHPのトップページか
ら、左上、「思想」)

 外見は、数字で表すことができます。

 身長は166センチ。このところ体を丸めて歩くことが多くなったので、見た目には、それよりも
低く見えるはずです。

 体重は、今は67キロ(04・2)。顔は、写真のとおりですが、みなは、「年齢にしては、若く見
える」と言ってくれます。

 メガネをかけた、ダサイ感じの男です。自分でも、それがよくわかっています。ラブロマンスな
ど、私には無縁でした。一、二度、それらしきことは、あったかなあ、という感じです。三枚目
で、ドジ。おっちょこちょい。笑わせ名人で、ひょうきんものです。

 今のところこれといった病気もなく、健康です。生涯において、病院のベッドの上で、寝たこと
は、一度もありません。

血圧は低く、上が100前後。下が60前後です。脈は遅いです。健康診断では、いつもひっか
かります。

 私の健康法は、ただひたすら毎日、自転車で走ること。あとは食べ物には、何かと注意して
います。

【生活信条】

 「生活信条」と、自分で書いて、ウーンと、今、うなってしまいました。

 「そんなもの、あるのかア?」と思っています。毎日、惰性で生きているだけという感じです。こ
れといった主義や主張も、ほとんど、ありません。精神力はもともと軟弱だし、情緒も不安定。
行動力もこのところ、どんどん鈍ってきています。

 まあ、あえていうなら、今は、もう自分を飾らないで生きていこうと思っていることかな。ありの
ままの自分を、そのままさらけ出していこうと、です。

 私は、ずっと、自分を偽って生きてきたように思います。「どうすれば優等生に見られるだろ
う」「どうすれば、相手にいい人だと思われるだろう」と、そんなことばかりを考えて、生きてきた
ように思います。

 だから、そういう自分と、はやく決別したいです。私は私のまま、自分の人生を、生きたいで
す。残りの人生も、短くなってきたことだし……。

 愛想よくしたり、相手の機嫌をとったり、へつらったり、そういうことだけは、しないようにと、心
がけています。

 そんなわけで「信条」と言えるかどうかはわかりませんが、今は、「自分に正直に生きる」が、
ひとつの目標になっています。
(新HP用)
(040201)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●展望性と回顧性(2)

 自分の未来や将来は、どうなのか。どうあるべきなのか。それを頭の中で組み立てることを、
展望性という。未来や将来に、夢や希望をはせらすことも、それに含まれる。

 一方、自分の過去は、どうであったのか。どこにどんな問題があったのかを反省することを、
回顧性という。思い出にひたったり、過去をなるかしむのも、それに含まれる。

 賢人は、ハバ広い展望性と、回顧性を、いつも同時にもつ。しかし愚人は、そのどちらもハバ
が狭い。その場だけを、享楽的に過ごす。それでよしとする。

 概して言えば、若い人は、よりハバの広い展望性をもち、老人は、よりハバの広い回顧性を
もつと言われている。そこであなた自身の展望性と、回顧性が、どの程度のハバをもっている
かを知るとよい。それによって、あなたの精神年齢を、推定することができる。

 もしあなたが今でも、未来に向かって、目標や目的をもち、生き生きとしているなら、展望性
のハバは広いということになり、あなたは精神的に若いということになる。しかしいつも過去をな
つかしんだり、過去の栄華や、過去の思い出にひたってばかりいるというのであれば、あなた
の精神年齢は、老人のそれということになる。

 その展望性と回顧性は、満60歳前後を境として、入れかわると言われている。つまり満60
歳を過ぎると、展望性よりも回顧性のほうが、強くなるという(心理学者のB・ボナーら)。

 実は、私も何かにつけて、このところ回顧性が強くなったように思う。昨夜も、ある飲食店で、
オーストラリアの旅行案内書を読んでいたときのこと。その一頁に、ジーロン(メルボルンの南
にある町)から、ローン(避暑地)を経て、アデレード(南オーストラリア州の州都)にのびる街道
のことが、書いてあった。

 「グレート・オーシャン・ロード」という名前の道路である。第一次大戦の退役軍人らが建設し
た道と聞いている。

 その街道の記事が、その本に載っていた。

 その記事を読んでいたときのこと、いつしか私の目は、涙で、うるんできてしまった。私には、
思いで深い街道だった。今でも、私の机の上には、その街道の写真が飾ってある。

 「また行きたいな」という思いと、「もう死ぬまで行けないかもしれない」という思いが、その記
事を読んでいるとき、複雑に交錯した。

 つまりそのとき、自分の心の中で、ここでいう展望性と回顧性が、同時に交錯したことにな
る。もちろん若いときは、そういう感情をもつことは、なかった。「もう死ぬまで……」などとは、
考えもしなかった。未来は、永遠につづくように思っていた。

 だからといって、回顧性をもつことが悪いということではない。若いころの自分を回顧すること
で、私の中の心のハバを広くすることができる。ただ、それにひたりすぎるのは、よくない。あく
までも、過去は過去。未来を、よりよく生きるために、過去は、ある。

 あえて言うなら、こうして過去を回顧することによって、生きることにまつわる「いとおしさ」のよ
うなものを知ることができる。生きることのすばらしさというか、美しさというか、そういうもので
ある。おかしな感覚だが、懸命に生きてきた、自分が、どういうわけか、かわいい。いとおしい。
そして当然のことながら、なつかしい。

 が、そのままここに、立ち止まるわけには、いかない。

 私は、今、こうしてここに生きている。そして、まだまだ生きなければならない。生きることをあ
きらめるわけには、いかない。そこで大切なのは、いかにして、展望性のハバを広くするかとい
うこと。

 一〇年後も、二〇年後も、今日と同じように、「今」はある。青い空がそこにあって、冬であれ
ば、冷たい風が吹いている。そのとき、私は、いったいどうなっているだろうか。今のままなら、
多分、一〇年後も、今と同じように元気で、生きていると思う。しかし二〇年後は、わからない。
そのときも、私は今の私のように、まだ心の荒野の中を、前に向って進んでいるだろうか…
…。健康や生活は、どうだろうか……。

 展望性と回顧性。この二つには、より心豊かに生きるための、重要なカギが隠されているよ
うに思う。今は、その程度のことしか、わからないが、この先、機会があれば、またゆっくりと考
えてみたい。
(040201)

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●老いては子に従え

 昔から「老いては子に従え」(「老いては則ち子に従う」(龍樹「大智度論」))という。

しかし本当にそうか? この格言を裏から読むと、「老いるまでは、子に従わなくてもよい」とい
う意味になる。もしそうなら、これほどごう慢な考え方もない。

 ある女性(七〇歳)は、息子(四〇歳)の通帳から無断で預金を引き出し、それを使ってしまっ
た。そのことが発覚すると、その女性は、「親が先祖を守るために、子どもの貯金を使って何
が悪い」と居なおったという。

問題はそのあとだが、その女性の周囲の人たちの意見は、二つに分かれた。「たとえ親でもま
ちがったことをしたら、子どもに謝るべきだ」という意見と、「親だから子どもに謝る必要はない」
という意見である。

このケースで、「老いては子に従え」ということを声高に言う人ほど、後者の考え方をする。つま
り「親には従え」と。

 が、この「老いては子に従え」という考え方には、もう一つの問題が隠されている。つまり依存
性の問題である。「子に従う」というのは、まさに「依存性」の表れ、そのものといってもよい。
「老いたら子どもにめんどうをみてもらわねばならないから、子どもには従え」という考え方が、
その底流にある。しかし本当にそれでよいのか? 

 老いても子どもに従う必要はない。親は親で、それこそ死ぬまで前向きに生きればよい。もち
ろん親ががんこになり、自分の考えを子どもに押しつけるのはよくないが、そんなことは親子に
限らず、どんな世界でも常識ではないか。

この格言が生まれた背景には、「いつまでも親風(=親の権威)を吹かすのはよくない。老いた
ら親風を吹かすのをやめろ」という意味がこめられている。つまり親の権威主義が、その前提
にある。となると、もともとこの格言は、権威主義的なものの考え方が基本になっていることを
示す。言いかえると、権威主義的な親子関係を否定する家庭では、そもそもこの格言は必要
ないということになる。

 少しまわりくどい言い方になってしまったが、私たちはときとして安易に過去をひきずってしま
うことがある。たとえばこの格言にしても、今でも広く使われている。しかし無意識であるにせ
よ、「老いては子に従え」と言いつつ、その一方で、親の権威主義を肯定し、さらにその背後で
過去の封建主義的な体質を引きずってしまう。それがこわい。そこでどうだろう。あえてこう言
いなおしてみたら……。

 「老いたら、親は自分の生きザマを確立し、それを子どもに手本として見せよう」と。
 ちなみに小学六年生一〇人に、「親でもまちがったことをしたら、子どもに謝るべきか」と聞い
たところ、全員が、「当然だ」と答えた。いくらあなたが権威主義者でも、もうこの流れを変える
ことはできない。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●ノーブレイン

 英語に「ノーブレイン(脳がない)」という言い方がある。「愚か」という意味ではない。ふつう
「考える力のない人」という意味で使う。「賢い(ワイズ)」の反対の位置にある言葉だと思えばよ
い。「ヒー・ハズ・ノー・ブレイン(彼は脳がない)」というような使い方をする。

 そのノーブレインだが、このところ日本人全体が、そのノーブレインになりつつあるのではな
いか。

たとえばテレビ番組に、バラエィ番組というのがある。チャラチャラしたタレントたちが、これま
たチャラチャラとした会話を繰り返している。どのタレントも思いついたままを口にしているだ
け。一見、考えてしゃべっているように見えるが、その実、何も考えていない。脳の表層部分に
飛来する情報を、そのつど適当に加工して口にしているだけ。

考える力というのは、みながみな、もっているわけではない。仮にもっていたとしても、考えるこ
とにはいつも、ある種の苦痛がともなう。それは難しい数学の方程式を解くような苦痛に似てい
る。しかも考えて解ければそれでよし。「解いた」という喜びが快感になる。しかしたいていは答
そのものがない。考えたところで、どうにもならないことが多い。そのためほとんどの人は、無
意識のうちにも、考えることを避けようとする。

言いかえると、「考える人」は、少ない。「考える習慣のある人」と言いかえたほうが正しいかも
しれない。その習慣のある人は少ない。私が何か問いかけても、「そんなめんどうなこと考えた
くない」とか、反対に、「もうそんなめんどうなこと、考えるのをやめろ」とか言う人さえいる。

人間は考えるから人間であって、もし考えることをやめてしまったら、人間は人間でなくなってし
まう。少なくとも、人間と、他の動物を分けるカベがなくなってしまう。「考える」ということには、
そういう意味が含まれる。

ただここで注意しなければならないのは、考えるといっても、@その方法と、A内容である。こ
れについてはまた別のところで結論を出すが、私のばあい、自分の考えが、ループ状態(堂々
巡り)にならないように注意している。またそれだけは避けたいと思っている。

一度そのループ状態になると、一見考えているように見えるが、そこで思考が停止してしまう。
それに私のばあい、これは私の思考能力の欠陥と言ってよいのだろうが、大きな問題と小さな
問題を同時に考えたりすると、その区別がつかなくなってしまう。

ときとしてどうでもよいような問題にかかりきりになり、自分を見失ってしまう。「考える」というこ
とには、そういうさまざまな問題が隠されてはいる。しかしやはり「人間は考えるから人間」であ
る。それは人間が人間であることの大前提といってもよい。つまり「ノーブレイン」であることは、
つまりその人間であることの放棄といってもよい。

人間を育てるということは、その「考える子ども」にすることである。

    ミ ( ⌒⌒ ) 彡
      ∞((((( )∞
      │6 6 b
      (" 。 "人
     ヽ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄ヽ
     ○  ヽ ABC ○
   ̄ ̄ ̄ヽ  ヽ    ヽ ̄ ̄ ̄    何か、テーマがあれば、
       ̄ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄        掲示板にお書き込みください。

【2】特集∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

失意、絶望との戦い

●絶望論

 巨大な隕石が地球に向かっている。もしそれが地球と衝突すれば、地球そのものが、破壊さ
れるかもしれない。もちろん地球上の、あらゆる生物は死滅する。

 SF映画によく取りあげられるテーマだが、もしそういうことになったら……。人々は、足元を
すくわれるような絶望感を味わうに違いない。自分が何であるかさえわからない絶望感と言っ
てもよい。だれと話しても、何を食べても、また何をしても、自分がどこにいるかさえわからな
い。そんな絶望感だが、しかしこうした絶望感は、隕石が地球に衝突するという大げさな話は
別として、つまり大小さまざまな形で、人を襲う。そしてそのつど人々は何らかの形で、日々に、
その絶望感を味わう。

 仕事がうまく、いかないとき。人間関係が、つまずいたとき。大きな病気になったとき。社会情
勢や、経済情勢が不安定になったとき。国際問題が、こじれたとき、など。人間には、希望もあ
るが、同時に絶望もある。しかしこの二つは、対等ではない。希望からは絶望は生まれない
が、希望は、絶望の中から生まれる。人々はそのつど、絶望しながら、その中から懸命に希望
を見出そうとする。そしてそれが、そのまま生きる原動力となっていく。

 SF映画の世界では、たいてい何人かの英雄が現れて、その隕石と戦う。ロケットに乗って、
宇宙へ飛び出す。観客をハラハラさせながら、隕石を爆破する。衝突から軌道をはずす。そし
てハッピーエンド。

 が、現実の世界では、こうはいかない。大きくても、小さくても、絶望は絶望のまま。ハッピー
エンドで終わることなど、十に一つもない。たいていは何とかしようともがけばもがくほど、その
ままつぎの絶望の中へと落ちていく。そしてそのたびに、身のまわりから小さな希望を見出し、
それにしがみついていく……。

 何とも暗い話になってしまったが、そこでハタと、人々は気づく。絶望を、絶望と思うから、絶
望は絶望になる。しかし最初から、「望み」がなければ、絶望など、ない。つまり、「今」をそのま
ま受け入れて生きていけば、絶望など、ないことになる、と。わかりやすく言えば、そのつど、
「まあ、こんなもの」と、受け入れて生きていえば、絶望することはない。

 仕事がうまくいかなくても、結構。人間関係が、つまずいても、結構。大きな病気になっても、
結構。社会情勢や、経済情勢が不安定になっても、結構。国際問題が、こじれても、これまた
結構、と。

少し無責任な生き方になるかもしれないが、こうした楽天的な、とらえ方をすれば、絶望は絶望
でなくなってしまう。ということは、絶望は、まさに人間自らがつくりだした、虚妄(きょもう)という
ことになる。

いや、こう書くと、「林め、何を偉そうに!」と思う人がいるかもしれないが、「絶望は虚妄であ
る」と言ったのは、私ではない。あの魯迅(一八八一〜一九三六・中国の作家、評論家)であ
る。彼は、こんな言葉を残している。

『絶望が虚妄なることは、まさに希望と同じ』(「野草」)

 「希望も、そして絶望も、人間が自ら生み出した幻想、つまり虚妄である。希望が虚妄である
のと同じように、絶望もまた虚妄にすぎない」と。

が、そうは言っても、究極の絶望は、いうまでもなく、「死」である。この死だけは、そのまま受け
入れることはむずかしい。死の恐怖から生まれる絶望も、また虚妄と言えるのか。あるいは死
にまつわる絶望からも、希望は生まれるのか。実のところ、これについては、私はまだよくわか
らない。が、こんなことはあった。 

 昔、私の友人だった、N君は、こう言った。「林君、死ぬことだって、希望だよ。死ねば楽にな
れると思うのは、立派な希望だよ」と。私が彼に、「人間は希望をなくしたら、つまり、絶望した
ら、死ぬのだろうね」と言ったときのことだ。しかしもし、絶望が虚妄であるとするなら、「死ねば
楽になれるという希望」もまた、虚妄ということになる。つまり「死に向かう希望」など、ありえな
い。

もっとわかりやすく言えば、「死ぬことは、決して希望ではない」ということになる。この点から
も、N君の言ったことは、まちがっているということになる……? もう一度、この問題は、頭を
冷やして、別のところで考えてみたい。

●一年後に……

 上の原稿を書いてから、ちょうど一年になる。改めて、自分の書いた「絶望論」を読みなおし
てみる。

 その前に、「絶望」とは、何かという問題がある。

 がっかりしたり、落胆することは、絶望ではない。似ているが、絶望ではない。ただ異質のも
のかというと、そうでもない。『落胆は、絶望の母』と言った、キーツ(「希望について」・イギリス
の詩人)がいる。『失敗は、成功の母』をもじった言葉である。

 改めて考えてみるきっかけとなったのは、子どもの受験で失敗して、落ちこんでしまったという
母親からの電話である。

 世間の人は、「たかがそれくらいのことで……」と思うかもしれないが、その母親にとっては、
そうではない。子どもの受験に、生涯のすべてをかける。そしてその結果をみて、子どもの情
来のすべてを判断をする。

 どんな母親にとって、子どもの将来は、最高に輝くものでなければならない。ふつうの未来、
平凡な未来というのは、母親にとっては、敗北でしかない。そのため、子どもが受験に失敗した
とき、母親は、強い敗北感を味わう。そしてそれが絶望感へと変る。

 二〇年ほど前だが、息子(中三)が、高校受験に失敗したとき、自殺を試みた母親がいた。
一度目は、未遂で終わったが、そのあと、一か月ほどしてから、今度は別の方法で、本当に自
殺してしまった。

 ただその母親のばあい、いろいろな薬ものんでいたし、ほかにもいくつかの問題があった。ま
た一度目の自殺のときは、交通事故として片づけられた。二度目の自殺のときは、……(この
話は、ここには書けない)……ということで、片づけられた。

 だから子どもの受験が、直接自殺に結びついたとは考えにくいが、大きな引き金になったこと
は事実である。私はその母親から、たびたび相談を受ける立場にあった。

 しかし希望にせよ、絶望にせよ、それはその人間が、勝手につくりだした虚妄であることに
は、ちがいない。

 つぎに書いたのが、「希望論」。先の「絶望論」と同じころ、書いた。
 
●希望論

 希望にせよ、その反対側にある絶望にせよ、おおかたのものは、虚妄である。『希望とは、め
ざめている夢なり』(「断片」)と言った、アリストテレス。『絶望の虚妄なることは、まさに希望と
相同じ』(「野草」)と言った、魯迅などがいる。

さらに端的に、『希望は、つねに私たちを欺く、ペテン師である。私のばあい、希望をなくしたと
き、はじめて幸福がおとずれた』(「格言と反省」)と言った、シャンフォールがいる。

 このことは、子どもたちの世界を見ているとわかる。

 もう一〇年にもなるだろうか。「たまごっち」というわけのわからないゲームが、子どもたちの
世界で流行した。その前後に、あのポケモンブームがあり、それが最近では、遊戯王、マジギ
ャザというカードゲームに移り変わってきている。

 そういう世界で、子どもたちは、昔も今も、流行に流されるまま、一喜一憂している。一度私
が操作をまちがえて、あの(たまごっち)を殺して(?)しまったことがある。そのときその女の子
(小一)は、狂ったように泣いた。「先生が、殺してしまったア!」と。つまりその女の子は、(たま
ごっち)が死んだとき、絶望のどん底に落とされたことになる。

 同じように、その反対側に、希望がある。ある受験塾のパンフレットにはこうある。

 「努力は必ず、報われる。希望の星を、君自身の手でつかめ。○×進学塾」と。

 こうした世界を総じてながめていると、おとなの世界も、それほど違わないことが、よくわか
る。希望にせよ、絶望にせよ、それはまさに虚妄の世界。それにまつわる人間たちが、勝手に
つくりだした虚妄にすぎない。その虚妄にハマり、ときに希望をもったり、ときに絶望したりす
る。

 ……となると、希望とは何か。絶望とは何か。もう一度、考えなおしてみる必要がある。キリス
ト教には、こんな説話がある。あのノアが、大洪水に際して、神にこうたずねる。「神よ、こうして
邪悪な人々を滅ぼすくらいなら、どうして最初から、完全な人間をつくらなかったのか」と。それ
に対して、神は、こう答える。「人間に希望を与えるため」と。

 少し話はそれるが、以前、こんなエッセー(中日新聞掲載済み)を書いたので、ここに転載す
る。

++++++++++++++++++++

子どもに善と悪を教えるとき

●四割の善と四割の悪 

社会に四割の善があり、四割の悪があるなら、子どもの世界にも、四割の善があり、四割の悪
がある。子どもの世界は、まさにおとなの世界の縮図。おとなの世界をなおさないで、子どもの
世界だけをよくしようとしても、無理。子どもがはじめて読んだカタカナが、「ホテル」であった
り、「ソープ」であったりする(「クレヨンしんちゃん」V1)。

つまり子どもの世界をよくしたいと思ったら、社会そのものと闘う。時として教育をする者は、子
どもにはきびしく、社会には甘くなりやすい。あるいはそういうワナにハマりやすい。ある中学校
の教師は、部活の試合で自分の生徒が負けたりすると、冬でもその生徒を、プールの中に放
り投げていた。

その教師はその教師の信念をもってそうしていたのだろうが、では自分自身に対してはどうな
のか。自分に対しては、そこまできびしいのか。社会に対しては、そこまできびしいのか。親だ
ってそうだ。子どもに「勉強しろ」と言う親は多い。しかし自分で勉強している親は、少ない。

●善悪のハバから生まれる人間のドラマ

 話がそれたが、悪があることが悪いと言っているのではない。人間の世界が、ほかの動物た
ちのように、特別によい人もいないが、特別に悪い人もいないというような世界になってしまっ
たら、何とつまらないことか。言いかえると、この善悪のハバこそが、人間の世界を豊かでおも
しろいものにしている。無数のドラマも、そこから生まれる。旧約聖書についても、こんな説話
が残っている。

 ノアが、「どうして人間のような(不完全な)生き物をつくったのか。(洪水で滅ぼすくらいなら、
最初から、完全な生き物にすればよかったはずだ)」と、神に聞いたときのこと。神はこう答え
ている。「希望を与えるため」と。

もし人間がすべて天使のようになってしまったら、人間はよりよい人間になるという希望をなくし
てしまう。つまり人間は悪いこともするが、努力によってよい人間にもなれる。神のような人間
になることもできる。旧約聖書の中の神は、「それが希望だ」と。

●子どもの世界だけの問題ではない

 子どもの世界に何か問題を見つけたら、それは子どもの世界だけの問題ではない。それが
わかるかわからないかは、その人の問題意識の深さにもよるが、少なくとも子どもの世界だけ
をどうこうしようとしても意味がない。たとえば少し前、援助交際が話題になったが、それが問
題ではない。問題は、そういう環境を見て見ぬふりをしているあなた自身にある。そうでないと
いうのなら、あなたの仲間や、近隣の人が、そういうところで遊んでいることについて、あなたは
どれほどそれと闘っているだろうか。

私の知人の中には五〇歳にもなるというのに、テレクラ通いをしている男がいる。高校生の娘
もいる。そこで私はある日、その男にこう聞いた。「君の娘が中年の男と援助交際をしていた
ら、君は許せるか」と。するとその男は笑いながら、こう言った。

「うちの娘は、そういうことはしないよ。うちの娘はまともだからね」と。私は「相手の男を許せる
か」という意味で聞いたのに、その知人は、「援助交際をする女性が悪い」と。こういうおめでた
さが積もり積もって、社会をゆがめる。子どもの世界をゆがめる。それが問題なのだ。

●悪と戦って、はじめて善人

 よいことをするから善人になるのではない。悪いことをしないから、善人というわけでもない。
悪と戦ってはじめて、人は善人になる。そういう視点をもったとき、あなたの社会を見る目は、
大きく変わる。子どもの世界も変わる。(中日新聞投稿済み)

++++++++++++++++++++++

 このエッセーの中で、私は「善悪論」について考えた。その中に、「希望論」を織りまぜた。そ
れはともかくも、旧約聖書の中の神は、「もし人間がすべて天使のようになってしまったら、人
間はよりよい人間になるという希望をなくしてしまう。つまり人間は悪いこともするが、努力によ
ってよい人間にもなれる。神のような人間になることもできる。それが希望だ」と教えている。

 となると、絶望とは、その反対の状態ということになる。キリスト教では、「堕落(だらく)」という
言葉を使って、それを説明する。もちろんこれはキリスト教の立場にそった、希望論であり、絶
望論ということになる。だからほかの世界では、また違った考え方をする。

冒頭に書いた、アリストテレスにせよ、魯迅にせよ、彼らは彼らの立場で、希望論や絶望論を
説いた。が、私は今のところ、どういうわけか、このキリスト教で教える説話にひかれる。「人間
は、努力によって、神のような人間にもなれる。それが希望だ」と。

 もちろん私は神を知らないし、神のような人間も知らない。だからいきなり、「そういう人間に
なるのが希望だ」と言われても困る。しかし何となく、この説話は正しいような気がする。言いか
えると、キリスト教でいう希望論や絶望論に立つと、ちまたの世界の希望論や絶望論は、たし
かに「虚妄」に思えてくる。つい先日も、私は生徒たち(小四)にこう言った。授業の前に、遊戯
王のカードについて、ワイワイと騒いでいた。

 「(遊戯王の)カードなど、何枚集めても、意味ないよ。強いカードをもっていると、心はハッピ
ーになるかもしれないけど、それは幻想だよ。幻想にだまされてはいけないよ。ゲームはゲー
ムだから、それを楽しむのは悪いことではないけど、どこかでしっかりと線を引かないと、時間
をムダにすることになるよ。カードなんかより、自分の時間のほうが、はるかに大切ものだよ。
それだけは、忘れてはいけないよ」と。

 まあ、言うだけのことは言ってみた。しかしだからといって、子どもたちの趣味まで否定するの
は、正しくない。もちろん私たちおとなにしても、一方でムダなことをしながら、心を休めたり、癒
(いや)したりする。が、それはあくまでも「趣味」。決して希望ではない。またそれがかなわない
からといって、絶望する必要もない。大切なことは、どこかで一線を引くこと。でないと、自分を
見失うことになる。時間をムダにすることになる。

●絶望と希望

 人は希望を感じたとき、前に進み、絶望したとき、そこで立ち止まる。そしてそれぞれのとき、
人には、まったくちがう、二つの力が作用する。

 希望を感じて前に進むときは、自己を外に向って伸ばす力が働き、絶望を感じて立ち止まる
ときは、自己を内に向って掘りさげる力が働く。一見、正反対の力だが、この二つがあって、人
は、外にも、そして内にも、ハバのある人間になることができる。

 冒頭にあげた、「子どもの受験で失敗して、落ちこんでしまった母親」について言うなら、そう
いう経験をとおして、母親は、自分を掘りさげることができる。私はその母親を慰めながらも、
別の心で、「こうして人は、無数の落胆を乗り越えながら、ハバの広い人間になるのだ」と思っ
た。

 そしていつか、人は、「死」という究極の絶望を味わうときが、やってくる。必ずやってくる。そ
のとき、人は、その死をどう迎えるか。つまりその迎え方は、その人がいかに多くの落胆を経
験してきたかによっても、ちがう。

 『落胆は、絶望の母』と言った、キーツの言葉の意味は、そこにある。
(040130)

【3】心に触れる(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞691

●受験戦争のウズの中で……

 今年も、受験シーズンは、そろそろ終盤戦。残すは、高校入試だけとなった。

 このH市では、どこの高校を卒業したかで、その人のステータス(?)が決まるという。昔から
このH市に住んでいる、Sさんという母親が、そう教えてくれた。

 江戸時代の身分制度の名残か? はたまた亡霊か?

 実に愚かな風潮なのだが、その愚かしさを疑う前に、親から子へと、代々と、バトンタッチして
しまう。だからこうした風潮は、そのまま残る。

 だったら、進学校を毎年、持ちまわり制にすればよいのだが、そういうことはしない。「今年は
A高校を進学校として、重点指導します。来年は、B高校です」と。多分、OBが許さないだろう。
有名進学校を卒業したOBたちは、自らのより所を、その出身校に託す。

 しかしこの時期も、やがて終わる。四月になるころには、それぞれがそれぞれの思いを残し
たまま、あたかも何ごともなかったかのように、また新しい「時」が、始まる。しかし今は、まだ狂
乱のとき。

 志望校の受験倍率に一喜一憂し、子どもの成績を見比べながら、ため息をもらす。やりよう
のない不安と焦燥感。所詮(しょせん)、どんぐりの背比べ(失礼!)なのだが、そのときどきの
親には、それがわからない。まさに髪をふりかざして、子どもの受験競争に狂奔する。

 もちろんそれがムダというわけではない。くだらないと言っているのでもない。考えてみれば、
人間の社会は、総じてみれば、その受験戦争のようなもの。人間が自ら作り出した幻想と幻覚
の中で、人間は、右往左往しているだけ。

 それがわからなければ、静かに目を閉じてみればよい。そして闇の向こうに見える、深遠な
る宇宙を、思いやってみればよい。あなたもやがて、こう気がつくときがやってくるだろう。

 私たちは、光と時間のなす空間で、ただ踊らされているだけ、と。

 かく言う私も、日々の生活の中で、踊らされているだけ? 本能と欲望、希望と絶望。そうい
ったものが無数に交錯する現実の中で、ただ操られているだけ。どこに本当の私がいるのかさ
え、わからない。わからないまま、何となく懸命に生きている。

 ああ、私は自由になりたい。こうした無数のクサリを自分から解き放ち、自由になりたい。し
かしその日は、いつかくるのか? あるいはこないのか?

 受験シーズンの中で、もがき苦しんでいる親や、子どもを見ていると、それはそのまま、自分
の姿であることを知る。
(040130)

     ミ ( ⌒⌒ ) 彡
      ∞((((( )∞
      │6 6 b
      (" 。 "人
     ヽ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄ヽ
     ○  ヽ ABC ○        このマガジンが、お役に立てそうな
   ̄ ̄ ̄ヽ  ヽ    ヽ ̄ ̄ ̄     方が、いらっしゃいませんか?
       ̄ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄         よろしくお伝えください!
【4】フォーラム∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

【近況あれこれ】

●ゴミ捨て場

 私の家の近くに、ゴミの集積所がある。このあたり、約八〇世帯が、その集積所を使ってい
る。

 で、このところ、区域外の住民の、不法投棄が目立つようになってきた。夜中に車でやってき
て、サッと捨てていく。今でも、ゴミの収集日を無視して、そのあたりに適当に捨てていく人がい
る。

 そこで自治会で話しあって、きびしくそれを規制しようということになった。正式に決まったわ
けではないが、自治会長が、そう言った。

 しかしきびしくすれば、今度は、空き地にゴミがふえるだけ。私の家の横は、竹やぶになって
いる。そのため、その竹やぶの中に、ゴミを捨てていく人が、あとを断たない。ポリ袋に入った
家庭のゴミだけではない。引っ越しで出た、大きなゴミまで捨てていく。

 空き缶や、弁当クズは言うにおよばず、物干し台のコンクリートの台座、ベッド、ソファ、雑誌
類、自転車など。いつしかそういったものを清掃するのは、私の仕事のようになってしまった。

 が、事件が起きた。

 (ここは、地主の悪口になるので、省略。)

 以来、その空き地の清掃をするのが、すっかり、いやになった。実際には、この一年間、ほと
んど、していない。

 おかげで、ゴミはたまる一方。道路沿いはともかくも、一歩、竹やぶに足を踏み入れると、ゴ
ミの山。

 ふつうは、そういうゴミの中には、個人を特定できるようなものは、混ぜないようにするものだ
と思うが、そうではない。名前の書いたガソリンスタンドの請求書などが、堂々と入っている。つ
まり犯罪でいえば、確信犯。

 「きびしく規制しても、かえって、環境が悪くなるだけです」と言うと、自治会長は笑っていた。

 結局は、住民意識の問題ということになる。しかし一言。

 こうしたルールを平気で破る人は、そのときは、それで楽をするかもしれないが、それと引き
かえに、もっと大切なものをなくす。やがて醜悪な人間になる。『真理から遠ざかる」と言えば、
少しおおげさに聞こえるかもしれないが、その人がそれに気づくころには、その人の人生は、
終わっている。


●おかしなビジネス

 息子が、一枚のパンフレットをもらってきた。見ると、「ニュージーランドで、フライトスクールに
通いながら、英語の勉強」というものだった。

 「学校の先生の家で、ホームステイ。週末は、毎週二時間のフライト・レッスン」と。

 価格を見て、驚いた。一か月で、39万円。2か月で、75万円!

私「これは高いよ!」
息子「……?」
私「いいか、オーストラリアでもニュージーランドでも、ホームステイは、週160〜180ドルが相
場だよ。日本円で一か月、5〜6万円が相場だよ」
息「そんなに安いの?」
私「食事つきで、そんなものだよ。飛行機の操縦ができるといっても、横に座るだけだと思う
よ。それも週末の2時間だけ。それで75万円! 往復の旅費を入れたら、90万円だろ!」

 今、大学生のまわりにとりついて、あの手、この手で、お金を儲けようとする業者が、五万と
いる。そこで調べてみると、パンフレットには、飛行機を乗せてくれるというフライトスクールの
名前すら、書いてない。

私「どこのスクールか、その名前もないよ」
息「電話で聞いたら、ニュージーランド航空と提携していると言っていたよ」
私「そういう話は、信じてはだめだよ。もしそうなら、名前ぐらい、書くものだよ」
息「そうだよね……」

 私が驚いたのは、そのことよりも、息子が航空大学へ転学するという情報が、いとも簡単に
外に漏れているということ。合格して、一週間目には、そういう案内が、息子のところに届いた
という。恐らくどこかで、そういう情報が、売買されているにちがいない。

私「外国の語学校へ入りたかったら、自分で手続きをすることだよ。ただでできるからね。業者
に頼むと、100万円単位の費用を請求されるよ」と。

 今では、インターネットで、即時に、申し込み手続きができるしくみになっている。業者に頼む
くらいなら、行かないほうがよい。つまりそういう姿勢では、英語など、身につくはずもない。自
分で手続きするところから、すでに英語の勉強は始まっている。

 今、ワルの間では、「大学生をカモにせよ」が、合言葉になっている。勉強ばかりをしていきた
大学生は、どこか常識が欠けている。そういう欠けた部分をねらって、この種の悪徳業者が、
あれこれ攻撃をしかけてくる。

 みなさんも、どうか注意してほしい。

【追記】
●語学校への入学のしかた
 
(1)オーストラリア、ニュージーランド、カナダの大学に附属している語学校を選ぶ。
(2)インターネットでアクセスして、願書(申込書)をダウンロードして、プリントアウトする。
(3)必要事項を書き込み、願書を郵送する。
(4)インターネットで、授業料(送金額)などを連絡してくるので、その額を銀行で振り込む。
(5)入学許可書が届くので、それを添えて、学生ビザを取得する。これで入学は完了。

 語学校を終了したあと、成績がよければ、そのまま大学へ編入できる。そのためにも、大学
に附属している語学校を選ぶとよい。あとは本人の能力と努力しだい。ちなみに、アメリカのば
あい、学位を取って卒業できる学生は、留学生のうち、約5%前後。20人のうちの1人。当然
のことながら、そんなに簡単ではないので、甘くみないほうがよい。


●不況と人間性

 不況がこわいのは、人間性を破壊すること。あるいはそれまで隠れていた邪悪な人間性が、
外に出てくること。

 私が学生時代に聞いた講義の中で、印象に残っているのに、こんなのがあった。

 「貧困は、公害の一つだ」と。

 教授の名前は忘れた。たしかイギリスから来ていた教授だと思う。「イギリス人らしい、ストレ
ートな意見だ」と、そのときは、そう思った。

 貧困がつづくと、心がむしばまれる。そしてそれが集合すると、「公害になる」と。

 先日、姉に電話をすると、姉がこんな話をしてくれた。姉の近くに、昔からの小さな町がある。
その町の一つの通りが、商店街になっている。しかしこのところ、その商店街が、軒並み、店を
閉め始めたという。近くに、大型スーパーができたためだという。

 「みんな、生活ができなくなると、夫婦仲まで、おかしくなってしまうのね。夫婦喧嘩の絶えない
家もあるのよ」と。

 つまり「店を閉める」までにいたる過程の中で、あれこれ騒動が起きるという。その騒動が、
夫婦関係まで、おかしくするという。

 このことは、たとえば離婚問題と似ている。「離婚」そのものは、子どもの心に、ほとんど影響
を与えない。離婚にいたる、夫婦の間の騒動が、子どもの心に影響を与える。だから離婚する
にしても、そういう騒動を子どもに見せることなく、サラッと離婚するのがよい……。

私「収入が減ると、家庭の中が、ギクシャクしてくるからね」
姉「生活のレベルをさげるのは、簡単なことではないから。一度、ぜいたくを覚えると、さげるこ
とができなくなるのね」
私「そのさげるとき、いろいろと問題が起きてくる」
姉「気分も、むしゃくしゃするからね」
私「それが騒動になる?」
姉「そうね」

 しかしこうした騒動が一時的なものなら、夫婦は、それを乗り越えることができる。個人差も
あるのだろうが、それが長期に、しかもジワジワとつづくと、人間性そのものまで、ゆがめる。
それこそ悪いことでも、平気でするようになる。人をだますようなことでも、平気でするようにな
る。

私「ぼくの知っている人でも、親類や、友人までだました人がいるんだよ」
姉「ふつうなら、親類や、友人は、だまさないのだけれどね」
私「そう。しかし人間性が狂ってくると、それもわからなくなるみたい」
姉「貧乏って、こわいね」
私「いや、貧乏が原因じゃあ、ないと思う。それまでの人間性の問題だと思う」

 平和で生活も順調なときは、そうではない。しかしその平和が乱されたりすると、自分の中の
邪悪な部分が、外に出てくる。貧乏は、その引き金にすぎない。

 たとえば今、ここに、裕福で、何ひとつ不自由のない生活をしている人がいる。そういう人が、
柔和な笑みを浮かべて、「お金では、幸福は買えません。大切なのは、心の豊かさです」と話し
たとする。

 しかしそれは、仮面。金持ちの仮面。その人の(心の豊かさ)が、本当にためされるのは、そ
の人が、貧乏のどん底に叩き落されたときだ。そのときでも、その人が同じセリフを口にしたと
したら、その人は、すばらしい人だ。

 今、この日本では、多くの人が、不況の嵐の中で、あえいでいる。苦しんでいる。そしてそれ
は、ただみなが、貧乏になったというだけではない。貧乏になることで、心がむしばまれ、そして
人間性まで、破壊されつつある。不況の本当のこわさは、そこにある。

私「貧乏になるとき、邪悪な部分が、少しずつ顔を出し始める。あとは、それとどこまで戦うか
だと思う」
姉「なるほど。戦えない人もいるわけね」
私「その戦いに敗れた人は、一挙に総崩れとなり、そのまま邪悪な人になってしまう」と。

 そんなわけで、その人の人間性というのは、どん底に落とされたとき、はじめて試される。そ
のときでも、すばらしい人間性を保つことができれば、その人は、本当にすばらしい人というこ
とになる。


●醜い老人、清楚(せいそ)な老人

 老人を観察するとき、その老人が、どういう人生を送ってきたかを、みるとよい。地位や、肩
書きではない。業績でもない。中身だ。人間性だ。

 老人になると、その人の生きザマが、そのまま外に、現れてくる。「隠そう」という意欲が弱くな
る。「ごまかそう」という気力が弱くなる。だから、ありのままが、外に、現れてくる。

 そういう目で見てみると、醜いというか、実に醜悪な老人がいる一方で、清楚(せいそ)な老人
もいるのがわかる。しかしそうしたちがいは、実は、ささいなことから始まる。しかもそうしたち
がいというのは、子どものころからの積み重ねで決まる。

 まさに日々の積み重ねが、月となり、月々の積み重ねが、年となる。その年が積み重なっ
て、その人の人格となる。

 むずかしいことではない。ほんのささいなことだ。その瞬間々々、誠実であるとか、ウソをつ
かないとか、ルールを守るとか、そういうことで、決まる。マザーテレサがしたような偉大な愛を
実践したから、清楚になるとか、あるいは、実践しなかったから、醜悪になるということではな
い。

 もちろん名誉や地位や肩書きではない。そうでないことは、政治家を見ればわかる。見るか
らにヘドが出そうな顔つきの政治家は、いくらでもいる。

 で、最近、私は、こういうことに気がついた。

 学問の世界で、業績を残した人がいる。それこそ大学で、教授や学長職を歴任したような人
である。で、少し前まで、学問の世界で道をきわめた人というのは、それなりに人格的にも高邁
(こうまい)な人だと、思ってきた。(今も、そう思いたい気持ちは、強いが……。)

 しかし(勉強ができる子ども)イコール、(人格者)ではないのと同じように、(学問をきわめた
人)イコール、(人格者)ではない。むしろ中には、仮面の上に仮面を塗りかためたような人さえ
いる。

 若いころは、そういう人を見ぬくことができなかった。しかしそういう人たちと同年齢になって
みると、そうではないということがわかってきた。

 もちろん大半の人は、すばらしい人である。しかしそうでない分野にも、同じように高邁な人
は、いくらでもいる。私たちは、江戸時代の身分制度という亡霊を、いまだに引きずっているか
ら、どうしてもその人を、地位や肩書きで、見てしまう。

 反対にたとえば農業を営んでいるような人に、高邁な精神をもった人を見たりすると、心底、
はっと驚くことさえある。なぜ驚くかといえば、私自身の中に、その亡霊がいるからにほかなら
ない。

 そんなわけで、このところ街を歩いていても、老人が気になってしかたない。レストランなど
で、横に老人がすわったりすると、その老人を、しげしげと見てしまう。そしてその老人の中に、
キラリと光るようなすばらしさを見つけたときには、「どうしてこの人はこうなったのだろう」と考え
る。反対に、何か醜悪なものを感じたときには、「どうしてこの人はこうなったのだろう」と考え
る。

 しかしそれは決して、ただ単なる観察ではない。「私自身は、どうなのか」という問題。「私自
身は、どうあるべきか」という問題。そういった二つの問題が、その観察にからんでくる。

 このままいけば、私は、実に醜悪な老人になる。それが自分でも、わかっている。だからこ
そ、今、よけいに老人が気になるのかもしれない。


●立ち読み

 立ち読みで仕入れたネタで、ものを書くのは、本意ではない。しかし買ってまで、それについ
て書いてみたいという内容でもなかった。

 読んだのは、月刊誌の「G」。その中でも、経済記事に目がとまった。

 いわく、「恐慌(きょうこう)が近い」

 日本政府は、「景気は上向いている」という。しかし日本政府は、どこをどう見て、そう言って
いるのだろうか。これだけお金をバラまいているのだから、少しはよくなって当然なのだろう
が、冬の寒さと平行して、日本の景気は、冷えついたまま。

 「銀行封鎖は、時間の問題」ともあった。銀行を封鎖して、預金を凍結するというわけである。
アメリカ発の恐慌が引き金となって、世界恐慌が誘発される。そしてその直後、日本政府は、
銀行を封鎖する、と。

 何ともおどろおどろしい話だが、ありえない話というよりは、今では、それを否定する経済学
者は、ほとんどいない? アメリカ経済も、日本経済も、無理に無理を重ねて、さらにその上
で、たがいにもたれあいつつ現状を維持しているだけ? つまり日本経済は、いつ、コケても、
おかしくない。

 で、その「G」の中で、某経済学者は、こう忠告している。紙幣は、価値がなくなるから、お金
は、金地金(じがね)か、優良な不動産に、かえておけ、と。

 そう言えば、このところ、金地金の売買価格が、ジワジワと上昇をつづけている。(逆に日本
では、円高になっているので、日本での価格は、それほど、上昇していない。)どうやら世界の
経済は、危険水域に入ったようである。

 この先のことは、私には、わからない。その雑誌を読み終えたあと、何とも言えない胸騒ぎを
覚えた。


●読者の方からの相談より……
 
 今回も、何人かの人たちから、いろいろな相談をもらった。
 
 一人は、夫婦の問題。身近に離婚寸前の人がいるが、どうしたらいいか、と。

 夫婦の問題は、なるようにしかならない。またならないようには、ならない。他人が介入したか
らといって、解決する問題ではない。しかし介入しなくても、解決するときは、すんなりと解決す
る。

 幸福な夫婦は、みなよく似ている。しかし不幸な夫婦は、それこそ千差万別。みな、ちがう。

 しかし夫婦の問題は、夫婦の問題。夫に殴られても、蹴られても、それでもその夫から離れ
られない妻がいる。あるいは家庭内別居で、この数年、セックスがなくても、それなりにうまくや
っている夫婦もいる。

 だから身近で、こういう問題が起きたら、ただひたすら、暖かく無視してやるのがよい。へた
に首をつっこむと、ヤケドする。

 もう一人の読者の方からの相談は、その母親自身についての相談。心に大きなキズをもって
いる。そのため、息子につらくあたってしまう。だから「どうしたらいいか」と。

 しかしその母親は、すでに問題のほとんどを、解決している。「キズがある」と気づくだけでも、
たいへんなこと。ほとんどの親は、キズがあることにさえ気づかない。気づかないまま、同じ失
敗を繰りかえす。

 子どもを愛するということは、どこまで子どもを許し、忘れるかということ。その度量の深さに
よって、親の愛の深さが決まる。ただひたすら、「許して忘れる」。これを繰りかえす。あとは、
時間が解決してくれる。


●読者の方へ

 正直に書きます。

 読者の数を気にしていないというのは、ウソです。できるだけ気にしないでおこうとは思ってい
ますが、やはり気になります。

 今朝も、このところ、何かと不愉快なことがつづいて、気分が落ちこんでいました。で、パソコ
ンに向かって、電源を入れるまで、「今日は原稿を書くのをやめようか」と思っていました。実の
ところ、その朝に、読者の方の数がふえていなかったりすると、とたん、書きたいという意欲
が、半減します。読者の方の数が、減ったときは、なおさらです。

 そういうとき、私は、「1000号が目標だ。読者の数ではない」と、自分に言ってきかせます。
今朝もそうでした。このところ、読者の数が、あまりふえなかったこともあります。それに……、
まあ、いろいろありました。

 しかし今朝、いつものように、やや恐る恐るそのページを開いてみてみると、新しい読者の方
が、四人、ふえているのが、わかりました。とたん、モリモリとやる気が出てきました。そして思
わず、モニターに向かって、「ありがとう!」とつぶやいてしまいました。

 一月三〇日の朝、新しく購読者になってくださった方へ、ありがとうございました。それにずっ
とこのマガジンを読んでくださっているみなさん、ありがとうございます。今日も、こうしてみなさ
んに、励まされながら、原稿を書き始めました。これからも、よろしくお願いします。

 もしみなさんのお近くで、このマガジンに興味をもってくださいそうな方がいらっしゃったら、「こ
ういうマガジンがある」と、話していただけませんか。話していただくだけで、結構です。よろしく
お願いします。みなさんのご協力に、重ねてお礼申しあげます。
(040129)

Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
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2・21 ……細江町「教育のつどい」
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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)+最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ)+
はやし浩司の世界(Eマガ)……総読者数(Nr. of Readers)、1260人(04年1月24日現在)
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
    Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
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●イラストは、パナソニックパソコン付録の、フリーソフトを使いました。
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【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞upto829

●子どもの世界(1)

 子どもを、未熟で未完成、そのうえ幼稚であると、おとなの世界から切り離してしまう。つまり
子どもを一人の人格者として認めるのではなく、不完全な「半人前」な人間として位置づけてし
まう。日本の子育ての最大の欠陥は、ここにある。

 そのため日本では、親が子どもを育てるときも、その前提として子どもを人間として認めてい
ないから、あたかもペットを育てるかのようにして、子どもを育てる。

たとえば親は、まず子どもに対して、目いっぱい、よい思いや楽しい思いをさせる。そしてその
あと、「もっとよい思いや楽しい思いをしたかったら、親の言うことを聞きなさい。聞けば、もっと
楽しいことがある」というようなしつけ方をする。

 欧米ではこれが逆で、欧米の親たちは、生まれながらにして子どもを一人の人格者として認
める。認めたうえで、「よい思いや楽しい思いをしたかったら、まず苦労をしなさい」と子どもをし
つける。その一例として「家事」がある。

私がよく知っている、オーストラリアやアメリカの子どもにしても、実によく家事を手伝っている。
料理はともかくも、食後のあと片づけは、たいてい子どもの仕事になっている。

 その結果、この日本では、独特の「保護と依存」関係が生まれる。保護はともかくも、問題は
「依存」。あるアメリカ人の教育家は、日本の子育てを批評して、かつてこう言った。

「日本人は、自分の子どもに依存心をもたせることに、あまりにも無頓着すぎる」と。

その教育家の名前を忘れてしまったのは、たいへん残念だが、そのためこの日本では、親に
ベタベタと甘える子どもイコール、かわいい子イコール、よい子とした。一方、独立心が旺盛
で、自立した子どもを、「鬼の子」として嫌う。

そしてさらにその結果、この日本ではいわゆる「恩着せがましい子育て法」が、当たり前になっ
ている。しかも悲劇的なことに、それがあまりにも当たり前であるため、子どもに対して恩着せ
がましい子育てをしながら、それにすら気づかないというケースが多い。

 数年前、演歌歌手のI氏が、NHKの「母を語る」というテレビ番組の中で、こう言っていた。
「私は女手一つで育てられました。その母親の恩にこたえようと、東京に出て、歌手になりまし
た」と。

 私はこのI氏の話を聞きながら、最初は、I氏の母親はすばらしい母親だと思った。しかしその
うち、それは番組が始まってから一〇分くらいたってからのことだが、「果たしてこのI氏の母親
は、本当にすばらしい母親なのか?」と思うようになった。

I氏は半ば涙ながらに、「私は母親に産んでもらいました。育ててもらいました」とさかんに言っ
ていたが、そう無意識のうちにも思わせてしまったのは、母親自身ではないかと考えるようにな
った。母親自身が、子どもに恩を着せる形で、「産んでやった」「育ててやった」と思わせてしま
ったのではないか、と。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●子どもの世界(2)

 子どもの依存性は、必ずしも子どもから親への一方的なものではない。親自身にも、「だれ
かに依存したい」という潜在的な願望があるとみる。その願望が姿を変えて、子どもの依存心
に甘くなる。

 ある女性(六〇歳)は、通りで会うと私にこう言った。「息子なんて育てるもんじゃないですね。
息子は横浜の嫁に取られて、今、横浜に住んでいます」と。「親なんてさみしいもんですわ」とも
言った。

こうした女性の背景にあるのは、子どもを「モノ」あるいは、「財産」と考える意識である。こうし
た名残は、「嫁にもらう」とか、「嫁にくれてやる」という言い方などに見られる。それはともかく
も、その女性はそのあとこう言った。「息子は小さいときから、かわいがってやったのですがね
え」と。

 もっともこの段階で、子どもも親の価値観に同化すれば、何も問題はない。それはそれでうま
くいく。親は子どもに、「産んでやった」「育ててやった」と言う。子どもは子どもで、「産んでいた
だきました」「育てていただきました」と言う。そういう親子はうまくいく。

しかしいつもいつも子どもが親の考えに同化するとは限らない。問題はそのときだ。

こうした価値観の違いは、宗教戦争に似た様相をおびることがある。互いに妥協しない。妥協
できない。親子でも価値観が衝突すると、行きつくところまで行く。もっともそこまで至らなくて
も、無意識であるにせよ、親の押しつけがましい子育て観は、親子の間にキレツを入れること
が多い。ある男性(四〇歳)はこう言った。

「何がいやかといって、おやじに、『お前には大学の学費だけでも、三〇〇〇万円もかけたから
な』と言われるくらいいやなことはない」と。

 つまり依存型の子育てを受けた子どもは、自分が今度は親になったとき、子どもに対して依
存型の子育てをするのみならず、自分自身も子どもに依存するようになる。親が壮年期には、
親自身がもつパワーでそれほど依存心は目立たないが、老年期になると、それが出てくる。冒
頭にあげた女性がその例である。

 子どもの自立を考えるなら、同時に親自身も自立しなければならない。子どもに向かって、
「あなたはあなたの人生を生きなさい」と教える前に、親自身も「私は私の人生を生きる」という
姿勢を見せなければならない。わかりやすく言えば、親が自立しないで、どうやって子どもの自
立を求めることができるかということになる。

    ミ ( ⌒⌒ ) 彡
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      │6 6 b
      (" 。 "人
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【2】特集∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●思考の老化

 体が衰えるように、思考も、老化する。「古くなる」ということではない。老化する。

 その第一の症状。融通性がなくなり、小回りがきかなくなる。がんこになり、自分の考えに、
固執する。相手に対して、許容範囲が狭くなる。

 こうした老化を防ぐためには、若い人と接するとよい。とくに子どもが、よい。子どもといっしょ
になって、騒いだり、笑ったりすると、よい。

 思考が老化すると、当然のことながら、若い世代の人たちと、コミュニケーションが、うまくと
れなくなる。が、問題は、それだけではない。

 私が「思考の老化」を感じたのは、こんな事件があったときのこと。ある日、事務所で、ひとり
でぼんやりとしていると、三五歳くらいの女性が、突然、やってきた。そしてこう言った。

 「先生、南京虐殺事件では、日本軍は、三〇万人も、殺していません。せいぜい、三万人だ
そうです。どうして中国は、こうまで日本を悪く言うのでしょうか。許せません」と。

 当時、マスコミで、南京虐殺事件が話題になっていた。そしてある月刊誌が、「南京虐殺事件
はなかった。三〇万人説は、中国側のでっちあげ」と、報道していた。その女性は、その記事
を読んだらしい。

 しかし、私はこう言った。「三万人でも、問題でしょう。三〇〇〇人でも、三〇〇人でも、問題
でしょう。どうしてそのとき日本軍が、南京にいたのですか?」と。

 するとその女性は、ますます血相を変えて、こう叫んだ。「それは、中国が日本を攻めたから
です!」と。

 残念ながら、明治以後、中国は、今にいたるまで、日本という国に対して、一度だって、爆弾
を落としたことはない。ただの一度もない。私がそれを言うと、その女性は最後には、「あなた
はそれでも、日本人ですかア!」と、言いはなった。

 実に不愉快だった。それは私の全人格を否定されたかのような、不快感だった。その女性が
帰ったあとも、私は、しばらく心の中の胸騒ぎを消すことができなかった。

 で、しばらくして、つまり冷静になってから、私は、その女性のことを、あれこれ思い浮かべて
みた。決して、「古さ」を感じさせるような女性ではなかった。都会的なファッションで、身を包ん
でいた。六〇代や七〇代の、戦争を経験した人が、そう言うなら、まだわかる。しかしその女性
は、私より、ずっと、若かった。

 私も、実は、「三〇万人説」は、でっちあげだと思う。たった数日で、それだけの人を殺そうと
思ったら、想像を絶する作業になってしまう。あのドイツのアウシュビッツ収容所ですら、一日、
数万人が限度だったという。

 しかし残虐な殺し方であったことは事実のようだ。生き埋めにして、家族に、その上から足で
踏みつけさせたという。地の中からは、生き埋めになった人の肺が、ボスンボスンと、はぜる音
が聞こえたという。

 ……ということがきっかけで、私は「思考の老化」について、考えるようになった。

 その女性は、私より、はるかに若かった。しかしどこか身勝手で、かたくなだった。そういう姿
勢を見ながら、「今時、老人だって、そんな考え方はしないのに……」と思った。そしてそれが、
「思考の老化」を考える、きっかけになった。

 思考が老化すると、相手の立場でものを考えられなくなる。このことは、反対に、発達心理学
の立場で考えてみればわかる。

 子どもは、成長するにつれて、相手に対する同調性や協調性を身につける。そしてそれがさ
らに進むと、相手の立場で、仮に自分が経験していなくても、相手の悲しみや苦しみを、共有
することができるようになる。これを「共有性」という。

 しかしここで注意しなければならないことは、どの子どもも、みな、平等にそうなるわけではな
い。共有性どころか、同調性や協調性も未発達なまま、おとなになってしまう子どもも、少なくな
い。

 私は、学生時代に、すでにその南京虐殺事件のことは、本で読んで知っていた。実におぞま
しい事件で、自分が同じ日本人であることを、のろったことさえある。そういう思いが基盤にあ
るから、「三〇〇〇人でも問題でしょう」という言葉が、自然と、口から出てくる。

 が、その女性は、「(たった)三万人!」と言う。

 つまりこれが私が言う、「思考の老化」である。

 思考というのは、老化すればするほど、同調性や協調性、さらには、共有性まで失う。「がん
こ」という言葉で表現されるような、簡単なことではない。相手の立場で、ものを考えることがで
きなくなってしまう。もっとはっきり言えば、他人の悲しみや苦しみが、理解できなくなってしま
う。

 子どもたちと接していると、彼らがもつ生命力に、はっと驚くことがある。その生命力は、もの
すごい。たとえ私が落ちこんでいても、その生命力に触れたとたん、気分そのものが晴れてし
まう。それこそ、小さな魚が死んだだけで、涙をポロポロとこぼしたりする。そういった「心の若
さ」がなくなった状態が、「思考の老化」ということになる。

 老人になればなるほど、他人の悲しみや苦しみが理解できるようになると考えるのは、ウソ。
むしろ思考そのものが、老化してしまい、かえって鈍感になってしまう人のほうが、多い。それ
はちょうど、健康に似ている。健康を維持するために、いつも体を鍛えるように、思考もまた、
鍛えなければならない。
(040128)

【追記】

 ワイフにこのことを話しているとき、ふと「思考も英語の単語と同じ」と言ってしまった。ワイフ
は、「?」というような顔をしていたが、こういうこと。

 英語の単語も、使わなければ、忘れてしまう。一度、覚えたからといって、ずっと記憶の中に
残るというわけではない。

 思考力も、それと同じで、常に、磨かないと、すぐ鈍ってしまう。と、同時に、そのときから、思
考の老化が始まる。


●思考の老化(2)

 古いことを言うから、老化していることにはならない。反対に、新しいことを言うから、老化して
いないということにはならない。

 たとえばその人が武士道を説き、明治の英雄をたたえたからといって、その人の思考が、老
化しているということにはならない。反対に、コンピュータを使って、ロックのCDを聞いているか
らといって、老化していないということにはならない。

 思考が老化している人には、つぎのような特徴がある。

(1)がんこ……自分の考え以外は、受けつけない。「自分は絶対正しい」という、きわめて強い
自己中心性がみられる。

(2)単一性……行動、言動が、単一化、ワンパターン化する。日々の行動、月単位の行動、さ
らに年単位の行動が、単調になる。またそうでないと、気が休まらない。

(3)鈍感性……繊細(せんさい)な会話ができなくなる。ものの考え方が、おおざっぱで、いい
かげん。相手の立場で考えて、こまかい気配りができない。

(4)非融通性……その場、その場で、臨機応変に行動ができなくなる。自分の興味のある範
囲だけに関心をもち、年齢とともに、その範囲が、より狭くなる。

(5)思考力の減退……感情論や、その場の雰囲気で、ものを言う。他人の受け売り的な意見
が多くなる。自分で考えることができない。

 要するに柔軟な思考性をなくすことをいう。そしてその結果として、それまでの自分に固執す
るあまり、新しい世界を否定したりするようになる。

 R氏(七〇歳男性)も、その一人。

 玄関を入ると、織田信長と徳川家康の肖像画が飾ってある。江戸時代には武家だったとか
で、その奥には、古びた鎧(よろい)兜(かぶと)が、並べてある。

 今、R氏の家では、R氏と息子氏との、争いが絶えない。R氏の住んでいる地域には、昔から
の儀式が、あれこれ残っている。毎月のように、それがある。「それをしろ!」と迫るR氏。「い
やだ!」とこばむ息子氏。

 息子氏は、こう言う。「軒につける飾りつけ一つをとっても、位置がおかしいとか、ずれている
とか、とにかくうるさくて困る」と。

 そのR氏は、このところ、ますますがんこになってきた。「最近の若いものたちは、先祖を粗末
にする」が、口グセにもなっている。

 そのR氏に、意見を言うものは、いない。いや、以前、一人、隣の村に住む、甥(おい)が、意
見を言ったことがある。そのとき、その甥氏は、R氏に怒鳴りつけられた上、大きなナタで、追
いまわされたという。

 思考が老化すると、結局は、だれにも相手にされなくなる。しかしR氏には、そういうさみしさ
そのものが、わからない。「自分は絶対に正しい」と思うのは、R氏の勝手だが、その返す刀
で、「お前は、まちがっている!」と言う。

 その思考の老化を防ぐために、いろいろな方法が考えられる。旅行がよいとか、趣味がよい
とか、多くの人と接するとよいとか、など。

 しかしそれも必要条件かもしれないが、それだけでは、思考の老化を防ぐことはできない。思
考の老化を防ぐためには、常に、その思考力をみがかねばならない。またみがくための環境
を用意しなければならない。

 私は、個人的には、幼児や子どもと接するとよいと思っているが、みながみな、そういう環境
を求められるわけではない。

 思考力というのは、油断をすると、すぐ停滞する。停滞するならまだしも、退化する。そしてい
つの間にか、愚にもつかないようなことを口にするようになる。どういった人物であったかを、自
分で検証することもなく、「信長」だの、「家康」だのと言っている人は、たいていこのタイプの人
とみてよい(失礼!)。

 反対に、思考が若い人は、柔軟性があると同時に、繊細(せんさい)さがある。デリケートな
話をしても、スーッと、心にしみていくのがわかる。つまりは、そういう人は、思考力が若いとい
うことになる。

 ……と書いて、この問題は、私自身の問題でもある。

 このところ自分でも、思考力が老化しているのがわかる。その一、感受性が、たしかに弱くな
った。その二、考えが堂々巡りする。その三、がんこになった。その四、集中力がなくなり、サ
エが弱くなった、その五……。いろいろある。

 とくにサエがなくなってきたのが、気になる。数年前に書いた原稿と、最近書いた原稿を、読
みくらべてみると、それがわかる。このところ、書いている文章は、どこか、かったるい? 甘
い? 浅い?

 それにこのところ、他人の悲しみや苦しみに、鈍感になってきた。そのため、失敗することが
多くなった。人をキズつけるようなことを、平気で書いてしまう。言葉の使い方も、乱暴になって
きた。こまかい気配りが、苦手になってきた……。

 こうして人は、老いていくものなのか。あるいはこの問題は、老いていくとき、避けられないも
のなのか。ちょうど皮膚にシワができ、足腰が弱くなるように、だ。いくらがんばって運動して
も、若いときのような健康は、取りもどすことはできない。

 最後に、数年前、こんな人に会った。ほぼ三〇年ぶりに会ったのだが、まったく会話がかみ
あわなかった。

 その人(男性、私と同年齢)は、こう言った。

 「毎日、会社と自宅を往復するだけ。夜は、スポーツ新聞を読んで、野球の中継を見る。休み
は、天気のよい日は、魚釣り。雨の日は、パチンコ」と。

 しかしこういう人生に、いったい、どういう意味があるというのだろうか。人も、平凡にかまける
と、そういう生活を送るようになる。
(こういう失礼なことを、平気で書くようになったこと自体、私の思考も老化を始めているというこ
とになるのだが……?)
(040128)

【3】心に触れる(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞691

●不安

 世の中には、収入の心配をしなくてもよい人というのが、いる。そういう人には、収入が不安
定な人がもつ不安感など、理解できないだろう。しかし不安は、不安。それは自営業の人がも
つ、宿命のようなもの。いくら「私は、自由だ!」と叫んだところで、この不安感だけは、どうしよ
うもない。

 私も、この三五年間、ずっと不安だった。今も不安だし、これからも不安なままだろう。私は、
若いころ、ある人に、こう言ったことがある。

 「サラリーマンの人が給料として手にする二〇万円と、自営業の人が手にする二〇万円とで
は、同じ二〇万円でも、中身がちがう」と。

 サラリーマンの人には、来月も、来年も、ほぼその額がもらえるという安心感がある。しかし
自営業の人には、それがない。来月のことはわからない。来年のことは、さらにわからない。

 「だから、自営業の人が、サラリーマンの人と同じだけの安心感を得ようと思ったら、少なくと
も、その二倍の四〇万円はないと、無理だ」と。

 が、あるときから、私は、その不安と戦うことをやめた。その不安を、心の中に受け入れるよ
うにした。しかしそれは決して、楽な決断ではなかった。

 「もし、今の仕事がダメになったら、家と土地を売ればいい。それで何とか、しばらくの間は食
いつないで、あとは年金と貯金で、暮らせばいい」と。

 そこまで割り切ったとき、この不安感の大部分は、解消された。

 ……で、今夜も、自転車で家に帰るとき、ふと、こんなことを考えた。「ぼくは、健康じゃない
か。家に帰れば、暖かい家庭もある。何が、不足なのだ」と。

 私はもう、「林家」という、「家」には、こだわっていない。私とワイフが死んだとき、この家や、
そして「はやし浩司」という名前が、この世から消えていても、どうということはない。「墓」には、
さらにこだわっていない。

 つまりこの不安を心の中に受け入れるということは、自分を、そこまで納得させなければなら
ない。

 今、多くの人が、その不安の中で生きている。「来月は、どうなるのだろう?」「来年は、どうな
るのだろう?」と、思い悩んでいる人は、いくらでもいる。私もその一人だから、偉そうなことは
言えないが、ただこれだけは、言える。そういう不安感をかかえているのは、あなた一人ではな
い。みんな、そうなのだ、と。

 だから……。

 みなさん、がんばって生きていこう。生きられるだけ、がんばって、生きていこう。その先に何
があるか、私にもわからないが、とにかくがんばって生きていこう。

+++++++++++++++++++++

以前、こんな原稿を書きました。この原稿を
書いていて、思い出しましたので、ここに掲
載しておきます。

+++++++++++++++++++++

●悲しき人間の心

 母親に虐待されている子どもがいる。で、そういう子どもを母親から切り離し、施設に保護す
る。しかしほとんどの子どもは、そういう状態でありながらも、「家に帰りたい」とか、「ママのとこ
ろに戻りたい」と言う。それを話してくれた、K市の小学校の校長は、「子どもの心は悲しいです
ね」と言った。

 こうした「悲しみ」というのは、子どもだけのものではない。私たちおとなだって、いつもこの悲
しみと隣りあわせにして生きている。そういう悲しみと無縁で生きることはできない。家庭でも、
職場でも、社会でも。

 私は若いころ、つらいことがあると、いつもひとりで、この歌(藤田俊雄作詞「若者たち」)を歌
っていた。

 ♪君の行く道は 果てしなく遠い
  だのになぜ 歯をくいしばり
  君は行くのか そんなにしてまで

 もしそのとき空の上から、神様が私を見ていたら、きっとこう言ったにちがいない。「もう、生き
ているのをやめなさい。無理することはないよ。死んで早く、私の施設に来なさい」と。

しかし私は、神の施設には入らなかった。あるいは入ったら入ったで、私はきっとこう言ったに
ちがいない。「はやく、もとの世界に戻りたい」「みんなのところに戻りたい」と。それはとりもなお
さず、この世界を生きる私たち人間の悲しみでもある。

 今、私は懸命に生きている。あなたも懸命に生きている。が、みながみな、満ち足りた生活の
中で、幸福に暮らしているわけではない。中には、生きるのが精一杯という人もいる。あるいは
生きているのが、つらいと思っている人もいる。まさに人間社会というワクの中で、虐待を受け
ている人はいくらでもいる。が、それでも私たちはこう言う。「家に帰りたい」「ママのところに戻
りたい」と。

今、苦しい人たちへ、
いっしょに歌いましょう。
いっしょに歌って、助けあいましょう!

 若者たち

             
       君の行く道は 果てしなく遠い
       だのになぜ 歯をくいしばり
       君は行くのか そんなにしてまで

       君のあの人は 今はもういない
       だのになぜ なにを探して
       君は行くのか あてもないのに

       君の行く道は 希望へと続く
       空にまた 陽がのぼるとき
       若者はまた 歩きはじめる

       空にまた 陽がのぼるとき
       若者はまた 歩きはじめる

            作詞:藤田 敏雄

 そうそう、学生時代、丹羽一彦という友人がいた。一〇年ほど前、くも膜下出血で死んだが、
円空(えんくう・一七世紀、江戸初期の仏師)の研究では、第一人者だった。

その彼と、金沢の野田山墓地を歩いているとき、私がふと、「人間は希望をなくしたら、死ぬん
だね」と言うと、彼はこう言った。「林君、それは違うよ。死ぬことだって、希望だよ。死ねば楽に
なれると思うのは、立派な希望だよ」と。

 それから三五年。私は丹羽君の言葉を、何度も何度も頭の中で反復させてみた。しかし今、
ここで言えることは、「死ぬことは希望ではない」ということ。今はもうこの世にいない丹羽君に、
こう言うのは失敬なことかもしれないが、彼は正しくない、と。

何がどうあるかわからないし、どうなるかわからないが、しかし最後の最後まで、懸命に生きて
みる。そこに人間の尊さがある。生きる美しさがある。だから、死ぬことは、決して希望ではな
い、と。

……いや、本当のところ、そう自分に言い聞かせながら、私とて懸命にふんばっているだけか
もしれない……。ときどき「丹羽君の言ったことのほうが正しかったのかなあ」と思うことがこの
ところ、多くなった。今も、「若者たち」を歌ってみたが、三番を歌うとき、ふと、心のどこかで、
抵抗を覚えた。「♪君の行く道は 希望へと続く……」と歌ったとき、「本当にそうかなあ?」と思
ってしまった。

++++++++++++++++++++++

 しかし、ね、みなさん。

 未来の子どもたちのために、まじめな人が、安心して暮らせる社会を、今、つくりましょう。明
日や、あさってではない。今、です。

 正直者が、損をする。小ズルイ人だけが、得をする。そんな社会と、みんなで力をあわせて、
戦いましょう。

 いえね、決して、むずかしいことではありません。簡単なことです。

 ルールを守る。迷惑をかけない。ウソをつかない。約束を守る。自分に正直に生きる。たった
これだけのことで、今、そういう社会を、私たちは手にすることができます。

 そのあとのことは、そのあとの人たちに任せればよいのです。私たちは、今、すべきことを懸
命にする。それでよいのです。
(040128)

     ミ ( ⌒⌒ ) 彡
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     ○  ヽ ABC ○        このマガジンが、お役に立てそうな
   ̄ ̄ ̄ヽ  ヽ    ヽ ̄ ̄ ̄     方が、いらっしゃいませんか?
       ̄ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄         よろしくお伝えください!
【4】フォーラム∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●受験という魔物

 子どもの受験が、受験だけに終わらないのは、そこに親がからむから。この親どうしの、醜
い、実に愚劣な戦いが、そこでくりひろげられる。それが子どもの受験競争を、かぎりなく複雑
にする。

 私はこうした、ドロ沼の、底の、その底まで、見てきた。

 人間というのは、不思議なもので、三〇歳になると、一〇歳の子どもも、一五歳の子どもも、
同じに見える。一五歳の子どもが、小さな子どもをさして、「あんなガキが」と言ったりすると、
「自分だって、そんなに変らないではないか」と思ったりする。

 同じように、四〇歳になると、今度は、二〇歳の子どもも、一〇歳の子どもも、同じに見える。
さらに五〇歳になると、三〇歳の子どもも、一〇歳の子どもも、同じに見える。

 そんなわけで、今の私には、三〇歳の女性も、一〇歳の女の子も、同じに見える。少しまわ
りくどい言い方をしたが、つまり、親どうしの、こうした戦いを見ていると、私には、実に子どもじ
みて見える。

 一〇歳の女の子が、自分の持ち物をひけらかして、得意になる。それを見て、別の子ども
が、ひがむ。ひがんだついでに、ねたむ。そして意地悪をする。そしてたがいに、ささいなこと
で、言ったの言わないのと、喧嘩(けんか)を始める。

 三〇歳の母親に、「あなたがたがしていることは、一〇歳の子どものしていることと同じです
よ」と言っても、恐らく、理解できないだろう。私だって、三〇歳のときには、そうは思わなかっ
た。もしだれかが、三〇歳のときの私に、「お前のしていることは、一〇歳の子どもがしている
ことと同じ」と言ったとしたら、猛然と、それに反発しただろうと思う。

 しかし、今の私は、はっきりと断言できる。「人間というのは、あるところまでくると、それほど、
進歩しないものだ」と。そしてその「あるところ」というのは、一七、八歳の思春期までのころを
言うのではないか、と。

 もちろんこうして、ここにあげた数字には、根拠はない。話の内容をわかりやすくするため
に、「例」としてあげた。

 で、私は、あるとき、それに気づいた。そしてそのときから、「親」を客観的に見ることができる
ようになった。と、同時に、あのドロ沼から、足を洗うことができた。

 今も、このH市の、どこかの小さな幼稚園では、醜い親どうしの、それこそ熾烈(しれつ)な戦
いが繰りかえされている。「あの子が、合格? ウッソー!」「どうして、あんな子が、合格した
の?」「ええっ! あの子が、不合格! どうなってるのオ!」と。

 こんな電話を、親たちが、夜中の間、ずっと、たがいにかけあっている。うわさしあっている。
そして、(合格組)は、ことさらその優越感を味わい、(不合格組)は、その分だけ、失意と落胆
の世界に、たたき落とされる。

実際、この時期、自分の子どもが不合格になったことが原因で、寝込んでしまう親は、少なくな
い。それがこじれて離婚騒動になったケースさえ、ある。中学生の息子が不合格になったあ
と、自殺を試みた母親すら、いる。

 外部の人が見れば、まさに笑い話だが、しかし当の本人たちには、わからない。一年先、二
年先どころか、数日先のことすらわからない。見えるのは、ほんの目先のことだけ。その目先
のことすら、わからない人も少なくない。

 つまりこういう姿を見ていると、私には、その親たちが、一〇歳、あるいはそれ以下の子ども
と同じに思えてくる。親にはなった。子どもも育てている。しかし中身は、まったく子どものまま、
と。

 こうしたドロ沼から抜け出る方法は、ただ一つ。その人自身が、自ら考える人間になることで
しかない。考えて考え抜いて、自分の時点を高くもちあげる。そして高い視点から、まわりの世
界を見る。

 そうすればちょうど地図を見るように、迷った道から抜け出ることができる。ドロ沼から、這い
出ることができる。

 今、自分の子どもだけを見据えて、じっくり子育てができる親は、いったい、どれだけいるだろ
うか。「私は、私。うちの子は、うちの子」と考えて、じっくり子育てができる親は、いったい、どれ
だけいるだろうか。

 子育ての問題とは言いながら、その実、周囲の雑音、騒音に、振りまわされているだけ。今、
子どものドロ沼の受験戦争に巻き込まれて、勝ち組になってはしゃいでいる親も、反対に負け
組になって落ちこんでいる親も、一度、じっくりと、自分を見つめてみてほしい。
(040126)

●親どうしのつきあいは、『如水淡交』が、原則。決して深い入りしない。つきあいは事務的に。
「あぶない」と感じたら、さっとかわす。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【近況あれこれ】

●KG議員の学歴詐称事件

 今(1月28日現在)、衆議院議員KG氏(民主党・福岡二区)の学歴詐称事件が、話題になっ
ている。アメリカのP大学を出たとか、出なかったとか。マスコミは、鬼の首でもとったかのよう
に、はしゃいでいる。

 もちろん学歴詐称は、許されない。許されないが、KG氏についていうなら、それほどの大事
件かというと、そうでもない。

 その第一。すでに三〇年前には、大学の単位は、アメリカでは共通化されていた。単位を合
算して、それが卒業に必要な単位数になっていれば、大学を卒業したことになる。

たとえばA大学で取った10単位と、B大学で取った10単位と、C大学で取った10単位を、合
計して、30単位とし、それでどこかの大学で、学位として認定されれば、その大学を卒業した
ことになる。

(欧米では、落第は当たり前だから、仮に卒業していなくても、取得した単位や単位数が、学歴
として評価される。どうもわかりにくい話に聞こえるかもしれないが、大学のシステムそのもの
が、ちがう。

 たとえば私の友人のR君などは、メルボルン大学に八年間在籍したが、学位は認定されなか
った。だから卒業したことにはならないが、準卒業者として、つまり大卒として、その後、専門の
仕事をしている。)

 どこの大学で、学位や修士号、あるいは博士号の認定を受けるかは、これはまったくの別問
題だが、ともかくも、大学名にこだわる理由など、どこにもない。ふつう、日本でいう「卒業証書」
というのは、その認定書をいう。

(有名な大学で、学位の認定を受けるのは、当然のことながら、たいへんむずかしい。それだ
け審査がきびしいということになる。だから欧米では、どこの大学で学んだかよりも、どこの大
学で学位を認定されたかが、重要となる。)

 そこで問題だが、いわゆる「認定書がないから、卒業と書いたのは詐称」と騒ぐのは、おかし
い。日本人は、学歴に、ことさらこだわる民族だから、こうした事件を、重大に考える。しかしK
G氏は、大学に学籍を置いていたのは事実だし、ある程度は、ちゃんと勉強もしたらしい。

 それに詐称したとされるP大学は、「詐称」「詐称」と騒がねばならないほど、有名な大学でも
ないようだ。ハーバード大学を出たとか、MITを出たとか、そういう大学を卒業したという話なら
別だが、そういう大学でもないようだ。P大学というのは、田舎の小さな、どこかの宗教団体が
経営する大学のようである。

 「出た、出た」と、誇るような大学でもないし、「出てない、出てない」と、非難するような大学で
もない(失礼!)。

 ご存知ない方も多いと思うが、アメリカでは、博士号すら、お金で売っている大学は、いくらで
もある。教授職すら、お金で売っている大学も、いくらでもある。ウソではない。

 私のところにも、ときどき、「XX万円出せば、あなたを名誉教授にする」「YY博士号を授与す
る」という、手紙が、ときどきくる。決してインチキな大学ではない。(インチキだが……。)ちゃん
と名前の通った大学である。

 現に今、教育評論家として活躍している、Z氏などは、A国で、博士号を授与したことを、前面
に出して活躍している。Z氏が、どうやってその博士号を手にしたかは知らないが、問題は、ど
この大学で、その博士号が認定されたか、だ。本当にZ氏は、その大学で修士課程を経たあ
と、博士論文を評価されて、博士号を授与されたのだろうか?

 ここにも書いたように、教授職すら、お金で売っている大学がある! もちろんある程度のお
膳立てと、中身は必要だが、あなただって、その気にさえなれば、手に入れることができる。

 KG氏自身も、学歴にこだわった。正直に、「〜〜大学留学」と書けばよかったものを、「〜〜
大学卒業」と書いたため、問題になった。それに学歴にこだわるマスコミが、乗った。つまりこ
の事件は、日本的な、どこまでも日本的な事件である。

 さてさて、これからどうなるか? 結局は、KG氏は、辞職に追いこまれることになるだろう。日
本という社会は、KG氏のような議員の存在を、許さない。私も、KG氏には、同情はするが、K
G氏は、基本的な部分で、正直さに欠けていた。やはり、衆議院議員としては、KG氏は、残念
ながら、失格だと思う。


●ドキドキ、ハラハラの一週間

 ホームページが、めちゃめちゃになってしまった。新しいソフトで、新しいパソコンに乗りかえ
るとき、ヘマをした。

 そこでこの一週間、悪戦苦闘。一時は、もうダメかとあきらめた。つまりまた、一から、作りな
おしと、そこまで覚悟した。実際、別のところで、新しく、ホームページを、作り始めていた。

 で、最後の手段。本当に、最後の手段。……それを書いたら、長くなってしまうので、省略。と
にかく、その最後の手段を試みた。

 が、ナ、何と、正常にアプロードできるではないか!

 ファイル数、1494。約40MB。膨大なホームページである。ほとんどが、文字情報のホーム
ページだから、原稿用紙になおしたら、A4サイズで、1万枚以上! 

 その間、いつまたFTP送信が中断するかと、ハラハラ、ドキドキ。本当に、おっかな、びっく
り。そのときだけは、さすがの私も、肝を冷やした。冷や汗も流した。

 こうして待つこと、約15分。送信の様子が、パラパラと、グラフで示されるようになっている。
私は、それを見ながら、こう考えた。

 「私も、なかなか、やるじゃん」と。

 ホント。このところ、たいていのトラブルなら、自分でなおせるようになった。ひょっとしたら、そ
こらの専門家より、私のほうが、よく知っているかも。(これはウヌボレ!)またまた私は自信を
もった。ますますパソコンが好きになった。ははは。もう一回、ははは。

 一週間分のUXXが、どっと出たような気分だった。(そういう経験は、ないが……。)この爽快
感は、たまらない! 本当に、たまらない!

 全国のみなさん、ありがとう!(あまり関係ないか……?)


●夜中に咳こむ

 体を起こしていると、ほとんど咳は出ない。しかし横になったとたん、咳が出る。

 花粉症のとき、ときどきぜん息になったことがある。そのときも、そうだった。だから体を半
分、起こして、寝る。枕や、座布団を、フトンの下に、高く敷いて寝る。

 ここ数日、その咳がひどい。自分の咳で、たびたび目をさます。から咳だが、のどの奥が、痛
がゆい。はげしく咳こむと、息が苦しい。そして一度、咳こむと、数回、つづけてはげしいのが、
つづく。

 そんなわけで、今は、午前三時。横で寝ているワイフに、申し訳ないので、起きて、書斎へや
ってきた。

 これ以上、とくに書くことはないので、この話は、ここまで。どうやら、今度の風邪は、こういう
風邪らしい。あるいはインフルエンザかも? 一応、予防注射はしているので、こういうおかし
な症状になったのかもしれない。

 そうそう、SARS騒動が終わったと思ったら、今度は、鳥インフルエンザだそうだ。自然界で
も、つぎからつぎへと、いろいろなウィルスが現れている。気をつけよう!


●読者の方の反応

 ワイフに、こう言った。「読者の方の意見を募集したけど、返事をくれたのは、二人だけだっ
た」と。

 するとワイフは、「あなたのマガジンは、まじめすぎるから」と。

 意味がよくわからないが、どうも私のマガジンは、そういう(?)マガジンらしい。チャットルー
ムも作ったが、読者の方と交信したのは、この一年間で、数回だけ。

 ほかのHPをのぞいてみると、みなさん、毎晩のように、はげしく交信している。私のマガジン
の、どこがいけないのか?

 「ヘタなこと書くと、あなたは、全部、原稿にしてしまうからね。みんな、それがこわいのかも
よ」と。

 それはあるが、しかし一度だって、その個人が特定できるようなことは、書いたことはない。
当然と言えば、当然だが、この部分については、いつも細心の注意を払っている。

 そんなわけで、もうあきらめた。読者の方は、読者の方で、あれこれと忙しいのだろう。私は
私で、マイペースで、原稿を書くしかない。ただひたすら、前向きに!


●被害妄想

 ワイフから聞いた話。

 X氏と、そのX氏と道をはさんで住んでいる、Y氏が、この10年、喧嘩(けんか)ばかりしてい
るという。で、最近、その喧嘩がエスカレートしてきたようだ。

 X氏は、「Y氏が、自分の家の中をのぞいている」と主張する。Y氏は、「そんなことはしていな
い」と言う。

 X氏は、家の窓ガラスを、すべて、すりガラス(型ガラス)にかえた。一方、Y氏は、カーテン
を、遮光カーテンにかえた。

 私は、Y氏の味方。Y氏はよく知っているが、X氏のことは、よく知らない。Y氏は、こう言ってい
る。

 「X氏は、昔から、私の家の中をのぞいてばかりいます。自分がそういうことうをしているか
ら、他人もそうしていると思うのですね。こういうのを、被害妄想というのですか。私は、X氏に
は興味はないし、家の中をのぞいたことは、ありません」と。

 昔から『泥棒の家は、戸締まりが厳重』という。こういうケースは、子育ての場でも、いくらでも
ある。少しまわりくどい話になるが、こんなこともある。

 他人を学歴で評価する人は、自分の子どもの勉強に、うるさい。あるいは、学歴コンプレック
スをもっている人ほど、自分の子どもの勉強に、うるさい。

 つまり人というのは、自分が気にしていることを、他人も自分に対して気にしていると思いや
すい。本当はだれも気にしていないのだが、自分で、そう思いこんでしまう。

 昔、息子(中学一年)の、SS中学校の一次試験の合格書を、もち歩いていた母親がいた。そ
の息子は、二次の抽選で落ちたのだが、よほど、それがくやしかったのだろう。つまり、その母
親は、他人に、落ちたと思われるのがいやだった。だからことあるごとに、その合格書を他人
に見せていた。

 「うちの息子は、受験で落ちたのではありません。二次の抽選で落ちたのです。だからその
力はあったのです」と。

 その母親は、ことあるごとに、他人の子どもを、学歴で判断していた。つまり自分が、他人の
子どもの受験や結果を気にしていたから、他人も、自分の子どもの受験や結果を気にしている
と思った……らしい。

 この世界には、『他人の子どもを笑うな。他人の子どもを笑えば、笑った分だけ、いつか自分
の子どもが笑われる』という大教訓(?)がある。

 「笑う」とか、「笑わない」というレベルの話ではなく、そういう話には、近づかないこと。あなた
の周囲で、だれかが、そういう話をしても、耳を傾けないこと。この種の話は、あなたの心を腐
らせる。

あなたはあなただし、あなたの子どもは、あなたの子どもなのだ。もっと言えば、他人の子ども
の学歴など、関心をもたないこと。もったところで、どうしようもない。

 で、そのY氏は、こう言う。「Xさんも、かわいそうな人です。成人した子どもは二人いますが、
ほとんど、家には帰ってこないようです。数年に一回、あるかないかではないですか。そのため
孤独になり、だからよけいに、私の家のことが気になるのですね」と。

 要するに、他人の家の中は、のぞかないこと。こういう行為は、ここにも書いたが、あなたの
心を、腐らせる。
(040129)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【おまけ】

●同窓会

大学の同窓会が近く、ある。
その同窓会があるたびに、三年前の正月を思い出す。
学生時代も遠い昔なら、その三年前も、遠い昔に思える。
なぜか?

+++++++++++++++++

●三一年目の約束

ちょうど三十一年前の卒業アルバムに、私はこう書いた。

「二〇〇一年一月二日、午後一時二分に、(金沢の)石川門の前で君を待つ」と。

それを書いたとき、私は半ば冗談のつもりだった。当時の私は二十二歳。ちょうどアーサー・ク
ラーク原作の「二〇〇一年宇宙の旅」という映画が話題になっていたころでもある。私にとって
は、三十一年後の自分というのは、宇宙の旅と同じくらい、「ありえない未来」だった。

 しかし、その三十一年が過ぎた。一月一日に金沢駅におりたつと、体を突き刺すような冷た
い雨が降っていた。「冬の金沢はいつもこうだ」と言うと、女房が体を震わせた。とたん、無数の
思い出がどっと頭の中を襲った。話したいことはいっぱいあるはずなのに、言葉にならない。細
い路地をいくつか抜けて、やがて近江町市場のアーケード通りに出た。

いつもなら海産物を売るおやじの声で、にぎやかなところだ。が、その日は休み。「初売りは五
日から」という張り紙が、うらめしい。カニの臭いだけが、強く鼻をついた。

 自分の書いたメモが、気になり始めたのは数年前からだった。それまで、アルバムを見るこ
とも、ほとんどなかった。研究室の本棚の前で、精一杯の虚勢をはって、学者然として写真に
おさまっている自分が、どこかいやだった。

しかし二〇〇一年が近づくにつれて、その日が私の心に重くのしかかるようになった。アルバ
ムにメモを書いた日が「入り口」とするなら、その日は「出口」ということか。しかし振り返ってみ
ると、その入り口と出口が、一つのドアでしかない。その間に無数の思い出があるはずなの
に、それがない。人生という部屋に入ってみたら、そこがそのまま出口だった。そんな感じで三
十一年が過ぎてしまった。

 「どうしてあなたは金沢へ来たの?」と女房が聞いた。「…自分に対する責任のようなものだ」
と私。あのメモを書いたとき、心のどこかで、「二〇〇一年まで私は生きているだろうか」と思っ
たのを覚えている。が、その私が生きている。生きてきた。時の流れは、時に美しく、そして時
に物悲しい。

フランスの詩人、ジャン・ダルジーは、かつてこう歌った。「♪人来たりて、また去る…」と。

部分的にしか覚えていないが、続く一節はこうだった。「♪かくして私の、あなたの、彼の、彼女
の、そして彼らの人生が流れる。あたかも何ごともなかったかのように…」と。

何かをしたようで、結局は、私は何もできなかった。時の流れは風のようなものだ。どこからと
もなく吹いてきて、またどこかへと去っていく。つかむこともできない。握ったと思っても、そのま
ま指の間から漏れていく。

 翌一月二日も、朝からみぞれまじりの激しい雨が降っていた。私たちは兼六園の通りにある
茶屋で昼食をとり、そして一時少し前にそこを出た。が、茶屋を出ると、雨がやんでいた。そこ
から石川門までは、歩いて数分もない。

歩いて、私たちは石川門の下に立った。「今、何時だ」と聞くと、女房が時計を見ながら「一時よ
…」と。私はもう一度石川門の下で足をふんばってみた。「ここに立っている」という実感がほし
かった。

学生時代、四年間通り抜けた石川門だ。と、そのとき、橋の中ほどから二人の男が笑いながら
やってくるのに気がついた。同時にうしろから声をかける男がいた。それにもう一人……! 

そのとたん、私の目から、とめどもなく涙があふれ出した。

Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
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●ずる休みの勧め

 「学校は行かねばならないところ」と考えるのは、まちがい。私たち日本人は明治以後、徹底
してそう教育を受けているから、「学校」という言葉に独特の響きを感ずる。

少し前の話だが、テレビを見ていたら、戦場の跡地でうろうろしている子ども(一〇歳くらい)に
向かって、「学校はどうしているの?」と聞いていたレポーターがいた(アフガニスタンで、〇二
年四月)。

その少し前も、そのシーズンになると、海がめの卵を食用に採取している子どもたちが紹介さ
れていた。南米のある地域の子どもたちだった。その子どもたちに向かっても、レポーターが
「学校は行かなくてもいいの?」(NHKテレビ)と。

 日本人は子どもを見れば、すぐ「学校」「学校」と言う。うるさいほど、そう言う。しかしそういう
国民性が、一方で、子どもをもつ親たちをがんじがらめにしている。

先日も子どもの不登校で悩んでいる親が相談にやってきた。そこで私が「学校なんか、行きた
くなければ行かなくてもいいのに」と言うと、その親は目を白黒させて驚いていた。「そんなこと
をすれば休みグセがつきませんか」とか、「学校の勉強に遅れてしまいます」とか。しかし心配
はご無用。

 学校へ行くから学力や知力がつくということにもならないし、行かないから学力や知力がつか
ないということもない。さらにその子どもの人間性ということになると、学校はまったく関係ない。
むしろ幼稚園児のほうが、規則やルールをよく守る。正義感も強い。

それが中学生や高校生なると、どこかおかしくなってくる。「スリッパを並べてくれ!」などと頼も
うものなら、即座に、「どうしてぼくがしなければいかんのか!」という声がはね返ってくる。人間
性そのものがおかしくなる子どもは、いくらでもいる。

 そこでずる休みの勧め。ときどき学校はサボって、家族で旅行すればよい。私たち家族もよく
した。平日にでかけると、たいていどこの遊園地も行楽地もガラあきで、のんびりと旅行するこ
とができた。またそういうときこそ、「子どもを教育しているのだ」という充実感を味わうことがで
きた。そんなときも、「そんなことをすれば、サボりぐせがつきませんか?」と心配する人がい
た。が、それも心配ご無用。

たいていその翌日、子どもたちはすがすがしい表情で学校へでかけていった。ウソだと思うな
ら、あなたも一度、試してみるとよい。こういう話を読んで、目を白黒させている人ほど、一度、
勇気をだしてサボってみるとよい。あなたも明治以後体をがんじがらめにしている束縛の鎖
を、少しは解き放つことができるかもしれない。
(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
 
●コンピュータウィルス

 このところ(〇二年五月)、毎日のようにコンピュータウィルスの攻撃を受けている。一応、二
重、三重のガードをしているから、このガードが破られることはまずない。そのウィルス攻撃を
受けながら、いろいろなことを考える。

 よく雑誌などを読むと、いかにも頭だけはキレそうな若者が、したり顔で、ウィルス対策を論じ
ていたりする。しかし私には、そういう男と、どこかの暗い一室でコソコソとウィルスをばらまい
て楽しんでいる男(多分?)が区別できない。

雑誌に出てくる男に、それほど強い正義感があるとも思えないし、同時にウィルスをばらまいて
いる男が、その男と、そんなに違うとも思えない。どちらの男も、ほんの少し環境が変わった
ら、別々の男になっていたかもしれない。人間のもつ正義感などというものは、そういうものだ。

 もう一つは、こういうウィルスをつくる能力のある人間は、それなりに頭のよい男なのだろう
が、どうしてそういう能力を、もっと別のことに使わないかという疑問。もっともこの私でも、簡単
なウィルスくらいなら自分でつくることができる。

ファイルに自動立ちあげのプログラムを組み込めばよい。あとはランダムに番地を選んで、適
当に自己増殖のプログラムを書き込めばよい。言語はC言語でもベーシックでもマクロでもよ
い。私の二男にしても、高校生のとき、すでに自分でワクチンプログラムを作って、ウィルスを
退治していた。だからたいしたことないと言えばたいしたことはないが、それにしても「もったい
ない」と思う。能力もさることながら、時間が、だ。

 つぎに今は、プロバイダーのほうでウィルスチェックをしてくれているので、ウィルスが入った
メールなどは、その段階で削除される。で、そのあと、私のほうに、その旨の連絡が入る。問題
はそのときだ。プロバイダーからの報告には、つぎのようにある。

「○○@××からのメール、件名△△にはウィルスが混入していました……」と。そこで私は、
その相手に対して、その内容を通知すべきかどうか迷う。いや、最初はそのつど、親切心もあ
って、「貴殿のパソコンはウィルスに汚染されている可能性があります」などと、返信を打ってい
た※。

しかしこのところそれが多くなり、そういう親切がわずらわしくなってきた。で、最近はプレビュー
画面に開く前に、プロバイダーからの報告そのものを削除するようにしている。で、ハタと考え
る。「私もクールになったものだ」と。

いや、こうしたクールさは、コンピュータの世界では常識で、へたな温情(スケベ心)をもつと、
命取りにすらなりかねない。(事実、過去において、何度かそういう経験があるが……。)だか
ら、あやしげなメールは、容赦なく削除する。しなければならない。そしてそれがどこかで、私が
本来もっている、やさしい人間性(?)を削ってしまうように感ずるのだ。あああ……。

 このところインターネットをしながら、いろいろと考えさせられる。これもその一つ。

【※注意】
 
 ウィルス付のメールがきても、決して、返信を書いて、相手に、警告してはいけません。その
ときウィルスのタイプによっては、ウィルスが侵入することもあるそうです。

 あやしげなメールは、件名だけを読んで、即、削除。何も考えないで、即、削除。それまさる
防御方法は、ありません。

●ウィルス防御のための鉄則

(1)WINDOWのUPDATEを、こまめにする。
(2)市販のアンチウィルスソフトを、インストールする。こまめにUPDATEする。
(3)あやしげなメールは、即、削除。ファイルは、絶対安全とわかっているもの以外は、開かな
い。必要がなければ、即、削除。
(4)できればプロバイダーのウィルスチェックサービスに加入する。できればパソコンを、使い
分ける。

    ミ ( ⌒⌒ ) 彡
      ∞((((( )∞
      │6 6 b
      (" 。 "人
     ヽ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄ヽ
     ○  ヽ ABC ○
   ̄ ̄ ̄ヽ  ヽ    ヽ ̄ ̄ ̄    何か、テーマがあれば、
       ̄ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄        掲示板にお書き込みください。

【2】特集∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●愚人と賢人

 ずいぶんと昔だが、私に面と向かって、こう言った女の子(中三)がいた。

 「あんた(=私のこと)も、くだらねエ仕事、してるねエ。私やア、おとなになったら、あんたよ
り、もう少し、マシな仕事をすっからア」と。

 私は、その女の子を見ながら、怒るよりも先に、「なるほどなア」と思った。私のしている仕事
は、その程度だということは、自分でも、よくわかっている。しかし私は、その女の子の前では、
本当の私の姿を見せていない。見せる必要も、ない。

 まただからといって、その女の子を、責めているのでもない。最近の若い人たちは、多かれ
少なかれ、みな、そうだ。何も、彼女が、特別というわけでもない。この時期の子どもは、生意
気になることで、自分を主張しようとする。

 それに、多分、今でも、子どもたちから見る私は、バカで、ドジで、どこかダサイ、初老の男な
のだろう。私も、あえて子どもたちの前で、そういう男を演じてみせている。

 で、私は、一つの事実に気がついた。

 愚人には、賢人がわからない。どの人が賢人であるか、その区別さえできない、と。

 たとえばこんなことがある。

 幼児クラスで、私が、わざと、「3+4」の問題を、まちがえてみせたとする。すると、子どもた
ちは、「先生、ちがう!」と騒ぎだす。常識で考えれば、(あくまでもおとなの常識でだが……)、
私という人間が、そんな簡単な足し算で、まちがえるはずはない。

 しかし子どもたちには、それがわからない。中には、本気で怒ってしまう子どもさえ、いる。「あ
んた、本当に、先生!」と。

 しかし賢人には、愚人がよくわかる。あたかも手に取るかのように、よくわかる。何をどう考
え、どう思っているか。そしてその先、どういう結論をだすかまで、わかる。この足し算のケース
でいうなら、子どもが怒りだすところまで、わかる。

 つまり冒頭にあげた女の子は、そのレベルの子どもということになる。(私が賢人であるかと
いう話は、別にして……。)少なくとも、私は、その女の子よりは、賢人である。だから、「なるほ
どなア」と思った。またそう思うことで、自分の心を、処理した。

 で、私は、そのあと、その女の子と、こんな会話をした。

私「君は、将来、どんな仕事をするの?」
女「まあね、いろいろ」
私「たとえば……」
女「まあね。でもね、先生、私も将来、何もすることがなくなったら、塾の講師でもすっから。そ
のときは、先生、よろしくね」と。

 つまりその女の子は、対、私との関係では、愚人ということになる。自分が愚人であるとさえ、
気づいていない。(だから、愚人ということになるが……。)だから私が、どういう人間であるかさ
え、わからない。理解もできない。

 こうして私は、一つの結論を導いた。それが、つぎの一文である。

 『愚人は、決して、自分を愚人と思わない。しかし賢人は、いつも自分を愚人と思う。そして愚
人からは、賢人がわからない。自分と同じ人間だと思う。が、賢人からは、愚人がよくわかる。
これが愚人と賢人のちがいである』である。

●愚人論

 簡単な例では、『堂々巡り』という言葉がある。あるいは、『小田原評定』というのもある。同じ
ことを繰りかえし考えるだけで、前に進まないことをいう。これを、「思考のループ」という。

 一度、このループ状態にはいると、進歩が止まるのみならず、ばあいによっては、後退する。

 たとえば昨夜、私はテレビのチャンネルをかえるとき、あるバラエティ番組をのぞいてみた。
夜の九時台だった。

 見ると、お笑いタレントとしてよく知られている、Sという男が、ペラペラと何かをしゃべってい
た。軽妙なタッチで、若い人たちには、それなりに受けはよい。しかし私は、ふと、こう思った。
「この男は、五年前にも、そして一〇年前にも、同じことを言っていたぞ」と。

 実のところ、同じかどうかはわからない。しかし昔、彼がしゃべったのを何度か聞いたことが
あるが、どの一つも、記憶に残っていない。何かしら、いっしょに笑ったような覚えはあるが、そ
れだけ。

 お笑いタレントのSが、ループ状態に入って、同じようなことをしゃべるのは、構わない。それ
が彼の仕事である。問題は、それを見たり聞いたりする、視聴者である。実は、この視聴者
も、ループ状態に入る。

 もう少しわかりやすい例で考えてみよう。

 たとえばプロ野球が、ある。

 私はあるとき、プロ野球を見ながら、こう考えたことがある。

 「毎年、毎年、こうしてプロ野球は、繰りかえされる。しかし中身は、同じではないか」と。

 もちろん中身は、ちがう。試合の内容も、ちがう。しかし三〇年前のプロ野球も、最近のプロ
野球も、プロ野球は、プロ野球。パターンこそちがうが、「プロ野球」という全体のワクは、同じ。

 ワイフと、こんな会話をした。

私「たとえばその日の献立を考える。そのとき、『何を食べようか』と考える。考えながら、頭の
中で、いくつかの料理を思い浮かべる。そのとき思い浮かべる料理の内容はちがうかもしれな
いが、献立を考えるというワクは、同じ」
ワ「だから、どうなの?」
私「思考も、これによく似ている。いろいろなことを考えるが、一定のワクができると、そのワク
の中だけで、同じようなパターンを繰りかえすようになる。しかしこうなると、思考は、進歩を停
止する」

 思考が停止した状態になると、明日も今日と同じ、あさっても、その明日と同じという状態にな
る。しかしこうなれば、その人は、死んだも同然。

私「人間は考えるから、人間なのだ」
ワ「いつものあなたのセリフよ」
私「そうだ。考えることによって、前に進むことができる」
ワ「考えなかったら……?」

 私は、老人たちの会話を例にあげた。どこかの公園に集まって、毎日、毎日、同じ会話を繰
りかえしている、あの老人たちである。

 もちろんそれが悪いというのではない。人は、人、それぞれ。またほとんどの人は、みな、そう
なる。しかし若い人は、そうであってはいけない。

私「若い人でも、思考のループに入ってしまう人はいくらでもいる」
ワ「そういう人は、死んでいるの?」
私「思考的には、そういうことになる」

 そこで問題は、どうすればそのループ状態から、抜け出ることができるかということ。いや、そ
の前に重要なことは、自分が、ループ状態にあることに気がつかなければならない。

 たとえば、今のあなたを、一〇年前のあなたとくらべてみればよい。二〇年前のあなたとくら
べてみればよい。が、それがわからなければ、あなたの近くにいる、叔父や叔母を一人選ん
で、その人を外から観察してみればよい。

 あなたなら、あなた。その人なら、その人が、一〇年前と同じ、あるいは二〇年前と同じという
のであれば、あなたや、その人は、ループ状態にいるとみる。このタイプの人は、一〇年一律
なことばかりを、口にする。そして同じことを、同じパターンで繰りかえす。

 では、どうするか。そういうループ状態から抜け出るには、どうするか。このことを、あの釈迦
は、『精進(しょうじん)』という言葉を使って説明した。つまり常に、今のカラを破り、前に進む。
そこに生きる、人間の尊さがある。人間の価値がある、と。

私「大切なことは、考えること。この一語に、行きつく」
ワ「どう考えるの?」
私「いいか、思想というのは、言葉でできている。だから考えるということは、ものを書くこととい
うことにもなる。人間は、書きながら考え、考えながら、書く。そうすると、荒野の荒地に、ときど
き小さな、光るものを見つけることがある。あとは、その光るものを、どこまでも追いつづけれ
ばいい」と。

ワ「それが精進ってことね」
私「そう。あえて言うなら……」
ワ「何よ……」
私「先へ進めば進むほど、相対的に、まわりの人が、幼稚に見えてくる」
ワ「愚かに見えてくるということ?」

私「はっきり言えば、そういうことになるかもしれない。だから一〇年前、あるいは二〇年前に
つきあった人と、会ってみればいい。そういう人と会って話してみたとき、自分が、昔のままだと
感じたら、たがいにループ状態にいるとみていい。しかし相手が愚かに見えたら、自分はルー
プ状態から、抜け出たとみていい」と。

 こうして人間は、死ぬまで、歩きつづける。求めて、求めて、歩きつづける。もちろんゴール
は、ない。そう言いきるのは危険なことかもしれない。しかしゴールは、ない。荒野は、どこまで
も果てしなく、つづく。そしてゴールだと思っても、必ず、その先は、ある。

 最後にもう一度。

 愚人は、決して、自分を愚人と思わない。しかし賢人は、いつも自分を愚人と思う。そして愚
人からは、賢人がわからない。自分と同じ人間だと思う。が、賢人からは、愚人がよくわかる。
これが愚人と賢人のちがいである。
(040127)

【3】心に触れる(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞691

●仮面

 心を開かない人とは、どういう人を言うのか?

 数日前、「からくり人形」をテーマにした、バラエティ番組(NHK)を見た。一本、一本を矢を矢
立から抜いて、弓にこめ、その矢を射って、的に当てる……。そんなからくり人形もあった。

 あるところまではテレビ局側で説明し、「では、これは?」というような問いかけで、番組は、進
行した。よくある、バラエティ番組形式である。

 で、私は、その出演者の中の、T氏という男性に注目した。昔から時代劇の俳優として活躍し
ている人である。そのT氏は、新しいからくり人形が紹介されるたびに、「ほほう!」とか、「これ
は!」と言って、ことさら驚いてみせていた。

 で、私は、やがてそれが演技であることを知った。(私は、さも驚いています)というような驚き
方なのである。それが実に、おおげさ。不自然。ときどき、視線が、チラチラと、カメラかテレビ
画面のほうへ走るのも、わかった。

 私も、そのからくり人形を見て、驚くには驚いた。しかしそういったものを見るのは、決して、
はじめてではなかった。最近では、G社という出版社が、書店やおもちゃ屋で、そういったからく
り人形を、完成品で売っている。

 が、私の驚き方は、静かなものだった。たまに「ほう!」というような声をあげることはあった
が、あとはニンマリと笑う程度。T氏のような「芸能」の世界を渡りあるいている人なら、その程
度のからくり人形なら、どこかで見たことがあるはず。「ああまで、どうして驚くのかな?」と、む
しろ、そちらのほうを不思議に思った。

 ……と書いて、何も、私は、T氏を批判しているのではない。そういった演技的な驚き方が、
まずいと言っているのでもない。私は、ワイフと、その番組を見ながら、こんな会話をした。

私「いいか、このT氏を見てごらん。このT氏は、おおげさに驚いてみせている。だけど、決し
て、驚いてはいない」
ワイフ「そうね。番組を盛りたてているだけよ」
私「つまりね、番組に合わせて、同調しているだけ。しかし心は、まったく開いていない」

ワ「私にも、わかるわ」
私「こういう人が、近くにいると、それだけで疲れるよ。たとえば何かのパーティで、(パーティで
は、こういうことをするものだ)と思いこんで、騒ぐ人がいる。ギャーギャーと、ね。そういう人が
近くにいると、こちらも、そうしなければならないという思いに、追いたてられる。だから、疲れ
る」

ワ「つまり、自分で自分を作っているのね。本当の自分は、どこかへ置いておいて、その場の、
雰囲気に合わせて、みなが喜ぶように騒ぐってことね」
私「そうだよ。一見、心を開いているかのように見えるが、その実、心は開いていない。計算ば
かりしている」
ワ「どこか不自然ね」
私「そうだ。心を開いていない人の言動は、どこか不自然になる」と。

 子どもの世界にも、愛想のよい子どもというのがいる。相手にへつらう、相手の機嫌をとる、
相手に取り入る、調子を合わせる、など。何か珍しいものを見せたりすると、おおげさにそれに
驚いてみせたり、びっくりした様子を見せたりする。つまりそういう形で、相手を喜ばせようとす
る。

 このタイプの子どもは、一見親しみをもちやすい。しかしその実、心は開いていない。いつも
「自分が、周囲の者に、どう見られているか」「どうすれば、いい人間に見られるか」「見せること
ができるか」と、そんなことばかりを気にしている。

 自分というものが、どこにあるかさえわからない。たとえばここにあげたT氏が、そうである。
ここにも書いたように、(私は、さも驚いています)というような驚き方で、驚いてみせる。

「こういう人は、疲れるだろうな」と私。「番組が終わって、ホテルへでも入ったら、グッタリよ」と
ワイフ。

 私はそのT氏を見ながら、「心を開かない人というのが、どういう人か、それを知りたければ、
こういう番組を見ればいい」と思った。

 そのあとその番組では、いくつかのからくり人形を紹介していた。そしてそこに、日本人のも
の作りの原点があるというようなことを言っていた。番組自体は、おもしろく、興味深い内容だ
った。
(040126)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●子どもの受験勉強

 この日本では、受験勉強を、避けて通ることはできない。現実に、受験競争は、そこにある。
だから子どもの受験勉強も、そこにある。

 で、その受験勉強を、三〇年以上にわたって私は、指導してきた。私自身は、「受験」を意識
したことはあまりないが、しかし親たちは、当然のことながら、受験を考えて、子どもを私に任
す。

 で、概して言えば、その受験で、成功するグループと、そうでないグループがあるのがわか
る。

 成功するグループの親は、どっしりと落ちついている。子ども自身がもつ、大きな波をしっか
りととらえ、さざ波程度では、動揺しない。

 一方、失敗するグループの親は、そのつど右往左往して、つかみどころがない。大きな波を
見ることができず、そのつどさざ波程度で、動揺する。

 理由がある。

 子どもを伸ばすという意味は、二つある。一つは、伸ばすこと。これは当然だが、もう一つ
は、つぶすようなことは、しないということ。わかりやすく言えば、親自身が、子どもの伸びる芽
をつんでしまうことがある。それをしないことを、いう。

 さざ波で動揺する親というのは、動揺しながら、子どもの伸びる芽をつんでしまう。いろいろな
例がある。

 よくあるケースは、子どもが受験期にさしかかると、超難解な参考書や、ワークブックをどっさ
りと買いこんで、子どもに与えること。しかも、問題量そのものが多い。

 こういう参考書なり、ワークブックをかかえたら最後、子どもの勉強は、にっちもさっちもいか
なくなる。あくまでも子どもの能力に合わせたものを選ぶのがよい。……というより、最初は、
一レベルも二レベルも、子どもの能力より下にあるものを選ぶ。

 ほかに、無理、強制、条件、比較がある。これを「学習の動機づけの四悪」と、私は呼んでい
る。これについては、たびたび書いてきたので、ここでは省略する。

 で、「さざ波」というのは、そのつど、子どもの周囲で起こる、変化のことをいう。少し成績があ
がったりすると、ぬか喜びし、さがると、取り越し苦労をする。あるいは、ささいな問題を、ことさ
ら大げさに取りあげたり、騒いだりする。子どもとの間で、騒動を繰りかえす。「勉強しろ!」「う
るさい!」と。

 こうした親の動揺は、子どもの学習には、まさに百害あって一利なし。子どもの成績というの
は、半年単位。短くても、三か月単位でみる。一か月や二か月、勉強したくらいで成果など、出
るはずもない。

 ……という否定的な意見はさておき、では、親として、どう構えたらよいのかということになる。

 一つは、子どもの中に、大きな流れを感じたら、その流れに、身を任すということ。あなたが、
ごくふつうの人(失礼!)であるように、あなたの子どもも、また、ごくふつうの子ども(失礼!)。

 「うちの子は、やればできるはず」と思ったら、「やってここまで」と思いなおす。「どうしてうちの
子は、できないの」と思ったら、「うちの子は、うちの子なりに、よくがんばっている」と思いなお
す。

 こうして大きな流れの中に、子どももおき、あとは、一に様子をみ、二に様子をみる。さざ波に
は、動揺しない。万事、おおらかにかまえて、子どもをワキから支える。

 私も、子どもと同じ数だけの、親たちを見てきた。そして今も、多くの親たちと、毎日のように
接している。で、結論として言えることは、子どもを伸ばすのも親なら、子どもの伸びる芽を摘
んでしまうのも、親だということ。だから子どもを伸ばすことを考えたら、まず、親自身が、子ど
もの伸びる芽を摘んでしまっていないか、それを謙虚に反省する。

 最後に一言。ここで「成功」「失敗」という言葉を使ったが、これは私の本意ではない。こういう
言葉は、こうして書くだけでも、不愉快である。
(040127)

     ミ ( ⌒⌒ ) 彡
      ∞((((( )∞
      │6 6 b
      (" 。 "人
     ヽ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄ヽ
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       ̄ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄         よろしくお伝えください!
【4】フォーラム∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

【近況、あれこれ】

●風邪

 今年はインフルエンザの予防注射を受けた。それで油断していたら、数日前から、咳(せ)き
込むようになった。

 熱はない。ほかに症状はない。そして日中は、咳かない。しかし、夜、床に入って横になった
とたん、断続的に、咳がつづく。これが結構、苦しい。いや、咳が苦しいのではなく、なかなか寝
つかれないのが、苦しい。

 おかげで、今は、のどがガラガラ。ワイフも、「今の声、あなたの声じゃ、ないみたい」と言う。
自分では、それがよくわからないが……。


●回顧と展望

 先日、「回顧性と展望性」についての原稿を書いた。この二つの言葉は、発達心理学の世界
では、常識的な言葉だが、このところ、これらの言葉について、いろいろ考えさせられる。

 過去をあれこれ回顧するのは、別として、このところ、未来をあれこれ展望することが、とみ
に少なくなってきたように感ずる。つまりそれだけ「思想の老化」が、始まっていることになる。

 私の知人(女性、八〇歳くらい)は、会うたびに、仏壇の仏具をみがいている。そして話すこと
と言えば、過去のことばかり。そういう女性を見ると、「ああはなりたくないな」と思うと同時に、
「老人というのは、そういうものかな」と思ったりする。

 しかしいくら平均的な老人がそうであるからといって、だれも、それが理想の、つまりはあるべ
き老人の姿だとは、思わない。要は生きザマの問題。ほかにも、別の生き方があるはずであ
る。

 私たちは、無意識のうちにも、自分の親たちの老後を見ながら、そこに自分の老後を映(う
つ)してみる。とくに日本人は、自分の親を、絶対視する傾向が強い。だから、仮に親の生きザ
マがおかしいと感じても、それを自ら否定してしまう。そして自分の中に、親の生きザマを、引き
入れてしまう。

 以前、私の家の近所に、金の亡者のような男性がいた。靴屋を営んでいたが、話すことと言
えば、お金の話ばかり。ときどき私の家にやってきては、いくら儲けただの、損をしただの、そ
んな話ばかりをしていた。

 他人をだまして、小銭を稼ぐことなど、朝飯前。またそういうことをしても、みじんも、恥じない
人だった。それこそ、盗品で仕入れたような靴でも、平気で売っていた。

 その男性は、私が三〇歳くらいのときに死んでしまったが、最近、その男性の息子氏に会う
と、その息子氏は、こう言った。

 「私の父は、すばらしい人でした。ほら、子は、親の背中を見て育つと言うでしょ。私も、父か
ら学んだものは多いです」と。

 何も、その息子氏の父親が、つまらない人だったと言うつもりはない。その人はその人で、戦
後のあのドサクサ期を、懸命に生きてきた人だ。しかし私は、その息子氏の話を聞きながら、
その息子氏が、父親を、必要以上に美化しているのに気づいた。盲目的であるとさえ言っても
よい。

 たとえ父親であっても、冷静に判断する目だけは、失ってはいけない。でないと、親の呪縛か
ら、抜け出られなくなってしまう。いくらがんばっても、その親を、超えることができなくなってしま
う。つまり、その親どまりの人間で、終わってしまう。

 実は、回顧性のこわいところは、ここにある。

 人は回顧することによって、自ら、自分の限界を、その中で、正当化してしまう。そしてその限
界を、自ら、どんどんと小さくしてしまう。小さくしながら、自分が小さくなっていることにさえ気が
つかなくなってしまう。それこそ、毎日仏壇の仏具をみがきながら、それが人間として、そして人
生の大先輩として、あるべき姿だと、思いこんでしまう。

 私はその息子氏に、こう言いたかった。

 「あなたのオヤジさんは、実につまらない、愚劣な人でした。小ずるくて、小心で、一片の思想
も、私は、感じなかった。タバコの帯を口で、パラパラとほどいて、そのまま包装紙を、ぺっと道
路へはき捨てるような人でした。そういうオヤジさんを、決して、あなたの目標にしてはいけな
い」と。

 もちろんそんなことは言わなかった。「そうですね。おもしろい人でしたね」とは言ったが、それ
だけだった。

 私たちは、いかにして、未来への展望を持ちつづけるか。これはこれから先、老後を迎える
人にとっては、大きなテーマになるのではないだろうか。

 ゲオルギウというルーマニアの作家がいる。一九〇一年生まれというから、今、生きていれ
ば、一〇三歳になる。そのゲオルギウが、「二十五時」という本の中で、こう書いている。

 『どんなときでも、人がなさねばならないことは、世界が明日、終焉(しゅうえん)するとわかっ
ていても、今日、リンゴの木を植えることだ』と。

 こういう生きザマなら、私にも、参考になるのだが……。


●意外な結果

 韓国にとって、もっとも脅威となっている国は、どこか? このほど、その調査結果が、公表さ
れた。しかし、その結果は、意外なものだった。

 現在、あのK国は、韓国との国境沿いに、数万門もの大砲を配置している。化学兵器ももっ
ているし、生物兵器ももっている。おまけに核兵器ももっていると言われている。しかし……。

 「韓国の安全保障にとって最も脅威となる国はどこか」という質問に対して、韓国の人たち
は、つぎのように答えている。

   アメリカ……39%
   北朝鮮 ……33%
   中国  ……11・6%
   日本  ……7・6%

 (韓国の世論調査会社が一月五日、全国の成人を対象に、米国、北朝鮮、日本、中国の中
から「最脅威国」を選ぶ方法で電話調査)

 今、アメリカは、体を張って、その最前線で、韓国をK国から守っている。その兵士の数は、
少し減ったとはいえ、三万五〇〇〇人。にもかかわらず、つまり韓国の人たちは、あのK国よ
りも、アメリカのほうが、脅威であると感じているというのだ。

 この世論調査の結果からわかることは、韓国の人たちは、「アメリカが韓国を守っている」と
は、思っていないということ。むしろ自分たちは、アメリカの犠牲になっている、と思っているとい
うこと。

 こうした意識は、日本人にも共通している。

 これはあくまでも結果論だが、もしあの戦争で、敗戦日があと一週間遅れていたら、日本の
九州と北海道は、旧ソ連の領土になっていただろうということ。「38度線は、本州と九州の間に
引かれていただろう」と主張する学者は多い。

 だからといって、アメリカでよかったとは思っていないが、もし日本が、中国や旧ソ連の占領
下に入っていたら、日本は、今ごろ、どうなっていただろうか。それを考えると、心底、ゾーッと
する。

 いろいろ言いたいことはあるが、政治の話は、ここまで。マガジンの読者の一人から、「政治
の話は、してほしくない」という意見をもらった。そう、政治の話は、こういうマガジンでは、嫌わ
れる。

(付記)1月26日付けの朝刊によれば、「韓国は、中国、日本の軍事的脅威に対抗するため、
2015年までに、原子力潜水艦を開発する」ということだそうだ。私には韓国の考えていること
が、まったく理解できない。韓国イコール、K国の一部ということなら、理解できるが……。


●読者の方より

 愛知県にお住まいの、Yさんという方から、マガジンについての感想が届いた。

 「毎日、許して忘れるだけを、実行しています」と。

 簡単なメールだったが、うれしかった。何というか、心の友ができたような、うれしさだった。

 この言葉以上の、子育てはない。またこの言葉を忘れて、子育ては、ありえない。私も、自分
の子育てをしながら、何度、この言葉に救われたことか。

 みなさんも、もしどこかで子育てで、行きづまりを覚えたら、この言葉を思い出してみてほし
い。きっと、心が軽くなるはず。


●夜の街中を歩く

 今夜は、夕食を求めて、夜の繁華街を歩いた。こういう寒い夜は、焼きソバ(広島焼き)と、決
めている。

 それにしても、冷たい風だった。頬を切るというか、風が頬をなでると、そこが痛かった。私は
子どものころから、寒いのが、苦手。寒いと身も心も、凍りついたように、動かなくなる。

 血圧が低いということもあるのかもしれない。それにずっと、菜食中心の食事に心がけてき
た。体の中のエネルギーそのものが、不足している。

 しかし人通りのない街中を、トボトボと歩くのも、みじめなもの。「みんなは、こういう寒い夜を、
どうやってやり過ごしているのか」と、何度も、考える。

 ブティックも、飲食店も、どこもガラガラ。客はいない。しゃれたファーストフードの店だけが、
そこそこの若者たちで、にぎわっている。その横を通りすぎながら、急ぎ足で、焼きソバ屋へ向
かう。

 何度か、咳(せき)が出る。そのたびに、ハンカチで、口を押さえる。いつもなら時間を見なが
ら、あちこちを寄り道するのだが、今夜は、その元気がない。そそくさと歩き、そそくさと焼きソ
バ屋のあるビルへと入った。

 ドアの取っ手に手をかけた瞬間、おかしなことだが、私は、その夜、フトンの中に入って、寝る
ことを考えた。

 電気毛布をうんと熱くしておいて、その中に体をすべりこませる。ぶ厚いフトンで、頭まで隠し
て、ゆっくりと身を丸める。昨日の夜も、おとといの夜も、そうしたはずなのに、そういう温もり
が、懐かしくてならない。

 店のドアを引きながら開けると、そこにいつもの若い店員が立っていて、こう叫んだ。

 「いらっしゃいませ!」と。私は、ふと、そのフトンの中に足を入れたかのような、錯覚にとらわ
れた。そしていつもの席に、座った。


●子どもの体力

 何かの調査で、逆上がりのできない子どもや、長距離走をしても、途中で座りこんでしまう子
どもが、ふえていることがわかったそうだ。

 (「三年生の四つのクラスで、逆上がりをさせたところ、できた児童は、一クラスあたり、わず
か4〜5人。腕力不足から、自分の体を支えることができない子どももいた」(日教組、教育研
修全国集会))

 こういう調査で注意しなければならないのは、「昔はできたが……、今はできない」という論法
である。いつも、その「昔」に基準をおく。

 三〇年ほど前には、ナイフで、鉛筆を削れない子どもが問題になった。そのあと少しして、ソ
ロバンができない子どもが問題になった。そのころすでに電卓が、広く使われるようになってい
たから、私は、こう思った。「ソロバンの時代は、終わったのに……」と。

 時代は、変わる。子どもも、変わる。そこで大切なのは、(できなくなった)ことを、退化ととらえ
るか、それとも、変化ととらえるか、その視点を見失ってはいけないということ。この視点を見失
うと、何がなんだか、わけがわからなくなってしまう。

 実は私も、子どものころ、鉄棒だけは、苦手だった。逆上がりにしても、たしか小学二年生の
終わりまで、できなかったような記憶がある。どうしてもコツが、のみこめなかった。しかし、だ。

 どうして逆上がりなど、できなければいけないのか?

 私は腕白少年で、活動的だった。敏捷(びんしょう)性もあった。ハンドテニス、軟式ボールの
野球(ワンバウンド野球)など、どれも得意だった。泳ぐのも、うまかった。しかし鉄棒だけは、
苦手だった。あるとき、「あんなサルのようなマネなど、できるか!」と、思ったことさえある。

 今、子どもたちの体力は、どんどんと落ちている。私にも、それがわかる。夏場になると、クー
ラーなしでは、呼吸も楽にできない子どもさえいる。青白い顔をして、ハーハーとあえぐ。胸をか
きむしる。

 決して無視してよい問題ではない。ある意味で、深刻な問題である。しかし反対に、では逆上
がりができるようになれば、こうした問題が解決するかといえば、そうでもない。問題の「根」
は、深く、大きい。

 そこで学校では……、という話は書きたくない。子どもの問題を、すべて学校で解決しようと
いう発想そのものが、まちがっている。仮に体力が落ちたとしても、それは学校の責任ではな
い。このことは反対の立場で考えてみればわかる。

 教育はもちろん、しつけ、心理、衛生、家庭教育、もろもろの指導、健康に安全教育などな
ど。すべて学校の先生に押しつけるほうが、おかしい。まちがっている。こういう発想がつづくか
ぎり、問題は、何も解決しない。しないばかりか、つぎからつぎへと、新しい問題が起きてくる。
そしてそのたびに、教育現場が混乱する。

 学校の先生にしても、もうこれ以上、仕事を引き受けないことだ。できないことは、できないと
はっきり言えばよい。上から言われるまま、すべての問題を背負い込んでしまうから、疲れる。
神経をすり減らす。あるいはかえって、教育そのものが、なおざりになる。

 今度の調査でも、いろいろな学校の取り組みが紹介されていた。『忍者修行』を取り入れてい
る学校の話も書いてあった。方法としては、いろいろあるのだろうが、しかし……。

 結局は、「家庭教育がなっていない」ということを言いたいのだろう。この報告をした、S教師
は、「幼少期に遊びの中で、基礎的な体力をつけていない子がふえている」と説明している。考
えてみれば、当たり前の結論だが……。

 
●受験競争(2)

 「家でまったく勉強しない高校生が、約四割」(某調査)。しかし一部の親や子どもたちの間で
は、かえって受験競争は、過熱化している。

 長引く不況の中で、生活は、ますます苦しくなる一方。大本営発表では、「景気は上向いてい
る」とのこと。しかし本当に、そうか? 日本経済全体では、昨年度は、約10兆円の利益をあ
げたという(03年度の貿易統計。貿易黒字は、10・2兆円)。しかしその大半は、公務員や準
公務員のふところへと消えた。

 なぜ、こうしてまた、受験競争が、過熱化しているか? 理由など、改めて言うまでもない。

 日々の生活をとおして、親たちは、この日本の社会にはびこる不公平を、いやというほど、見
せつけられている。この不公平が、こうした受験競争の温床になっている。言いかえると、この
不公平感がなくならないかぎり、受験競争は、なくならない。

 あるコンピュータのソフト会社の社長と、昼飯をいっしょに食べたときのこと。その社長の話
題は、もっぱら、いかにして県や市の補助金を手に入れるか。いかにして公的な仕事を引き受
けるか。そういう話ばかりだった。

 こうした現象は、今、あらゆる業種におよんでいる。しかも全国津々浦々。日本は奈良時代
の昔から、官僚主義国家。行政改革など、どこ吹く風。ここへきて、公務員や準公務員の世界
は、むしろ肥大化している。

 もちろん一人ひとりの公務員や準公務員の方に、責任があるわけではない。日本の社会機
構というか、そういうシステムそのものに問題がある。そしてその責任はといえば、私たち自身
の、「自分さえよければ……」という利己主義。「さわらぬ神に……」という、ことなかれ主義に
ある。

 こういう不公平を見せつけられても、それを問題とする前に、「あわよくば、私も……」「せめて
うちの子も……」と考えてしまう。こういう日和見(ひよりみ)主義的なものの考え方が、ここでい
う不公平にますます拍車をかける。

 日本を本当によくしたいと考えるなら、私たち一人ひとりが、問題意識をもつしかない。つまり
は、賢くなるということ。もっと言えば、考える人間になること。体制に流されるまま、流されてい
たのでは、この日本は、絶対に、よくはならない。この先、一〇〇年でも二〇〇年でも、こうした
官僚主導型の社会機構は、変わらない。と、同時に、日本型の受験競争は、なくならない。
(040127)

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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)+最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ)+
はやし浩司の世界(Eマガ)……総読者数(Nr. of Readers)、1260人(04年1月24日現在)
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
    Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
☆===================☆==================
●イラストは、パナソニックパソコン付録の、フリーソフトを使いました。
     >\
     〜〜⌒し〜〜
      /⌒ \く
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  <∵∧〜 |
 ‥※※∴≫※|
∴※※¨※※:)
  <≪ ※≫※
  ∵※∨>∴
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04−2−1号(355)
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子育て最前線の育児論by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi 
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【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞upto829

●あなたとあなたの子どもの親子関係

 あなたの子どもは、つぎのどのようだろうか。

( )何か新しいことができるようになるたびに、うれしそうにあなたに報告にくる。
( )平気であなたに言いたいことを言ったり、したりしている。態度も大きい。
( )あなたのいる前で平気で体を休めたり、心を休めたりしている。
( )したいこと、したくないことがはっきりしていて、それを口にしている。
( )喜怒哀楽の情がはっきりしていて、うれしいときには、全身でそれを表現する。
( )笑うときには、大声で笑い、はしゃぐときにも、大声ではしゃいだりしている。
( )やさしくしてあげたりすると、そのやさしさがスーッと心に入っていくのがわかる。
( )ひがんだり、いじけたり、つっぱったり、ひねくれたりすることがない。
( )叱っても、なごやかな雰囲気になる。そのときだけで終わり、あとへ尾を引かない。
( )甘え方が自然で、ときどきそれとなくスキンシップを求めてくる。
( )家族と一緒にいることを好み、何かにつけて親の仕事を手伝いたがる。
( )成長することを楽しみにし、「大きくなったら……」という話をよくする。
( )園や学校、友だちや先生の話を、いつも楽しそうに親に報告する。
( )園や学校からいつも、意気揚々と、何かをやりとげたという様子で帰ってくる。
( )ぬいぐるみを見せたりすると、さもいとおしいといった様子でそれを抱いたりする。
( )ものごとに挑戦的で、「やりたい!」と、おとなのすることを何でも自分でしたがる。
( )言いつけをよく守り、してはいけないことに、ブレーキをかけることができる。 
( )ひとりにさせても、あなたの愛情を疑うことなく、平気で遊ぶことができる。
( )あなたから見て、子どもの心の中の状態がつかみやすく、わかりやすい。
( )あなたから見て、あなたは自分の子どもはすばらしく見えるし、自信をもっている。

 以上、二〇問のうち、二〇問とも(○)であるのが、理想的な親子関係ということになる。もし
○の数が少ないというのであれば、家庭のあり方をかなり反省したほうがよい。

あるいはもしあなたの子どもがまだ、〇〜二歳であれば、ここに書いたようなことを、三〜四歳
にはできるように、子育ての目標にするとよい。五〜六歳になったとき、全問(○)というのであ
れば、あなたの子どもはその後、まちがいなく伸びる。すばらしい子どもになる。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●伸ばす子育て

 子育てにも、伸ばす子育てと、つぶす子育てがある。伸ばそうとして伸ばすのであれば、問題
はない。つぶす子育ては論外である。問題は、伸ばそうとして、かえって子どもをつぶしてしまう
子育て。これが意外に多い。子育てにまつわる問題は、すべてこの一点に集中する。

 その人の子育てをみていると、「かえってこの人は子育てをしないほうがいいのでは」と思うケ
ースがある。たとえば過関心や過干渉など。

親が懸命になればなるほど、その鋭い視線が子どもを萎縮させるというケースがある。しかも
そういう状態に子どもを追いやりながらも、「どうしてうちの子は、ハキがないのでしょう」と相談
してくる。

あるいは親の過剰期待や、子どもへの過負担から、子どもが無気力状態になるケースもあ
る。小学校の低学年で一度そういった症状を示すと、その後、回復するのはほとんど不可能と
さえ言ってよい。

しかしそういう状態になってもまだ、親は、「何とかなる」「そんなはずはない」と無理をする。で、
私が学習に何とか興味をもたせ、何とか方向性をつくったとしても、今度は、「もっと」とか「さら
に」とか言って無理をする。元の木阿弥というのであれば、まだよいほう。さらに大きな悪循環
の中で、やがて子どもはにっちもさっちもいかなくなる。

神経症が悪化して、情緒障害や精神障害に進む子どももいる。もうこうなると、打つ手はかぎ
られてくる。(実際には、打つ手はほとんどない。)

が、この段階でも、親というのは身勝手なものだ。私が「三か月は何も言わないで、私に任せ
てほしい」と言っても、「うちの子のことは私が一番よく知っている」と言わんばかりに、またまた
無理をする。

このタイプの親には、一か月どころか、一週間ですら、長い。がまんできない。「このままではま
すます遅れる」「うちの子はダメになる」と、あれこれしてしまう。そしてそれが最後の「糸」を切
ってしまう。

 問題は、どうして親が、かえって子どもをつぶすようなことを、自らがしてしまうかということ。
そして結局は行きつくところまで行かないと、それに気がつかないかないのか。これは子育て
にまつわる宿命のようなものだが、私がしていることは、まさにその宿命との戦いであるといっ
てもよい。

言いかえると、今、日本の子育てはそこまで狂っている。おかしい。そう、その狂いやおかしさ
に親がいつ気がつくか、だ。それに早く気づく親が、賢い親ということになる。

    ミ ( ⌒⌒ ) 彡
      ∞((((( )∞
      │6 6 b
      (" 。 "人
     ヽ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄ヽ
     ○  ヽ ABC ○
   ̄ ̄ ̄ヽ  ヽ    ヽ ̄ ̄ ̄    何か、テーマがあれば、
       ̄ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄        掲示板にお書き込みください。

【2】特集∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●ドロ沼の母親狂騒曲

 愛知県在住の、Tさん(母親、年長男児をもつ)から、こんなメールが、届いた。

 「うちの住んでいるところは、名古屋市の郊外。ある大会社の家族寮だけど、こういう家族寮
では、妻の身分も、夫の肩書きで決まる。

 たとえば部長の妻と、課長の妻が、廊下ですれちがったとする。すると、課長の妻が、道をあ
けなければならないっていうわけ。会合があっても、部長の妻が、デンと、中央に座る。当然と
いうような顔をして、ね。でも、本当は、肩書きではない。実は、夫の学歴なのね。

 一流大学を出た夫をもつ妻は、どこか態度が大きい。自分は、大学を出ていなくても、ね。

 で、近くに、このあたりでも有名な、……というか、名門というか、そういう中学校がある。名前
はSS中学校。(つぎが、AA中学。そのつぎが、BB中学。)

 入試が近づくと、その話ばかり。『うちはAA中学校よ。分相応って、言うでしょ』『SS中学校の
先生が、内緒で、家庭教師をしてくれるんだって。あんたも、受けといたほうがいいんじゃ、なア
〜い?』と。

 面と向かって、私の夫より地位の高い夫をもつ母親から、「うちは、BB中学校で遠慮してお
きます」などと言われると、「うちは、AA中学校にします」とは、言えなくなってしまう。で、夫に相
談すると、「BB中学校にしておけ。どうせまた転校するんだから」と。

 問題は、部長の子どもと、課長の子どもが、同じ中学校を受験するようになったとき。ふつう
は、課長の子どものほうが、遠慮して辞退することになっているわけ。だって、そうでしょ。

 もし部長の子どもが合格して、課長の子どもが落ちたら、さあ、たいへん。その課長の子ども
は、入学を辞退するか、あるいは家族ごと、別の所に引っ越さねばならない。

 そして子どもの受験期になると、出るは出るは、低次元な話ばかり。若い母親たちが、集ま
れば、こんな話ばかりしている。あとはそしてお決まりの、悪口、中傷。

 このあたりでは、SS中学校に合格した子どもを、『出世組』。落ちた子どもを、『落ちこぼれ
組』といって、差別する。そこらの学習塾でも、差別する。SS中学校の子どもだと、ハイハイと
言って、即、入塾。

 しかしそれ以外の中学校の生徒だと、塾長もとつぜん、ふんぞりかえって、『うちはア……』
と、しぶってみせる。

 イヤーな雰囲気の家族寮。

 私は、もともと外国生まれの外国育ち。両親が商社マンで、高校へ入るまで、日本のことは、
ほとんど知らなかった。だからよけいに、こういう社会が、なじまないっていうわけ。

 先生、こういう社会を、どう思う?」と。
(たいへん過激な文章だったので、林の方で、要約)

++++++++++++++++++++

 親が子どもを育てるのではない。子どもが親を育てる。……私が、このことを知ったのは、こ
うした親どうしの、ドロドロのウズに巻き込まれたとき。

 それは想像を絶するほど、低次元な世界だった。

 しかしTさん、そういう親でも、二年、三年と、子育てで苦労すると、やがて人間的な丸みや深
みができてくる。つまり、親が子どもを育てるのではない。子どもが親を育てる。

 だから大切なことは、(今の母親たち)を見て、それがすべてとは思ってはいけないというこ
と。大切なことは、そういう母親たちが、少しでも、前に向って、伸びることを、手助けすること。
どの母親も、そういう意味では、すばらしい母親になる可能性をもっている。

 私も、幼児教育をして、三五年になるが、当初より、「幼児教育は、母親教育」ということを、
見抜いていた。(ここが、私のすごいところ。エヘン!)

 だから今、あなたがなすべきことは、そういう母親たちを、つまりは反面教師として、自分の
姿を見ていくこと。すでにあなたは、そういう視点をもっている。つまりあなたは、そういう意味
で、ほかの母親たちを、一歩、リードしている。

 もしあなたがリードしていなければ、あなたは今、ほかの母親たちと同じことをしていたかもし
れない。あなたは子どもを育てながら、実は、その向こうにある、(人間)を見ている。そしてそ
の反射的効果として、(自分)を見ている。

 今のあなたのまわりの(現状)を否定するのではなく、まず(現状)とは、そういうものであるこ
とを知る。すべては、そこから始まる。わかりやすく言えば、「今の若い母親たちは、ダメだ」と、
言うのではなく、あなたの立場で言うなら、そういう母親たちの中に、自分の愚かな姿を見て、
それをバネとして、前に進むこと。

 私は、もう、そういう修羅場を、五万と見てきた。恐らく、一歩離れたところにいる、学校や園
の先生たちは、そういう世界を知らないだろう。どの母親も、先生の前では、別人のように振る
舞ってみせる。

 しかし、ね、Tさん。それが人間のドラマのおもしろさということになる。私たちは、不完全で、
どうしようもない人間。その人間が、懸命に、無数のドラマを展開している。そこでどうだろう。

 「同じ人間」と思うのではなく、こちらのほうが一歩上に出て、あたかも自然動物園の中の動
物を観察するような目をもってみたら。そうすれば、母親どうしの醜い狂騒も、これまた、ほほ
えましく見えてくるもの。

 より高い視点に立ってみると、それまでの世界が、小さく、つまらないものに見えてくる。「自
分を伸ばす」ということは、そういうことをいう。

 およばずながら、私は、あなたのような人のために、こうした文章を書いている。どうか、どう
か、これからも私のマガジンを読んでほしい。私はいつか、必ず、この荒野の先に何がある
か、それを見てやる。そしてみなさんに、報告してやる。

 さあ、あなたも、魂の自由人として、心の中の荒野を歩いてみたら……。その世界は、スリリ
ングで、楽しい。実に、楽しい。いっしょに、前に向って、歩いていこう。

 So take my hands 
 To walk this land with me.
 To walk this golden land with me.
(ポールニューマン主演、パットブーンが
歌った、「栄光への脱出」より)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●回顧性と展望性

 過去をかえりみることを、「回顧」という。未来を広く予見渡すことを、「展望」という。

 概して言えば、若い人は、回顧性のハバが狭く、展望性のハバが広い。老人ほど、回顧性の
ハバが広く、展望性のハバが、狭い。

 幼児期から少年、少女期にかけて、展望性のハバは広くなる。数日単位でしか未来を見るこ
とができなかった子どもでも、成長とともに、数か月後、数年後の自分を見渡すことができるよ
うになる。つまりそのハバを広げていく。

 言いかえると、展望性と回顧性のバランスを見ることによって、その人の精神年齢を知ること
ができる。つまり未来に夢や希望を託す度合が、過去をなつかしむ度合より大きければ、その
人の精神年齢は、若いということになる。そうでなければ、そうでない。

 ある女性(八〇歳くらい)は、会うと、すぐ、過去の話をし始める。なくなった夫や、その祖父母
の話など。こうした行為は、まさに回顧性の表れということになるが、こうした回顧性は、老人
の世界では、ごくふつうのこと。広く見られる。

 一方、若い人は、未来しかみない。時間は無限にあり、その未来に向かうエネルギーも、永
遠のものだと思う。それは同時に、若さの特権でもあるが、問題は、そのハバである。

 自分の未来を、どの範囲まで、見ているか?
 一年後はともかくも、二〇年後、三〇年後は、見ているか?

 いくら展望性があるといっても、それが数か月どまりでは、どうにもならない。「明日も何とか
なる」では、どうにもならない。

 そこで、このことをもう少しわかりやすくまとめてみると、こうなる。

(1)回顧性と展望性のハバが広い人……賢人
(2)回顧性のハバが広く、展望性のハバが狭い人……老人一般
(3)回顧性のハバが狭く、展望性のハバが広い人……若い人一般
(4)回顧性と展望性のハバが狭い人……愚人

 (1)〜(3)は、比較的、わかりやすい。問題は(4)の愚人である。

 過去を蹴(け)散らし、その場だけの享楽に身を燃やす人は、ここでいう愚人ということにな
る。

 このタイプ人は、過去に対して、一片の畏敬(いけい)の念すらない。同時に、明日のこともわ
からない。気にしない。その日、その日を、「今日さえよければ」と生きる。健康も、またしかり。

 暴飲暴食を繰りかえし、今だけよければ、それでよいというような考え方をする。もちろん運
動など、しない。まさにしたい放題。

 で、問題は、どうすれば、そういう子どもにしないですむかということ。一歩話を進めると、どう
すれば、子どもがもつ展望性のハバを広くすることができるかということ。

 ためしに、あなたの子どもと、こんな会話をしてみてほしい。

親「あなたは、おとなになったら、どんなことをしないか?」
親「そのために、今、どんなことをしたらいいのか?」
親「で、今、どんなことをしているか?」と。

 以前、こんな女の子がいた。小学三年生の女の子だった。たまたまバス停で会ったので、近
くの自動販売機で、何かを買ってあげようかと提案したら、その女の子は、こう言った。

 「私、これから家に帰って夕食を食べます。今、ジュースを飲んだら、夕食が食べられなくなる
から、いいです」と。

 その女の子は、自分の未来を、しっかりと展望していた。で、その女の子で、もう一つ、印象
に残っていることで、こんなことがあった。

 正月のお年玉として、かなりのお金を手にしたらしい。その女の子は、それらのお金をすべて
貯金すると言う。

 そこで私が、その理由を聞くと、「お金を貯金して、フルートを買う。そのフルートで、音楽を練
習して、私はおとなになったら、音楽家になる」と。

 一方、そうでない子は、そうでない。お金を手にしても、すぐ使ってしまう。浪費してしまう。飲
み食いのために、使ってしまう。

 少し前だが、タバコを吸っている女子高校生とこんな会話をしたことがある。

私「タバコって、体に悪いよ」
女「知ってるヨ〜」
私「ガンになるよ」
女「みんな、なるわけじゃ、ないでしょう……?」

私「奇形出産のほとんどは、タバコが原因でそうなるっていう話は、どう?」
女「でも、そんな出産したという話は、聞かないヨ〜」
私「みんな、流産という形で、処置してしまうから……」
女「結婚したら、やめるヨ〜」

私「で、タバコって、おいしいの?」
女「別においしくないけどサ〜。吸ってないと、何となく、さみしいっていうわけ」
私「だったら、やめればいいじゃん」
女「また、病気にでもなったら、そのとき、考えるわ」と。

 先の「フルートを買う」と答えた子どもは、ハバの広い展望性をもっていることになる。しかしタ
バコを吸っていた子どもは、ほどんど、その展望性のハバがないことになる。

 こうしたちがいが、なぜ起きるかと言えば、結局は、私の説く「自由論」に行き着く。「自らに由
(よ)る」という意味での、自由論である。

 それについては、すでに何度も書いてきたので、ここでは省略する。しかし結局は、子ども
は、(自分で考え、自分で行動し、自分で責任をとれる子ども)にする。展望性のハバの広い子
どもになるかどうかは、あくまでもその結果の一つでしかない。
(040125)

【3】心に触れる(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞691

他人の死を笑わない

 こんなことは、三〇代や四〇代のころは、思ってもみなかった。しかし五〇歳になるころか
ら、おかしな感情が生まれるようになった。それには、いろいろいきさつがあるが、それについ
ては、あとから書くとして、こんな感情だ。

 「死」というものが、身近になったせいもあるのか。たとえばだれかが死ぬと、心のどこかがふ
と、軽くなったように感ずるようになることがある。とくに、どこかうるさく感じていた人が死ぬと、
そうだ。

 その死を喜ぶというわけではない。何というか、気が楽になるのである。

 たとえば近所に、口うるさい人がいたとする。あれこれ私の生活に干渉してきて、あれこれ言
ってきたとする。そういう人が死ぬと、心のどこかで「やれやれ」と思うのである。

 若いころは、そういうふうに、人の死を考えたことがない。「死」そのものが、無縁の世界ので
きごとだった。しかし自分の「死」を考えるようになったとき、同時に、他人の「死」をも考えるよ
うになった。それまでは(ありえない死)だったのが、(ありえる死)になった。と、同時に、「死」
を、問題を解決するための方法の一つと考えるようになった。

 極端な言い方をすれば、「あいつは、もういい年だから、もうすぐ死ぬ」「早く死ねばいい」と。
そういうふうに思うかどうかは別として、ほうっておけば、それに近い思いになるのではないかと
思えるような、思い方である。(回りくどい言い方で、すみません。)

 実は、今朝もそうだった。

 ワイフが、「最近、あのMさん、姿を見ないけど、どうしたのかね?」と言ったときのこと。Mさ
んというのは、何かと問題のある人だった。ガンコジジイというか、いじけているというか、近所
でも、嫌われ者として名が通っている人である。

 そのときふと、「そう言えば、先月、救急車が止まっていたけど、何かあったかもしれないね」
と思った瞬間、「早く、あんなヤツ死んでしまえばいい」と、心のどこかで思った。……思ってしま
った。

 こうしたものの考え方は、概して言えば、老人特有の考え方といってもよい。子どものころ、
近所に、そういうことばかりを言っている老人(女性)がいた。

 「あの人は、ああいう人だから、決して、いい死に方はしないよ」
 「あの人が死ぬと、喜ぶ人も多いはず」
 「あの人が死んで、せいせいした」
 「憎まれっ子何とかと言うけど、ああいう人にかぎって長生きするもんだよ。いやな世の中だ
ね」と。

 私の耳に、そういう言葉が残っている。しかしそのときは、私は、「何て、いやな言い方をする
のだろう」と思った。子どもながらに、不愉快だった。「人の死を楽しんでいるみたいだ」と。

 しかしそれから四〇年以上。いつしか私も、同じように考え、同じように思い、そして同じよう
な言葉を口にするようになった。つまり私自身が、いつの間にか、その(いやな言い方をする
人)になりつつあるのを知った。

 この考え方は、たいへん危険な考え方である。

 他人の死を、楽しむということは、自分の死を、だれかに楽しまれることを意味する。しかしこ
こで「危険」というのは、そういうことではない。

 こんな老人がいた。

 その老人はことあるごとに、自分より先に死んでいく人を、「あわれなものだ」「ザマーミロ」と
喜んでいた。葬式などでは、それらしく、しおらしい顔をしていたが、家に帰ってくると、「死ん
だ」「死んだ」「あいつは死んだ」と喜んでいた。

 が、今度は、自分の番になったときのこと。玄関先で倒れたのだが、最後の最後まで、「救急
車を呼ぶな」とがんばった。その老人は、自分が笑われると思った。……らしい。近所の人は、
「他人にそこまで気を使うのかね?」と言ったが、そうではなかった。

 他人の死を笑う者は、他人も、自分の死を笑うと思っている。(本当は、だれも笑っていない
のだが……。)そう、自分で、思いこむ。

 つまりこうして、他人の死を笑う人は、自分で自分を、窮屈で、暗い世界へと、追いこんでい
く。

 聖書では、『憐れみ深い人は、幸いなれ』と教える。それだけ他人の憐れみをうけるからであ
る。

 この言葉を反対に解釈すると、『他人に冷たい人は、不幸である。冷たくした分だけ、いつか
自分も冷たくされる』ということになる。

 だから決して、他人の死を喜んだり、笑ったりしてはいけない。楽しみにしてはいけない。他
人の死は、扱いようによっては、酒の肴(さかな)にすら、なる。だからこそ、他人の死をもてあ
そんではいけない。

 ある知人は、私にこう言った。

 「林君、ぼくはね、新聞でも、毎日、死亡者欄だけは、欠かさず見ているよ」と。「どうして?」と
私が聞くと、「いえね、商売柄ね」と。

 つまり彼は、そういう形で、他人の死を楽しんでいた。「こいつは、五六歳で死んだのか」「こ
の人は、九〇歳か。文句ないよな」と。で、その彼がどうかというと、実に醜悪な顔つきをしてい
た。つまり、そうなる。

 ワイフが、そう言ったとき、私はふと、「Mさんは、もう長くないかもよ」と言いかけたが、やめ
た。そして少しだけ、自分の本心をねじまげて、「何ともなければいいけど。あんな人でもいなく
なると、さみしくなるからね」と。

 つまりこういう形で、自分の中にひそむ、邪悪な気持ちと戦うしかない。私はもともと、生まれ
も育ちもよくない。性格もゆがんでいる。このところ、グチばかり言っている。顔つきも、ますま
す醜悪になってきた。

 しかし子どものころ見た、ああいう心の貧しい老人にはなりたくない。だから今から、そうなら
ないよう、戦うしかない。
(040123)


     ミ ( ⌒⌒ ) 彡
      ∞((((( )∞
      │6 6 b
      (" 。 "人
     ヽ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄ヽ
     ○  ヽ ABC ○        このマガジンが、お役に立てそうな
   ̄ ̄ ̄ヽ  ヽ    ヽ ̄ ̄ ̄     方が、いらっしゃいませんか?
       ̄ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄         よろしくお伝えください!
【4】フォーラム∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

【近況、いろいろ】

●ホームページの引っ越し

 昨日、ホームページの引っ越しをした。98のノートパソコンから、XPのノートパソコンへ。ホ
ームページ制作ソフトを、NINJAから、NINJA2003へ。さらに同時に、WBS社からCOOL社
へと、プロバイダーもかえた。しかし、これがたいへんな作業だった。

 私のホームページは、40MBもある。一度、ファイルを開くだけでも、30分以上はかかる。C
Dに焼いて、ファイル形式で保存するのに、1時間以上はかかる。さらに終了して、保存が終わ
るまでに、2時間以上!

 プロバイダーの変更操作だけで、軽く30分以上……などなど。この作業の繰りかえし。

 で、やっとできたと思って、ファイルを開いたら、表が崩れるは、図形がゴチャゴチャになるは
……。その上、FTP送信したら、途中で、「ファイルが見つからない」と、ストップしてしまう始
末。

 ここに説明するのも、いやになるほど。つまり、それほど、たいへんな作業だった。朝の四時
から始めて、約八時間。それでも、まだ途中。理由や原因は、いろいろあるが、ここには、書き
きれない。

 自分でやってみて、こんなにたいへんな作業だとは思わなかった。昼ごろ、ある程度の作業
は終わったが、しかし、ゲンナリ。パソコンを見るのも、いやになった。

 しかしよい頭の体操には、なった。「ああでもない」「こうでもない」と考えている間は、本当に
楽しい。「いざとなったら、もとのパソコンと、もとのソフトに戻せばよい」という、最後の切り札も
ある。

 しかしパソコンは、まだ未完の大器。ものすごい可能性を秘めた、新生児のようなもの。「うま
く動いていたら、余計なことはするな」は、パソコンを扱うときの、大鉄則。

【追記】

 現在、「はやし浩司のホームページ」は、メチャメチャ。工事中の工事現場のよう。興味のあ
る人は、どうか見てほしい。よい機会だから、このあたりで、ホームページを大改造してみよう
と考えている。


●読者の方より

はやし先生のマガジンは、とても勉強になってます。母親同士のつきあい、先生とのつきあい、
自分の家族との関係、子どもの伸ばし方……。これからもたくさん生きるヒントをください。

我が家の近くにも先生のような方が教室を経営してくれていたら、どんなに良いだろうと思いま
す。

浜松までは遠いので、いつか家族旅行でもしながら(日程を調整し)、先生の講演会、行きたい
です。

毎回とってもマガジン楽しみにしています。寒いですので(浜松はそうでもないかな?)お体ご自
愛ください。

東京都・Kより

【Kさん、ありがとうございました】

 ここ数日、咳(せき)がひどく、どうも調子がよくありません。で、昨夜は、土曜日ということもあ
って、生ニンニクを、白いご飯にのせて、食べました。

 ハーハー。

 臭いでしょう? だから今日は、外出をひかえねばなりません。家の中で、のんびりしていま
す。こうしてコタツの中に入って、キーボードをたたいていると、眠くなってきます。今も、その眠
さをこらえながら、画面をにらんでいる状態です。

 励まし(?)のメール、ありがとうございました。このところ、読者の方からの反応がほとんどな
く、いろいろな意味で、勇気づけられました。こうしてマガジンを発行しながら、自分でも、ときど
き、なぜこんなことをしているのか、わからなくなるときがあります。

 自己満足?
 自己鍛錬?
 自己主張?

(この間、10分ほど、うたた寝)

 おかしな夢を見ました。

 ローソクが何本か立っていて、そのうちの数本は、太いローソクで、火がついていました。細
いローソクも何本かありました。

 たったそれだけの夢でしたが、ローソクは、バケツの中にありました。細いローソクは、誕生
日のケーキの上にのせるような、細くて、小さなものでした。

 フロイトなら、夢判断で、こういう夢をどう判断するだろうな、と、今、考えています。

 ローソクは、何を意味するのか?
 なぜ、太いローソクには、火がついていたのか?
 バケツの中にあったのは、なぜか?

 何とも意味のない夢ですね。何とも意味のない文章ですね。ホント!

 自分でも、こういう意味のない文章は書きたくないと思っているのですが、今の脳ミソの働き
は、こんなものです。

 うららかな日差しが、カーテン越しに、部屋の中に入ってきます。のどかな日曜日。もうすぐそ
の時刻ですから、でかけます。これから町内の人たちと、ゴミの集積場所の移動工事です。

 息が臭いから、マスクでも、して行きましょう。(自分では、臭いはわからないのですが……。)

 では、Kさんも、よい日曜日をお迎えください。メール、ありがとうございました。


●Zシティも、大赤字!

 浜松市の駅前に、超豪華な、高層ビルがある。建設費だけでも、二〇〇〇億円とも三〇〇
〇億円も言われている。複雑な経理のカラクリがあって、いったいいくらの税金が使われたの
か、あるいは使われなかったのか、いまだによくわからない。

 そのビルですら、今は、どこも閑古鳥が鳴いている。少し前まで、最上階には、展望台があっ
たが、今は、結婚式場にかわった。

 おまけに今度は、Zシティ。中心部のはずれに、これまた超豪華な、「Zシティ」という名前の、
ショッピングセンターが、二、三年前にできた。今日(二三日)の新聞によれば、このショッピン
グセンターもまた、数十億円の負債をかかえたとか※! 

 H市も、よくもまあ、こういうムダなものばかり、作るものだ。そしてつぎからつぎへと、赤字を
出して、平気でいられるものだ。が、それよりも不思議なのは、だれも怒る人もいなければ、責
任をとる人もいないということ。

 不思議国、日本だが、そのしくみが、実にうまくできている。何といっても、歴史が古い。一五
〇〇年もある。「もの言わぬ従順な民」が、日本人の国民性にもなっている。言いかえると、そ
の一五〇〇年もつづいた日本人の意識を変えるのは、容易なことではない。

 結局、日本は、やがて行きつくところまで、行くしかないのでは……? 私の今の気持ちは、
読者のみなさんと、同じ。……知ったことかア!

 ……と言うのは、ウソ。これからも命のつづくかぎり、私は、吠えつづける。吠えつづけてや
る。負けるものかア!


※……「Zシティ浜松中央館」の再開発組合が、36億円の負債をかかえて、資金難におちいっ
ている。そのため市が、資金援助も含めた公的支援を検討しているという。その援助の学は、
10億円前後になるとみられる。

このZシティは、市の補助金を柱に、金融機関からの借り入れ金を含め、約190億円もかけ
て、01年10月にオープンした。

市の説明によると、「再開発組合は、バブル期に作られた当初計画では、商業施設を売却し、
地権者らでつくる有限会社に事業を引き継いで解散する予定だった。だが商業地の買い手が
つかず、テナントの賃貸料も伸びなかったため、負債が残り、再開発組合は、昨年市に、支援
を要請した」とのこと(Y新聞報道)。


 この記事を読んでおかしいと思うのは、第一に、01年は、バブル経済が終わって、すでに10
年以上もたっているということ。そんなときに、「バブル期に作られた当初計画では……」とい
う。建設が始まったとき、すでに、日本は、大不況になっていたはず。だったらなぜ、「バブル期
に作られた当初計画」を、見なおさなかったのか?

 そこで市は、その対策として、今後、「学識経験者らによる非公開の検討会を作り、支援の可
否や方法などを検討することにした」(同新聞)と。

 浜松市のみなさん! この「学識経験者」というのが曲者(くせもの)ですよ!

 たいていは、市の行政に暗い、イエスマンのことを言う。どういう基準で、だれがだれを選考
するのか、その基準すら示されていない。そういう連中を、「非公開」で集めて、市の方針にそ
った答申をさせる。(たいていは、会議の内容、進行は、行政側がお膳立てし、それを座長と呼
ばれる、イエスマンにさせる。)

 あとは、その答申に沿って、行政側はしたい放題!

 これが日本の官僚制度の中における、責任逃れのシステムです。おわかりですか?

 10億円と簡単に言うが、浜松市民60万人で割っても、一人当たり、1700円弱。が、これで
終わるわけではない。この先、その負債額はもっとふえる。しかも毎年、毎年、繰りかえし、ふ
える。

 だいたいにおいて、あの西武百貨店ですら撤退した跡地に、それよりもニーズの少ない、若
い女性向けのショッピングセンターを作って、うまくいくはずがない。

 同じその西隣にある、Zシティ・西館。目を見張るような大理石張り、エスカレーターつきの螺
旋(らせん)階段をおり、分厚いガラスの戸をくぐったら、その向こうは、たこ焼き屋。スーパー。
それに100円ショップ。

 こういうのを税金の無駄づかいと言わなくて、何という!

 もうやめよう! こんな無駄づかい。豪華な道路や、豪華な建物ばかり作っている。そのため
国民は、青息吐息。これから先、膨大な維持費が、孫の代まで、ひ孫の代までのしかかってく
る。

 この浜松だけではない。全国津々浦々、あらゆる場所で、それがなされている。おかげでた
まりにたまった借金が、もうすぐ1000兆円。国民一人当たり、約1000万円! (人口を1億
で計算)

 ……にもかかわらず、「ないよりは、あったほうがまし」という論理だけで、相も変らず、無駄
なものばかり作っている。いったい、この国の政治家たちは、何を考えているのか!
(040125)


Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
    Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
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