●子どもの集中力
集中力と子どもの知的能力は、表裏の関係にある。
集中力のある子どもは、すぐれた知的能力をみせる。
このタイプの子どもは一度何かに集中し始めると、他人を寄せつけない気迫に包まれる。
一方、集中力のない子どももいる。
何ごとにつけあきっぽく、しばらくするとすぐ、「退屈〜ウ」とか、「つまらな〜イ」とか言い出す。
そんなわけで、つまり知的能力を高める方法があまりないのと同じように、集中力をつける方法というのも、それほどない。
あるとすれば、集中力をなくさせるようなことをしないという消極的なものでしかない。
たとえば無理、強制、条件、比較などを日常的にして、子どもからやる気を奪う。
慢性的な睡眠不足状態にするなど。
言いかえると、子どもの集中力を最大限引き出すためには、できるだけこうした方法を避けるということになる。が、それでも集中力が続かないとしたら……。答は簡単。あきらめる。
それがその子どもの能力の限界と知ったうえで、あきらめる。
よく誤解されるが、サッカーならサッカーで、すぐれた集中力をみせるからといって、知的な面でも集中力があるということにはならない。(もちろん両面ですぐれた集中力を示す子どももいるが……。)
脳の中でも運動面をつかさどるのが、大脳半球の中の運動野(中心前回)という部分。
知的能力をつかさどるのが、連合野という部分。連合野は人がサルから進化する過程でとくに発達した部分であり、運動をつかさそる運動野とはまったく別物と考えるのが正しい。
ただ教育的には方法がないわけではない。
子どもの方向性を見きわめたうえで、うまく好奇心を引き出しながらそれに集中させるなど。
算数はきらいでも、虫が好きで、虫のこととなると夢中で調べる子どもは、いくらでもいる。
あるいは英語には、「楽しく学ぶ子どもはよく学ぶ」というのもあるが、子どもを好きにさせるという方法もある。
まずいのは、満腹状態の子どもに、さらに食事を与えるような行為。
集中力がなくなって当然である。
この集中力がなくなると、子どもは、フリ勉(まじめに勉強しているフリだけをする)、ダラ勉(ダラダラと身をもてあます)、時間ツブシ(つめをほじったり、やらなくてもよいような簡単な問題ばかりをする)がうまくなる。
こうした症状が出てきたら、できるだけ早い時期に、家庭教育のあり方を猛省したほうがよい。
小学低学年で一度そういう症状を身につけると、なおすのは容易ではない。
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